ほぼ日刊イトイ新聞

2019-11-23

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・他の人のプランでも、みんなのやりかけていることでも、
 じぶん自身の進んでいる道でも、なんでも、
 否定しながら考えるということがある。
 余計なお世話だとも言えるし、
 それじゃ勢いが失われるだろうとも思う。
 否定を先に考えるのは、よくないよね、と。
 じぶんがなにか新しいアイディアを出すわけでもなく、
 なにかと否定するような人は、ぼくも嫌だなぁと感じる。

 しかし、昨夜、冷たい雨のなかを歩いていて、
 ふと思いついたことがある。
 「否定からはじめることは、答えを先に延ばせる」
 ということだった。
 話を単純にするためにプロポーズで喩えてみよう。
 「ぼくは(こんなふうに)結婚を申し込む」としようか。
 否定するとしたら、「その(こんなふうに)には、
 足りないものがある」とか、
 「見当ちがいだよ」とか、いろんなことが言える。
 肯定する場合には「その(こんなふうに)はいいね」と。
 「それはきっとうまくいく、思い切って行こう」となる。
 このプロポーズがうまくいくこともあるだろう。
 うまくいった場合には、だれも傷つかない。
 肯定していた他人は、「よかったね」で済む。
 否定していた人も、こうまとめることになるだろう
 「心配していたけれど、よかったじゃないか!」と。
 そして、プロポーズに失敗した場合には、
 どうなるかといえば、肯定していた人は、
 「どうしてなんだろう」と思考がいったん止まる。
 しかし、否定をしていた人は、
 「(こんなふうに)がちがっていたんだよ」と、
 よく言えば、誤りを修正しての再挑戦を提案できる。
 これ、ずっと繰り返せるんだよなぁ。
 修正して、またトライして、再考して、さらに挑戦して。

 そうなんだ、「それじゃだめだよ」という否定は、
 答えを先に先に延ばしていけるんだ。
 永遠に希望を失わずにいられる方法でもあるんだね。
 そうか、希望をいつまでも失いたくないから、
 否定から入るのが「時代の定番」になってるのか。
 そういうことなのかもしれないぞ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
当事者の気持ちになって、上手に否定を使えたらいいのか?


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