ほぼ日刊イトイ新聞

2019-11-22

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・ぼくの最初の「しょうらいの夢」は、発明家だった。
 おそらく「発明発見物語」というような本を読んで、
 その影響を受けたものなのだとは思う。
 小学生のときには、発明欲がうずいていた。
 思えば、その時代から発明の道から降りたつもりはない。
 いまでも、「しょうらいの夢」に向かって生きている。
 何十年経っても、まだ「発明コンシャス」なのだ。

 ぼくの「発明コンシャス人生」のなかでは、
 さまざまなモノやコトが嫉妬と称賛の対象になってきた。
 なかでも、感心しきりだったのが、
 国際的なスポーツ大会のスタッフの仕事だった。
 サッカーのワールドカップのときに気づいたのだが、
 これで負けたら大変なことになるという試合に負けると、
 もうこうなったらこの一番で絶対に勝たないと…となる。
 そこらへんの局面で負けると、首の皮一枚で生き延びた
 というようなことになって、複雑な詳細をわからぬまま、
 天王山やら本当の天王山、最後やら最終的な最後やら、
 新聞テレビを騒がせるような事態が続々とやってきて、
 何度も何度もスリルを味わうことになる。
 どうなっちゃってるんだよ、とか文句をたれながらも、
 おもしろいことは多いほうがいいもんなぁとか思った。
 この何度もおもしろくするのは、FIFAだかなんだかの、
 マッチメイクの技術なのではあるまいか、と。
 試合やってる選手たちもすごいけど、
 こんなにスリルある日程とルールを組むのもすごい。 
 「発明したんだろうなぁ、これを」と感心するわけだ。

 もうひとつ、大発明だなぁとしみじみ思っているのが、
 「チョコレート」である。
 歴史をつくり、文化をつくり、よろこびをつくり、
 商売をつくりしながら、ずっと価値を生み出している。
 いまは、あらゆるものに「チョコがけ」させている。
 柿の種だろうが、スルメだろうが南部せんべいだろうが、
 チョコと合わせりゃなんでも人気新商品になってしまう。
 もともとは農作物で、加工もけっこう複雑なのに、
 世界中でとんでもなく大量に流通してもいる。
 チョコレートの発明と流通は、ぼくの憧れである。
 いつか、ぼくも、ぼくたちも、じぶんたちにとっての
 「チョコレート」を発明したいと本気で思っている。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
思いようによっては、「ほぼ日」も発明なんじゃないか。


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