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INSIGHT - 2019.7.21

SNS時代の美術館マーケティングはどうあるべきか? 森美術館広報・洞田貫晋一朗に聞く

2019年6月、興味深い書籍が刊行された。『シェアする美術 森美術館のSNSマーケティング戦略』(翔泳社)は、SNS全盛の現代における美術館のデジタルマーケティング戦略を説くものだ。同書を執筆した森美術館広報・プロモーション担当の洞田貫晋一朗に、本書執筆の背景や、これからの美術館SNS戦略のあるべき姿について話を聞いた。

森美術館内観(センターアトリウム) 画像提供=森美術館

交通広告には頼らない

 森美術館13.5万人、国立新美術館5万人、東京国立博物館1.6万人。これは入場者数ではない。各館のInstagramフォロワーの数だ。現在、森美術館が日本でもっとも多くのInstagramフォロワーを有する美術館であることはご存知だろうか。

 2010年にローンチされた写真共有サービス・Instagramは、2019年6月7日に国内月間アクティブアカウント数が3300万を突破。グローバルでは18年6月時点で10億ユーザーとなっている。森美術館がこのInstagramを始めたのは2015年9月のこと。当時、日本の美術館で同サービスを利用している館はほとんどなく、先駆的なアカウントのひとつだった。そしてそのフォロワーは伸び続け、いまや美術館では日本最大のアカウントとなっている。

 このInstagramをはじめ、TwitterやFacebookなど、森美術館の公式SNSの「中の人」を務めるのが、同館広報・プロモーション担当の洞田貫晋一朗(どうだぬき・しんいちろう)だ。洞田貫は2006年森ビルに入社。森アーツセンターギャラリーおよび六本木ヒルズ展望台東京シティービューの企画・運営・広報などを経て、15年から現職を務めている。

洞田貫晋一朗

 そんな洞田貫が所属する森美術館のプロモーション戦略はユニークだ。

 日本の美術館では、(森美術館と同程度の大規模展覧会であれば)駅などで見かける交通広告に出稿する慣習が根強い。しかし、森美術館ではほとんど交通広告を出さないという。

 「交通広告はかなり高額で、1週間や2週間などの単位でしか掲出できません。しかも誰が見たのかという分析もできない。(広告に)たまたま出会った人しか情報を得ることができないし、出会ってもそのうち何人が当館に来てきてくれるのかはわからない。これでは砂漠に水を撒くような感じですよね。そうした費用対効果を考えた場合、SNSのほうが確実です」。

森美術館外観(ミュージアムコーン) 画像提供=森美術館

 交通広告よりもSNS──もちろんこれは、森美術館が現代美術に特化した美術館であり、来館者層の大半を20〜40代が占めるという特性とも強く関係している。いまや電車でも目線の先にはつねにスマートフォンがあり、プロモーションはそこに向けて出すというのは、至極まっとうな考えだ。

 展覧会では毎回数十万人という入場者数を記録する同館。しかし、その数字は容易に達成できるわけではなく、「掘り起こし」の苦労があるという。

 「森美術館のファンの方々は、自分から情報を取りきてくれます。でもその情報にたどり着けず、なおかつ『その情報があったら来ていたのに』という層へとアプローチしていかないといけない。SNSの画像を見て『いいね』を押すのは簡単ですよね。でも自分のスケジュールを空けて、交通費を払って、入り口でチケット払って、入場する。そこまでエンゲージメントしてもらうのはとても大変なんです」。

来館者も「メディア」のひとつ

 例えばInstagramで「#森美術館」と検索してほしい。そうすると、開催中の「塩田千春展」も含め、膨大な数の写真がアップされているのがわかる。これは森美術館が展覧会での撮影をできるかぎり可能にするよう努めているからだ。この「撮影可能」とする施策は、同館の来館者増と密接につながっている。

Instagramで「#森美術館」と検索した結果

 「当館では展覧会会期前にキービジュアルをひたすらにSNSに投稿します。そういう事前情報を興味の有無関係なしに、一度インプットしてもらう。そして2度目の情報は友達や家族からの投稿です。例えば友達などが(塩田千春展の)赤い糸の中で写真を撮って投稿をしたとき、『あ、1回見たあれだ!』と頭の中でリンクする。そうすると来館につながりやすくなります」。

