ある時、聖心女子大学の卒業生同窓会が、聖心女子関連の公務かなにかの折に来た美智子さまに、記念のロザリオを贈ったことがあった。だが皇室は神道を宗とするものであり、宮内庁から受け取りを丁重に断ったが…。
美智子さまはクリスチャンなのに…
美智子さまのご実家・正田家はカトリックの家柄だ。
日本の歴を振り返ると、神道と仏教は(廃仏毀釈などを除けば)仲良く千年以上共存してきたが、キリスト教と神道・仏教が共存するようになったのは明治以降のことだ。それでも戦前の国家神道が強化された時代は、神道はキリスト教を友好的ではなかった。唯一神を想定するキリスト教は、天皇を頂点とする国家体制と合致しないためだ。
では、戦後になればキリスト教は、神道や仏教という日本の伝統宗教と同じ地位を獲得したのかと言えば、そうではない。
現天皇陛下が皇太子時代にお相手を探していたとき、そのお相手(皇太子妃)の宗教は「神道か仏教」という条件があった。クリスチャンの家系の場合、幼児洗礼は本人の意思とは別に受けさせられるので問題ないが、成人洗礼を受けていたり大人になってからも信仰心が強ければダメということになった。仏教の場合には「信仰心の強さ」など問題にされなかったが、キリスト教の場合はそれが問題になるとは変な話だ。
私は皇太子殿下のお相手探しが進んでいた時、同僚の一人からこの「お相手の宗教問題」を聞いた時、「美智子さまはクリスチャンだったというのに、どうしてキリスト教の妃を迎え入れることに消極的なのか?」と疑問にも思ったものだ。この疑問が解けたるまでに10年ほどの時間を要した。その答えは簡単だ、美智子さまは結婚した後もクリスチャンであり続けたため、宮内庁が様々な懸念をしていたのだ。
美智子さまのキリスト教信仰
別の記事において美智子さまが結婚後もキリスト教信仰を持ち続けていたことを述べた。日本では信仰の自由が認められているとはいえ、皇室は神道の中心核であり、かかる意味で、日本は「神道宗教国家」なのだ。仏教は多神教であるために、仏教徒が天皇という存在に敬意を払うことに抵抗感を覚えることは稀であるが、キリスト教の場合には一神教であるためイエス・キリストへの信仰と天皇への尊崇とを両立させることは難しいのである。
美智子さまもこの両立に苦労されたであろう。三つ子の魂百までとはよく言ったもので、生来の信仰を結婚を契機に捨て去ることなど容易にできることではない。
事あるごとに聖歌を口にされ、自室に聖書を置き、地下に礼拝室をつくってしまわれたことは、美智子さまは結婚後も強いキリスト教信仰をお持ちであったことの証左であると私は考えている。このような美智子さまの影響の下、眞子さまと佳子さまはICU(国際基督教大学)に進学されたのではないだろうか?
