県議会の議事録見てたら、岩美町の旧荒金鉱山での事故に関するやり取りが(2018年9月定例会で)あったのでこれは取り上げておこうと思った。
過去にこのテーマを何度か取り上げているので。
その議会での質問と回答を紹介する前に、まずは旧荒金鉱山の事故にまつわるエトセトラについて簡単に説明すると、
1943年に荒金鉱山で土砂崩れが起きて、そこで働いていた日本人と朝鮮人の労働者や荒金の住人方が亡くなった。
この事故が、朝鮮人の強制連行の話に結びつけられて今日まで来ており、慰霊碑にも被強制連行者と刻まれている。
…と、まぁこういう事だ。
荒金鉱山の事故(昭和18年)は朝鮮人の徴用開始(昭和19年)より前なので、彼らは募集に対し自らの意思で集まった方々であるはず。なので、荒金鉱山で働いていた朝鮮人の人達を強制連行と呼ぶのは間違っていると当ブログは主張する。
旧荒金鉱山での事故の件に関しては過去記事で詳しく書いているので興味のある方は読んでみて欲しい。
《 荒金鉱山と朝鮮人の強制労働 》
《 旧荒金鉱山にある供養塔の石碑 》
《 旧荒金鉱山の碑文について岩美町長は 》
では、2018年9月定例会の答弁を紹介。
以下の発言は、荒金鉱山に関する部分を抜粋したものなのであしからず。
◯19番(長谷川稔君):(登壇、拍手)旧荒金鉱山朝鮮人犠牲者の遺骨返還について、平井知事に伺います。
県東部を中心に、1,200人を超す死者を出した鳥取大地震から75年がたちます。9月9日には被害を語り継ぐフォーラムが開かれたところですが、同時に烈震を受けた旧荒金鉱山での惨事も風化させてはならないと思います。
1943年、昭和18年9月10日、鳥取大地震により日本鉱業岩美鉱業所の堰堤が決壊し、大量の鉱泥が下流にあった朝鮮人労働者の宿舎や荒金集落をのみ込み、朝鮮人労働者を含む65名が犠牲となる痛ましい事故が起こっております。しかも遺体の一部しか収容されていないままになっています。このことから、毎年現地での慰霊祭では、歴代の在日本大韓民国民団県本部団長から、一日でも早く遺骨を収集し、祖国へ埋葬すること、できれば遺族のもとに届けることが私たちの責務であると訴え続けておられます。
荒金鉱山において、朝鮮人犠牲者がどうして生まれたのか、内藤正中氏らの著作「鳥取県の歴史」から一部を紹介しますと、いわゆる強制連行は、植民地時代の昭和14年の労務動員実施計画による集団募集に始まり、17年からの官あっせん、19年からの一般徴用で行われております。県下では岩井郡小田村の岩美鉱山に14年と15年に30人ずつを認可、58人を就労させたが、16年6月末までには29人が残るだけとなる。15年には西伯郡大篠津村の美保海軍航空隊の敷地造成工事に400人、16年には100人が割り当て許可をされている。少し飛んで、なお、集団募集は、16年12月には50人増加の610人認可となり、516人の移入就労となるが、18年12月の調査では、268人が逃亡、期間満了、その他で207人が帰国、合計475人がいなくなり、わずか41人になる。
2年間に限った募集では労働力確保が困難となり、官あっせんの労務動員にかわると記録されています。こうしてみると荒金鉱山での朝鮮人犠牲者は、直接には震災ではありますが、戦時中の労働者不足を補充するため動員された中での被災であり、戦争犠牲者と言えます。
倉吉でも昭和20年7月に、高城飛行場格納庫の作業中、強制労働者として亡くなった朴福出さんの遺骨を近くの泉光寺に納骨、供養してきましたが、昭和60年になって、遺骨を国営墓地に納骨、さらに納骨から13回忌に当たる平成10年、倉吉仏教会と市民の8名が再び韓国に渡り、墓参が行われたことをかかわった友人から聞いております。遺骨の里帰りも画期的なことでありますが、長年出身地に分け隔てなく、地元住民が供養していたことは評価されるべきであると私は考えているところです。
