引用元:戦争「戦時中は米が貴重だったからサツマイモや大根を混ぜて炊いた」 ← これって嘘らしいな
http://hebi.5ch.net/test/read.cgi/news4vip/1573981605/
1: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2019/11/17(日) 18:06:45.990 ID:gVwAEim/0
聞いたら「うちは農家だったから普通に米食べてた」って
2: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2019/11/17(日) 18:07:09.462 ID:Wriwm6+E0
それはそれでうまそう
4: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2019/11/17(日) 18:07:38.751 ID:3YgueKvo0
配給制だった都市部の話じゃね?
5: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2019/11/17(日) 18:07:49.165 ID:eHibC6F6p
うちも農家だけど芋食ってたぞ
9: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2019/11/17(日) 18:08:47.072 ID:o3Ch0ApX0
農家だからだろ
10: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2019/11/17(日) 18:08:55.000 ID:7J9VrSbh0
俺は味の薄いすいとんだったなぁ
11: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2019/11/17(日) 18:09:33.688 ID:fYfdsnEd0
物流が寸断されて都会に運べないから農家には余ってたんだよ
13: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2019/11/17(日) 18:10:00.564 ID:yTj5y3ac0
俺は大根飯
14: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2019/11/17(日) 18:10:39.221 ID:0A72GCk80
土地が狭くても作れるカボチャをツル伸ばして屋根で育ててたわ
18: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2019/11/17(日) 18:11:58.285 ID:WEQpgLqld
戦時中とか言うけど実際食糧難だったの一年くらいだしな
疎開するとおにぎりが待ってた
疎開するとおにぎりが待ってた
19: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2019/11/17(日) 18:12:10.530 ID:CXhOGDA9M
農家だけどタダみたいな値段で接収されてたらしいよ
26: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2019/11/17(日) 18:18:27.447 ID:TEksOWXQ0
国内の米を兵站で外地に送ってたなら国内で足りなくなるかもしれないが動員兵含めても国民数が増えるわけではないから純粋に食うだけならあっただろ
加工品用の米があっただろうから単純な話じゃないだろうけど
加工品用の米があっただろうから単純な話じゃないだろうけど
28: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2019/11/17(日) 18:18:46.221 ID:yB7zkBKs0
実際は政府が統制してた戦中よりGHQがほったらかしてた終戦直後の方が酷かったらしいが
29: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2019/11/17(日) 18:20:35.014 ID:XG1PfeDo0
流通が悪くて場所毎に取れたカロリーは違うだろうな
32: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2019/11/17(日) 18:23:06.128 ID:dvg6b76X0
うちのじいちゃんたちは普通に米食ってたけど疎開してきた都会のやつらに非国民と言われてムカついてボコったらしい
食料自給率低いし今輸入止まったら都民は飢えてそうなるんだろうな
食料自給率低いし今輸入止まったら都民は飢えてそうなるんだろうな
33: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2019/11/17(日) 18:24:09.840 ID:lgGWlPoz0
>>32
最低でも親戚に農家がないと飢餓食になりそうだな
最低でも親戚に農家がないと飢餓食になりそうだな
34: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2019/11/17(日) 18:25:07.192 ID:u9iD3+3I0
さつまいも混ぜるのは普通に美味い
40: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2019/11/17(日) 18:46:49.317 ID:ppaxcNN20
よく都会人が農家に物々交換持ちかけるエピソードあるけど
農家には分けるだけの食い物あるってことだもんなつまり
農家には分けるだけの食い物あるってことだもんなつまり
45: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2019/11/17(日) 19:00:06.622 ID:PZXUaxQor
知り合いの漁師の爺さんは魚ばっかり食ってたわガハハって言ってたけどな
46: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2019/11/17(日) 19:04:01.262 ID:aAooUaSM0
みんな近場にあるものばかり食べてたってことは都市部は悲惨な状況だったんだろうな
48: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2019/11/17(日) 19:08:11.425 ID:Q2Yh/Z6p0
エアプか?