秋篠宮家の資質を問う声が多く上がっているが、やや「キリスト教かぶれ」と思われる進学先選択は非常に問題的であると思う。
ロザリオ事件
美智子さまとキリスト教の結びつきは、時折、週刊誌などを賑わせているのでご存じの方も多いだろう。ここで「ロザリオ事件」という良く知られていない事件を紹介したい。
美智子さまが皇后となられたこともあり、聖心女子大学(カトリック系の大学)では同窓会活動が大変活発である。創立は1916年であり、歴史も古い。今では創立70周年80周年90周年100周年と節あるごとに大規模な同窓会が開かれ、美智子さまも当然誘われて出席される。
実はこの同窓会が開かれるキリスト教にちなんだ記念品が贈呈される。ある記念の折に同窓会事務局から美智子さまに「ロザリオ」が送られてきた。受け取った宮内庁は困惑してしまった。「ただでさえもクリスチャンと噂される美智子さまがロザリオを受け取ってよいものだろうか?」と。関係各位で協議した結果、「このロザリオは受け取れない」として同窓会に返却することになった。
これで終わればよいのだが、ここで終わらないのが美智子さまだ。
その数日後、美智子さまの友人が御所を訪れ、お茶会となった。何とその時、その友人が「これ…」と言って、受け取り拒否したはずのロザリオを美智子さまに渡していたのだ。ロザリオは緑の布で何重にもくるまれていたが、美智子さまはそれをそっと広げて中身を確認し「ありがとう」と笑顔で述べられて懐にしまわれた。
天皇家においては物品の授受は、基本的にすべて宮内庁を通さなければならないが、さすがにお茶会での個人間のやりとりまですべて監視しているわけではない。そのロザリオは、美智子さまが同窓会に返却したと信じたいが…。美智子さまの私室にあった、大量のキリスト教関連品は、このような形で持ち込まれたのかもしれない。
同じ聖心の同窓生であり、美智子さまとも深いご親交がある曽野綾子さんのご著書の中に、クリスチャンでありながら婚家の仏壇を祀ることに葛藤を抱える嫁の話が出てきます
曽野綾子さんはご自身も熱心なカトリックでいらっしゃいますが、その話の中で、生涯教会に礼拝できずとも、聖書を読むこともロザリオを持つこともできずとも、婚家の仏壇を愛を持って守り抜くことがキリストの教えに叶うこと、というような話をされています
でもこのような徹底したキリスト者ではなく、美智子さまのはステンドグラスの礼拝堂や賛美歌や、ベールをかぶって祈りを捧げるポーズがお好きなだけなので、皇室に不適当と言えば不適当ですが、ただのファッションクリスチャンだと思えばいいんです
学生時代演劇でマリアさまを演じたとか、ローマ法王を真似たようなマント付きの奇妙な衣装など、この方にとってキリスト教も演出の一つにすぎません
ただし、慈愛の名の下に被災者を利用したり、慈愛の仮面の下で雅子さまを虐め、贅沢の限りを尽くし国民を欺き続けたことは許しませんけど (BGM : レクイエム怒りの日)
ファッションクリスチャン、とても良いお言葉ですね。
美智子様はご結婚前はファッションクリスチャンであったと思われます。
しかし、ご結婚後に起こった様々なご苦労・苦しみにより、キリスト教に傾倒し、長年をかけてこの繰り返し(嫌なことがあった→キリスト教に没頭→嫌なことがあったのループ)で、ファッションクリスチャンを拗らせてしまわれたのだと思います。
曽根綾子さんの物語に出てきた女性の様になれたら、素晴らしかったのですが、美智子様の場合は元来『私が悪かった』と思えない方なので、怒りとなり、その怒りを信仰にぶつけていた為、人間として成長できず、恐ろしい状態になってしまわれた。暴走する新興宗教そのものです。
美智子様のような、深く考えず、明るく、行動的な方って、『楽しい方』として結構好かれるんですよ。しかし、権力を持つと下の方がしんどいですね。
曽根綾子さん、ずいぶん前ですが読売新聞のインタビューで、美智子様は私より聖書を深く理解されていて凄いと答えていました。
