私が担当させていただいている東京地裁での離婚後単独親権制度違憲立法不作為訴訟につきましては,12月18日に次回期日が予定されています。

 

 

 

 

その訴訟が平成31年3月26日に提起された後,今年の9月27日には,法務省が離婚後共同親権制度への法改正を検討する研究会を立ち上げることを公表されました。研究会の立ち上げについては,マスコミでも大きく報道してくださっているところです。少しずつ,社会が動いていることを感じています。

 

 

 

 

その法務省が立ち上げることを公表した研究会(家族法制に関する研究会)での審議は,以下の公益社団法人商事法研究会のHPに掲載されています。そこには,令和元年11月15日に開催された第1回研究会での議事内容と配布された資料が掲載されています。

 

 

 

 

 

公益社団法人商事法研究会HP/家族法制に関する研究会

 

 

 

 

 

掲載されている配付資料を拝見して私が興味深く感じたのは,「親権という用語は適切なのか」という問題提起がされていることです(配付資料1の2頁1項(2))。資料では,諸外国では「親責任」という言葉も用いられている,とした上で,これからの時代における適切な言葉は何かについて検討が必要である,としています。

 

 

 

 

私自身は,「離婚後単独親権制度違憲立法不作為訴訟」を担当させていただいており,「離婚により一方配偶者が親権を失うことが憲法に違反している」という主張をしています。

 

 

 

その訴訟を通じて感じるのは,現在多くの離婚後共同親権を求めている方々は,言葉としての「親権」というよりも,もっと広い,質的に異なるものを求められているのではないかな,ということです。

 

 

 

紙に書かれた活字としては「親権」であり,そこに「親の権利」と書かれていることが,ひょっとすると離婚後共同親権に反対される方々が抵抗を感じているのかもしれない,と思うことがあります。では,諸外国のように「親責任」という言葉が,適格なのかと言えば,私としては活字としての「親責任」も,何かフィットしないのです。

 

 

 

 

私が訴訟を通じて感じているのは,親権を失われた方々が求められているのは,親と子が触れあい,親と子が共に成長することそのものではないか,ということです。それを日本語のどのような言葉で表現するべきかはとても難しいことですが,でもそれは確実に,私達の心の中にある存在なのだと思います。決して目には見えないけれども,確かに心で感じることができる。その「何か」を適格な日本語で表現することも,法律家の腕の見せ所なのだと思います。

 

 

 

 

上で御紹介した研究会でも,そのような,心の中で求めているとても大切な存在を,活字としての日本語でどのように表現するかについて,委員の方々の議論が交わされることだと思います。今後掲載される予定の研究会での議論の結果を,そのような観点から,とても楽しみに拝見したいと考えています。