芋喰えるだけマシなんだが?
芋喰えるだけマシなんだが?
49: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2019/11/17(日) 19:08:37.767 ID:5cjLW6qVK
もの運ぶには炭が必要だし
列車などの輸送車をつくるなら鉄やゴムも必要だしの
末期は石炭も鉄もゴムも人すらなくなって都会や凶作のところは悲惨だったろうね。主に東北
列車などの輸送車をつくるなら鉄やゴムも必要だしの
末期は石炭も鉄もゴムも人すらなくなって都会や凶作のところは悲惨だったろうね。主に東北
50: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2019/11/17(日) 19:14:19.670 ID:CyIS5ilL0
農家とかは普通の生活出来てたらしいよ
問題は都会からの疎開組
あれは飯に困ってたみたい
問題は都会からの疎開組
あれは飯に困ってたみたい
1001: 名無しさん@大艦巨砲主義!
2011/7/24(日) 12:20:40.20 ID:milio
満州投資へ拡大して金は無く、惰性で戦争金は無く、
1910年韓国併合以降、ニンゲンは貧乏暮らし。
疫病神に取り付かれたかのように金は無い。
日本語が通じなさすぎる
だから本当に餓死しそうな家には多めにとか渡してたそうだ。
昼は蒸かしたサツマイモ
夜は菜っ葉の入ったスイトン
食糧難はこういった事も関係しているとジイチャンが言っていたな。
さつまいもご飯食いすぎてさつまいも嫌いって言ってた
炭水化物減らせカス米なんか滅びろ
昔のはベチャベチャでまずかった
輸送網が死んだわけだしある所にはある
んで陸続きな時点である程度の物資は入ってくる
問題は戦後のGHQ時代
14人兄弟の長女で、苦労話だと下の子の面倒を野良仕事こなしつつしていたことや、それに伴って昼間は時間が取れないから夜に月明かりで勉強してたってことぐらいだな
つまり、まあ農家ではあったから食事事情においては苦労したことがないんじゃないかと思ったね
産まれや育ちで違うだろうし、やっぱりひとくくりで全体を語っちゃいかんだろうな
小麦だのグルテンだのが毒性を持ってると認識されてから随分経つのに、未だにそんなこと言ってるんか。
政府「配給止めまーす」
宮・華族・上級国民「買い占めるぞい」
一般国民「ひもじいょ……」
なんでこんな短絡的な答え出すんだろ
だから都会では食料などが不足し、生産地では余った。
別に授業でそう言う誤った知識を教えてるわけでもないしドラマや映画等でも「田舎に疎開すればご飯をちゃんと食べられるから」って子供を疎開させるシーンなんてのはよくあるのになんでやろうな
ジブリの火垂るの墓なんてまさにそうだし
近代や現代の農家などの第一産業は、都市が安定的に機能しないと成立しないんや。
品種改良が進んでないから甘くもなければホクホクでもない筋張った芋だぞ
そういうのを一年間毎日連続で食ってみろ
この感想しかなかった
「1945年8月15日の空は青空だった」みたいな論は多々にして多い。
やっぱり、都市部が舞台のTVや映画が多いからやろうな。
それこそ、米はあるが魚がない、魚はあるが米はない、サツマイモはあるが米がない。ナスは有るが人参はないという状況に陥るからな。
だから、サツマイモばかりとか、おかずはナスしかなかったとか、カニの身をコメに見立てて魚食うとかいう状況が生じて、もう一生見るももいや、となる。最後の方は塩がないというところまでいってるからな。そこにGHQ統治との引き継ぎ混乱で戦後の闇市・担ぎ屋爆誕&裁判官餓死となる。まぁドイツより100倍ぐらいマシなんだがね。
