過度なゲームプレイは問題行動の「原因」ではない。心理的問題の「兆候」だった:研究結果

世界保健機関(WHO)が疾病認定した「ゲーム障害」。過度なゲームプレイが“原因”で心理社会的機能に問題が出るのがその特徴とされてきたが、ある研究がその因果関係に疑問を投げかけた。むしろ、制御不能なゲーム行動と心理社会的機能の問題は、どちらも子どもに内在する心理的欲求不満の“兆候”だというのだ。

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MIGUEL SANZ/GETTY IMAGES

世界保健機関(WHO)が「ゲーム障害」と「危険なゲーム行動」を疾病に認定することを2018年に提案して以来、ゲームにまつわる問題の真の原因がどこにあるのかについて、科学的な議論が続いている。過度または常習的なゲームプレイは、実際に心理的な問題を引き起こすのか。それとも、何らかの心理的な問題を抱える人が、不健全なゲーム体験に陥る可能性が高いのか──。

臨床心理学のオープンアクセス学術誌『Clinical Psychological Science』に掲載されたオックスフォード・インターネット研究所(OII)による最近の研究は、後者の説をやや支持しているようだ。それと同時に、非常に熱心なゲームプレイヤーの多くが、心理的な欲求不満に突き動かされている可能性も強調している。

1,000人以上の子どもと親を調査

機能障害を起こすゲーム行動と、人の行動や心理的要求との間にどのような関係があるかを調査するために、OIIの研究者は英国の思春期の子どもとその保護者1,004人を対象にアンケート調査を実施した。保護者へのアンケートでは、子どもの「心理社会的機能」の水準、つまり生活上の問題をどれだけうまく内面化または外面化できるかを、子どもの行動から判断して評価してもらった。

一方、子どもたちには、日常生活で心理的欲求が満たされているかどうかを調べるための質問24項目に答えてもらった。例えば、「日々の行動に選択権と自由を感じる」「日常活動は義務の連鎖のように感じる」のどちらに当てはまるか、などだ。

これに加え、子どもたちには遊んだゲームの内容やプレイ時間、「インターネットゲーム障害」の可能性を示す9つのサイン(「ゲームをプレイできないときに不機嫌になった、または不安を感じた」「プレイ時間を減らすべきだと思ったができなかった」など)に関するアンケートに答えてもらった。

調査対象となった1,004人の子どものうち、525人が毎日平均3時間はオンラインゲームをプレイしていると答えた。そのうちの55パーセント以上がインターネットゲーム障害の9つのサインのうち1つ以上に当てはまり、23パーセントが3つ以上に当てはまっていた。

また、制御不能なゲーム行動(dysregulated gaming)の兆候とゲームに費やした時間は有意な正の相関関係を示すと同時に、保護者から報告された心理社会的な機能評価と有意な負の相関関係を示したという。言い換えれば、制御不能なゲーム習慣をもつ子どもは、ゲームにより多くの時間を費やす可能性が高く、生活上の問題に健全な方法で対処できる可能性が低いということだ。

過度なゲームは、“原因”ではなく“兆候”

この結果からだけでも、制御不能なゲーム行動それ自体を障害として研究することに、ある程度の価値があると考えられる。だが最も重要なのは、制御不能なゲーム行動を示す変数の影響は、「基本的な心理的要求が果たす役割と比較すると、実質的にとるに足らない程度である」ことだ。

「精神や行動、集団活動または品行の問題に関する保護者の評価に照らして考えると、思春期の子どものゲーム行動がどの程度制御不能かに関する情報からは、実質的に有用な情報は得られないことを、この証拠は示している」と、論文の著者たちは記している。

つまり、問題のある遊び方をしているゲーマーは、問題行動を起こす可能性が高い。一方で、その事実自体は子どもの心理的欲求が満たされているか否かを評価するほかの尺度に比べれば、問題行動を予測するうえで重要ではない、ということだ。