こんな事記事にしていいのかと心配したものですが、さもありなんですね。
上皇后美智子の母、正田富美(のちに富美子と改名)さんの葬儀は神道でした。
葬儀に参列した友人たちは口をそろえて、「富美さんのお葬式はキリスト教だと思っていました。クリスチャンですから。なので神道の葬儀で驚いています。」とワイドショーのインタビュアーに答えていました。
その後、「美智子さまの立場をおもんばかって、皇室に遠慮して、クリスチャンなのに神道葬にした。」とゆう美談に変遷してゆきました。
「すべては娘の美智子のために、自らが信仰するキリスト教ではなく神道での葬儀をさせた賢母、正田富美さん。」とゆう修飾文を削除すれば、「正田富美は完全なクリスチャンである」とゆうことです。
正田富美は、「皇室に遠慮して娘との往来は無かった。」などと言ったり、懇意の新聞記者に書かせたりしていましたが、それらは全くの出鱈目であり東宮家(昭和時代)とは密な交流を頻繁に持っていたとゆうことは数々の写真が証左しています。
それほど強烈な信者の正田富美の娘なら「美智子はクリスチャンである。」としても何ら不思議ではありません。
冨美さんは明らかにクリスチャンだったのに、葬儀は神道でしたのですね。驚きました。そこまでするか⁈というような驚きです。偽りが平気というか…。
その娘さんだからこそ、キリスト信仰を捨てないまま神道のトップの妻になれたんでしょう。そして国民をある意味、欺きながら神道のトップとして祭祀にも参加されていた。
別に私は神道を信仰するものではありませんが、ちょっと騙されていた気分になりました。
ファッションクリスチャンだから構わないのよとはなかなかなれないのです。だったら、あれはファッション神道だったということですね。
私の近所に神社がありますが、宮司さん一家は、みなさん神教徒ですので、美智子さんがクリスチャンとは驚いています。
敬虔なクリスチャンであれば、キリストの教えに従い、平安で静かな生活をお過ごしください。
一口にクリスチャンと言っても、冠婚葬祭の時にお世話になるだけの場合もありますよね。因みに正田家のお墓は何処でどのようなお墓でしょうか?富美さんの葬儀は神道式だったそうですが。色々とチグハグなことだらけです。
>因みに正田家のお墓は何処でどのようなお墓でしょうか?
正田家のお墓の形が、どのようなフォルムなのかは分かりません。
そして、正田英三郎・富美の墓は群馬県舘林市ではなく葉山御用邸の近くにあります。
正田家は群馬県館林市の出だと、昭和から平成、令和に至る現在まで報道されています。
しかし、正田美智子が東宮妃になることを先祖たちが眠る墓に報告するために訪れた場所は、父方の群馬県でも母方の佐賀県でもなく、千葉県市川市です。
その時の様子は雑誌の写真に残されています。
(正田富美は上海生まれですが佐賀県士族である副島の娘と言われているので、常識的に考えれば墓は佐賀にあると思うのですが。)
ちなみに、公開されている上皇后美智子がお持ちの教員免許状に書かれている本籍地は東京都です。
群馬から東京に出て成功したとはいえ、本籍地を変更するのは世代的に考えて相当に珍しいことです。
美智子という女性を国民はどう受け止めたら良いのか!
敬虔なクリスチャンも捨てきれず、御所の地下室に祭壇を設け、聖書等が並び時には十字を切り手を合わせていたのだろうか?
皇室は神道、祭祀を行うに当たり古代からの祭り事である皇室の重要な儀式に臨んでいる間、何を考えていたのか。
時には敬虔なクリスチャン、時には皇室の祭祀に十二単衣を纏いお垂髪を結い玉串を捧げ、国民の安寧を祈る二役を演じていたのでしょうか?
心の二重構造は皇室に対しても、国民に対してもキリスト教徒としても欺いていた事になります。
普通の神経ならこの二重の信仰は出来ない筈です。
それをやってのける神経は一体どこから来ているのか!
