日本の起訴猶予制度の異常性 -NGT事件をうけて-

不起訴になった。イコール事件じゃないということだ。』というのは、昨年12月に暴行被害に遭ったNGT48の元メンバーである山口真帆さんに対して、NGT48の運営会社である株式会社AKSの吉成夏子社長が言い放った言葉だ。

山口さんを暴行した犯人2人は新潟県警に現行犯逮捕されたものの、新潟地検は不起訴処分とした。起訴猶予のことを考えれば、不起訴になったから事件でないという主張は日本の刑事司法手続を理解していない無知によるものとしか言いようがない。この点において吉成氏の発言は荒唐無稽なものである。

しかしながら、他方で、上記の発言が「法治国家が犯罪を放置するはずはなく、犯罪行為が確認された場合は公的機関は当然起訴するだろう」という考えに基づくものとするなら、このような素朴な思い込みをしてしまうこと自体はむしろ正常と言えるかもしれない。というのも、起訴猶予を認めている国自体は日本以外にもあるが、後述するように日本ほど起訴猶予を広範に認め、起訴猶予を乱発している国はなく、日本の起訴猶予制度は「諸外国に例を見ない」ものとなっているのだ。日本以外の多くの国々は法治国家として犯罪行為が確認された場合は出来うる限り起訴する法制度となっているか、あるいは事実上そのような運用がなされている

したがって、日本の刑事司法手続を理解していない吉成氏の発言がおかしいのは当然として、もっとおかしいのは、「事件」を不起訴にした新潟地検とそれを可能とする日本の刑事司法手続のほうかもしれない。*1

そこで、以下に日本の起訴猶予制度と、その問題点を説明していく。

刑事手続のおおまかな流れ

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(出典:「刑事手続の流れ」(法務省ウェブサイト))(http://www.moj.go.jp/keiji1/keiji_keiji11-1.html)

多くの場合、犯罪が発生したときは、

  1. 警察が捜査する
  2. 警察が検察に送検する*2
  3. 検察が捜査する
  4. 検察が起訴・不起訴を決める
  5. 起訴された場合、刑事裁判が行われる
  6. 裁判所が実刑判決を出し、それが確定した場合、刑が執行される
という流れで刑事手続が行われます。

もちろん、細かいことを言えば、上記のケースに当てはまらないこともあります。例えば、犯人が犯行時20歳未満だった場合、少年法が適用され、上記の流れとは異なる手続となりますし、「認知」や「直受」といって検察が警察からの送検を経ずに直接事件を受理し捜査を始めることもあります。

しかし、いずれのケースであっても、刑罰を科すためには(刑事)裁判を経なければならないというのは同じです。その根拠となるのは日本国憲法の第32条及び第37条1項です。

 憲法32条
『何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。』
憲法第37条1項
『すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。』

憲法の第32条では国民に「裁判を受ける権利」を保障し、第37条1項ではさらに刑事被告人について「公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利」を保障しています。言うまでもなく憲法は国の最高法規であり、憲法に反する法律は無効となるので、これらの憲法によって保障された権利を刑事訴訟法などの法律で覆すことはできません

したがって、刑事手続において、被疑者・被告人を有罪とするには例外なく裁判を経る必要があるのです。

刑事事件を裁判所に訴えるのは誰か?

それでは、刑事事件において、裁判所に訴えることができるのは誰でしょうか?

日本では、国家訴追主義といって、刑事事件を訴追(裁判所に訴える)するのは国家のみであり、私人(民間人)は訴追することができない、という制度を採っています。*3

また、国家訴追主義を採るにしても、具体的に、どんな国家機関が訴追するのかという問題がありますが、日本では、起訴独占主義といい、刑事事件を訴追できるのは検察のみとなっており、検察以外の国家機関は訴追できません。*4

例外として、付審判制度*5と起訴議決制度*6においては、検察以外の者が訴追することになりますが、これらは極めて例外的なケースであり、実質的には、起訴独占主義の名が示す通り、検察以外の者が訴追することはほぼありません。

したがって、日本では、刑事事件を訴追することができるのは検察だけであり、私人や検察以外の国家機関が訴追することはできません。なお、検察が刑事事件を訴追することを「起訴」といいます。

よく、ニュースなどで、誰誰が「刑事告訴」をした、とか、誰誰が「刑事告発」をした、とか、聞きますが、この告訴・告発というものは、あくまで「国は犯人をきちんと処罰してください」とお願いするというものであって、これにより裁判が始まるわけではありません。例え、告訴・告発をしても、検察が不起訴としてしまった場合、裁判が始まることはありませんし、犯人が処罰されることもありません。

検察はどんなときに起訴するのか?

