モモンガの物語はもう少しだけ続きます。
今回はほのぼの回です。
部屋には使う者の性格が表れる。それは個人の部屋だけでなく、仕事場においても言えるだろう。
バハルス帝国の皇帝が日夜仕事に励む部屋。そこでは全体的に豪華な内装に比べ――全体の調和を乱さない程度ではあるが――実用性が重視された机が複数並べられている。
そしてその上に積まれた山盛りの書類――はっきり言って修羅場である。
「くっ、明らかに人手が足りない……」
朝早くから机に張り付いている皇帝は、珍しく部下のいる前で弱音を吐いた。
それも仕方のない事だろう。ジルクニフは常人の三倍近い速度で一心不乱に書類を処理しているが、昼を過ぎた現在でもノルマの半分も終わっていない。
被害が出た市民への対応、働いた兵士達への褒賞、半壊した闘技場の修復 etc……
金が出ていくばかりで良い内容が一つもない。
「元々文官は不足気味でしたから」
「まったく、鮮血帝の粛清のツケが回ってきたという事か」
同じ様に仕事に励む部下に向かって、ジルクニフは自嘲気味に呟いた。
特に闘技場が使えなくなってしまった事は痛い。あれは帝国の立派な収入源であり、なおかつ市民にとって欠かせない娯楽だったのだ。
これも全てエルヤーのせいだと怒りをぶつけてやりたいが、本人が死んでいる以上どうにも出来ない。
「奴隷の回収はどの程度進んでいる?」
「少々お待ちください…… 現在急ピッチで進めておりますが六割程ですね。予算には限界がありますから、買い取る際の商人との値段交渉もやや難航しているようです」
「そうか…… ならば経費削減だ。違法な商人は言うまでもないが、グレーゾーンや悪質な商人も全て潰せ。残った商品は全てこちらが有効活用させてもらう」
「多少の反発が予想されますが、よろしいのですか? 潰されると分かれば逃げ出す者もでるかと」
「構わん。我が国で売り買いされなければ問題ない。どの道これからの帝国は奴隷のいないクリーンな国を目指すからな。奴らに払う金も惜しい」
「承知いたしました。そのように致します」
再び無言で仕事に没頭するジルクニフと文官達。しかし仕事は一向に終わる気配がない。減った分だけ新たな仕事が追加されている気さえしてくる。
長時間同じ姿勢で座り続けていたジルクニフは、処理した書類の束を重ねると軽く肩を回して息を吐いた。
「ふぅ、この際だ。優秀なエルフがいれば文官として雇ってみるか?」
「長い目で見れば良い案かもしれませんね。彼らは寿命が長いですから。一度育てれば帝国にとって末永く仕えてくれる優秀な人材となるでしょう」
ジルクニフのぼやきにも近い言葉に、周りの部下は顔も上げずに返事を返した。
忙しさは理解しているため、ジルクニフも特に咎めはしない。
「逸脱者クラスの文官がいると考えれば悪くはないな……」
何となく出した案ではあるが、これは意外と使えるかもしれない。
現在の帝国は奴隷制度撤廃のため――国民全体の意見がまとまりすぎてジルクニフと言えど動かざるを得なくなった――動き出している。
「異種族への差別を否定する良いモデルケースにもなるでしょうね」
「ああ、それも利点ではある。法で縛っただけでは弱いからな。我々トップが率先して異種族――エルフを受け入れる姿勢を示す事も重要だ」
その中でも取り分けエルフの扱いに頭を悩ませていたのだ。
奴隷の輸入を禁止し、現在商品となっているエルフの奴隷を全て国が買い取り、その後故郷へ帰す。これにかなりの金がかかる。
わざわざ故郷へ帰すくらいなら、恩で縛って働かせた方が金もかからずよっぽど良いだろう。それに優秀な人材なら給金を惜しむつもりもない。
ジルクニフは有能であれば部下の出自にこだわりはない。それこそ元犯罪者だろうがモンスターだろうが使えるモノは何でも使う。
それ故にエルフを雇用する事にも、メリットとデメリットを考えた上でかなり前向きになっていた。
「よし、そうと決まれば面接だな。回収したエルフに会いに行ってくる。私が直々に使えそうな者を見定めよう」
「この量の仕事をほっぽり出してですか?」
書類の山を指差す部下を見て、ジルクニフはニヤリと笑う。
