昨日の記事 獅子身中の虫・修道服をまとった反日(1) のつづきです。

 

以前中丸啓議員の国会質問(平成二十六年三月1十九日)での発言をご紹介しました。

https://ameblo.jp/bogih/entry-12403722171.html

 

その指示を受けた日本のカトリックの上層部がどのような活動をしているか、

信者さんが大司教を訴える生の声を通して確認して参ります。

その木の根や幹が健全か、腐っているかを知るには、枝葉や実を通して判断できます。

 

ここで注意すべきは、詐欺師は善人を装います。

バチカンやローマ教皇は完全なる善を装うため、彼らの言動から判断することは不可能です。

 

(「正論」平成19年6月号 ふたたび岡田東京大司教様へ─なぜそんなに日本批判に血道を上げるのですか?より 長文の為要点を一部抜粋)

※画像は管理人です。

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(文中の『正平協』とは日本カトリック正義と平和協議会を指す)

 

岡田武夫東京大司教様

近年の教会指導者の政治的言動には見過ごせない疑問点が多々あり。

懸念はけっして私だけではないようで、ある信者の方から届いたお便りにはこう書かれていました。

 

「拉致被害者の家族を支援するならまだしも、

主権を侵している北朝鮮の側に立った発言を繰り返す司教様。」

 

 なるほど

教会に『憲法九条を世界に』の幟(のぼり)が立ち

信者の大学教授は拉致実行犯とつながっている」

共産党員の司祭が誕生した」

「毛沢東礼賛の講演が行われる」

                                                              ダウン

 

「受洗するんじゃなかった」 と信者が怒り出すのも不思議ではありません。 

 なぜ政治に走るのか。

 

1 東京教区から始まった

  教会指導者の政治的暴走は、昭和40年代に東京大司教区が靖国神社国家護持反対を大会決議したのが最初でしょう。日本初の枢機卿・土井辰夫師が1970年に亡くなり、後任に白柳誠一大司教(現枢機卿)が就任します。そして翌1971年暮れ、第一回東京教区大会が開かれ、靖国法案について論議されたのでした。

 

 靖国神社を宗教団体から国の管理に移す靖国法案は、この年、国会に3度目の提出が行われたものの、初夏には廃案となっていましたが、教区大会の代議員会は

「法案は憲法に違反」

 とする反対決議案を採択します。こうして憲法を盾に靖国反対を訴える政治運動は大司教のもとで始まりました。

 

 48年春には衆参両院に反対署名が提出されました。5度目となる法案提出のあと、教区内に靖国問題委員会が設けられ、白柳大司教は自民党総裁に法案反対の文書を送付しました。翌年には東京カテドラルで教区公認の反対集会が開かれます。わずか数年で教会は圧力団体と化したのです。

 

今日の教会指導者による日本批判の問題点がすべて出揃っていることは注目されます。

 項目的にいえば、

①不正確な近代史理解に基づく戦前批判、

②とくに教会の戦争体験を迫害と信じて疑わない硬直的な歴史理解、

⑤他者を厳しく批判する一方で教会の世界宣教史の誤りを省みない独善性、

⑥緩やかな政教分離の受益者でありながら完全分離主義を主張し、他者を追及する言行不一致、

⑦信仰より憲法を重視する非宗教的発想

 です。

 

濱尾氏の靖国論は間違いだらけに見えます。誤りだらけの歴史認識や他宗教理解に基づいて、正しい結論が導かれるはずはありません。

 

3 反天皇への転換点

  20年後の御代替わりに、政治運動はピークを迎えました。標的は天皇・皇室です。年号の変わり目に、司教たちは天皇観を一変させたのですが、転機を導いたのは、約1年前の昭和62年秋に鳴り物入りで開かれた第1回福音宣教推進全国大会でした。

(略)

 「民主化」された教会が最初に攻撃したのが天皇でした。昭和天皇が崩御になり、多くの国民が悲しみに暮れた64年1月7日の当日、司教たちは耳を疑うような内容の談話と文書を発表しています。

 司教といえば、全国を16に区分する、教皇と直結した司教区の最高責任者ですが、司教たちの組織である司教団から信者宛の談話は、冒頭にたった一行の弔意を表したあと、掌を返すように、昭和が「相次ぐ戦争」の時代で、

 

「アジア太平洋地域で二千数百万人が犠牲になった」

「戦争は天皇の名において行われた」

 と批判し、さらに「昭和の過ち」に対する神の裁きを予告し、

諸行事において天皇の神格化、絶対化などが行われることを戒めています。

 