それでは、検察は一体、どんなときに起訴し、どんなときに不起訴にするのでしょうか?

  • そもそも犯罪が成立していないとき
  • 一応犯罪は成立しているが法律上訴追するための条件を満たしていないとき
  • 捜査により被疑者が無実・潔白であることが判明したとき
  • 証拠不十分であるとき

これらの事情のあるときは不起訴となりますが、犯罪が行われたことが明らかで、法律上の訴追するための条件も満たし、被疑者が犯人であることを証明する証拠も十分にあるときはどうでしょうか?

そのような場合は当然起訴するだろうと思う人も多いでしょう。

しかし、実は日本は、起訴便宜主義といって、犯罪が行われたことが明らかな場合であっても、検察が裁量で起訴・不起訴を決めることができるという制度になっているのです。根拠となるのは刑事訴訟法の第248条です。

刑事訴訟法第248条
『犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは、公訴を提起しないことができる。』

「公訴を提起しない」というのは起訴しないという意味なので、この規定は、検察が「犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としない」と判断したときには、例え犯罪が行われたことが明らかで証拠も十分にあるときであっても、不起訴とすることができる、というものになります。

具体的には、被害者との示談が成立していたり、既に社会的制裁を受けていたり、初犯で反省の度合いが強かったり、とした事情がある場合などに起訴猶予が行われます。

日本の起訴猶予制度は異常?

ここで諸外国の例を見てみましょう。

諸外国では、例えば、イギリスやアメリカは起訴法定主義といって、起訴・不起訴の基準をあらかじめ法律で定めるという制度を採っており、起訴猶予は認められていません。すなわち、犯罪が行われたことが明らかな場合は必ず起訴しなければなりません。ドイツも原則として起訴法定主義を採っています。

また、スウェーデンなどは、日本と同じように起訴便宜主義を採っていますが、そのような国々もほとんどの場合は、起訴猶予処分にできるのは(1)一定の罪種や対象者に限る(2)軽微な事件に限る(3)裁判官の同意を必要とする、などの制限を設けています。

一方で、日本では、起訴猶予について、一切の制限がありません。全くの無条件であり、制度上、検察はどんな事件であっても起訴猶予にすることが可能なのです。しかも、裁判官の同意を必要とするなどの制限がないため、外部のチェックも全くなく、全てが検察の独断により決まります。極端な話、制度上は、全く反省していない凶悪犯罪者であっても検察がよしとすれば起訴猶予にできてしまうのです。

その結果として、日本での起訴猶予制度は諸外国に例を見ないものとなっているのが現状です。

そもそも何で起訴猶予が必要?

そもそも何で日本はこんな制度を導入したのでしょうか。もともと起訴猶予は明治期に微罪不検挙という名で行われたのが始まりで、当初、検察が微罪不検挙を導入したのは以下の理由によるものでした。

  • 囚人の増加により、監獄関係の予算が足りなくなった
  • 軽微な事件は処罰の必要性が薄い
  • 短期自由刑の弊害を防ぐ*7

ただ、これらの問題は、後に導入された執行猶予制度が全て解決しています。執行猶予とは、裁判所が有罪判決を出すものの、刑の執行については猶予するという制度で、例えば懲役2年執行猶予3年といった判決の場合、執行猶予期間の3年を無事に過ごせば、今後一切刑の執行が行われることはなくなります。逆に、執行猶予期間中に再び罪を犯すなどした場合は、本来の懲役2年という刑が執行されることになります。

この執行猶予制度を活用すれば

  • 執行猶予の場合、有罪となっても囚人にはならないので、監獄関係の予算は増えない
  • 軽微な事件で処罰の必要性が薄いと考えられるものには、執行猶予を付けることで、処罰をしないことが可能となる
  • 短期自由刑の弊害が生じるおそれが大きいと考えられるものには、執行猶予を付けることで、短期自由刑を科さないことが可能となる