荒金鉱山にあっても同様に、今日まで地区住民によってまつられてきており、現在では慰霊祭に岩美町、鳥取県、さらには駐神戸大韓民国総領事館からも参列されるようになっていますが、遺骨の返還は今日まで進展を見せることはありませんでした。
しかし、ここに来て米朝会談を皮切りに、韓国と北朝鮮の首脳会談も重ねられ、朝鮮半島の緊張緩和に変化、打開の兆候を見せています。南北が協力して遺骨返還に取り組む機運も高まり、ことしに入り、7月には韓国の市民団体、民族和解協力汎国民協議会、民和協は、日本を含めた3カ国での民間レベルの組織を新たに設け、遺骨の発掘や返還を目指すことを発表しました。このことは本来、各国の政府がなすべきことを民間レベルが先んじて取り組む先進性を提起しています。
折しも全国知事会では、日米地位協定について、沖縄県の故翁長知事の熱心な要請を端緒に、米軍基地負担に関する研究会が設置されました。このことは当事者意識こそが物事を動かす典型と言えるのではないでしょうか。思えば国会議員を務め、早くから慰霊祭を催してこられた吉田達男元岩美町長も、みずからの足元に存在する岩美町の荒金鉱山で、朝鮮の方々が強制労働のさなか被災し、亡くなられたという事実を真摯に受けとめ、対岸にも待ちわびる人があり、遺骨の返還を行って初めて追悼と和平と言えるとの思いに至ったのだと信じています。
私は荒金鉱山の悲しみの歴史も抱える鳥取県として、アクションを起こしていただき、国を動かし、遺骨返還という政府間事業の実現につなげていただきたいと考えているところです。母国への遺骨返還に政府レベルで取り組むことは、我が国と韓国、北朝鮮との間に横たわるわだかまりを解き、信頼関係を醸成する一助となるのではないかと期待します。まずはその第一歩として、県として遺骨の収集と、母国の返還に取り組むおつもりはないのか、知事の所見を求めます。
◯知事(平井伸治君)(登壇):長谷川県議の一般質問にお答えを申し上げます。
まず、荒金鉱山のことにつきましてお尋ねがございました。
この荒金鉱山の痛ましい事故、これは昭和18年9月10日、あの鳥取大震災のときでございました。岩美のほうの荒金鉱山におきまして、石をまとめていました堰堤が崩壊をしたわけでございますが、これによって多くの方の命が奪われる、65名の方が犠牲になりました。そのうち28名が朝鮮人の方でございまして、今なお20名余り、まだ土の中にいるのではないかというふうに言われているところでございます。
そういう中で、これと同じようなことがほかでもございまして、例えば山口県のほうの長生鉱山のところもそうでございます。長生炭鉱、また美唄炭鉱など、全国各地でやはり同じように労働に従事をしていた朝鮮人の方が事故等で亡くなっていると。長生炭鉱の場合は水の中のものでございまして、いまだ1人も出ているわけではないということでございまして、私どもはある程度、出てきたとはいっても24名まだ中にいるのではないかと、こういうことでございます。
これは昭和47年に、当時、吉田達男先生が思い立たれまして、こういう朝鮮人や日本人、その遺骨をやはり私どもでしっかりとおまつりしなければいけないのではないかと、こういう問題提起をされて、今、議員がおっしゃいましたように、以来、例年この慰霊を民団の方々や地元の方々、共同して行ってきておられるところでありまして、私どもとしても大切なモーメントなのだろうというふうに思います。このことにつきましては、戦争が絡むことでもございますし、また遺骨の収集というのは、厚生労働省など国のほうの責務という位置づけもございます。