「なにを言うか。これも立派な仕事だ。それに私が直接声をかける事に意味がある。傷を負った心に私が救いの手を伸ばし、忠誠心を植え付けるためにな」
ジルクニフはデスクワークの休憩がてら、人材確保を成功させようと気合が入っていた。
ここ最近スカウトに失敗したばかりなので、自分の中でその失敗を取り戻すためでもある。
(前は失敗したが……あれは例外と言っていい。私にかかればエルフの一人や二人、余裕で勧誘出来るはずだ)
エルヤー襲撃事件の際、帝都にばら撒かれた強力なアンデッドを倒した男――名も無き
ただのボランティアだと言いはり、名前も名乗らず素性も不明の男だったが、その強さだけは疑いようがなかった。
兵士達にも少なくない被害があった今では、彼ほどの強者は是非とも部下に欲しい人材である。しかし――
『――たとえ皇帝陛下の御命令でも武力を使う仕事に就くつもりはない。今回暴力を振るってしまったのは私の弱さ故だ』
――キッパリと断られてしまった。
本人は暴力と言い切ったが、アンデッドを倒した事はどう考えても賞賛すべき事のはず。正直あの厳つい顔で何を言っているんだと思った。
そこそこの額の褒賞金も渡そうとしたが頑なに受け取ろうとせず、しぶしぶ受け取ったと思ったらそれを孤児院などに全額寄付する筋金入りの男だった。もはや病的なまでのボランティア精神だ。
いったいどのような人生を送ればあのようになるのか。スレイン法国の神官に稀に強すぎる信仰心を持ったものがいるが、頑固さでは負けていないだろう。
(もしくはモモンガさえ手に入れば、この様な不測の事態でも対処出来るようになるんだが…… もう少し本気で勧誘しておくべきだったか。何かある男だとは思っていたが、まさかあれ程の力を隠していたとは……)
そして現在何よりも手に入れたい人材――最終的にエルヤーを倒したと思われるモモンガだ。
色々と謎の多い人物だが、彼は帝国の誇る最強の
闘技場の戦闘痕を実際に確認してみたが、どれほどの戦いがあったのか想像もつかない。
予想出来る事と言えばフールーダよりも――少なくとも戦闘面では――モモンガが優れた魔法詠唱者である可能性が高い事くらいだ。
闘技場を半壊させるようなアンデッドを倒すなど、もはや御伽噺に出てくる英雄クラスの偉業だろう。
「いずれ借りを作らせて引き込むつもりが、こちらの方が借りを作ってしまうとは……」
クライムが口ごもっていた事から何か秘密はありそうだが、現状で有効な手札はない。
そもそも普段から転移で移動しているのか、彼の足取りは非常に掴みづらい。
唯一安心できる点といえば彼自身にまるで野心がなく、帝国の敵となる可能性が非常に低い事だろう。
「まぁいいさ。まずはエルフを確実に引き入れるところからだ」
身だしなみを整え、爽やかな好青年の笑顔を作って気持ちを切り替える。
無い物ねだりをしても仕方ないと、とりあえず今は新たな人材確保に動き出すジルクニフであった。
◆
夏の暑さはとうに過ぎ去り、木々の葉っぱが綺麗に色づいてきた。
毎年のようにバハルス帝国とリ・エスティーゼ王国が戦争をしていた時期だが、王国が併呑された今となっては只々嬉しい実りの季節。
「――ほぅ、エランテルの近郊に天変地異を操る竜が現れた事があるのか。大昔の事だから誇張されてるのかもしれんが、本当なら凄い能力だな」
「私の目の前にも同じ事出来そうな人がいますよ。誇張抜きで」
モモンガは宿屋でのんびりと本を読みながら、気になる記述を見つけて思わず呟いた。
同じくまったりとしているツアレの呟きは何となくスルー。
ページをめくる僅かな音さえも聞こえる穏やかな一時――読書の秋である。
「それにしても随分と古そうな本ですね?」
「ああ、前に市場で見つけてな。面白そうだったんで買ってみた。何百年以上も昔の事になると信憑性はなさそうだが、竜王ならぬ竜帝か……ロマンだな」
ツアレはモモンガの持つ古めかしい革張りの本をしげしげと眺めた。
ボロボロで価値があるものには見えないが、如何にもモモンガの好きそうな物ではある。
「うん、なんだか創作意欲が湧いてきたな。たまには絵でも描いてみるか。ちょっと画材を買ってくる」
「はい、いってらっしゃい」
