サンデー時評:中国の「脅威」を感じないのがヘンだ:毎日
昨年来の、〈脅威〉という言葉をめぐる論争は、さまざまなことを考えさせた。外交・安全保障政策の琴線に触れるだけでなく、日本人にとってナショナリズムとは何か、言葉感覚は正常か、といったテーマとも深くかかわっているからだ。
論争に火をつけたのは、民主党の若い党首、前原誠司代表である。昨年の十二月八日(たまたま日米開戦の記念日になる)、ワシントン市内の戦略国際問題研究所で講演し、中国脅威論をぶち上げた。
「中国は連続して10%以上の軍事費の伸びを続けている。実際には中国政府が公表している二倍から三倍の軍事費が使われているのではないかとの指摘もある。この軍事力の増強と近代化は現実的脅威だ」と述べたのである。中国の軍事大国化路線を真正面から批判した日本の政党党首はこれがはじめてだろう。
前原発言に対する内外の反応はまことに多彩かつ敏感だった。前原さんはその足で北京に飛んだのだが、胡錦濤国家主席には会談を断られた。中国脅威論は中国がいま一番嫌がっている言葉だそうで、それに〈現実的〉という形容詞までつけたのだから、キャンセルは当然だったかもしれない。中国外務省の高官は、このとき、「言葉に気をつけてほしい」と前原さんに注意したという。しかし、不注意によって飛び出した言葉であるはずがない。帰国した前原さんは、「言うべきことを言ったことに自信と誇りを持っている。口だけで『友好』『友好』と言ってきた親中派とは違う」と啖呵を切った。若いリーダーの気負いすぎという感じもあるが、まあ、この程度は率直でいいのではないか。
さて、言葉の問題である。〈脅威〉というのは、脅迫と威圧が重なった単語で、要するに脅かされる状態のことだ。中国のただならない軍拡路線に日本人が平気でおれるはずはなく、脅かされた気分で、薄気味悪く見守っている。だから、暮れに発表された内閣府の世論調査では、〈日中関係は良好だと思わない〉と答えた人が前年比約10 増の七一・二%にものぼった。過去最悪の数字である。隣の国が軍拡を進めているのに、親しみを持て、と言われても、そうはいかない。
ほとんど疑いなく、前原が言う現実的脅威に、日本と日本人はさらされているのだ。それをそのままストレートに表現するのがいいのか、オブラートに包むほうがいいのか、というのが論争の第一の問題点である。
◇丁々発止と渡り合わねばキズナは太くならない
たとえば『朝日新聞』の社説(十二月十一日付)は、前原発言を批判して、〈外交センスを疑う〉と題をつけ、〈小泉政権でさえ、無用の摩擦を避けようと、首相が「中国脅威論はとらない」と言い、麻生外相が「中国の台頭を歓迎したい」と語るのとは大違いだ。中国に対して弱腰と取られたくないのだろう。だが、肝心なのは威勢の良さではない。首相の靖国神社参拝でずたずたになってしまったアジア外交を、民主党ならこうしてみせるという、外交政策の対立軸を示すことである〉としている。しかし、この観念論には到底ついていけない。『朝日』は現実的脅威があるとみているのかどうかが、まずわからない。現実的脅威があるとして、前原のように「ある」と率直に主張するのと、小泉純一郎首相のように「脅威論はとらない」とかわすのと、どちらの外交センス(というより姿勢)が、国益を守るうえで正当なのか。『朝日』は小泉側に立っているような筆法だが、私は違うと思う。
靖国参拝と軍拡脅威論を同次元に置くべきではない。靖国問題は当然、政治的工夫が必要で、首相の決断の問題だ。現実的脅威を批判するのは威勢のよさでも何でもなく、現実直視である。外交には押したり引いたりの駆け引きも大切だが、まず本音をぶつけ合う気迫がないと、相手になめられる。