うちの爺さんはカボチャとナスは見るのも嫌がってたな(当時小学校3~4年生)。婆さんはタピオカ澱粉が今でも死んでも嫌らしい(当時3~4歳)。お互い嫌いなものを上げては「当時、そんなものでてきたらごちそうや。お前は贅沢してた」と言い合いするのが定番w
麦飯はいくら体に良かろうが今は一切食べたくないと言ってた
当時の芋って激マズやで。現代的な品種改良なんてされていないから。
友人が10年前、一年間朝昼晩絶対毎日主食サツマイモ食べるってのを試した人がいる
俺は近くでその食事光景をしょっちゅう見てたけど、最初は美味しそうに食べてたが最後のほうは本当に嫌になってたぞ
俺も見てただけでやったことないからわからないけど、当事者じゃないとわからないことって多分にあるだろうから、安易に言わない方がいいと思う
ここに日本の闇がある。
今1本500円もするの信じられん
自分で栄養管理くらいしようよ…。
「昭和19年は不作、20年は凶作」という事を
覚えておいてもらえると分かりやすいかと。
あとは生前の桂米朝師匠が語っていた
「昭和19年の夏までは東京も普通に食べ物はありました、
それが夏休み明けて学校(=大東文化学院)に戻ったら、急に
配給券があっても食べ物が手に入らん事が
起こる様になりました」
という辺りも、当時の食糧事情の変遷が伺えると思います。
アホの子なんかな?
それはイモばかり食った戦中・戦後の食い物のない時代を生きた人共通の感覚であったようだ。
今でも食べようとしないなぁ
まぁ今は食べる必要ないんだけど
サツマイモとか雑草などは当たり前。祖母は蕎麦掻を食べていて、蕎麦嫌いになった。蕎麦はやせた土地でもできたからね。
1945年で、B-29の機雷封鎖うけて、朝鮮米や台湾米輸入できてなくても、古米あっただろ。
ソビエトロシアの時代ウォッカは高価で、農村部はサマゴン(密造酒)を作ってたけど都市部は工業用エチルアルコール(メチルではない)飲んでた、それと同じだよ。
なぜ都会の人が急行に乗って農村へ行って買い出ししなければいけなかったのか、よーく考えてみよう。
馬鹿じゃね
当時の回顧録とか見れば皇族が特に贅沢してた訳じゃないと判るのに
こういうのは物流の能力低下で地域差が激しくなったから起こること
別にマズかったわけではなく、ひたすら毎日イモばかり食ったので飽きて嫌いになったようだ。
だから芋を見ると辟易するんですよwwwwww
またカルトッフェルか……と。
軍隊でも戦地へは行かずに安全な後方勤務だけだったとか
だから親戚多いけど戦死とか戦傷の話が一切無い
戦後も進駐軍に上手く取り入る事にも成功してる
そらあ生産地には余っていたな
芋が主食になった国は食料事情が悪いor悪かった国なんやで。
特にドイツ。
家族も戦争にも満州にも行ってないしな
>>14
小麦食って子供がⅠ型になるか、米食ってⅡ型みなるかのちがいでしかない。
インターネットって広いようで狭いからいつも見てる所の層に染まるのよ
都会の人達は食糧無いからお米を持ってた農家に物々交換でお米を分けに貰いに行ってたそうだ。
すると農家の連中はいい気になってかなり意地悪だったって。
最近亡くなった親類が最期まで農家大嫌いだったよ。だから農家がお米余りとかで困る様になったら凄く喜んでた。
「百姓ざまあ」って。
それほど当時の農家の態度は横柄で悪かったってことだよ。
兄弟姉妹が沢山いても米食ってたらしいで
同級生の弁当なんか見てても米やったらしいで
漁師町やったからかな~?
