野党を排してフン・セン首相の独裁が続くカンボジアで、国外に逃れている旧最大野党の元党首が帰国を阻止され続けている。民主国家に再建させるべく、国際社会は監視の目を光らせてほしい。
カンボジアは前回下院選の昨年七月以降、フン・セン氏率いるカンボジア人民党が、上下院の議席を独占している。最大野党のカンボジア救国党は、前年に最高裁命令で解党に追い込まれていた。
救国党のサム・レンシー元党首は二〇一五年からフランスに逃れていたが、今月、タイやマレーシアから帰国を試みた。九日のカンボジア独立記念日の帰国が目標だったが、フン・セン政権の圧力などで果たせなかった。
前々回一三年の総選挙で、救国党は得票率45%と善戦した。三十年以上続くフン・セン体制をチェックする民主的な選挙制度を取り戻すための帰国だった。今後も挑戦を続けるという。報道によれば、独立記念日のプノンペンは平静な雰囲気だったものの「国民の半分以上はサム・レンシー元党首の帰国を心の中で待っている」と話す人もいたという。
東南アジアでは、独裁と対峙(たいじ)した活動家が帰国を好まれず、一部は悲劇に至った末に民主化につながった過去がある。
フィリピンでは一九八三年、民主派のアキノ元上院議員が亡命先の米国から帰国した空港で暗殺された。これをきっかけに当時のマルコス大統領の独裁打倒運動に発展し、アキノ夫人のコラソン・アキノ氏が八六年の大統領選を経てマルコス氏を倒した。
スハルト体制下のインドネシアが武力併合していた東ティモールでは、海外で活動していた独立運動家のラモス・ホルタ氏(ノーベル平和賞受賞者)の東ティモール入りをインドネシア政府が拒んだ時期もあった。同氏は独立後の〇七年、東ティモールの第二代大統領になり、民主化に寄与した。
たとえフン・セン氏が野党指導者の帰国を拒み続けても、民主化への圧力は国の内外で高まっていくだろう。
気になるのは中国の影だ。カンボジア沿岸部の港湾都市シアヌークビルなどを開発してフン・セン体制を経済面で支えようとしている。
欧州連合(EU)が貿易優遇措置の存廃を検討するなど、海外の圧力はかかり始めている。四半世紀前にカンボジアでの国連平和維持活動(PKO)を主導した日本も、フン・セン氏の暴走に歯止めをかける努力を続けてほしい。
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