…と問題はことごとく解決するのです。

にもかかわらず、執行猶予制度が導入された後も微罪不検挙(起訴猶予)が廃止されなかった理由はわかりません。国会議事録など公の資料には何ら議論された形跡が見られないからです。

しかし、本来であれば、執行猶予制度が当初微罪不検挙を導入した際の問題を全て解決した以上、その時点で起訴猶予は廃止されるべきだったと言わざるを得ないでしょう。

起訴猶予の問題点

それでは、現状、起訴猶予制度にどのような問題点があるのか見ていきましょう。

検察は司法でなく行政

検察は「行政と司法の両方の性質を持つ」とは言われますが、あくまでもその位置づけは行政であり、司法ではありません。三権分立というのは近代法治国家の大原則ともいうべきものですが、本来、刑事責任についての最終的な判断は司法権のなすべき仕事と言えます。

もちろん、証拠が不十分であったり、明らかに人違いである(真犯人が別にいる)といった事情がある場合は、被疑者の権利を尊重し、起訴しないという判断にも一定の正当性があると考えられます。例え無罪判決が出たとしても、訴訟を行うことそれ自体が被告人にとっては多大な負担となるからです。

しかし、犯罪が行われたことが明らかであり、その証拠も十分にあるという状況において、行政機関である検察が司法機関によるチェックもなく、裁量で不起訴にし、刑事責任の追及を止めてしまう*8というのは、三権分立の観点から見て、重大な問題があります。

なぜなら、「行政が判断する」ということは、多くの場合そこに政治的配慮がなされることになるからです。本来、同じ罪を犯せば同じ罰が下らなければならないはずです。憲法第14条1項*9にも明記されている法の下の平等から考えるとそれは至極当然のことです。そして、何が「同じ罪」なのか、というのは法律によって判断しなければなりません。罪刑法定主義*10というものです。しかし、もし政治的配慮のもとに刑事責任についての判断がなされているとしたら、それは法律とは別のところの判断基準が加えられていることになります。

刑事司法というのは、もっとも公平性を重視しなければならない分野です。もし「自分は懲役5年になったのに、彼は同じことをしても無罪になった」となれば、不平等感が生まれ、それは国民の遵法精神・規範意識を大きく傷つけることになります。同じことをしても人によって扱いが違うとなればルールを守るのが馬鹿馬鹿しくなりますからね。そもそもそんなもの法治国家と言えるかすら疑問です。

最近、いわゆる池袋暴走事故*11の犯人が「上級国民」だから逮捕されないのでは?という俗説が世間の耳目を集めていますが、つまり、それは「本来公平であるべき刑事手続において、上級国民に限っては特別な計らいをするという政治的配慮がなされているのでは?」という不信感の表れですよね。

刑事司法において、政治的配慮というものが前面に出てきてしまった場合(あるいは国民からそう疑われた場合)、まさしくこのように国民の不満につながってしまうのです。

ですから、証拠が不十分であるなどの事情がない限り、刑事責任についての最終的な判断は、司法によるべきです。裁判官は憲法・法律のみに拘束され、政治的配慮は加えない(ものとされている)からです。

憲法第76条3項

『すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。』

したがって、犯罪が行われたことが明らかであり、その証拠も十分にあるときは、基本的には判断を司法に託すべく起訴すべきであり、起訴猶予というのはこの点からして問題があります。

判断過程・判断理由がブラックボックス

もう一つの問題は、検察が起訴・不起訴を決める際に、その判断過程や理由は、国民に一切開示されず、非公開であるという点です。一部の報道では「嫌疑不十分」「嫌疑なし」「起訴猶予」などといった大枠の不起訴理由は伝えられますが、それだけです。また、ほとんどの事件では、その大枠の理由すら不明で、嫌疑不十分による不起訴なのか、起訴猶予による不起訴なのか、といったことすら分かりません。

そのため、仮に検察が起訴・不起訴の判断に際して何らかの不正を行っていたとしても、国民がそれを知る手段はなく、したがって是正される見込みもほとんどありません。例えば、先ほどの話にもつながりますが、検察が政治的配慮のもとに起訴・不起訴を決めているのではないか、と国民が疑念を持ったとしても、それを確かめる術はないのです。

