ある時、聖心女子大学の卒業生同窓会が、聖心女子関連の公務かなにかの折に来た美智子さまに、記念のロザリオを贈ったことがあった。だが皇室は神道を宗とするものであり、宮内庁から受け取りを丁重に断ったが…。
美智子さまはクリスチャンなのに…
美智子さまのご実家・正田家はカトリックの家柄だ。
日本の歴を振り返ると、神道と仏教は(廃仏毀釈などを除けば)仲良く千年以上共存してきたが、キリスト教と神道・仏教が共存するようになったのは明治以降のことだ。それでも戦前の国家神道が強化された時代は、神道はキリスト教を友好的ではなかった。唯一神を想定するキリスト教は、天皇を頂点とする国家体制と合致しないためだ。
では、戦後になればキリスト教は、神道や仏教という日本の伝統宗教と同じ地位を獲得したのかと言えば、そうではない。
現天皇陛下が皇太子時代にお相手を探していたとき、そのお相手(皇太子妃)の宗教は「神道か仏教」という条件があった。クリスチャンの家系の場合、幼児洗礼は本人の意思とは別に受けさせられるので問題ないが、成人洗礼を受けていたり大人になってからも信仰心が強ければダメということになった。仏教の場合には「信仰心の強さ」など問題にされなかったが、キリスト教の場合はそれが問題になるとは変な話だ。
私は皇太子殿下のお相手探しが進んでいた時、同僚の一人からこの「お相手の宗教問題」を聞いた時、「美智子さまはクリスチャンだったというのに、どうしてキリスト教の妃を迎え入れることに消極的なのか?」と疑問にも思ったものだ。この疑問が解けたるまでに10年ほどの時間を要した。その答えは簡単だ、美智子さまは結婚した後もクリスチャンであり続けたため、宮内庁が様々な懸念をしていたのだ。
美智子さまのキリスト教信仰
別の記事において美智子さまが結婚後もキリスト教信仰を持ち続けていたことを述べた。日本では信仰の自由が認められているとはいえ、皇室は神道の中心核であり、かかる意味で、日本は「神道宗教国家」なのだ。仏教は多神教であるために、仏教徒が天皇という存在に敬意を払うことに抵抗感を覚えることは稀であるが、キリスト教の場合には一神教であるためイエス・キリストへの信仰と天皇への尊崇とを両立させることは難しいのである。
美智子さまもこの両立に苦労されたであろう。三つ子の魂百までとはよく言ったもので、生来の信仰を結婚を契機に捨て去ることなど容易にできることではない。
事あるごとに聖歌を口にされ、自室に聖書を置き、地下に礼拝室をつくってしまわれたことは、美智子さまは結婚後も強いキリスト教信仰をお持ちであったことの証左であると私は考えている。このような美智子さまの影響の下、眞子さまと佳子さまはICU(国際基督教大学)に進学されたのではないだろうか?