したがって、過度なゲーム行動が心理社会的行動の問題を起こしているというよりは、制御不能なゲーム行動と心理社会的行動の問題が、ともに子どもに内在するより根本的な心理的な欲求不満の兆候のひとつである可能性が考えられる。

論文は、WHOがゲーム障害の疾病認定の価値はどこにあるのかについて言及しながら、この研究が「制御不能なゲーム行動が、心理的欲求不満によって心理社会的機能を損なわれる経路として大きなものではないことを強く示唆している」と記している。

同報告書は最後に、「研究者と臨床医が非常に人気の高いアクティヴィティに向けている注視の目には、研究に基づく正当性があるのか?」と疑問を投げかけながら、「この調査で報告された証拠に基づいて判断すると、正当ではないだろう」とまとめている。

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スター・ウォーズのドラマに登場した愛らしい「ベビーヨーダ」は、いったいなぜ騒がれるのか?

「Disney+」で放映が始まったスター・ウォーズのドラマシリーズ「ザ・マンダロリアン」に登場するやいなや、その愛らしさで大きな話題になったベビーヨーダ。しかし、ここにきて反発の声が上がり始めている。いったいなぜなのか?

TEXT BY EMMA GREY ELLIS
TRANSLATION BY CHIHIRO OKA

WIRED(US)

BabyYoda

©CAPITAL PICTURES/AMANAIMAGES

[編註:本文の後半に「ザ・マンダロリアン」のエピソード1と2のネタバレにつながる描写が含まれています。日本では未公開(12月26日から「ディズニーデラックス」で配信予定)のためご注意ください]

いつものことだが、ネットで何かが人気を博すと、必ずそれを冷笑する輩が現れる。こうした皮肉な態度は、やがて理性的で真面目な声として受け止められるようになる。要するに“大人”だと思われるのだ。

今回の発端はベビーヨーダだった。配信が始まったばかりのDisney+の実写ドラマシリーズ「ザ・マンダロリアン」に出てくるこの小さなエイリアンがネットで話題になると、次の瞬間にはもう、いい年をしたオタクたちが「ヨーダのことを何もわかっていない連中が騒ぎ立てている」と言い出したのだ。

現在の大騒ぎの背景には、ベビーヨーダの熱心なファンだけでなく、同じだけの否定的な言説が存在する。この天使のように愛らしい緑の生き物のミームだけでなく、つぶらな瞳の赤ちゃんエイリアンが今後どのような役割を果たしていくかについて、さまざまな予想が飛び交ったのだ。

その一方で、ネットでお決まりの否定的な見方が出てくるのも自然な流れだったのだろう。ベビーヨーダに対する反対運動は、すでに始まっている。ただ、その罠に落ちるという過ちを犯してはならない。

もちろん、ベビーヨーダの人気や、そもそもなぜここにきて突然ヨーダの“赤ちゃん版”が登場したのか、懐疑的になるべき理由はいくらでもある。まず思い浮かぶのはマーケティングだ。ホリデーシーズン目前のいまの時期に、おもちゃがあれば絶対に欲しくなりそうな可愛いエイリアンが誕生したのは、どう考えても偶然ではないだろう。

かわいさを売りにしたキャラクターへの反感

この先、ベビーヨーダのグッズが大量に発売されることは確実である。ただひとつ言っておきたいのは、スター・ウォーズのキャラクターには、どれでもTシャツやキーホルダーなどが存在する。かわいかろうがそうでなかろうが、スター・ウォーズに登場するというだけで、あらゆる種類のグッズが用意されるのだ。

また、ディズニーから公式グッズが出ていなければ、“ブラックマーケット”で探せばいいだけだ。すでにベビーヨーダのぬいぐるみやTシャツなどがネットに出回っていることが確認されている