実は平成16年に盧武鉉大統領と、それから日本の小泉総理が鹿児島で会談をしたときに、こうした遺骨の問題が取り上げられているわけでありまして、日本国政府としてもできることはやっていこうと、こういうような話が当時あったところでございます。ただ、いろんな両国間の事情で、そこから思うように進展しているとは思えないところがございます。
私も就任した後、何度か民団の皆様ともお話もさせていただき、こうした大切な事柄があるということで、それを国のほうにたび重ねて要請活動もさせていただいております。毎度毎度、向こうの言い方は、いろいろちょっと微妙には違うものの、結論からいえば、結局いろんな事情で動けないというようなことなのだろうと思います。ただ、これは人道問題でもございまして、今も厚生労働省のほうの人道調査室が担当している仕事になっているわけでございますけれども、我々としても粘り強く働きかけもしていかなければいけないのだというふうに思います。
かなり大がかりな事業になります。出てきたものが4万3,000立米ございまして、これを掘り返して本当に遺骨と認めたところで、DNA鑑定だとか、そうしたこともしていかないと、本当の返還には結びつかないということにもなってきますし、正直、戦時中のことでございますので、全国で同じようなことがあったわけでありますので、政府としての取り組みが待たれるのではないかなというふうに思います。
本県関係でも、あの荒金鉱山につきましては、年々鉱滓の処理をしているところでありますが、それだけでも年間毎年5,000万円ぐらいかけてやっている事業でございます。かなり昔のことにはなりましたけれども、いまだにそういう形で解決できていない局面があること、深く胸に刻み込まなければならないのではないかなというふうに思います。
◯19番(長谷川稔君):まず、1点目の朝鮮人労働者の遺骨収集及び返還については、ぜひ声を上げ続けていただきたいと思います。そのことから橋頭堡といいますか、足がかり、手がかりになるものが見えてくるのだろうと思いますので、ぜひこれは引き続き、声を高くしていただきたいと思います。
◯知事(平井伸治君):(登壇)長谷川県議から重ねてお話をいただきました。
まず、荒金鉱山につきましては、心から御冥福をお祈り申し上げたいと思いますし、きょう、この議場でも御議論いただいたこと、それに感謝を申し上げたいと思います。相談役初め、関係の方も非常にこれは憂慮されていまして、そのことを強く私どもも意識した上で、国に働きかけをしてまいりたいと思います。
質問者の長谷川稔氏は現在は勇退されて県議会議員ではない。昔は倉吉市の市長をされていた方。
長谷川稔氏がどんな方かは後で少し触れるが、今はまずこの答弁の内容について。 興味深い点がいくつかある。
まず読んだ時頭をよぎったのは、この人達、この旧荒金鉱山の事故を“徴用工問題”みたいに韓国のたかりの材料にしてもらおうって作戦なんじゃないか?…と云ったような不安。
(国際問題化と表現するのが正しいか疑問だが)国際問題化が狙いなんじゃ?
それが狙いだとしてもそれが実現する可能性は低いと見ているが、そうならないよう一応注意しておいた方がいいかも。
強制連行じゃないし強制労働でもない。てか働きに来た朝鮮人の半数近くが逃亡してるって…。逃亡出来てるじゃん…。強制されててこんなに逃亡できるもんかね。
長谷川さんは強制連行と言ってるが、自分でこの説明してて矛盾に気づかなかったのかな…。
旧荒金鉱山の鉱滓(こうさい)処理に年間5000万出しているってのは知らなかった。過去記事でも触れてなかったはず…うん…。もしかしたら出てたかも…。
この事業は県のではなく国の事業なのかな?