>>30
蛍の墓は、高畑みたいな机上の空論で遊ぶパヨクお花畑映画だから、
設定が突っ込み処だらけじゃないか。
ただ、もう片方の親は大根飯とかとうきび飯を食っていたって聞いた
美味しいご飯に大根やとうきびが入っているわけではなくて、食うのが嫌になるくらいボソボソしたクソまずい飯だったそうな
また、サツマイモばかり食わされたので、今でもサツマイモは大嫌いで食べないという人も見た
みんな農家の生まれ育ちだ
1は家や地域によっていろいろ違いがあるという当たり前のことも理解できない程頭が悪いのかもしれん
出汁がきいてればすいとんもまずかないが、たまに食べるならともかく米がなくて強いられるのはやはり嫌だと思うわ
今の戦争は経済が疲弊する前に決着付ける必要があるから
確実に勝てる短期決戦かポーズだけの小競り合いしか無いけどね
今みたいなホクホクしたさつまいもじゃないぞ…
そいつが頑固だとほんとに会話がメンドクサイ…
あ、うちの身内にいるんだなw
戦争で苦労した嫌なイメージと結びつける人はまあ嫌いなんだろ
子供ながらに辟易したいうてたわw マジで芋だけなんやと。それはキツイわ
魚は父親だけだったとか
戦後の話な
米を食えたのなら隠匿していたに違いない。
ベトナム飢饉を連想させる書き込みはパヨクの証拠!
じゃあ今は都会人が横柄な時代だってことだな
膿家とか言って馬鹿にしてるし
そりゃ好きな物をだったらだろ
カレーが好きな人が毎日カレーでもいいよ的な
それでも実際毎日だったら飽きそうだが…
うまくもない 好きでもない物を毎日だったらそりゃキツイでしょうな
毎日にんじん食べてみな 分かるんじゃねえの
まず芋が違う。
でんぷん質を採るための芋→基本的に味がないので飽きない
サツマイモ→甘味があるため飽きる
ジャガイモ→甘味がないので連食できる
化学調味料も(もちろん出汁がとれる食材全て)使えないので、塩や醤油のみで単純な味付けなら飽きるよな。
さらに収穫量のみ重視で味は二の次の農作物なんて食えたものじゃない。
そもそも山間部などの田舎の日本人はコメなんか食べられず粟稗麦ソバ雑穀生活だったが
戦争中に無差別配給されたんで大喜びで麓の町までコメを取りに行ったとか
日本全国廿浦浦に米食が普及したのは戦争中の阿呆役人の無計画無分別な配給制度の為らしいw
まあ、そもそも当時はGDPやGNPなどの国力統計自体アメリカでも研究段階なんで
自国の経済生産能力とかどこの国もサッパリ解らん状態だった
ソ連が日本に機雷捲いたとは初耳だな。
まあ、あの国は機雷大好きで、ロシア時代には日本の戦艦2隻沈めているけれど。
記者が農村のばあちゃんにマッカーサーのこと聞いたら、「陛下はずいぶんと優秀な方をお雇いになったそうで」なんて答えたこともあるとかなんとか。
流通の大事さがよく分かるだけっていう
結構農地とか有るけどさすがにそこまで低いとは思わなかった。人が多すぎるんだろうな。
嘘つくなチヨン
別に輸入が止まらなくてもちょっとした()災害でインフラ止まれば都市部は大変なことになるでよ
だからこそ道路網や鉄道網の拡充に戦後日本は費やしてきたわけで
爆撃で日本全国の都市部が壊滅しようと新型爆弾落とされようと戦争継続を貫いてきた日本が
戦争降伏を決定したのは首都圏で初の餓死者が出たことが主因なんやで
お仕事かも知らんが、いい加減にしろ
主食が芋だけでも筋肉隆々になるんだな。
サツマイモも含め今みたいな上等な野菜じゃなくて屑野菜だったろうし
それまで農家が「どん百姓」とどれだけ都会人に馬鹿にされてきたかを思えばなあ
自分たちの態度は無視して相手の落度だけを責めるのはみっともないよね
高齢の方ですか?