 一方、司教たちの常設機関である司教協議会による聖職者宛の文書には弔意の表明すらなく、冒頭から

「明治以降の天皇制と結びついた国家神道」

 を批判し、要するに

「教会としては関わるな」 と呼びかけています。

 

 2日後には司教協議会がきわめて直截(ちょくさい)に、諸儀式に信教の自由と政教分離の原則が厳守されることを首相に要望し、さらにこの年の秋には、「天皇の即位の儀式」に国費の支出はまかり成らん、と主張しています。

 

 ここには2つの問題があります。

 まず天皇・皇室に対する姿勢です。

天皇こそは有史以来の日本の統治者であり、最高の権威ですが、「憲法教」の宣教師さながらに憲法擁護に熱心なはずの教会指導者は、憲法第1章に定める天皇の権威を認めようともしません。

 雑誌「福音宣教」掲載の論攷(「『天皇制』について」=「福音宣教」平成元年3月号)で大司教様は

「天皇制に代表される日本文化の欠点は閉鎖性、排他性、独善性にある」

 と指摘し

「教会としては偶像崇拝に通じる天皇・天皇制の絶対化に反対する。侵略されたアジアへの償いと関係を深める過程で天皇・天皇制の意味と役割は相対化される。日本の福音化の最大の課題は天皇制の福音化である。そのとき神の国は完成する」

 と表明しています。

 大胆にも宮中祭祀のキリスト教化さえ主張されています。

 

 

4 白柳大司教の戦争責任告白

  平成の時代になると、日本の教会指導者たちは反戦平和運動に傾斜していきます。

先駆けとして顔を出すのはやはり白柳大司教でした。

 

 昭和61年のアジア司教協議会連盟総会に際する東京カテドラルでのミサ説教で、白柳・日本司教協議会会長は

「戦争責任の告白」 を行いました。

 

「日本の司教は、日本が大戦中にもたらした悲劇について、神とアジア太平洋地域の兄弟たちに赦しを願う。戦争に関わったものとして、この地域の二千万を超える人々の死に責任をもっています。いまも痛々しい傷を残していることについて深く反省します」

 

 歴史を振り返れば、日中戦争の発端となった盧溝橋事件は中国軍による挑発があったことが知られています。真珠湾攻撃に始まる日米戦争を連合国は侵略戦争と認定しましたが、日本政府には経済的挑発に対する自衛戦という大義名分がありました。マッカーサーは戦後、日本の戦争目的が防衛のためだったとアメリカ議会で証言しています。

 

 平成7(1995)年2月、その名も「平和への決意」 と題する司教団教書は、

絶対的平和主義の立場に立ち、日本人と教会の戦争責任をそれぞれ指摘し、

「日本軍は朝鮮半島や中国、フィリピンなどで、人々の生活を踏みにじった」

「残虐な破壊行為で無数の民間人を殺した」

「強制的に連行されてきた朝鮮人や元従軍慰安婦は、日本が加害者だったことを示す生き証人だ」

 などと追及しています。

歴史の真実を見極めるというなら、「強制連行された朝鮮人や従軍慰安婦」

は削除されるべきでしょう。

 

「朝鮮人の強制連行」説は北朝鮮系の研究者による政治的プロパガンダが典拠であり、史実でないことが研究者の間では常識となっています。数年前、在日韓国人組織が日本人の歴史認識を正すことを目的に発行した小冊子などは強制連行への言及がありません。まして強制連行が立証された慰安婦が一人でもいるのでしょうか。

 

 しかし歴史を見極めるどころか逆に歪める司教団教書は政治運動本格化のジャンプ台でした。教書にはその後の慰安婦問題の謝罪要求、原発反対、自衛隊海外「派兵」反対などを予感させる7つの実現項目が並んでいます。

 

5 本格化する日本批判

 先兵は左傾化の本丸とされる正義と平和協議会(正平協)です。司教協議会、社会司教協議会のもとで社会問題に取り組んでいる正平協は、司教団教書の2カ月後、

「新しい出発のために」 という声明を発表します。

 

「天皇制国家主義が支配した日本がアジア太平洋地域で侵略戦争を推し進め、2000万人以上の兄弟姉妹を殺し、労働と性労働に強制連行した。日本は日清戦争以来、侵略を行った。日本の教会は侵略戦争に手を貸した」

 