2018年7月に、韓国の市民団体「民族和解協力汎国民協議会」が日本を含めた3カ国での民間レベルの組織を新たに設け、遺骨の発掘や返還を目指すことを発表したって部分も興味深い。
詳しくは、朝鮮新報の2018年8月7日の記事を引用しておく。
ttp://chosonsinbo.com/jp/2018/08/yr20180807-1/
遺骨送還、発掘作業を展開/民和協が都内で記者会見
北・南・日が共同で
南の民間統一運動団体である「民族和解協力汎国民協議会」(民和協)の金弘傑常任代表は、6日、都内のホテルで記者会見を開き、北と南、日本の市民たちが日本の植民地支配により犠牲になった朝鮮人の遺骨送還のための「朝鮮の魂、アリランの帰郷」運動を展開し、民間レベルで過去の歴史の解決を進めていく考えを示した。
金弘傑代表は、7月に北側を訪問し、「民族和解協議会」(北側)の金英大会長(最高人民会議常任委員会副委員長)と協議。北南史上初めて、遺骨送還のための北南共同推進委員会を結成することに合意した。
記者会見には、金弘傑代表とともに、北側の民和協の代理として総聯中央の趙善吾国際統一局副局長、朝鮮人強制連行真相調査団の河秀光事務局長、日本側の代表として「財団法人21世紀日本委員会」の今野由梨理事長が参加した。
金弘傑代表は会見で「植民地時代に日本に連れてこられ、祖国と父母きょうだいを思い流した(犠牲者らの)恨(ハン)の涙をぬぐい、遺骨だけでも祖国に帰すことは、8千万わが民族の責務である」とし、日本で長きにわたり真相究明活動を行ってきた在日同胞と日本の市民団体と共同歩調をとり、最後まで遺骨送還事業を進めていくことを明らかにした。
趙善吾副局長は、北南が共にする遺骨送還事業について「4.27板門店宣言に沿って、民族自主の精神で北南、海外同胞の交流・協力事業を発展させる一環であり、犠牲者の遺骨を故郷に送還することは、北南朝鮮と日本の忌まわしい過去を清算する上で不可欠である」と強調。「北・南・日の明るい未来を切り開くという共通の思いから、今回の(北南の民和協による)合意が生まれた」と述べた。
今後の活動としては、▼東京・目黒区の祐天寺で北側遺族を招いての遺骨との対面と追悼祭の実施▼山口県宇部の長生炭鉱での遺骨発掘・調査▼沖縄県本部(もとぶ)での遺骨発掘・調査、などを展開する。
祐天寺には、「浮島丸事件」(1945年8月24日)の犠牲者を含む、朝鮮人軍人、軍属の遺骨700柱が安置されている。国家間交渉により、南には
※この続きは会員になれば閲覧できるようになります。
韓国の市民団体が絡んでくるのか…。
発掘作業に掛かる費用を彼らや何なら民団が出してくれるってんなら賛成するが、被害者面してる人達が自分達で金出すとは正直考えにくい。
そして、この答弁の最後の平井知事の発言。『相談役初め、関係の方も非常にこれは憂慮されていまして』。
相談役? …それはこの件についての相談役? それとも、平井知事には相談役が居るって意味? それはどこの誰? すげー知りたい。
平井知事の媚韓はその方が裏で糸引いてるのでは? この件で憂慮するような人ってことはやはり…。
荒金鉱山のこの件についてはあと、2017年10月11日の民団新聞の記事を取り上げて終わる。
民団が毎年やっている供養の式典についての記事なのだが、僕が興味を引かれたのは薛幸夫氏の発言部分。
ttps://www.mindan.org/old/front/newsDetail8b7e.html?category=2&newsid=23786
旧荒金鉱山でも…民団と岩見町共催
【鳥取】1943年の鳥取大地震で犠牲となった韓半島からの徴用同胞とその家族28人、および日本人の合わせて65人を慰霊する第75回忌式典が9月10日、岩美郡荒金の供養塔前で執り行われた。今年は5年ぶりに岩美町(榎本武利町長)と民団鳥取本部(薛幸夫団長)による共催。前半は仏式、後半は民団側が伝統の儒教式に則ったチェサ(祭祀)を行った。
薛団長は犠牲者65人のうち、20有余人の遺体は収容されずいまだ地中に眠ったままであると指摘。「遺体を収容、発掘する責務と課題が残っている」と述べた。そのうえで「荒金こそ在日の原点の地。これからもここに立ち続ける」と誓った。