一方、もし起訴猶予を廃止し、多くの事件を起訴し、裁判するようになった場合、検察の判断とは違い、裁判は公開で行われ、国民には裁判を傍聴する権利があるので、裁判所がどのように有罪・無罪や量刑を判断したのか、その判断過程・判断理由を国民が一定程度見ることができ、また、それを検証し、批判し、議論することが可能です。

憲法第82条1項

『裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。』

「不当な不起訴」を是正できない

仮に検察が何らかの不正な動機・判断により不起訴にした場合、それを是正したり、被害者などが不服申し立てをしたりする手段はほぼありません。

一応、検察審査会というものがありますが、形骸化しているのが実情です。というのも、検察審査会が不起訴不当あるいは起訴相当の議決を出した場合、検察は再度捜査することになりますが、再捜査を第三者機関が行うならばともかく、そもそも最初に不起訴にしたのは検察なわけで、その検察がすぐまた再捜査をしても結局再度不起訴という結論になることがほとんどです。

検察審査会が強制起訴に持ち込むには、2度にわたり起訴相当の議決*12を出さなければならないという極めて高いハードルをクリアしなければなりません。この高すぎるハードルをクリアすることはほとんどありません。*13

被疑者の権利をも害する

不当な不起訴が行われた場合、本来罰せられるべき者が処罰されないことになるので、被害者は泣き寝入りを強いられることになります。

一方、被疑者の側はどうかというと、一見、起訴されずに済んだということで、利益になっているように見えますが、実は違います。

仮に、起訴され、裁判所による判決が確定した場合、「一事不再理」といって、同じ事件については二度と裁判することはできません。

憲法第39条

『何人も、実行の時に適法であった行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。

しかし、検察による不起訴は、単なる行政による処分であって、裁判所による無罪判決ではありません。したがって、不起訴になった行為は憲法第39条にいうところの「既に無罪とされた行為」には当たらず、一事不再理は適用されません。

実際、検察は一度不起訴にした事件でも、後日、再捜査し、起訴することができます。これを「再起」といいます。*14

つまり、不起訴にされた被疑者は、一事不再理の保障を受けることはできず、いつまた検察に呼び出され、起訴されるかわからない…という法的に不安定な立場に置かれることになります。

とりわけ、起訴猶予についてはこの問題は深刻です。なぜなら、嫌疑不十分による不起訴などの場合は、そもそも起訴しても有罪判決が出る可能性が低いという理由による不起訴なので、新たな証拠が発見されるなどの事情がない限り、検察が判断を変える可能性は低いと言えます。

しかし、起訴猶予というのは、犯罪が行われたことが明らかで、その証拠も十分にあるという状況での不起訴なので、仮に起訴したら高い確率で検察側が勝訴し有罪判決を引き出すことができます。したがって、検察側が判断を変え、後日、起訴する可能性は他の不起訴に比べ一段高いと言えましょう。

このように、被疑者にとっても、起訴猶予というものは、不利益となるものなのです。

濫用を疑わざるを得ない現状

現状、実際にどれぐらい起訴猶予が行われているのでしょうか?

法務省の平成30年版犯罪白書の第2編第2章第3節「被疑事件の処理」にその統計があります。

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まず、2-2-3-3表「不起訴人員(理由別)」を見てみると、平成29年に不起訴処分にされた者*15のうち、起訴猶予は全体の70.7%を占め、嫌疑不十分(証拠不十分)を理由に不起訴となったのは全体のわずか20.3%に過ぎません。ほか、告訴の取消し等が4.2%、心身喪失が0.3%、その他が4.5%となっています。つまり、ある年において不起訴となった者のうち約7割は不起訴理由が起訴猶予というのが現状ということになります。

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また、資料2-2「検察庁終局処理人員」によると、平成29年の起訴率は32.9%で起訴猶予率は64.8%となっています。

いずれのデータを見てみても、かなり多くの者が起訴猶予となっているのが実態であり、検察が起訴猶予を濫用しているのではないかと疑わざるを得ません。しかし、先ほども説明した通り、検察の起訴・不起訴の判断過程・判断理由はブラックボックスであるため、この疑念が正しいのかどうか、確かめることは、できないのです。