日本最高位の女性となり権力を欲しいままに二重信仰、クリスチャンをひた隠しして夫君明仁天皇や天皇家のご先祖をご参拝するその姿は何を思いながら先祖に拝礼しているのか、また日本国民全てを欺いている事になるのではないか。
この60年間の暮らしぶりは、昭和天皇が質素にお暮らしだったことからかなりの資産を残していたようですが、それらも派手に使い果たしたと聞いています。
権力を傘にして、気に入らない記事には人の口を借りて物申す。
不都合になると幾つかの病気(頸痛が病むのだの、やれ目眩がするのだの、失声症だの、心臓の弁だの、白内障だの、乳がんだの)を盾に口封じ作戦をとり、国民はそれらを信用していないし、また始まったかと思うだけです。
私が一番驚いたのは、例え気に入らない姑であっても人が亡くなれば上下関係なく仏様です。
死者に対してモーツァルトの「レクイエム」を聞いたと、このブログで知りました。
このレクイエムは暗く怖いイメージで日本では定着しているようですが、旋律の中には心が浄化される様な美しいところもあります。
一般的には「怒りの日」で有名ですが、もしも積年の恨みとばかりに聞いていたのなら死者を冒涜する行為です。
美智子皇太子妃は香淳皇后に何がしかの怒りをずっと抱いていて、この行動ならご自分のことは棚に上げ、雅子妃虐めの張本人であり、巷で言われているように平成の四人組(平成の天皇、皇后、秋篠宮、紀子)と言われる事を何故?やったのか、香淳皇后に虐められたというなら、上皇后はそれ以上で悪質、陰湿、たちの悪さが際立ちます。
わたくし的に映るのは上皇后は鬼畜母で、現在のお姿は冷酷、温かみが全く感じられ無い冷血人間、「目は口ほどに物を言う」と言いますが正に何よりも非常に目が恐ろしい。
生き様がそのまま今の姿に見えるのです。
人間は、天皇や皇族だろうが平民だろうが、人を苦しめ追い詰める事は決して許されない行為です。
学生時代に一体何を学んだのでしょうか?不思議な方です。
>敬虔なクリスチャンを捨てきれず
ミーハーなので、皇太子妃・将来の皇后になりたかったのです。クリスチャンでも隠せば何とかなる、と本気で思っていらしたと思います。若気の至りというか・・・。本当に、人気絶頂のアイドル以上の存在に求婚されたから、舞い上がってしまった感じです。この点は、本当に世間知らずの若者を責められないと思います。こういう判断をするから若者なのですから・・・。親が人生経験が未熟すぎる娘の代わりに、この人に嫁いだらどのような人生になるか想像して、よく娘と相談し、勧めるなり断るなりしてあげなければいけなかったと思います。だから、美智子様のご両親が浅はかだったのか、キリスト教布教のための殉教者として、信念をもって娘を嫁がせたのか、どちらかですね。
>このお母様はタダ者ではなかったんでしょうね。
たしかに。美智子様のその後のファッションや前に出る行動を見ると、「命がけの殉教者」というよりは「捕らえたお金持ちは逃がさない」といった感じですね。
冨美さんは皇室とストラッグルをしましたとおっしゃっていましたね。条件闘争をなさって、自分達の条件を呑ませたということですよね。
戦後10数余年、まだまだ皇室は国民とは違う方々だと思われていた時代に条件闘争をしてまで皇室に嫁がせたお母様。そしてそのことをマスコミにお話になるお母様。
娘に皇室での生活を話して聞かせるよりも、自我を通すのですよと教えていますよね。きっと、それが日清製粉という事業にも役立つ婚姻だという計算も、商人の嫁として働いていたんじゃないでしょうか。このお母様はタダ者ではなかったんでしょうね。
「怒りの日」を繰り返し響かせていらっしゃったとブログにあります。
不穏な曲調です。それを皇太后であった人、かつ自分の義母(夫の母上)が亡くなった日に繰り返し聞ける(いやその御霊か周囲に聞かせる?)神経が信じられません。
>これで終わればよいのだが、ここで終わらないのが美智子さまだ
思わず苦笑してしまいました・笑
上皇様も既に…洗礼を受けてらして
私の思い通り動かないなら洗礼受けたことバラすわよと言われていたり…
どんなに美智子様を愛していらしても、腐っても日本一の旧家のたった一人の長男。膨大な人数の僕にかしづかれて育てられた、ものすごい長男教(超男尊女卑・長男至上主義)ですよ笑
長男教でない、新家の二男・三男のように、お嫁さんにしきたりを合わせるという柔軟さは根本からありません。
しかし、美智子様のキリスト教を黙認されるほど、美智子様を愛され、妥協された。しかし、妥協しても香淳皇后を皇居内から出さなかった明仁天皇です。
美智子様でもこの長男教は改宗できなかったはず。
皇室内という日本一の長男教の総本山内でのキリスト教VS長男教。
長男教の圧勝です。
だから、美智子様も礼拝堂をひっそりとしたもののままにせざるを得なかった。
それは無いと思います。
しかし、妥協はされたと思います。波風を立てないために(美智子様にいくら言っても変わらないでしょうから)見て見ぬ振りもされたことでしょう。
美智子様のご友人も良識と常識が無いですね。
宮内庁が受け取りを拒否したロザリオを直接手渡しするなんて・・・
皇室が神道の頂点に君臨する由緒ある家柄なのをご存知ないのでしょうか?