秋篠宮家の資質を問う声が多く上がっているが、やや「キリスト教かぶれ」と思われる進学先選択は非常に問題的であると思う。
ロザリオ事件
美智子さまとキリスト教の結びつきは、時折、週刊誌などを賑わせているのでご存じの方も多いだろう。ここで「ロザリオ事件」という良く知られていない事件を紹介したい。
美智子さまが皇后となられたこともあり、聖心女子大学(カトリック系の大学)では同窓会活動が大変活発である。創立は1916年であり、歴史も古い。今では創立70周年80周年90周年100周年と節あるごとに大規模な同窓会が開かれ、美智子さまも当然誘われて出席される。
実はこの同窓会が開かれるキリスト教にちなんだ記念品が贈呈される。ある記念の折に同窓会事務局から美智子さまに「ロザリオ」が送られてきた。受け取った宮内庁は困惑してしまった。「ただでさえもクリスチャンと噂される美智子さまがロザリオを受け取ってよいものだろうか?」と。関係各位で協議した結果、「このロザリオは受け取れない」として同窓会に返却することになった。
これで終わればよいのだが、ここで終わらないのが美智子さまだ。
その数日後、美智子さまの友人が御所を訪れ、お茶会となった。何とその時、その友人が「これ…」と言って、受け取り拒否したはずのロザリオを美智子さまに渡していたのだ。ロザリオは緑の布で何重にもくるまれていたが、美智子さまはそれをそっと広げて中身を確認し「ありがとう」と笑顔で述べられて懐にしまわれた。
天皇家においては物品の授受は、基本的にすべて宮内庁を通さなければならないが、さすがにお茶会での個人間のやりとりまですべて監視しているわけではない。そのロザリオは、美智子さまが同窓会に返却したと信じたいが…。美智子さまの私室にあった、大量のキリスト教関連品は、このような形で持ち込まれたのかもしれない。
同じ聖心の同窓生であり、美智子さまとも深いご親交がある曽野綾子さんのご著書の中に、クリスチャンでありながら婚家の仏壇を祀ることに葛藤を抱える嫁の話が出てきます
曽野綾子さんはご自身も熱心なカトリックでいらっしゃいますが、その話の中で、生涯教会に礼拝できずとも、聖書を読むこともロザリオを持つこともできずとも、婚家の仏壇を愛を持って守り抜くことがキリストの教えに叶うこと、というような話をされています
でもこのような徹底したキリスト者ではなく、美智子さまのはステンドグラスの礼拝堂や賛美歌や、ベールをかぶって祈りを捧げるポーズがお好きなだけなので、皇室に不適当と言えば不適当ですが、ただのファッションクリスチャンだと思えばいいんです
学生時代演劇でマリアさまを演じたとか、ローマ法王を真似たようなマント付きの奇妙な衣装など、この方にとってキリスト教も演出の一つにすぎません
ただし、慈愛の名の下に被災者を利用したり、慈愛の仮面の下で雅子さまを虐め、贅沢の限りを尽くし国民を欺き続けたことは許しませんけど (BGM : レクイエム怒りの日)
上皇后美智子の母、正田富美(のちに富美子と改名)さんの葬儀は神道でした。
葬儀に参列した友人たちは口をそろえて、「富美さんのお葬式はキリスト教だと思っていました。クリスチャンですから。なので神道の葬儀で驚いています。」とワイドショーのインタビュアーに答えていました。
その後、「美智子さまの立場をおもんばかって、皇室に遠慮して、クリスチャンなのに神道葬にした。」とゆう美談に変遷してゆきました。
「すべては娘の美智子のために、自らが信仰するキリスト教ではなく神道での葬儀をさせた賢母、正田富美さん。」とゆう修飾文を削除すれば、「正田富美は完全なクリスチャンである」とゆうことです。
正田富美は、「皇室に遠慮して娘との往来は無かった。」などと言ったり、懇意の新聞記者に書かせたりしていましたが、それらは全くの出鱈目であり東宮家(昭和時代)とは密な交流を頻繁に持っていたとゆうことは数々の写真が証左しています。
それほど強烈な信者の正田富美の娘なら「美智子はクリスチャンである。」としても何ら不思議ではありません。
冨美さんは明らかにクリスチャンだったのに、葬儀は神道でしたのですね。驚きました。そこまでするか⁈というような驚きです。偽りが平気というか…。
その娘さんだからこそ、キリスト信仰を捨てないまま神道のトップの妻になれたんでしょう。そして国民をある意味、欺きながら神道のトップとして祭祀にも参加されていた。
別に私は神道を信仰するものではありませんが、ちょっと騙されていた気分になりました。
ファッションクリスチャンだから構わないのよとはなかなかなれないのです。だったら、あれはファッション神道だったということですね。
私の近所に神社がありますが、宮司さん一家は、みなさん神教徒ですので、美智子さんがクリスチャンとは驚いています。
敬虔なクリスチャンであれば、キリストの教えに従い、平安で静かな生活をお過ごしください。
一口にクリスチャンと言っても、冠婚葬祭の時にお世話になるだけの場合もありますよね。因みに正田家のお墓は何処でどのようなお墓でしょうか?富美さんの葬儀は神道式だったそうですが。色々とチグハグなことだらけです。
美智子という女性を国民はどう受け止めたら良いのか!
