1955年、手塚治虫の『鉄腕アトム』は、複数の小学校の校庭で見せしめ的に焚書されたことがある。
1955年『鉄腕アトム』は小学校の校庭で見せしめ的に焚書された/橋本健午『有害図書と青少年問題』 読書猿Classic: between / beyond readers
ってのがあったのです。で、その傍らで
「校庭で漫画を焼いた」というのは(都市伝説なみのレベルでしか)うまく見つかりません。どこかで誰かが漫画本を含む俗悪本・雑誌を燃やしたのは多分本当。
調査中です→1955年に『鉄腕アトム』は燃やされたの? - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)
というブログがある。どっちだよ、というわけです。この「アトム」、もうちょっと大きい主語で「手塚治虫」が焼かれたという語り方がされることもまま見受けられます。
このマンガなどはその典型例であり、昔の蛮行を今に語りつぐ役割をツイッター上などで果たしてる感じです。で、じゃあ本当に1955年に『鉄腕アトム』は焼かれたのか?
結論から言うと、『鉄腕アトム』の単行本は1956年なので物理的に鉄腕アトムを焼いたというのはには無理があります。鉄腕アトムの掲載雑誌『少年』を焼いたならば成立しますが、その際に鉄腕アトムのみを燃やしたというのはややミスリードです。
で、じゃあ少年が焼かれたか、というと現在確認するすべはありません。焚書リストは存在しませんし、記事でも焼かれた本は分かりません。ただ当時売れっ子の手塚治虫が批判にあった事も事実ですし、マンガがバッシングを受けたのもまた事実です。故に状況から考えれば手塚治虫の書いたマンガ「も」焼かれたことは否定はできません。しかしながら手塚治虫が「真っ先に焼かれた」は事実誤認と考えます。真っ先に焼かれたのは「ワイセツ本」です。
今日の新聞を見ると、猥本が三十七種も一斉に手入れされたようである*1。(中略)こうして街に氾濫する猥本のために青少年が毒されてゆき、青少年の性的犯罪のかげに猥本があるというものでは黙っていられず、赤坂母の会の母親たちは昨年六月の猥本を各人の家、近隣の家から持ち寄って、何百冊かを焼いた。このやり方は随分ヒステリックで大人気ない、という批評も受けたが、これは、恥を知らぬ悪質出版社、良識にかけた購読者、そして月に百万冊を野放し状態におく当局などに対する母親たちの精一杯のレヂスタンスであるとして拍手を送るむきもあった。
赤坂の母親たちが猥本を焚書の刑に処したことは、その後広く母親たちの間に、悪書への関心を呼び起こした。多くの母親たちは、これをきっかけに正常な神経では制止できぬような猥本の実態を知るようになった。母親たちは驚きあきれ、怒りに燃え、当然、排撃の声を挙げた。
『国民』 清水慶子「猥本や悪書の追放に効果をあげた母親たち」1955
当時の雑誌に書いてある様にまずはエログロの内、特にエロが標的にされています。この話をした後に清水慶子はマンガ本へとその矛先を向けていますので、マンガ本が批判されたことは不変ですが、順序としてはワイセツ本からのマンガ本です。ちなみに清水慶子の話の中では手塚治虫の名前は出てきません。というか、手塚治虫以外、手塚治虫のマンガが焼かれたという記事や記述はないので、明確な裏付けはほぼ不可能です。一応付け加えておきますが、手塚治虫の証言が信用ならないというわけではなく、「裏付け」ができないというだけです*2。
◆手塚治虫の自著について
1)『ぼくはマンガ家』(毎日新聞社・1969)
該当箇所は「悪書追放運動に関する手塚治虫の1969年における回想」で確認可能です。
“悪書追放”は、主に青年向きの三流雑誌が対象だったが、やがて矛先が子供漫画に向けられてきた。
とあるように、手塚治虫自身がまずは三流雑誌*3が対象だったと述懐しています。
岡山のPTAでは、エロ雑誌などと共に漫画本が、火で焼かれた。魔女裁判のような判決であった。全国的に漫画批判運動が活発化し、不買同盟や自粛要求が呼びかわされ、とうとう、児漫長屋(注:手塚治虫が参加していた漫画創作集団)は総員が集会を開いて、対策を話し合った
それとこの項目では鉄腕アトムが燃やされたとも言ってないし、手塚自身は自分の本が焼かれたとは認識してない。あと、岡山のPTAが焼いたは当時のニュースなのか、伝聞なのか不明ですが、少なくとも現在に残る三大新聞の記事にはそういった記事は見当たりません。地方紙ならばある可能性も……、ですがそこまで行くと当方には確認無理です。
ちなみにこの『ぼくはマンガ家』の手塚治虫の書き方には時系列の混乱が見受けられます。
①「ライオンブックス」の名前が出るが、発売は1956年から1957年
②「赤胴鈴之助」のラジオにふれているが、放送時期は1957年
③児漫長屋で悪書追放運動について話す、1955年が妥当
④「昭和三十年当時は、まったく厳しかった」と書いている