 つまり、来館者をひとつのメディアとしてとらえているということになる。洞田貫はこう続ける。

 「『楽しんでいる』という情報を自由に発信してもらって、いろんな人に行き渡れば、公式よりも説得力がある発信になります。投稿を見て来館される方は、(一度SNSで見ているから)どのような展覧会なのかイメージできますし、自分も投稿したくなるかもしれません。公式から情報をUPしていくことが重要なのはもちろんですが、一般来館者が撮影できるということも重要。そして来館者が撮影・投稿しやすい環境を整えておくことも重要です」。

 森美術館では、アーティストとの出展契約のプロセスのなかに、撮影についての許可を得ることも含めているという。館長をはじめ、キュレーター、広報、運営を含めた館全体が同じ方向を向いている。

森美術館外観(ミュージアムコーン) 画像提供=森美術館

美術館をからっぽにした「#empty」

 この撮影可能という条件を最大限に活かしたイベントが、2017年に初めて行われたソーシャル・イベント「#emptyMoriArtMuseum」だ。

 そもそも「#empty」は、2013年にニューヨークのメトロポリタン美術館で初めて公式に開催されたInstagramを使ったイベント。閉館後の美術館に複数のインスタグラマーを招き、展示風景を撮影・シェアしてもらうというものだ。日本では森美術館が初めてのケースで、当時は19名のインスタグラマーが「N・S・ハルシャ展」を楽しんだ

 「『森美術館は写真撮影できるんです』という体制を示すとともに、SNSのひとつの受け皿になっているということをアピールしたかったんです。そこで日本でもやってみようとなりました。3回の開催を経て、当館が『#emptyができる美術館』だということを示せた。象徴的なイベントだったと思います」。

N・S・ハルシャ《空を見つめる人びと》(2010/2017年)の写真を撮る「#emptyMoriArtMuseum」の参加者たち

特設アカウントはもったいない

 「#empty」などの取り組みをはじめ、着実に美術館そのもののフォロワーを増やしてきた森美術館。同館のアカウントについて特筆すべき点はまだある。それは、「展覧会ごとのアカウントはつくらない」ということだ。

 冒頭の交通広告と同じく、大型展(いわゆる「ブロックバスター」)では、展覧会ごとにアカウントをつくるという慣習がある。しかしこれは、すでにある開催館のアカウントと、そのフォロワーをみすみす捨ててしまうようなものだ。

 「みんながせっかくフォローしてくれても、展覧会が終わればそれは『死にアカウント』になっていく。やり方としてはあんまりポジティブには感じないですね。最初の頃は(特設アカウントをつくることで)Twitterの検索上位に表示されたことが理由だったんだと思います。しかしそれはプロフィール欄にきちんと展覧会名とハッシュタグを入れることで対応できる。そうした工夫をすれば、すでにある美術館のアカウントでも十分に運用できます」。

洞田貫晋一朗

 こうしたブロックバスターの特設アカウントは、展覧会の主催にメディアが入る(いわゆる「共催展」)という独特の運営体制が背景にある。しかし、それで美術館にファンは付くだろうか?

 「大型の美術展は、広報・プロモーションを主催メディアに頼っている部分が大きいのだと思います。企画展のアカウントがあってもいいとは思いますが、そのファンも自分の館のファンになってくれるような仕組みづくりをして、ちゃんと運用していくのがあるべき姿だと思いますね」。

 日本では、美術館に専属の広報担当者がいない(兼務)、あるいは常勤ではないという館も多い。このような構造的問題も、特設アカウントという特殊な仕組みと紐付けて考えられる。

 「広報・プロモーションの責任者がいるほうが効果が高いのは事実です。各館にはそれぞれの状況があることは承知です。しかしSNSは比較的簡単にできるツールですよね。本当に些細なことでもいいから、とにかく引っ掛かりがないと来館のきっかけにならない。そのための作戦として、まずはネット上に情報をポツポツ置いていくことから始めないといけません。電車ではいまみんながひたすら画面だけを見ている。その画面に情報を載せる必要は確実にあります」。

キーワードは「ターゲット・コンシャス」

 美術館のSNS運用で一歩先を行くのは、海外の美術館だ。Instagramを例に取ると、フォロワー数だけでもニューヨーク近代美術館(460万人)メトロポリタン美術館(320万人)、ルーヴル美術館(310万人)と桁違いの数字が並ぶ。しかしこれらを真似するようなことはないと洞田貫は語る。