敬虔なクリスチャンも捨てきれず、御所の地下室に祭壇を設け、聖書等が並び時には十字を切り手を合わせていたのだろうか?
皇室は神道、祭祀を行うに当たり古代からの祭り事である皇室の重要な儀式に臨んでいる間、何を考えていたのか。
時には敬虔なクリスチャン、時には皇室の祭祀に十二単衣を纏いお垂髪を結い玉串を捧げ、国民の安寧を祈る二役を演じていたのでしょうか?
心の二重構造は皇室に対しても、国民に対してもキリスト教徒としても欺いていた事になります。
普通の神経ならこの二重の信仰は出来ない筈です。
それをやってのける神経は一体どこから来ているのか!
日本最高位の女性となり権力を欲しいままに二重信仰、クリスチャンをひた隠しして夫君明仁天皇や天皇家のご先祖をご参拝するその姿は何を思いながら先祖に拝礼しているのか、また日本国民全てを欺いている事になるのではないか。
この60年間の暮らしぶりは、昭和天皇が質素にお暮らしだったことからかなりの資産を残していたようですが、それらも派手に使い果たしたと聞いています。
権力を傘にして、気に入らない記事には人の口を借りて物申す。
不都合になると幾つかの病気(頸痛が病むのだの、やれ目眩がするのだの、失声症だの、心臓の弁だの、白内障だの、乳がんだの)を盾に口封じ作戦をとり、国民はそれらを信用していないし、また始まったかと思うだけです。
私が一番驚いたのは、例え気に入らない姑であっても人が亡くなれば上下関係なく仏様です。
死者に対してモーツァルトの「レクイエム」を聞いたと、このブログで知りました。
このレクイエムは暗く怖いイメージで日本では定着しているようですが、旋律の中には心が浄化される様な美しいところもあります。
一般的には「怒りの日」で有名ですが、もしも積年の恨みとばかりに聞いていたのなら死者を冒涜する行為です。
美智子皇太子妃は香淳皇后に何がしかの怒りをずっと抱いていて、この行動ならご自分のことは棚に上げ、雅子妃虐めの張本人であり、巷で言われているように平成の四人組(平成の天皇、皇后、秋篠宮、紀子)と言われる事を何故?やったのか、香淳皇后に虐められたというなら、上皇后はそれ以上で悪質、陰湿、たちの悪さが際立ちます。
わたくし的に映るのは上皇后は鬼畜母で、現在のお姿は冷酷、温かみが全く感じられ無い冷血人間、「目は口ほどに物を言う」と言いますが正に何よりも非常に目が恐ろしい。
生き様がそのまま今の姿に見えるのです。
人間は、天皇や皇族だろうが平民だろうが、人を苦しめ追い詰める事は決して許されない行為です。
学生時代に一体何を学んだのでしょうか?不思議な方です。
>敬虔なクリスチャンを捨てきれず
ミーハーなので、皇太子妃・将来の皇后になりたかったのです。クリスチャンでも隠せば何とかなる、と本気で思っていらしたと思います。若気の至りというか・・・。本当に、人気絶頂のアイドル以上の存在に求婚されたから、舞い上がってしまった感じです。この点は、本当に世間知らずの若者を責められないと思います。こういう判断をするから若者なのですから・・・。親が人生経験が未熟すぎる娘の代わりに、この人に嫁いだらどのような人生になるか想像して、よく娘と相談し、勧めるなり断るなりしてあげなければいけなかったと思います。だから、美智子様のご両親が浅はかだったのか、キリスト教布教のための殉教者として、信念をもって娘を嫁がせたのか、どちらかですね。
「怒りの日」を繰り返し響かせていらっしゃったとブログにあります。
不穏な曲調です。それを皇太后であった人、かつ自分の義母(夫の母上)が亡くなった日に繰り返し聞ける(いやその御霊か周囲に聞かせる?)神経が信じられません。