 これが宗教家の文章かと思うほど、露骨な表現で、天皇批判、侵略戦争批判が始まりました。

 前年に枢機卿となった白柳師は、教皇が昭和56年に広島で語った

「過去を振り返ることは将来に対する責任を負うことです」

 を引用し、戦争協力の歴史の反省が教皇の意向であるかのように説明していますが(『歴史から何を学ぶか──カトリック教会の戦争協力・神社参拝』カトリック中央協議会福音宣教研究室編著、1999年)

(略)

 しかし正平協は、なぜ戦争が引き起こされたのか、というもっとも基本的な歴史検証を欠落させたまま、観念的で非実証的な日本批判を展開し、さらに戦後の「経済侵略」、自衛隊の「海外派兵」にまで矛先を向けています。

 

 悲しいかな、人類の歴史は戦争の歴史です。日本人が「戦後」と呼ぶ60年間にも世界では殺戮と破壊が続いたし、中国の軍備増強や北朝鮮の核開発は世界的関心事です。

 60年前の戦争を特別視するのは、目の前の事象から目をそらすことになりますが、もしやそれが司教たちの目的でしょうか。

 

 正平協は、戦後日本のアジア進出を「搾取」「経済侵略」と決めつけていますが、それならコロンブスの新大陸発見以来、カトリック信者による身の毛もよだつような殺戮と破壊が行われ、植民地支配の続いた中南米地域で、日本が「侵略」した地域以上に発展した国があるでしょうか。正平協の批判は客観性に欠け、偽善的です。

 

 けれども、司教たちの日本批判はさらに具体的にエスカレートします。たとえば慰安婦問題です。平成8年、司教協議会社会司教委員会は、

 

「日本帝国陸軍が作った慰安所制度は国際法に違反する。政府は法的責任を認めよ」

「被害者に補償せよ」

「謝罪せよ」

 と迫る国連人権委員会クマラスワミ勧告の受け入れを首相に要望しました。

 

 しかしこの勧告は挺身隊と慰安婦を混同し、総数を20万とし、大部分は殺された、とリポートするなど、ずさんな部分があることが指摘されています(秦郁彦『慰安婦と戦場の性』新潮社、1999年など)。

 しかも戦争中、朝鮮および朝鮮人はもっとも協力的な戦友であり、慰安婦も同様でした。慰安婦出身の女兵伝説さえあるといいます。けっして「性の奴隷」 ではありません。

(略)

 国連人権委のあるジュネーブでは日本人修道女が長期間、組織的にロビー活動をしたといわれます。

 慰安婦問題を断罪した「2000年女性国際戦犯法廷」の主催団体は発足当初、カトリック中央協議会や正平協と同じ住所に連絡先があった、団体の発起人の一人は正平協のメンバーで、「戦犯法廷」は人脈的に北朝鮮の中枢につながっている、とも指摘されますが、日本の教会は神の館を隠れ蓑にした北朝鮮の工作機関なのでしょうか。

 

6 侵略戦争史観にこり固まる

  教会指導者の日本批判は国旗・国歌にも向けられました。国旗・国歌法が成立、施行されたのは平成11年夏ですが、正平協はその約半年前、法制化反対を表明し、同法成立後はカトリック学校に対して国旗掲揚・国歌斉唱の再考を促しています。

 

 正平協(日本カトリック正義と平和協議会)は、日の丸に関しては

「アジア太平洋地域の人々にとって軍事的侵略のシンボルとして位置づけられている。日本は侵略・植民地化の責任を認めず、戦後補償もしていない」と非難し、君が代に関しては「歌詞そのものが天皇を日本の統治者として讃美するもので、主権在民の原則に反する」

 と主張しています。

これほどまでに「侵略」戦争史観、反天皇にこり固まっているとは驚きです。

(略)

一昨年、司教団は

「戦後60年平和メッセージ、非暴力による平和への道」を発表しました。

 メッセージはこの年春に中国や韓国で高まった反日運動を取り上げ、その背景に日本の歴史認識や首相の靖国参拝、憲法改正論議などの問題があると指摘し、さらに政教分離原則を緩和する憲法改正の動きを戦前の復活になりかねないと牽制しています。

 司教たちの批判はつねに日本にだけ向けられています。このメッセージも、中韓両国の反日の原因は日本だと理解するばかりで、中国国内の権力闘争の道具として靖国問題が利用されてきた側面を見落としています。(後略)

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以上。

 

〔参考動画〕

●ローマ法王、来日を解説。教皇、訪日、日本、バチカン。

 

 

獅子身中の虫を見極めたいですね。

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