 「最初は海外の美術館を見ていたのですが、規模が違いすぎて参考にするのをやめました(笑)。例えばメトロポリタン美術館では『メットガラ』の日に7万人以上もフォロワーが増える日があったりするんですよ。すさまじいですよね。こういうのを見ていると、規模が違いすぎて参考にするわけにはいかないなと。だから我々は独自の、いまのうちのファンになってくれる人やその可能性のある人に向けて、ターゲット・コンシャスで発信していく。それに徹したほうがいいかなと思ってますね」

 「ターゲット・コンシャス」、これは簡単なようで非常に難しい。多数のフォロワーを抱えるSNSアカウントでは、その先にいる人々の顔を具体的に思い浮かべてアクションすることは容易ではない。

 「想像力を張り巡らすしかありません。自分で感知している範囲では、1個か2個くらいしかクラスタが思いつきませんが、本当は計り知れないクラスタがブドウの実のようにたくさん重なり合いながら存在している。そのことをひたすら頭の中で想像していくしかないんですよ。『建築の日本展』であれば、建築系の大学生、現場の大工さん、木材や林業の関係者......そういう人たちを大きい丸から小さい丸までひたすら頭の中で図式化していく。そうしてイメージした人たちに情報を届けるということです」。

洞田貫晋一朗

 こうした「ターゲット・コンシャス」は、永続的にファンを増やすためにも必須だ。SNSユーザーの動向は流動的であり、「来館者」を一括りで考えてしまえば、いつの間には取り残されてしまう。

 「当館は20〜40代がコア層なので、その人たちが30〜50代になってもファンでいてくれる施策を続けていければキープはできます。しかし、もしそれより下の世代が来なくなると、そこで来館者はプッツリと切れてしまうわけです。その人たちをどう取り込むかを、ちゃんとリサーチしながら手を打っていかなければいけなません。これはアクティブシニアがメイン層の美術館・博物館にとっても言えることだと思います」。

 SNSはあくまで民間のウェブサービスであり、永遠ではない。それは誰しもが意識的にしろ無意識的にしろ理解していることだろう。InstagramやTwitterのその先に何があり、どう動けるのか? これはSNSが欠かせないメディアにとっても意識しなければいけない問題だ。

 「SNS以外の新しい情報サービスやプラットフォームが出てくるかもしれないし、SNSの担当者としては、そういったことにはかなり敏感に考えておくべきです。次の世代をどうやって取り込むかに最適解はありませんが、それはマーケティング部門だけの課題ではなく、ラーニングなどの草の根的な普及活動も含め、美術館全体でアグレッシブに向かっていかないといけませんね」。

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INSIGHT - 2019.11.16

「ポピュリズムとナショナリズムの時代における美術評論」はどうあるべきか? 第52回国際美術評論家連盟国際会議レポート

今年10月1日から7日にかけ、ドイツのケルンとベルリンで第52回国際美術評論家連盟国際会議が行われた。「ポピュリズムとナショナリズムの時代における美術評論」をテーマに、複数のセッションが行われたこの会議では何が話されたのか。美術評論家連盟会員でキュレーティング・批評を専門とする四方幸子のレポートをお届けする。

文=四方幸子

会場風景 撮影=筆者

 あいちトリエンナーレ2019で、9月25日に「表現の不自由展・その後」が再開される見通しが発表され、翌日文化庁が補助金交付中止決定を通告した。その直後から美術関係者をはじめ広く人々の発言、署名、デモが繰り広げられるなか、筆者はドイツに飛び、国際美術評論家連盟(AICA)国際会議のベルリンでのセッションを聴講した(10月3日〜5日)。主催はAICAドイツ、後援がドイツUNESCOコミッション、助成がドイツ連邦共和国文化財団である。

 AICAインターナショナル(国際美術評論家連盟)設立70周年の今年のテーマは、「ポピュリズムとナショナリズムの時代における美術評論」。世界各地で顕著になっている政治・社会における不寛容や他者排斥の傾向に対し、美術においては批評的な取り組みが多くのアーティストによって近年展開されてきた。本会議はその現状を、ドイツをはじめヨーロッパ、そして世界各地から登壇者を迎えて共有し、未来の展望を検討する場といえる。翌月(11月)にベルリンの壁崩壊から30周年を迎えつつあるドイツで、第二次世界大戦から冷戦を経て現在に至るこの国の変転した政治体制の下での美術や美術評論の歴史を振り返る意味も含まれている。