東シナ海のガス田開発も、中国側の国際ルールを無視した高圧的なやり方のうらには、軍事力がちらつく。現実的脅威の裏づけにほかならない。軍拡のレベルについて、民主党首脳の一人は、「現実的でなく、潜在的脅威と言えばよかったんだ」と漏らし、専門家の間には、「いまの段階では〈脅威〉ではなく、〈懸念〉と言うべきだろう」といった指摘もある。しかし、いずれも超大国・中国への気後れがうかがえて、釈然としない。麻生太郎外相もその後、中国の軍拡について軌道修正し、「隣国で十億の民、原爆を持ち、軍事費が連続十七年二ケタ伸び、その内容も極めて不透明ということに関しては、かなり脅威になりつつある」(十二月二十二日の記者会見)と現実的脅威を認めた。これに中国側が扇動だと反発し、自民党の山崎拓前副総裁は、前原発言も含めて、「言葉づかいを間違っている。〈脅威〉と言うと、わが国への侵略の意図があると言っていることになり、一層の緊張が生まれる。ナショナリズムの方向に国民を誘導するのは許されない」と異を唱えた。だが、脅威と侵略意図の間には大きな隔たりがあるのではなかろうか。軍拡の狙いがはっきりしないときに、言葉の過剰反応をすると、日中間の不信が逆に深まるのを恐れる。脅威でないのなら、それを説明するのは中国側であって、日本がへつらうことはないのだ。
日本の嫌中ナショナリズムに政治家が媚びたり煽るのは厳に慎まなければならない。小泉さんが靖国参拝に固執する態度には、いくらかその懸念を感じる。しかし、中国の軍拡による脅威を嫌うナショナリズムは正常で、当然だ。嫌中、反日にならないような手立ては、お互い懸命に講じなければならないが、そのためにも、脅威ははっきり脅威と主張し、丁々発止と渡り合わなければ、日中のキズナは太くならない。
長文ですが全文掲載しました。本当に毎日新聞かと疑いたくなるような論調ですが、これこそ正論だと感じました。前原氏の「言うべきことを言ったことに自信と誇りを持っている。口だけで『友好』『友好』と言ってきた親中派とは違う」という言葉にあるとおり、”中国の脅威”とは、数字上からも実際の行動からも、火を見るよりも明らかで、これに対して懸念を述べるのは至極真っ当な行為です。しかし中国に”脅威だ”と言うことに対して、日本国内では何故か反発する人たちが少なからずいます。これは日本という国に蔓延る「異常さ」を如実に表していると言えます。
「隣に住む人達が包丁を持って、すごみながらこちらの様子を伺っている。最近は包丁どころか拳銃をたくさん仕入れているようだ。その隣人はその武器をちらつかせながら、こちらの庭を勝手に掘り返して中に埋まる宝物を奪いながら、この庭は俺のものだと主張して聞かない。」
今の日本と中国の状況を例えれば、こんな感じになるでしょうか。この状況で「隣人は脅威ではない」と主張することが異常と言わずしてなんと言ったら良いでしょうか。この毎日の記事のタイトルにあるように”ヘン”です。この状況でそんなことが言える人は「隣人から金をもらっている」、「文句を言えない弱みを握られている」、「隣人の内通者」、「頭がおかしい」このどれかだとしか考えられません。しかし、国内ではこのような論調をおかしいと思わず、平然と許す空気がまかり通っています。はっきりと正直に「中国は脅威だ」と述べれば、右翼だの危険思想だと、逆に攻撃される。この異常な事態に関して、正論を堂々と論じた毎日新聞には拍手を送りたいです。普通の国であれば当たり前のことですが、その当たり前が言えない。この”当たり前”が普通に言えるようになるまでは、この国に明るい未来はないかもしれません。
・日本ブログ大賞2006にエントリーしましたのでよろしければ投票をお願いします。
参考書籍:
中国の安全保障戦略
平松 茂雄
軍事帝国 中国の最終目的―そのとき、日本は、アメリカは…
杉山 徹宗