>これで終わればよいのだが、ここで終わらないのが美智子さまだ
思わず苦笑してしまいました・笑
上皇様も既に…洗礼を受けてらして
私の思い通り動かないなら洗礼受けたことバラすわよと言われていたり…
どんなに美智子様を愛していらしても、腐っても日本一の旧家のたった一人の長男。膨大な人数の僕にかしづかれて育てられた、ものすごい長男教(超男尊女卑・長男至上主義)ですよ笑
長男教でない、新家の二男・三男のように、お嫁さんにしきたりを合わせるという柔軟さは根本からありません。
しかし、美智子様のキリスト教を黙認されるほど、美智子様を愛され、妥協された。しかし、妥協しても香淳皇后を皇居内から出さなかった明仁天皇です。
美智子様でもこの長男教は改宗できなかったはず。
皇室内という日本一の長男教の総本山内でのキリスト教VS長男教。
長男教の圧勝です。
だから、美智子様も礼拝堂をひっそりとしたもののままにせざるを得なかった。
それは無いと思います。
しかし、妥協はされたと思います。波風を立てないために(美智子様にいくら言っても変わらないでしょうから)見て見ぬ振りもされたことでしょう。
美智子様のご友人も良識と常識が無いですね。
宮内庁が受け取りを拒否したロザリオを直接手渡しするなんて・・・
皇室が神道の頂点に君臨する由緒ある家柄なのをご存知ないのでしょうか?
類は友を呼ぶを実感しました。
そして私の中では聖心女子大学のイメージが一気にダウンしました。
私も、そう思いました。
宮内庁が丁重にお断りしたものを、こっそりとお渡しするなんて。
皇室を軽んじ、同じ宗教を信じる者同士のきずなの強さを感じました。当時の宮内庁は、現代よりも国民から畏怖されていたはず。
それなのに、その宮内庁から叱られたとしても、このロザリオを美智子様にお渡ししたほうが美智子様の為になる、と皇室よりも圧倒的にキリスト教に比重を置いています。そういうお友達と強い絆をお持ちの美智子様。
まさか美智子様かお友達に頼んで持ってきて貰ったとか? そういう関係のものを自分で買い求めることはできなかったでしょうから、お友達が運び屋をやってたんじゃないでしょうか。
来日されるバチカン教皇に会いにでてくるのではないでしょうか?昔当時の教皇訪問の際も勝手に白いドレスを着用して会いに行かれたんですよね。美智子さんはカトリックか何か知らないけれどわかっていない。
色々でてくる美智子さんの真実を知るたびにやはり何かの障害があるのだと思います。
入室してから現在まで女帝のように公私混同してやりたい放題ですがそれを放置している宮内庁の問題でもあります。現在でも美智子さんが妙に贔屓している秋篠宮家に対してもやりたい放題させているが宮内庁自体も美智子さんと懇意にしている限り何かと得なことがあるのでしょう、情ない話です。これでは国民の怒りや不満が溜まりまくりです。
多分、美智子さまにとって信仰と同時に、家族や青春時代のなどの大事な思い出のひとつがカトリックだったのでは。
皇族のなかですごく浮いていたらしいし、文化にも最初馴染めなかったらしい。そういう時の心の拠り所や思い出して自分を慰めるための道具になっていたのかなと想像する。
侍従や女官にもクリスチャンがいて、皇居のなかは神道以外の宗教にも比較的寛容だったみたいだし、美智子さまの目指した皇后像にはカトリック的な要素が取り入れられていて、「平和、慈愛、祈り」等は戦後の皇室の立ち位置を上手く切り開いて世間に知らしめた感じもある。
ただ、堂々と讃美歌やレクイエムを流したり、宮内庁が返却したロザリオをあえて受け取るあたり、やっぱり気が強いな~こうだと決めたら誰にも止められない人なのか?と思いました。