①、②のことから手塚治虫の述懐は1957年から始まっています。ですが、③、④は1955年(昭和30年)のことであり、時系列が乱れています。1956、7年は悪書追放運動がやや落ち着いている時期ですし、そもそも焚書が新聞記事になったのは1954年、悪書追放大会が1955年です。手塚治虫が悪書追放運動に対抗するために作られた漫画編集者の機関紙『鋭角』で悪書ついてマンガ家の座談会を行ったのも1955年であり、岡山が焚書の例として最初に来るのはやや違和感があります。1969年に書かれた自伝ですので記憶違いや時系列の混乱がこの本には見受けられます。書かれている内容の正確性は落ちざる負えません。
2)「手塚治虫 漫画の奥義」 1992
ネット上の広いものですが……、
こちらも自分が焼かれたといってますが、アトムとまでは明言していません。なお、
子どもに家からマンガの本を持ってこさせて、そして、こんな本は悪い本だから処分します。ということでね。子どもの見ている前で焼いたわけではなんですよ。PTAと学校の職員とでやったんです。
という記述がありますが、この件は例のごとく他の媒体で同様の記述は見受けられません。1955年の運動中だと確認できる限りは母の会が各家を巡ってという感じで、供出的な事をしていた記事はありませんでした。1960年代はそこまで調べていないので、そちらならばあるかもしれませんし、記事になっていないだけの可能性もありますが……。
あと、手塚治虫が悪書追放運動で廃刊した児童雑誌があると記述しており、それ自体は実際にあった事なのですが、国会図書館などを調べる限り、例に挙げている『少年少女の広場』は1951年、『赤とんぼ』は1949年、『銀河』は1949年で発行が終わっており、いずれも悪書追放運動前です。例に挙げるにはあまりにも不適切な時期といって良いでしょう。
「漫画の奥義 」の方も少しおかしな記述はあるものの、対談形式ですし突っ込んだ話はされていません。あくまでも往時を振り返るという体の為に詳細な情報が薄いのが痛手です。
なお手塚治虫含めマンガへの批判ですが、運動の時期とは少しずれるものの、1956年7月当時の「漫画」に対する近藤日出造の意見で当時の大人漫画からの批判者である近藤日出造の批判が読めます。気が向いたらどうぞ。
◆NHKの手塚治虫特集での動画について
youtubeに上がっている手塚治虫についてのドキュメンタリーで悪書追放期のニュース映像が流れていますが、NHKに確認したところ、この映像は1963年の悪書追放期のニュース映像であり、1955年の映像ではありません*4。
なんで、とりあえずこのニュース映像は少なくとも1955年の手塚治虫のマンガを焼いたとは言えませんし、朝日新聞1963.11.28の「悪書三千冊焼く計画」を読むと焼かれた本も当時の県に有害図書指定されたエロ雑誌である可能性が高いです。
◆で、アトムは焼かれたの?
結局のところ、「不明」としか言いようがありません。1955年当時、「少年」で鉄腕アトムが連載していたのは事実。それが母の会の悪書追放運動によって焼かれた可能性は高いでしょう。ただしそれは手塚治虫を狙ってやった、という可能性はエロ雑誌を優先だった事を鑑みれば低いと考えた方が妥当性が高いです。手塚治虫への批判もありましたが、竹内オサムによればマンガブーム便乗による粗悪なマンガが多かったのもまた事実であり、マンガ業界全体で考えるとそちらがまず批判の対象でした。
手塚治虫はマンガ界の第一人者であり、現代においてもその地位はゆるぎないものです。故に悪書追放運動という過ちといえる過去の行動と手塚の現代での名声が相まってその内実が実態以上に語られ、都市伝説や伝言ゲーム的に誇大的に「1955年に鉄腕アトムが焼かれた」と言われている可能性があります。少なくとも当時の記述では鉄腕アトムはただの人気マンガであり、焼かれるべき対象や紙面上で名指しで強い批判が出るほどのマンガではありません。
◆おまけ 当時の鉄腕アトムの人気
1955年当時の児童読者調査研究会『児童読物の研究』2巻には当時の子どもにアンケートを取っており、鉄腕アトムの人気がうかがえます。
1、2枚目は中学生に聞いた好きなマンガです。鉄腕アトムが男から35票で断トツです。
3、4枚目は5、6年生の好きなマンガ。こちらでも鉄腕アトムが人気です。それ以上の人気「ぼくちゃん」がありますが。なお、小学低学年、中学年では鉄腕アトムは入っていません。当時の鉄腕アトムは10歳以上の男子に人気だったマンガだった模様です。
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*1:毎日新聞1955.3.28の記事だと思われる。なお記事中に押収された雑誌が明記されており、これらが悪書の一翼だと確認可能
*2:ここらへん多数の証言があるといいんですが……。実はブラックジャック創作秘話は読んでないんですが、そういう明確に書かれてたりします?
*3:三流がエロを指すのか、それとも出来の悪いマンガ雑誌を指すのかは不明
*4:余談ですがこの番組、ニュース画面冒頭の「日本ニュース、日本映画社」は1951年までしか存在しない画が使われていますが、しかしニュース画像は1963年のものという中々不思議な編集がされています。ニュース内容は山梨から端を発したといっていたり、その内容は1963年の悪書追放運動だと判断できます。焼かれた場所はよくわかりませんが、新聞記事にもなった埼玉の可能性が高いと考えます