類は友を呼ぶを実感しました。
そして私の中では聖心女子大学のイメージが一気にダウンしました。
私も、そう思いました。
宮内庁が丁重にお断りしたものを、こっそりとお渡しするなんて。
皇室を軽んじ、同じ宗教を信じる者同士のきずなの強さを感じました。当時の宮内庁は、現代よりも国民から畏怖されていたはず。
それなのに、その宮内庁から叱られたとしても、このロザリオを美智子様にお渡ししたほうが美智子様の為になる、と皇室よりも圧倒的にキリスト教に比重を置いています。そういうお友達と強い絆をお持ちの美智子様。
「こっそりお渡し「」はロザリオ以外にも多々あったことでしょう。
秘密を共有することは、スリルがありますしね。
たまたまロザリオは目に余った行為だったので宮内庁が牽制したから、外部に出ただけです。
美智子さんは「捨てる」という意識がなさそうなので、秘密の聖堂がどの程度の規模かわかりませんが、引っ越しの為体から推察しますに、相当な物量でしょうね。
十字架やらクリスマスグッズやら、読みもしない英語のキリスト教書物やら、トラック一台では済まないでしょう。
宮廷費の物品は職員が帳簿で管理してるので、とっくに発送準備済みで問題なしでしょうし。
なるほど、職員にもお見せできない「無いはずのものがあった」のが、引っ越し遅延の根本的な原因でしたね。
まさか美智子様かお友達に頼んで持ってきて貰ったとか? そういう関係のものを自分で買い求めることはできなかったでしょうから、お友達が運び屋をやってたんじゃないでしょうか。
来日されるバチカン教皇に会いにでてくるのではないでしょうか?昔当時の教皇訪問の際も勝手に白いドレスを着用して会いに行かれたんですよね。美智子さんはカトリックか何か知らないけれどわかっていない。
色々でてくる美智子さんの真実を知るたびにやはり何かの障害があるのだと思います。
入室してから現在まで女帝のように公私混同してやりたい放題ですがそれを放置している宮内庁の問題でもあります。現在でも美智子さんが妙に贔屓している秋篠宮家に対してもやりたい放題させているが宮内庁自体も美智子さんと懇意にしている限り何かと得なことがあるのでしょう、情ない話です。これでは国民の怒りや不満が溜まりまくりです。
多分、美智子さまにとって信仰と同時に、家族や青春時代のなどの大事な思い出のひとつがカトリックだったのでは。
皇族のなかですごく浮いていたらしいし、文化にも最初馴染めなかったらしい。そういう時の心の拠り所や思い出して自分を慰めるための道具になっていたのかなと想像する。
侍従や女官にもクリスチャンがいて、皇居のなかは神道以外の宗教にも比較的寛容だったみたいだし、美智子さまの目指した皇后像にはカトリック的な要素が取り入れられていて、「平和、慈愛、祈り」等は戦後の皇室の立ち位置を上手く切り開いて世間に知らしめた感じもある。
ただ、堂々と讃美歌やレクイエムを流したり、宮内庁が返却したロザリオをあえて受け取るあたり、やっぱり気が強いな~こうだと決めたら誰にも止められない人なのか?と思いました。
とりあえず超贅沢と雅子様や愛子様に対する態度は、カトリックという名目で赦されるものではないですね。
そしていつまでも香淳皇后に虐められた説も、はしたないです。あのドラマとか再放送までして。 宮内庁のホームページでの弁解も。
いろいろ、慈愛の看板にそぐわない。
聖心時代の友人だけでなく、末盛さんと親しくされていたことも、上皇后が信仰を継続できる状況を生み出していたのでしょうね。
私はこの人の、
皇室は祈りでありたい
と言う言葉に、物凄く違和感を持ってます。
神道であろうと
キリスト教徒であろうと、
どんなに信仰心が篤くても他者の為に祈る人ではなく自分の為だけに、
ただひたすらに、慈愛の皇后を演じているだけにしか映りません。
あと、うろ覚えですが、
パラオかどこかへの慰霊の時の衣装。
皿帽子のお飾りが、
ロザリオをモチーフにしたものじゃないかと某所で話題になりました。
美智子天皇は、昔で言うなら、皇居に棲む・「隠れキリシタン」でしょうか?