挨拶するフェリッケルス・ホルテンジア ドイツ連邦政府文化財団理事

 筆者がこの会議への参加を決めたのは、9月に入ってからだった。今年から来年にかけて複数のシンポジウムを準備しているなかで、今回のテーマを気にしていたが、決定的なトリガーとなったのは、あいちトリエンナーレ2019をめぐる状況である。グローバルな議論を確認したうえで、日本との差異や共通点について検討する必要性を感じ、急遽行くことにした。

 あいちトリエンナーレでは、以下が露呈したと認識している。
(1)本会議のテーマでもあるグローバルな問題、(2)日本の美術やそれを稼働させている構造、文化政策上の諸問題、社会の諸問題(経済的分断、美術関係者と人々との「文化的分断」)、(3)日本とグローバルな社会における政治・社会そして美術における違い、である。

 このような状況を、日本におけるかつてない「文化の地殻変動」(筆者)、つまり美術をはじめ文化全般が拠って立つ基盤自体を揺るがすプロセスととらえ、危機であると同時に、美術をめぐって人々が対話を始めることで、美術と社会の関係が次のフェーズへと展開する可能性を感じていた。 

いま「ポピュリズムとナショナリズム」を語る必要性

「ポピュリズムとナショナリズム」というテーマは、世界各地で生起しているこの問題が、統一から29年となるドイツでも顕在化していることを示している。会議の冊子でダニエレ・ペリエAICAドイツ会長兼本国際大会委員長は、「美術評論:その使命、その危機」と題して、アートが社会に根ざしつつも自由な表現形態をとること、21世紀になってアートシーンが、故クリストフ・シュリンゲンジーフの例にもあるように政治的なアクティビズムの場になってきたこと、本会議では、現在直面する諸問題を見据え自由な美術評論のための対話を開くと述べている。

 冊子の挨拶文でホルテンジア・フェリッケルスとアレクサンダー・ファーレンホルツ(いずれもドイツ連邦政府文化財団理事)は、現代がまさに「文化の気候変動」(ハンノ・ロイターベルク/美術・建築ジャーナリスト)の時代であり、ポジティブな可能性として「美術の知識が象牙の塔から降り、文化が社会を結合させていく重要な醸成」に貢献しうること、しかし反面「(新たな)境界が生まれ、最悪の場合検閲」につながりうるとも述べている。そのような時代において、「美術の自由が美術評論そして美術評論家の自由と深く関わる」ことを認識し、世界各地の美術評論家が状況を共有し対話を行う必要性が表明されている。以下、時系列で記していく。

会議前に行われたツアー

10月3日(会場:ハンブルガー・バーンホーフ美術館)

 この日はドイツの統一記念日と重なった。冒頭で挨拶をした5人中4人が女性であったこと(リスベス・レボロ・ゴンサルヴェスAICA インターナショナル総裁 、ペリエAICAドイツ会長兼本国際大会委員長、フェリッケルス ドイツ連邦政府文化財団理事、ガブリエレ・クナップシュタイン本美術館館長)に加え、唯一の男性ジャック・レーハート(ドイツ統一時のAICA西ドイツ会長)が、統一時の混乱のなか、東西AICA間の十分な対話がなされないまま、東が西に組み込まれてしまったと反省を込めて語ったことが印象的であった。

 セッションは、3日間にわたり10のパネル(各回2組のプレゼンテーションとディスカッション)を中心にトーク、上映やパフォーマンスも開催された。1日目はパネル1「Nuances of Populism: Political and Cultural Dimensions」、パネル2「The Humboldt Forum and its “Cultural Heritage”」が開催、両パネルのモデレーターを、ヨルグ・ヘイザー(この3日後の10月6日にあいちトリエンナーレの国際フォーラムにも登壇した)が務めた。

 パネル1の登壇者のひとり、オリバー・マルチャルト(ウィーン大学)は、ポピュリズムが政治において終始単純化の論理をとるのに対し、美術は複雑かつ曖昧で、動的な変化をともなうことで意味の複層性に開かれていると述べた。

 パネル2は、2020年9月にベルリンに誕生する施設「フンボルト・フォーラム」をめぐって、過去のドイツの植民地政策への省察を踏まえた展望が紹介された。アルレッテ=ルイーズ・ンダコゼ(リサーチャー・ジャーナリスト)の批評的で機知に富むリーディング・パフォーマンス、トーマス・シュミット(『Die Zeit』紙編集者)による植民地やナチスの時代に剥奪した事物の返却問題の提起に加え、サラ・ヒューゲンバルト(美術史・哲学)が、フンボルト・フォーラムがポピュリストの時代において「多様な視座や語り」の場となればと語った。