>戦争降伏を決定したのは首都圏で初の餓死者が出たことが主因なんやで
そんな記録はないぞ
主因はソ連参戦だ
あれで完全に和平の道が絶たれて無条件降伏やむなしになったんだよ
(これまでの経緯が経緯なのにソ連が仲介してくれると思ってた愚かさは置いておく)
シーレーンは死んでるけど、なぜか朝鮮半島からの強制徴用者は何万人も無事にたどり着けてるんだよなぁ
不思議だね
農家だからコメは有ったが肉も魚も無かったと。イナゴとタニシがタンパク源だった言うてたな
満州に派兵されてた爺様が、出征前より太って帰ってきて、イイもん食ってたんだよ・・と。
なお、インパールに派兵された大叔父は・・・もちろん帰ってこなかったが、爺様が生きてる間は毎日欠かさず線香上げてたな。
ただ、一度として戦争中を語った事は無かった。
親父もそのままにしてる
俺も継いだらそのままかな
そりゃ、金に換えてしまえば価値が目減りするんだから、モノを持ってるヤツが強いわな。
デフレ時の買い渋りとは逆の現象だ。
ちなみに、小泉政権は平成の政権では唯一金融・経済を理解していた。
モノ余りが原因でデフレが発生してるのだから、それを深刻化させる消費税増税凍結を明言し、インフレ誘導政策を取ったため、空洞化させて技術移転をさせようとしていた親中派からは、未だに目の敵にされ続けている。
湧別機雷事故の国籍不明機雷もソ連製(日ソ中立条約?何それ美味しいの?)と言われているくらい、オホーツク海を中心にたっぷり敷設してた。
尚、朝鮮戦争でも北朝鮮にたっぷり(四千個以上)の機雷を日本海に敷設させてる。
戦後ウチの田舎に食料調達に来た横浜の人があまりに気の毒で、後日少ない食い扶持の中から気前よく送ってやったが、
確かに受け取ってるのに礼一つ帰って来なかったと、死んだ農家の家主さんの嫁(母)が怒ってたのを思い出した。
ちゃんと量は喰えてたってことだからな
「戦争は贅沢できないからヤダ!」って言ってるのと変わらないぜ
ばかばかしい
農家に食料を分けてもらいに遠くまで買い出ししていた。
・・・と両親からは聞いたことがあった。
後は闇市でぼったくられるくらいか・・・。
だから芋を混ぜるのは配給後の一時だけ。
ゆーて若い男は徴兵されて、馬は軍馬でとられるし、農耕機械類は燃料不足で動かせないから生産力は減っとる。
で、戦争を知らない世代の作家や漫画家、映画監督が、想像で追加してって 今に至る って感じかな
親父は大根が嫌いになってたわ。
見てかなり高い値段で売りつけたり、体を要求したり、物々交換で高価品を要求したりする農家も多くいたから
都会民でも関西の場合は親戚が奈良ゆ和歌山などに疎開する者が多かったようだが、そういうのが居ない特に
田舎を捨てて出てきた都民は大変だったらしい
じゃあ、牛肉ステーキで我慢する
焼き芋もトースターで焼けるし、冷凍ポテトもトースターで焼けるし、どハマりなんだけど。
シャバシャバのお粥に大根の葉っぱ、さつまいもはあれば良いほうだったって
うちのじいちゃんと同じだ
んなバカな、何にもない村でも機銃掃射受けて死人出ているのに、農村が平和って。
本当の山奥ならわかるけど、空襲を受けた地域を調べてみろ、大都市以外も受けてるから。
小作は貧しい米は換金のため食えない
農家には食糧はあったのは間違いない。
初期のサザエさんでも、リュック背負って農村部に行って買い出しに行ったりしている。基本、物々交換だから、反物や着物を持って米野菜等と交換する。
闇市で流したりもあるので、たまに列車内で手入れがあったり、なんちゃら進駐軍が強奪したりもあったので、年配の方はかなりなんちゃら進駐軍だった連中を毛嫌いしているな。
