ほぼ日刊イトイ新聞

2019-11-26

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・いま「ほぼ日」で連載中の
 「演劇ひとすじ。野田秀樹」という対談で、
 「じぶんが思う、じぶんの年齢」について話している。

 じぶんがじぶんを何歳だと思っているか。
 これは、何年生きたから何歳という算数の問題じゃない。
 ぼく自身のことでいうと、正直、よくわからない。
 ある時期に、高校野球の選手たちが、
 突然、年下になってると気づいたことがあって、
 そこらあたりから、年齢というのは、
 何年いきてきたかという事実と関係ないところに、
 もうひとつあるものなんだなぁと考えるようになった。

 昨夜、テレビの番組で、多重人格の人が出ていた。
 その人は、いつでもなにかのきっかけで
 別の人格に変化するということだった。
 カメラの前で、ほんとうに自然に人が変わる。
 おもしろいのは、10人それぞれの人格に、
 6歳から30歳くらいまでの年齢があることだった。
 自己認識している年齢というのは、
 ある意味、ひとつの個性なんだなと思った。

 じぶんが認識しているじぶんの年齢のことを、
 テソーミの日笠雅水さんは、
 「たましい年齢」と名付けていた。
 その見方は、たしかにあるように思う。
 奥深いところでの「たましい」のことはわからないが、
 俗世間に生きていながらでも、
 「じぶんが何歳くらいのつもりで生きているか」
 については、よく考えたら見当はつくような気もする。

 最近のぼくは、一気に「たましい年齢」が高くなった。
 肉体的に、それを知らされることが増えたせいもある。
 それでも、実年齢よりひと回りほど若いところにいる。
 つまりは、71引く12で59歳ということのようだ。
 そうじゃないぞという科学的な事実は理解しているが、
 59歳として駆け出したり、59歳として夜ふかししたり、
 59歳として老人の悪口を言ったりしている感じだ。

 もう60歳の大台も近いので、あんまり無理はできない。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
とんかつとか、ラーメン、カレー。いつまでも食いたいな。


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