ほぼ日刊イトイ新聞

2019-11-24

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・赤ちゃんの「ぐずり期」は周期的に必ずやってくる
 成長に必要な過程なんだという考え方があって。
 これを「メンタルリープ」というらしいのだけれど、
 近くに赤ん坊がいることになって、
 ぼくはこの概念を知ることになった。
 もともと、人間の感情は「喜怒哀楽」の
 4つに分けられるというものであるはずもなく。
 名付けようのない感情の爆発やら、滲(にじ)み出しは、
 大人にとって都合のいいように出るとはかぎらず、
 「ぐずり」と名付けられるような表現にもなる。
 …と、ぼくなんかが知ったかぶった解説をしても、
 かえってあやしくなっちゃうかもしれないけれど、
 「なにもできなかった生まれたての人」が、
 いわゆる「人間」のように育っていくプロセスは、
 ほんとうにおもしろいものだ。

 先日、フォローしている「メンタルリープ研究所」の
 ツイッターのなかに、こんなツイートがあった。

 <まだ言葉や態度で思いを表現できない赤ちゃんでも、
 おもしろいものを見つけたときには
 「独特の声」を出します。
 それに気づいたら、キスしたり、抱きしめたり、
 ほめてあげましょう。
 すると、ママパパが自分のことを理解してくれていて、
 自分と喜びを共有しているのだということが、
 伝わります。>
 これ以上ないというくらいよくわかった。
 ぼくは赤ちゃんではなくて、老人だけれど、わかる! 
 「自分のことを理解してくれる」人がいるということ、
 そして「喜びを共有してもらっている」ということ、
 人間は、一生、それが欲しくて生きて活動してると思う。
 大人は、なまじ「意味のあることば」をおぼえるから、
 「独特の声」が、詩のようなかたちになったり、
 絵のような姿になったり、踊りのようになったりする。
 でも、やってることは赤ん坊のときからずっと同じだ。

 それにしてもさ、たがいに「理解しあう」とか、
 「よろこびを共にする」とかって、
 なんとすっばらしいことなんだろうねー。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
毎日、ありがとうと言ってる意味が、また深くわかったよ。


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