犠牲となった同胞は日本鉱業株式会社岩美鉱業所で厳しい条件の下で働かされていた。地震で流出した大量の鉱泥は同胞労働者の飯場を直撃し、さらにその下の荒金集落まで襲った。同胞犠牲者の遺体は泥流のいちばん下から2体のみ見つかった。日本鉱業は48年に事故現場に供養塔を建立し、犠牲者を慰霊するようになった。
(2017.10.11 民団新聞)
荒金こそ在日の原点の地。って発言。どういうことだろう。
なんか昔、定有堂書店のホームページだったと思うんだけど、そこが薛幸夫氏のコラムを連載してて、その中の一つで自身の出生に関する話をしていたようなしてなかったような…。うろ覚えな上にそのコラムのページも見つからないし、残念…今もう一度読みたいのだが…。
鳥取県の在日は、荒金鉱山の労働者とそれについてきた親族から広がっていったという意味の発言と読んでいいのだろうか。いや、それ以外に解釈のしようがない気がするのだが。
長谷川稔氏の発言から、集団募集で来た朝鮮人の半数近くが逃亡してたみたいだし、それとの関連もありそうな気がしてならないね。
最後に、長谷川稔氏がどんな人物か取り上げて終わる。この記事とは別にして長谷川稔氏をがっつり取り上げられたらいいのかもしれないが、その気になったらこの部分をごっそり抜き取ればいいし、今手元に揃えた情報は出してしまおう。
まずは ttp://www.asahi.com/area/tottori/articles/MTW20190508320940005.html から引用⇩
令和に生きる 平成をたずねて【選挙編】
革新色を薄め 超党派連携
【選挙編 3】
◆前倉吉市長 長谷川 稔さん
はせがわ・みのる 昭和22年生まれの72歳。昭和51年4月の倉吉市議補選1位当選。52年9位、56年4位、60年5位、平成元年1位で市議選に当選。5年の市議選には不出馬。6年に市長選で落選後、7年と平成11年県議選で当選。14年に倉吉市長初当選、18年無投票当選、21年出直し選で当選。23年、27年の県議選に当選。計13戦で勝率9割。
平成14年4月1日付の朝日新聞鳥取版にある「長谷川稔さん初当選 倉吉市長選」という記事。高卒でスーパー社員や市議を経た55歳の前県議の長谷川さんが、自民党や民主党の推薦をはじめ連合鳥取や部落解放同盟市協議会など約140団体の支援を取り付けて組織選挙を展開した64歳の現職の4選を阻んだ、という内容だ。
長谷川さんは、社会党県職員を経て昭和51年から市議となった。当時すでに市議5選、県議再選を果たすほど議員歴は長いものの、野党系の一匹おおかみ的な立場で行政経験は無かった。平成6年の市長選では同じ相手に敗れている。多選批判があった市長選挙だったとはいえ、なぜ長谷川さんは勝てたのか。
その理由は、同じ記事中にさらりとあった。「これまでの革新色を薄めて、地元の自民党県議と連携」と。
当時、その自民党県議には、市政へ影響を与えたいのに思うようにならないことへの不満があったという。県議と共闘したことで、長谷川さんも「一党一派に属さない市長を目指す」として、無所属で立候補した。縁の無かった企業・団体を回ったり、自民党国会議員のパーティーに顔を出したりした。
もともと倉吉は、候補者の決起集会で動員数を競うなど、選挙戦が激しい土地柄だったという。「かつての市長選では、立候補準備をしていると嫌がらせの電話が繰り返され、自殺に追い込まれた人もいた」と長谷川さんは振り返る。
「いい戦いになる」といううわさがたったこの平成14年の市長選。ついに、封筒に入れた5万円を渡して票のとりまとめを同僚市議に依頼したとして当時の市議会議長が公職選挙法違反容疑で逮捕されるに至った。
平成18年にあった再選を目指す市長選では、戦後に倉吉市制が始まって以来初めての無投票当選を果たし、市議会の最大会派の市議に「『選挙に強い長谷川さん』というイメージが強く、対抗馬は出にくかったのでは」と言わしめた。平成21年の新斎場建設を巡る出直し選挙でも当選。だが、3期目を目指すこと無く市長を引退。その後は今年まで県議をさらに2期務め政治家として引退した。
◆批判票を掘り起こす ■どぶ板でなく「草の根」
――なぜ出直し選挙までして倉吉市長に当選したのに3期目を目指さなかったのですか
