ネイティブ百姓が、元サムライに抱く感情
http://lttlleo.seesaa.net/article/471795804.html
自分は法を守る立場として
公式性別=戸籍記載性別 ※スポーツはセックス厳守
を言う。
しかし戸籍の性別変更とは
「変更できないヒトのセックスを、変更したことにする」であるから、
「変更したことにする」が、いいのか?
これを今考えている。
性別を形状とするから「性別変更」と言うのだろうけど
http://lttlleo.seesaa.net/article/471755136.html
ここで書いた生物学者の福岡伸一氏は、器官の話もしている。
「鼻がありますよね。その鼻とはどこまでが鼻か。
においの分子を受け取って鼻から脳ににおいの情報を届け、脳が反応する。
そうすると脳までが鼻とも言えて、このように、生物の体を部分で分けることは出来ない」
人体の全身性はすべてにおいて言えることで、パーツで分けられない。
性別を言えば、組織のごく一部や体液からもすぐわかる。
一人の全部が男性、一人の全部が女性。
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http://lttlleo.seesaa.net/article/467654993.html
性適合手術をして異性として生きる人が
社会生活で不利益を受けないように、と戸籍性別を変更する、
この部分についてはそうするしかないかなと思う。
問題は、
身体性別を変えようとすることが生物の全身性に反していて、
不可能なことを「した・できた・そういうことにする」、
ここが核心だと思う。
自分の考え:「性別は不変、変更不可能」
性適合手術:「治療をもって変更する・した・そういうことにする」
違いは
「不変だから不変」
「不変だけど可変とする」
社会の公正はこの先で、
「不変」を採択する
「不変だけど可変とする」を採択する
おのおのの意味と作用を熟考し、議論し、慎重に結論を出すものだ。
自分が一番重視しているのは
「結論を出す過程」。
「結論の良し悪し」の前。
情報を与えられず、
発言する機会も、
議論する時間も工程もないままに、
直接影響を受ける当事者抜きで出された結論を
盲目的に公正とすること
それを否定している。