ポーションの調合や錬金術、特別なバフがかかる料理など、ユグドラシルに存在するスキルの場合、習得していないモモンガはこの世界で再現する事が出来ない。練習の有無にかかわらず必ず失敗してしまうのだ。
しかし絵を描く事はスキルでもなんでもないため、モモンガにも理論上は可能なはずである。
ファンタジーな書物を読んで想像力が刺激されたモモンガは、いそいそと宿屋を出て行った。
「――そんな訳で色々と買ってきたぞ。ツアレも今日は暇だろう。一緒にやってみないか?」
「たしかに予定はないですけど、私はそんなに絵を描いた経験が……」
「別に上手く描けなくてもいいじゃないか。こういうのは楽しめればそれでいいさ」
近場で買い物を済ませたモモンガはすぐさま宿に戻ると、暇そうにしているツアレをお絵描きに誘ってみる。
別にツアレはいつも暇な訳ではなく、今日がたまたま休みと決めている日なのだ。
ツアレ曰く吟遊詩人の活動は毎日すると特別感がなくなり、客の反応も悪くなるらしい。
具体的に言うと収入――投げ銭が減る。
よってこれはサボりではない。戦略的自主休暇である。
「折角だからお互いの顔を描いてみないか?」
「うーん、分かりました。面白そうですし、やってみましょう!!」
絵を描くと言っても油絵のような本格的なものをする訳ではない。使う道具も色鉛筆程度――ただのお遊びのスケッチだ。
二人は向かい合って椅子に座り、お互いをじっくりと観察しながら描き始めた。
口数も少なくなり、特にモモンガは唸りながら真剣に手を動かしている。
そして作業に集中する事約一時間――
「……うん、出来たぞ」
「私も出来ましたよ」
ほとんど同時に描き終えた二人。
モモンガは描き終わったというより、諦めた感のある声だった。
「――ぷっ、モモンガ様、絵はあんまり得意じゃないんですね。自分から言い始めたからてっきり……ふふっ」
「いや、レベル百のこの体ならそういった能力も上がってないかなぁ、なんて期待はしたんだが……」
モモンガの描いた絵を見た瞬間、ツアレは思わず吹き出した。
端的に言って下手である。その絵は幼い子供が描く絵を彷彿とさせ、描いていた時の真剣な様子とのギャップが笑いを誘う。
残念ながらスキルの有無に関係なく、モモンガに芸術的な才能はあまりなかったようだ。
「でも、私を描いたって事はちゃんと分かりますよ」
「そりゃ金髪の女の子の絵だからな……」
ツアレのフォローにモモンガは投げやりな声を漏らした。
モモンガの描いた絵は色合いから辛うじてツアレだと分かる。だが金髪ロングの女の子の絵なので、正直かなりの人間が当てはまってしまう。
「くっ、粘土細工とかならもう少し上手く出来るはず…… ところでツアレのはどうなんだ?」
「私ですか? これです!!」
「おっ、結構上手いじゃ――」
ツアレの掲げる絵をパッと見たモモンガは、意外な器用さに賞賛の声をあげる。しかし一箇所だけ気になる点を見つけた。
「ツアレよ」
「なんでしょう」
ツアレが描いた絵はモモンガの優しげな雰囲気がよく表現されている。
黒髪の短髪に、あまり彫りの深くない日本人特有の顔つきもよく描けている。
描けているのだが――
「私の顔の幻術、というかアゴ。こんなに尖ってるか?」
「ごめんなさい。描いてる途中で、モモンガ様の骨格を思い出しちゃって……」
――顎だけが異様に尖っていた。
某有名プロレスラーのモノマネをしているモモンガを描いたと言われても不思議ではない。というか、確実にワザとだ。
ツアレのささやかなイタズラに対して、モモンガも僅かながら反撃をしてみる。
「ふむ、こんな感じか?」
「ぷっ!? あははっ!! モモンガ様、ちょっと、その顔は反則です!!」
素敵な絵を描いてくれたお返しに、モモンガは自身の顔を覆う幻術の顎を尖らせた。その顔を見た途端、ツアレは見事に吹き出してくれる。
「魔法があればっ、なんでも出来る!!」
「あっははははっ!! 離れてくださいっ!! はっはっー、お、お腹が……」
ツアレがモモンガの顔を引き離そうとバシバシと叩いてくるが無駄である。
モモンガの〈上位物理無効化Ⅲ〉はその程度では突破できない。
完全にスキルの無駄遣いだが、妨害できないのを良い事にグイグイと顔を近づけ続け、念入りに見せてあげた。