半世紀以上放置され続けた起訴猶予制度

これまで説明したように、実に多くの問題を抱える日本の起訴便宜主義・起訴猶予であるが、実はこのことは検察庁の上部組織である法務省自身も過去に指摘していました。

起訴猶予に値したいものにこれを濫用する結果となれば、国民の規範的意識を低下させて刑政にゆるみをきたし、被害者の不満や一般国民の不安を招くおそれもあり、また、それは、ひいては、裁判の機能を害し、その権威を失墜させることにもなりかねない。』

(昭和42年版犯罪白書 第二編/第一章/一/3「起訴猶予」より抜粋)

しかし、結局、上記の犯罪白書が発行された昭和42年(1967年)から半世紀以上経った現在も、起訴猶予の制度やその運用が見直されることはなく、今日に至っています。

その結果、『国民の規範的意識を低下させて刑政にゆるみをきたし、被害者の不満や一般国民の不安を招く』ことにはなっていないだろうか?個人的には、なっているだろう、と考えます。

参考文献

  • 菊田 幸一「わが国における起訴便宜主義について(一)」『法律論叢』41巻1号
  • 菊田 幸一「わが国における起訴便宜主義について(二)」『法律論叢』42巻1号
  • 須々木 主一「宣告猶予の目的-刑事政策学的試論-」『早稲田法学』42巻1-2号
  • 「昭和42年版 犯罪白書 -最近の犯罪と犯罪者処遇の諸問題」
  • 「平成30年版 犯罪白書 -進む高齢化と犯罪」

*1:山口さんを暴行した犯人の不起訴理由は明らかにされていないが、新潟県警が逮捕し、満期勾留されていることなどから、十中八九、起訴猶予であると思われる。

*2:被疑者を逮捕した上で送検する場合と、逮捕せずに送検する場合があります。逮捕せずに行う送検を、一般的に「書類送検」と呼びます。また、「微罪処分」といって、例外的に事件を検察に送検しないこともあります。

*3:一方、例えば、イギリスでは、私人訴追主義が採られており、私人(民間人)が刑事事件を訴追することができる。

*4:刑事訴訟法第247条『公訴は、検察官がこれを行う。』

*5:公務員職権濫用罪など特定の犯罪について、検察が不起訴としたとき、告訴人・告発人が裁判所に付審判請求することができ、裁判所が付審判決定したときには、刑事裁判が行われる、という制度

*6:選挙権を有する国民の中から無作為に選出された11名で構成された検察審査会が、検察が不起訴にした事件について、起訴相当の議決を出した場合、検察が再度捜査をすることになる。それでもなお検察が不起訴としたとき、検察審査会は2度目の審査を行うが、ここで2度目の起訴相当の議決を出した場合、強制的に起訴されるという制度

*7:短期自由刑の弊害とは、本来犯罪を犯さないような性格だがたまたま軽微な罪を犯した者に、短期の自由刑を科すと、社会から隔離されたという意識から、更生するどころかむしろ腐敗し、また、短期とはいえ刑務所生活をした以上、職を失うことになり出所後の社会復帰も難しくなるなど、犯した罪の重大さに比べ、デメリットが大きすぎるという問題

*8:先述したように、刑罰を科すには必ず裁判を経る必要があり、また、日本では刑事事件を訴追できるのは検察だけなので、検察が不起訴にすれば、それ以上刑事手続は進まず、事実上検察が刑事責任についての最終的な判断をしたことになる。

*9:『すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。』

*10:何が犯罪に当たり、その罪を犯したらどんな罰が下るのか、ということを法律によってあらかじめ明確に定めなければならないという考え方で、近代刑法の大原則とされる。

*11:2019年4月19日に東京池袋で飯塚幸三が運転していた乗用車が暴走した事件。2人の死者と9人の負傷者を出した。

*12:起訴相当の議決を出すには、3分の2以上の特別多数決によらなければならない。

*13:2009年に強制起訴制度が導入されて以降、2019年時点で強制起訴に至ったのはわずか9件のみです。

*14:法務省の事件事務規程第3条6号には検察が事件を受理する場合の1つとして「不起訴処分又は中止処分に付した事件を再起するとき」と規定している。

*15:過失運転致死傷等及び道交法違反を除く