長岡戦災資料館にて

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3月11日 『奪われた村 避難5年目の飯舘村民』長岡上映会と豊田直巳監督講演会

この日、豊田監督は前日に上映会とスライドトークを終えた京都から半日かけて、日本海側を電車で北上、長岡へ。
長岡は二度目だそうですが雪景色を期待してたけど、そんなになかったと残念がっていましたが、
いや、もう3月ですし、そもそも日本海の海沿い側はあんまり積もらないんです、とお伝えしました。

長岡駅でお出迎えした後、会場のトモシアの上映開始時間まで少しあるので、
こちらがお招きした映画人はなるべく足を運んでいただいてる長岡戦災資料館へとご案内しました。

ここの資料とビデオを一通り見ていただければ長岡の気質に少しは触れられるのではないかと、何より駅前すぐにあって入場料が無料なのも特筆です。
もちろん豊田監督は戦場カメラマンとして世界中の紛争地を取材された方なので長岡空襲について知っていただきたいという思いもありました。

館内に入った途端、展示してある写真一枚一枚に目を寄せ、
戦時中の長岡へ世田谷から疎開した人たちの写真を見つけて、
「これを世田谷にも展示して互いに交流をすれば面白いのではないか」
鉄が不足しついに何件ものお寺の鐘が取り外された写真を見つけて、
「これは当時の新聞写真だろうか?お寺には今、きちんと鐘が釣られてるのだろうか?」等など、独自の視点から意見を話しながら熱心に資料を見て回ってました。

そして長岡空襲を米側の視点から主になぜ長岡が空襲されたのか検証するビデオを目にし、東京大空襲も指揮した司令官カーチス・ルメイが日米戦で最後の指揮だったことに強い関心を寄せていました。

ビデオで長岡花火が空襲の慰霊の花火だと知り、見終えて館長と懇談した中で戦後に空襲を思い出し長岡花火に反対している人もいると聞き、
「いろんな意見があったんですね、福島も同じです」と語って講演の前によい勉強になったと話されて、ご案内して良かったです。

しかし上映会に県外からお招きした映画人はなるべく足を運んで長岡を知ってもらう一環にしてる長岡戦災資料館なんですが、こちらの上映会がいくら長岡市から後援をいただいたと伝えてもポスター掲示、もチラシ設置も拒否されるのはどうなんだろうといつも思ってますが、これからも機会があえば映画人をご案内していきたいと思ってます。
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