日本の神道の頂点である天皇家に嫁ぎ、天皇を夫に持ち・自らは皇后となりながら、
地下室に十字架や祭壇を隠し持ち、密かに祈り続けていたという事実は、
どんな論理を持ち出しても、違和感があり過ぎ庇うことはできません。
一般家庭に異教徒が嫁ぐのとは、わけが違う。
孫娘2人がキリスト系の大学に進学したのも、
美智天皇がクリスチャンであるがゆえに、孫にもキリスト教系列の大学をと望まれたのかもしれません。
どちらにせよ、美智子天皇の意向や許可がなければ、ICU進学は叶わなかったと思います。
紀子さんは、美智子天皇の言いなりなのは明らか。
挙句に、眞子さんは小室などと言うとんでもない輩に掴まってしまった。
そして、最初から学習院に入らなかった悠仁君は、
刃物事件に巻き込まれ、傷つけられる寸前だったのは記憶に新しいところです。
皇居にある神殿の神は、異教徒の皇后を許してはいないと思う。
だからこそ、平成という時代、日本の神の怒りが国民に多くの災いをもたらしたのだと思います。
愛子さまが学習院にずっと在籍されたのは、本当によかった。
美智子天皇の魔の手が愛子さまには及んでいない証拠でしょう。
雅子様が全力で守られたんだと思います。
皇祖神からご覧になったら、天皇の血の流れていない民間出の皇后なんて、天皇に比べたら屁でもないと思います。どれだけ明仁天皇をお尻に敷こうと、天皇家内で暮らし、昭和の時代を生きた美智子様は、礼拝堂をこっそりと作るしかなかったほど、やはり「天皇」という存在感の不可侵の領域を完全に侵しきれませんでした。やりたい放題をされているように見えても、恐れをお持ちだったのです。
天皇家の血筋・家柄・伝統・存在感の中では、美智子様など小さい小さい。
皇祖神はこんな小物、相手にしません。見もしてないと思います。
>やはり「天皇」という存在感の不可侵の領域を完全に侵しきれませんでした。
>やりたい放題をされているように見えても、恐れをお持ちだったのです。
完全に侵しきるなど、そもそも無理でしょうね。
しかし、皇居の中ではせいぜい地下に祭壇しか設けられませんでしたが、
母校の聖心へはたびたびお出ましになり、
そのたびに聖堂で祈りを捧げられていたと読んだ記憶があります。
東宮家時代は近所の教会へ出かけておられたのを咎められ、禁止されたので、
代わりに母校に立ち寄っては1人祈られていたとか。
(お忍びでしょうね)
美智子天皇は、筋金入りです。
簡単には屈しない強い性格の方だと思います。
恐れなどがあったら、出来ないと思います。
美智子さんの、執拗な香淳皇后へのルサンチマンが不思議でした。
もうとっくに無くなっている方えすし、生前の嫌がらせもやっているのに、このシツコサは何なのか?