 

10月4日(会場:べルリンギャラリー)

 2日目は、パネル3「Art Criticism and Society」、パネル4「The Public and the Popular」、パネル5「Art Criticism and Gender」、パネル6「Arts and Politics between Avant-Garde and Propaganda」、パネル7「Art Criticism in Eastern Europe」、最後に検閲をテーマに「ラウンドテーブル」が開催された。

 パネル3でハリー・レーマン(美学・美術評論)は、敵・味方という分極化が進む現在だが、美術は左右のイデオロギーを超越するものであり、政治のディスコースに直接関わるのではなくむしろ政治に先立つ機能を持つこと、美術評論は美術の政治化を批評的に問うことで、分極化という問題に貢献しうると述べた。コリヤ・ライヒェルト(『フランクフルト・アルゲマイネ紙』日曜版編集者)は、「誰もがプロデューサーや評論家になりうる、シンギュラリティの世界における美術評論の可能性」を提起した。  

 パネル5では、ベリンダ・グレース・ガードナー(美術理論)が「re/writing art history」と題し、1980年代のゲリラ・ガールズを事例に挙げながら、当時展覧会で格段に女性が少なかったことを指摘、「#MeToo」のうねりが美術界にも波及することで、女性アーティストの再評価が起きていると述べた。

 パネル6、7では、ポーランドや中東欧におけるポピュリズムの躍進が語られ、共産主義時代のように政治の主導者が美術や美術評論の領域に直接介入する問題が報告された。

 ラウンドテーブル「政治的検閲とその美術や美術評論へのインパクト」には、香港や英国、南米やトルコからのジャーナリストや美術評論家、アーティストが登壇。なかでもヴィヴィアン・チョウ(香港のジャーナリスト)が、いままさに現地で起きている大規模デモへの弾圧について涙を混じえ語ったことが、会場に大きなインパクトをもたらした。

 筆者はラウンドテーブルが始まる直前に、連盟会員で上智大学教授・林道郎のTwitter発信を確認した。海外の日本研究者が「日本の芸術家、ジャーナリスト、学者を支持する声明」を発表(とくに文化庁に対して「あいちトリエンナーレ2019への支援中止の決定を撤回するよう要請」)したという内容である(古都薔 Kotoba) 。議論のテーマと合致することが日本でも起き、海外から声明が出た矢先であったため、ラウンドテーブル終了間際の質疑応答のタイミングで挙手をして、あいちトリエンナーレの状況説明と上記の声明がこの日発表されたことを手短に伝えると、会場からは応援の拍手が挙がった。 

 

10月5日(会場:べルリンギャラリー)

 3日目は、パネル8「Artistic and Critical Practices and their Public Voice」、パネル9「Art Criticism and Judgement」、パネル10「Art Criticism and Discrimination」、若手美術評論家賞受賞式、そしてConclusion Panelと続いた。

 パネル8の前半では、ユリア・フォス(ロイファナ大学名誉教授)が、2016年の米国大統領選以降蔓延する金権政治の美術館への波及を指摘、「美術館の諮問メンバーと政治的資金の関係を検討する時期だ」というパフォーマンスアーティスト、アンドレア・フレイザーの言葉を引用しながら、今年になってメトロポリタン美術館やルーブル美術館、ニューヨーク近代美術館をはじめ、各地で顕著になっている兵器製造や麻薬などに関わる企業や個人の寄付を拒否する動きを紹介し、そこでの美術評論の役割を問いかけた。社会的に注視されはじめた、情報や物の来歴の透明化とエシカルな循環は(1990年代以降、植民地からの収奪という問題が博物館で問題となっていたが)、現代美術においても無視できないものとなっている。

パネル8で登壇したユリア・フォス

 同パネルの2組目では、近接するユダヤ博物館で「オープン・コール」で音源を募集し、人々の参加を促すプロジェクトを実施したミシャ・クバルと担当キュレーターのグレゴール・レルシュが、ポピュリズムに対抗するために博物館を多様な場として開く実践について語った。

 モデレーター(ノーマン・L・クレーブラット)は、ニューミュージアム(ニューヨーク)のマーシャ・タッカーが組織のフラット化を進めた事例を挙げ、会場からは米国で起きている美術館・博物館への倫理面での抗議と批評の重要性が指摘された。それに対しフォスは、要因のひとつに米国で1990年代に公的資金から私的資金主導になったことがあると述べた。