元ネタをツアレは知らないはずだが、反応からして今の自分は相当面白い顔をしているのだろう。
絵に描かれた顎を更に強調して表現し、ツアレの腹筋を崩壊させてあげた。
「お腹の調子が悪いのか? 大丈夫か?」
「ちょっ、待ってください!! もう分かりましたからっ!! 顔を、顔を近づけないで――あははははっ!!」
断じてこれは自分の絵が残念だった事への復讐ではない。ツアレの反応を楽しんでいる訳でもない。そう、自分は笑いをプレゼントしているだけだ。
自分はカルマ値がマイナスに振り切っているから仕方ない。そんな言い訳を頭の中で浮かべながら、顔を真っ赤にさせるツアレを見てモモンガは愉悦に浸っていた。
「あーん? なんだって?」
「あは、あはははっ!! ごめんなさい!! ゆる、ゆるしてくださいっ!! 本当にお腹が、あはははははっ!!」
顔を背けるツアレ。
すかさず回り込んで顎を突き出し、攻め手を緩めないモモンガ。
「も、もう、駄目……」
「ふむ。折角だし、記念にこの絵は貰っておくぞ」
かなりアホらしい攻防を繰り返し、ついにツアレは完全にダウンした。
――圧倒的な顎力による勝利である。
笑いすぎて涙まで流したツアレが声すら出せなくなった後、モモンガは二つの絵をアイテムボックスの中へ保管した。
芸術の秋――もはやただのじゃれ合い――も悪くないと思いながら、疲れ果てた少女にモモンガは優しく微笑んでいた。
「はー、はー…… 笑いすぎてお腹が痛いです……」
「ふっ、このお絵描き勝負はどうやら私の勝ちのようだな」
ぐったりとした様子で椅子に座り込むツアレを見て、モモンガは勝ち誇る。
元から勝負なんてしていないし、絵のクオリティで言えばモモンガの完敗である。
「魔法を使うなんて卑怯ですよ、モモンガ様」
「はははっ、すまんすまん。そうだな……お詫びに今日は奮発して、何か美味しいものを食べに行かないか?」
ジト目で自分を見つめるツアレに、モモンガはお詫びを兼ねたご飯を提案した。
「――行きましょう!!」
「よしっ、久々に贅沢してみるか!!」
ご飯と聞いてガバリと立ち上がった少女――ツアレ復活。
やはり食欲の秋が一番大切である。
◆
エ・ランテルにある最高級の宿屋――『黄金の輝き亭』で銀貨どころか金貨が飛ぶような食事を堪能した二人。
二人は帰路を歩きながら、食べた物を思い返して満足気な声をあげていた。
「はぁ……どのお料理もすっごく美味しかったですね」
「ああ、そうだな。本当にどの料理も最高だった。たまの贅沢も良いものだ」
焼きたての白パン、水々しく新鮮なサラダ、見た目も鮮やかな前菜。そして香りだけで食欲を倍増させてくるメインの肉料理。
〈
「綺麗な自然があって、たまに遊んで、美味しいものを食べて…… それだけで十分すぎる程に幸せだ。この世界は、人らしい生活は良いな……」
夏に比べて陽が落ちるのも段々と早くなっている。
辺りは酒場などの一部の店を除いて閉まっており真っ暗だ。そのおかげで空に浮かぶ月と星の輝きがよく見える。
「モモンガ様の夢、見つかりましたか?」
「夢? なんの話だ?」
いきなりの問いかけに首を傾げるモモンガに、ツアレは優しく笑いかけた。
「覚えてないなら気にしないでください。きっといつか見つかりますから」
「なんだかよく分からんが……夢か。そんな年でもないけど、その内考えるかな」
こんな自分でも夢を叶える事は出来た。
いや、叶えてもらったと言ったほうが正しいのかもしれない。
自分よりもずっと凄いモモンガなら、想像も出来ないような何かを成し遂げるはずだ。
「見つけたら教えてくださいね。物語のネタにさせて貰いますから」
「おいおい、叶えるどころかまだ考えてもいないのにか?」
「はい。モモンガ様なら大丈夫ですから!!」
「まったく、晩ご飯のせいか? 今日はえらくテンションが高いな」
ツアレはモモンガの隣を歩きながら、まだ見ぬ未来に想像を膨らませるのだった。
ジル「帝国の改革は終わっていない。私と共に帝国の、君たちの未来を切り開くのだ」
部下「皇帝、ジルクニフ皇帝だ!!」
ジル「エルフ達よ、我がもとに集え!!」
エルフs「イケメン皇帝最高。就職します」
たぶんこんな感じでエルフの勧誘は成功してます。
カリスマと容姿の合わせ技は最強です。