ふと気付いたのですが、敬宮様の面立ちが香淳皇后に似ているのです。
最近、子供の顔が抜けてきて、優しい大人の女性の表情をされますが、書き物をしている姿などもよく似ている。お若いころの香淳皇后のお写真を見ると、かなり近いものを感じますね。
清子さんも少し似ていますが、女性皇族のなかでは敬宮様が一番、香淳皇后似かもしれません。
天皇一家への冷遇の理由はこんなところにもあるかもしれません。
愛子さまは美智子様と雅子様に大変良く似ておいでです。
双方のいい所取りの、大変美しい方です。
愛子さまを、ことあるごとに
「美智子様にそっくりで、大変優秀」
「国民に愛されているのも、美智子様にそっくりだからこそ」
「お優しい愛子様は美智子様の血が濃く出ているからこそ。」
「美智子様の血が一番濃く出ているのは愛子様。」
と、美智子様に多くの人がささやけば、簡単に愛子様をお可愛がりになるでしょう。
こんな簡単なことを、何故美智子様の周りの方がしないのか、長年不思議で仕方がありません。
やはり、取り巻きのタチが悪いのですよ。
たとえ、現天皇ご一家がキリスト教を信仰されなくても、美智子様は葛藤されながらも愛子様をお可愛がりになったと思います。
しかし、案外、現天皇皇后両陛下も、深いお考えのもとに、第一子である愛子様の天皇教育として、物心がつく頃からのキリスト教談は、将来の天皇教育に相応しくない、キリスト教談はもっと愛子さまのアイデンティティが揺るぎないものになってから、とご判断されて、愛子さまとキリスト教(美智子様)の交流を慎重に見送られていたかも知れませんね。
しかし、美智子様からすれば、何故自分が避けられるのかわからない。徳仁皇太子・雅子様が美智子様に角が立たない理由で愛子さまへのキリスト教談の機会を減らしても、賢い美智子様は「避けられている」と察したことでしょう。そりゃあ、息子夫婦が憎くなりますよ。美智子様を嫌っていると取れますからね。
なんだか、もう、運の巡り合わせの悪さとしか。
刃物事件は自○○○とも言われていますね。
国民は信用していません。何も。
13:50様
何故天皇家の内親王様がキリスト教に傾倒しなければならないのですか?
神道の総本山というべきお家柄ですよ。
美智子様のなさっている事は神道もキリスト教をも冒とくする行為だと思います。
雅子様を馬アレルギーだのとバレバレのデタラメ捏造報道を平然とさせ伊勢でも雅子様オープンカーに乗せたミテコ婆さん。なぜ雅子様が馬車に乗られるのを、そこまで妨害したいのでしょうか?処刑場に連れて行かれる女囚人みたいだった自分の姿と美しい雅子様を比べられるのが嫌だからでしょうか?それにしても異常ですよ。平成から令和に変わった途端に来日されるローマ法王。鈍感なミテコ婆さんは白いマント服を着て(笑)ローマ法王に会おうとしゃしゃり出て来ますかね?法王には何としてもミテコ婆さんを無視して欲しいです。
私は昭和時代をよく知るものですが、昭和、平成、令和と3世代をまたいでこんにちまで生きています。
私の両親は明治生まれ、昭和16年12月8日第2次世界大戦が勃発、まだ幼かった子供時代、空襲警報が何度となく鳴りその都度防空壕に入ったり、夜は裸電球に黒い布を被せて灯りを外に漏らさないようにしたりと怖い経験をしています。
昭和20年3月10日未明、東京は大空襲に見舞われ父は石川県安宅に兵士として不在、母親、兄弟と逃げ惑い、辺りは軒並み焼かれて、夜にも拘らず空は真っ赤、B29の爆音ゴ~~ンという音ともに黒い焼夷弾が雨のように降ってくる様は、恐ろしい爆音とその光景は幼い頃の私の耳や目に鮮明に焼き付き、高齢になっ今でも未だに残っています。
家族の一人の犠牲者も無く助かったのは奇跡としか言いようがない。