 パネル10の1組目、サベス・ブッフマン(美術史家・美術評論家)とイザベル・グラウ(編集者・美術評論家)は、「美術評論の評論」と題し、美術評論が絶滅の危機に瀕しているともされる現在、評論を社会的な差別に対する省察のメディウムと見なすことの重要性を述べた。誰でも発信可能なSNSが評論を中立化してしまったこと、同時に事実確認や内容が希薄になる懸念が示された。ディスカションでは、ブッフマンが「愛国的な時代において美術評論はいかに可能か?」と問いかけるとともに、美術評論の立ち位置がもはや絶対的な外部にはないことを指摘した。グラウは、ハンナ・アレントの言葉「評論なしでは、公共的にはなりえない」を引用し、公共性を保つうえで美術評論が果たすべき意義を語った。

 2組目のユリア・ペトラ・フェルドマン&アンティエ・シュタールは、「特権としてのアーティスティックな自由」において、「“アーティスティックな自由”とは西洋で培われた価値であり、それ自体の権利に加えて社会のオープンさや寛大さを先導する。この権利が脅かされる場合、美術評論家は怒りとともに反応する」と記している(冊子レジュメより)。それを前提に、シュタールは検閲の事例を紹介しながら「美術評論家は、いまこそマイノリティの声を聞くことが必要」と述べた。

 フェルドマンは、アクティビストが非合法的検閲や犠牲者からの「検閲」などにより作品を抑圧する力を持つことを指摘し、アクティビストに対する批評の重要性を提起した。彼女はまた「アーティストは、いかなるものでも制作し販売する自由を持つ。しかし“アーティスティックな自由”とは、全面的な自由を意味しない。政治・文化的状況がその自由を左右しうる」と言う。加えて、男女や人種などの平等は未だ幻想で現在も白人男性中心だと述べながら、『啓蒙の弁証法』(アドルノ、ホルクハイマー)に言及しつつ、ルールから逸脱する可能性が示唆された。

 会場からは「美術評論は自律的な場である」との意見が挙がり、ブッフマンはアーティストが自律的で多様であることが重要だと応えた。「いかに私たちは、リベラルな同意の価値と、複数主義や平等という左翼的価値を持つ個人の自由とを和解させられるのか?」(冊子レジュメより)という問いは、まさにあいちトリエンナーレをめぐって私たちが直面したものである。

クロージングに登場したダニエレ・ペリエAICAドイツ会長兼本国際大会委員長

問われる美術評論の可能性

 本会議で討論された諸問題──ポピュリズム、ナショナリズム、ジェンダー、検閲、デジタル化、そして美術評論自体など──は、美術や美術評論が現在内外で抱える危機の最前線であり、日本の状況と比較検討する貴重な機会となった。

 筆者は、あいちトリエンナーレを契機に、明治以降にこの国が近代システムのひとつとして受容し独自に形成してきた「美術」に内在していた諸問題がことごとく露呈したと認識している。

 それは美術、美術評論だけでなく日本社会の未来を左右する、危機と可能性を孕む「文化の地殻変動」である。グローバルで共有される政治の右傾化や格差の拡大、他者の排斥、そしてSNSによる瞬時の増幅。さらにはAIやVR、生命科学などに代表される科学技術の進展が、「人間とは何か」という問題をあらためて問いかけている時代において、美術や美術評論は、自由な想像力と創造性そして批評的視座によって社会に働きかけていく可能性の場と言っていい。

 本会議の冊子には、AICAが「美術評論のみならず、現代社会のオープンな討議の場である。AICAの行動、決定や討議は、多大な倫理的インパクトを文化のみならずグローバル社会に持ちうる」と書かれている。 AICAは第二次大戦後にUNESCOが設立を促した数々の国際組織のひとつで、近代的な背景から出発しているが、自らの存在意義を問い続けながらアクチュアルに活動を更新している。

 日本でAICAの国際会議が開催されたのは1998年、それから21年が経つ。それ以後の日本の美術の展開、そして現在直面する「文化の地殻変動」を切り抜けて、いつか遠くない日に日本において二度目の国際会議が開催されることを期待したい。

*追記:10月14日付でAICAインターナショナルより、 AICA Japanが8月7日に公開した「『あいちトリエンナーレ2019』における『表現の不自由展・その後』の中止に対する意見表明」(英語版公開は8月15日)に賛同する声明文が出された。https://aicainternational.news/news