はるか彼方の銀河系では、これまでも定期的にかわいさを売りにしたキャラクターが登場してきた。

カエルとウサギを混ぜ合わせたようなジャー・ジャー・ビンクスは、ストーリー展開という意味では正直必要ない。一方、『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』のポーグは、ロケ地の自然環境に対応するために苦肉の策として誕生したキャラクターであることはご存知だろうか。撮影が行われた孤島のスケリッグ・マイケル島にはツノメドリという海鳥が数多く生息しており、これをすべてデジタル処理で消すことを避けるためにポーグが考え出されたのだ。

実は『ジェダイの帰還』に登場した元祖“かわいいキャラ”とでも呼ぶべきイウォークを嫌うファンは常に一定数いる。ただ、その理由となると奇妙なものが多く、例えばよく聞くのは、あのふわふわでだらしない感じがオリジナル三部作のシリアスな雰囲気を損ねるからだという。

ストームトルーパーを何体も倒し、エンドアの帝国軍の基地の破壊工作に功績のあったイォークたちだが、優柔不断ですぐに分解されてしまうC3-POよりさらに役に立たないという評価は不当ではないだろうか。もしくは、誰もが愛さずにはいられないはずのキャラクターだからこそ、逆にどうしても好きになれないのかもしれない。

みんな大好きなベビーヨーダ

とにかく、ベビーヨーダがイォークのようにわけのわからない理由で嫌われるのは避けなければならない。それは、スター・ウォーズにとってはマイナスでしかないからだ。

“誰もが好きなもの”を、みんなに好かれているからというだけの理由で条件反射的に批判するのは、まったくもって感じの悪い行為である。それは、大人たちが10代の若者の熱意が何かを汚していると勝手に決めつけて、そのために若者たちの間で流行しているものに難癖をつけるのと、たいして変わらない。

ヨーダは「怒りは憎しみに、憎しみは苦痛へ」と言っていたではないか。みんな、ベビーヨーダが大好きだ。そうなる運命なのだ。巨匠ヴェルナー・ヘルツォークですら、ベビーヨーダを見て涙を流したのである(冗談ではなく本当の話だ)。しかしだからと言って、ディズニーがベビーヨーダをあんなにかわいくしたのはおかしいと非難するのは、料理に塩を入れたのは間違っているとシェフに詰め寄るようなものだろう。

ここからは「ザ・マンダロリアン」のエピソード1と2をまだ見ていない人にはネタバレになるが、ベビーヨーダは卵のような丸い形の乗り物で空中を漂ったり、そこでスヤスヤと眠ったりする。カエルも食べていた。

もちろん、フォースを操るシーンもある。主人公のマンダロリアンが巨大な獣の卵を取ったために襲われたとき、フォースでその獣を空中に浮かべてマンダロリアンを助けてやるのだ(ただ、マンダロリアンが卵を盗んだことを考えれば、フォースの力でそれを助けるのが正しいかどうかは難しいところだが)。

はるか彼方の銀河系で最も愛らしい生き物

とにかくベビーヨーダの可愛さは別格で、これは制作チームの能力がいかに高いかを証明している。なぜなら、絶対に外さないはずの要素を寄せ集めても、必ずしもそれが成功するとは限らないからだ。

この話をすると、2016年のスーパーボウルで流れたマウンテンデューのCMに出てきた「パピーモンキーベイビー(Puppymonkeybaby)」を思い浮かべる人もいるのではないだろうか。子犬と猿と赤ん坊という、ネットでは必ずうけるはずのネタを組み合わせてつくられた悪夢のような生命体である。

ベビーヨーダは違う。ディズニーが“かわいらしさ”のレシピを総動員してつくり上げたスーパーベビーで、間違いなくはるか彼方の銀河系で最も愛らしい生き物だ。コーギーと子猿とグレムリンを合わせたような無邪気な顔は、記憶のなかにあるヨーダの賢者の眼差しとも相まって、キャラクターとしてもはや最強と言っていい。マーベルのグルートもかなわないかもしれない。

つまり、ベビーヨーダをめぐる熱狂は起こるべくして起きたのである。これは科学であり、逆らう必要はない。愛してやらねばいかん。騒ぎを楽しむのは間違ってはおらん──といったところだ。

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