戦前は封建社会、軍国主義国家、街は黄土色の軍服に赤い線の入った同じ黄土色の帽子を被った憲兵が棍棒、銃らしき物を脇腹につけて闊歩していた。
幾ら幼い明仁親王、正田美智子は疎開していたとはいえ、両親から戦争の悲惨さ、広島、長崎に原子爆弾(ピカドンと言っていた)が投下され多くの犠牲者が出ていた事は聞いている筈です。
ただ母親の富美さんは上海生まれのハーフ(日本の血は無い)だそうで、本当の日本内陸で起きていた戦争の悲惨さは分からないと思います。
ですから、当時は大陸婦人と称され考え方は大陸的とも言われ、はっきり物申す人で非常に気の強い方だった。
ですから美智子さんが皇室に嫁ぐにあたり、皇室を「あちら様」と公言していたのは有名な話です。
「この親にしてこの子あり」とはよく言ったもので、皇室に嫁いでも気に入らない事は、例え天皇、皇后であっても自分の意思ははっきり物申す。
長女東久邇成子さんが幼い子供を残し、36歳の若さで夭逝されて悲しみのうちに昭和天皇、香淳皇后は静養に入られた。
その静養先に明仁皇太子、美智子妃は悲しみのうちにある昭和天皇、香淳皇后の静養先に押しかけ大した事由でも無いのに二人で天皇、皇后に向かい「私の何処がお気に召さないのか」と詰め寄ったという話は有名で、その気の強さは人を気遣うどころか自己が優先が垣間見える。
ただ昭和天皇は「分かった」と答えられたようだ。
こうして全てにおいて、自分の手のひらの中で転がろして人を操るのはお手のものか?
こうして見ても、宮内庁幹部は御進言すれば職務配置転換か飛ばされる憂き目に合い怖くて物も言えない、自分の身を守る為にはそうするしかなかったかと。
秋篠宮夫婦を支える職員さんへのパワハラはそれらを見習ったのかも知れない。
上皇、上皇后、秋篠宮家は皇嗣という訳の分からない称号を付けさせて、何を企てているのか二重権威を恐れる国民の危惧は、本当に当たっているのかも知れない。
天皇制の研究者の原武史先生は、上皇后との二重権力だけでなく、秋篠宮も入れた三重権力を懸念されています。
先生はツイッターで、上皇上皇后に関する毎日新聞の記事で、たいした内容でもないのに宮内庁からクレームを受けている事も明らかにしています。また宮内庁が記事にクレームを入れるようになったのは美智子さんからだと書いています。
平成の天皇(上皇)の立場は美智子さんよりも下ということですね。
美智子さんは贅沢をしたいだけ、我儘をしたいだけなら実家の正田家で、どこかの婿養子を迎えて自分の家系で生活していれば良かったですね。
こんな人は宗教を信じていないし、キリスト教でも神道でもお断りの人です。
本来なら聖地にも入れない自分勝手な考えの人ですね。
そんな人の言う事を聞く宮内庁の人も変ですね。
秋篠宮家に男の子を無理に造らせ、秋篠宮家に政権を移したいのかもしれないけど秋篠宮家には誰一人、天皇になる能力も資質もないので、今までのように誰かが身代わりになって神事や書類公務をすることは出来ない。
美智子さんも宮内庁も小細工をしても出来ないことがあることを知るべし。
神さまさえ欺く行為は罰が当たると思ってもいない?
神さまさえも恐れない美智子さん、秋篠宮一家、宮内庁の人達が天皇制を壊す元凶である。
愛子さんが継がないのであれば今の天皇皇后で終わりにした方が良いと思う。
秋篠宮家が継げば朝鮮王朝になり発達障害の子孫しか生まれなくなる。
罰則規定までをして隠す悠仁さんには問題があるからで、とても嘆かわしいことだ。
天皇になれないことを隠してまで天皇にしたがるのは、秋篠宮家の今までの「やったもん勝ち」「言ったもの勝ち」にしてきたことが通用するとでも思っているからでは?
何の努力もせずに男で生まれたからという理由だけで必ず天皇になれると自惚れてはいないか?
悠仁さんを知る宮内庁の人達も今後も罪作りな罪人になり続けたいのであろうか?