新斎場問題で疲れ切ったのが一つ。もう一つは、市の執行部が一枚岩で無くなったこと。もともと社会党系で、保守系ではない市長なので主流派ではない。前市長の旧体制側についていた関係者の力は残っており、当時の三役の1人は、市長の私が訴える政策に公然と反対を唱えるようになっていた。県議を務めた父が再選を目指して落選する姿を目の当たりにしていたし、家業を継いだ兄から「選挙なんてするもんじゃない。どうしても選挙をするなら人を心配させてはいけない」と言われていた。足元がぐらつくなか3選を目指して選挙を行うことはできなかった。
――もともと社会党市議という経歴です
昔、鳥取は社会党が強かった。足鹿覚さんや中田吉雄さん、野坂浩賢さんに武部文さんといった国会議員がいた。
父が県議を1期つとめ、社会党の県の選挙対策委員長をする姿を見ていた。家業のかまぼこ店がテナントとして出店しているスーパーの鮮魚部で9年半働く中、「商売で喜んでもらうように、政治の仕事で人に喜んでもらえないか」と思うようになり、昭和49年8月から社会党県本部倉吉総支部の職員として機関紙づくりなどに従事した。
政党は機関紙収入や党員からの党費で運営をするべきだ。政党交付金をもらうと、どうしても政府の方針に縛られ、自由な活動ができない懸念がある。政党交付金による政党助成制度が行われることが中選挙区制から小選挙区制への移行と抱き合わせで決まる平成6年ごろ、社会党を離党しました。
――引退まで市議選5選、市長選3選、県議選4選された長谷川さんですが、政治家としての初当選は、昭和51年に社会党公認で立候補した倉吉市議補欠選挙でした
最初に補欠選を経験したことは良かった。通常の市議選は、自分の地盤を固める選挙スタイルだが、補欠選には「地盤」という考えはなく「全市的」な運動が必要だったので、最初に「選挙ってのは、幅広く支持を訴えるもんだ」と学んだことは、その後の県議選、市長選にもつながった。
――特定の組織や団体の支援を受けずに草の根運動でコツコツと積み上げたとされる「長谷川票」(平成15年4月2日付の朝日新聞鳥取版から)や「長谷川党」と呼ばれる熱烈な支持者もいる(平成23年4月7日付の朝日新聞鳥取版から)など、選挙の強さが際立つ長谷川さんですが、平成6年に出馬した市長選では落選しています
当時、倉吉市で公金に絡む疑惑があり、「疑惑がある中の選挙に対立候補を出さないわけにはいかないだろう」ということで、選挙2カ月前に出馬を決意した。ただ、相手は各政党相乗り支援の保守系現職候補。自分は市議3人しか応援してくれなかった。市政への批判票は集まったが落選しました。
――翌年、県議選にでて当選しています
選挙までの1年間、戸別訪問で歩きに歩いた。アポも無く、玄関扉をノックし、「こんにちは」と声をかけながらそっと開けちゃうスタイルでした。1回目の訪問ではけげんな顔をされても、2、3回目になると顔は知ってもらえた。地盤は無いけど、市内全域を回るスタイルで、本当に3巡は市内を回った。この3巡が、既成政党への批判などを掘り起こした。
――どぶ板選挙ですね
「どぶ板」って、裏通り感やコソコソ感があるでしょ。誰よりも私を理解して助けてくれている妻が嫌がります。私がしてきたのは、表舞台で踏まれても立ち上がる感じもある「草の根選挙」です。 (聞き手・長崎緑子)
―引用ここまで
社会党県職員だったのかぁ。
あと、以下によると、長谷川稔氏は県革新懇の代表世話人らしい(2018年12月21日時点)。
ttp://kakushinkon.org/activity/%e6%96%b0%e7%b5%90%e6%88%90/2003.html
2018年12月21日掲載
★結成総会を開きました 鳥取・三朝革新懇
三朝(みささ)革新懇の12月8日の結成総会では、県革新懇の代表世話人である長谷川稔県議が来賓あいさつをおこない、鳥取県9条の会代表の浜田章作さんが記念講演。そのあと、伊藤英司岡山大学名誉教授、知久馬二三子元社民党県代表、宮本一治さん(日本共産党三朝支部)の3人の代表世話人含む、7人の世話人を選出し、「設立宣言」を採択。「小さく生んで大きく育てよう」と、意気高く発足しました。(岩永尚之さんFBから)
共産党とも関係があるのか…。
当ブログの過去記事によると、2016年の共産党新春の集いに挨拶しに来てるし。
あと過去記事によると、平成7年5月定例会で県職員採用資格の国籍条項を廃止しろ(つまり外国籍でも県職員になれるようにしろ)って発言してる。