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昔の日本人が無関心だった「児童虐待」なぜこれほど問題化したのか

体罰、ネグレクト、性的・心理的虐待…

1990年代に入るまで、日本社会は児童虐待にほとんど関心を持たなかった。マスコミも研究者も、児童福祉の専門家も関係者もその多くが、アメリカと違って日本には児童虐待はほとんどないと考えていた。

だが、1990年代以降、そうした認識は大きく転換する。都市化、核家族化によって、児童虐待が「増加、深刻化している」として、2000年に改めて児童虐待防止法が制定される。

そして、現在、「どの家庭でも虐待が起り得る」という認識をもとに、乳児のいる家庭への全戸訪問(「こんにちは赤ちゃん事業」)など、様々な虐待対策が行なわれている。

児童虐待に関する捉え方は、なぜこれほどまでに変わったのだろうか。

以下では、①虐待の加害者、②虐待の原因、③概念の拡大という3つの視点から考えていきたい。

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児童虐待問題は「再発見」された

1990年代に児童虐待が社会問題として認知されるようになったのは、小児精神科医の池田由子の功績が大きい。

池田はアメリカでの虐待研究をもとに、1979年に『児童虐待の病理と臨床』(金剛出版)、1987年に『児童虐待―ゆがんだ親子関係』(中公新書)を出版する。

池田は注目を集めた『児童虐待』の中で、児童虐待を二つに区分している。

一つは、「貧困や人権無視」などがあった時代の「社会病理」としての児童虐待である。

もう一つは、「平和で、飢餓による食料不足もなく、人間の権利が尊重される先進国」で、なおも起きる親個人の「精神病理」あるいは「家族病理」としての虐待である。

池田は、現代のわが国では「社会病理」としての虐待は減少しているが、親の「精神病理」あるいは「家族病理」としての虐待は増加しつつあると述べる。

 

「近代家族」の定着した結果…

こうして池田が「再発見」した現代の虐待は、戦前から戦後直後の1950年代まで問題とされてきた「社会病理」としての児童虐待とは大きく異なる。

それは、まず第1に、児童虐待の加害者がほぼ親に限定されていることである。

1933年の児童虐待防止法は、保護者が虐待をした場合は処分をすると規定したが、児童虐待を保護者による行為とは定義しなかった。しかも、実際に、子どもに対する傷害などで検挙された保護者は、親以外の者の方が多かった。

それに対し、2000年に制定された児童虐待防止法第2条は、児童虐待とは「保護者」が行う行為だと規定した。その「保護者」には、「未成年後見人、その他現に子を監護するもの」が含まれるが、そのほとんどが継父母、養父母を含む親である(2017年の児童相談所の虐待相談対応件数では、親以外の虐待者は5.7%)。

このことは、貧しい時代の親は子どもを虐待しなかったが、今の親は虐待するようになったということではない。

現代社会では、女中や子守や芸妓や丁稚や工員として働かされる子どもはいなくなり、したがって、子どもを虐待したり酷使したりする親以外の保護者もほとんどいなくなった。その結果、残ったのが親による虐待であり、虐待は親が行なうものとなったのである。

このことは、親が家庭の中で子どもを一人前になるまで育てることが当たり前の社会となったことを意味する。

家族史研究では、そうした家族を「近代家族」と言う。子どもの養育と教育を家族の重要な役割・機能と見なす「子ども中心主義」の「教育家族」は、実は近代以降の社会において形成されたものだからである。

児童虐待が再発見されたのは、このような近代家族のあるべき規範が広く社会に定着したからだろう。

親が責任を持って子どもを育てることが当前の社会になったからこそ、そこから逸脱した親の言動が「虐待」と捉えられ、家族の「病理」となったのである。