今でも農家は普通に売るぐらいの米は持っているから、伝さえあれば美味しい米を売って貰える。
まあ、全部の農家がそうだった訳でもないし、米は売り物と普通に自分達は芋食ったりもしている。
まあ、食い物で苦労していたのは都市部と金や交換物資がない焼け出された人、行き場のない帰還兵、よそ者扱いされていた疎開の人。
生産力が下がったのは事実だが、当時は農業機械の普及率は低くて人力か牛馬耕作が普通だった。農業用の馬を根こそぎ持って行かれたように吹聴されるが、最低一頭は残されたし、生産牧場は生産に関与しない雄馬だけが徴用されている。昔勤めた牧場の爺様が錆びついた馬用の耕作機というか馬車を見ながら話しておったわ。
で、当時の日本は第一次産業の人口や経済的割合がまだ二,三次よりも多かった=日本人の大半が農家となるので「農家でない」事例が少数派・・・とまでは行かないが多数例と言うわけでもない。
実際に日本では都市部でも戦争の末期のさらに末期まで飢えていなし、餓死者が出たのは戦後の一時期のみ・・・。
ちなみにイギリスは開戦時のはじめごろから配給で戦後になってもなぜかその項目が増えていったとか言うで、ネタになるくらいスパム(アメリカからもらった肉の缶詰)をくっていた有様。
コメ欄見てもどっちもどっちの話でしかないな
最前線・・・と言うか餓死が問題となった地域の場合は
・制海権制空権を持っていかれた+潜水艦の妨害
・食料が自給または徴用(略奪や窃盗ではない)できるほど広い地域ではない=小さい島々だった
なので食糧輸送が出来なかった、だけのお話。
なので、それらが解決されている大陸方面ではインパールのような例外を除けばちゃんと補給なり自活は出来ている。
当時の人しか真実は分からない
ベルリンの戦いがありソ連に占領された地区と比較したら、日本はマシだべ?
存在していたという事実。
戦争中が一番豊かだったらしい。
町の金持ちが金品もって食糧買いにきて何でもあったらしい。
昭和30年代の初期の生まれだけど親は戦争を体験してるからね。
金持ちや軍隊でも上層部はいい物を食べてたようだが・・・
まさにこれ。
物流破壊、あと、空襲被害救済・復旧の遅れか。
東日本大震災の時も、農家の人らは家屋敷に被害無ければ普通にメシ食えてたけど、都市部で避難所に避難したなんのツテもない人らは金はあってもメシが来ないから腹減った腹減った言ってたよ。
昭和帝の秘書官みたいなことしていた人いわく「皇室の方の食生活は世間の小金もちのほうがいいもの食べている、と思えるくらい質素。正直、政府高官や金持ちは少しは見習え、と言いたいくらいでした・・・」
とのこと
大体、買占めって高く売るから買占めるのであって、売り先無ければどうしようない。
皇族や華族の人らはツテも多いから一般の人よりはマシだけど、それでも苦労は普通にしてる。
戦後混乱期と今じゃ全然違う。
当時、都会に住んでいた人間は田舎の農民を馬鹿にしていたからなんとも思わなかったそうだ
若い娘はオメコと物々交換が珍しい事では無かったって話していたよ
前線の場合は船がなかったという方がより大きい
そんなんなったら農家なんてヒャッハーに略奪され尽くすと思う
戦前の話じゃ無いの?
中 韓 鮮 台の寄生生物が、日本中で大増殖して大繁殖しながらやりたい放題あらゆる凶悪犯罪に手を染めてたのは前後から今現在までの話だよ。
今現在でも延々と続く寄生(帰化)生物の存在へ、絶対に正当な報いを加えなければならない。
対日 在〇 帰化 (日本国籍に寄生済みで、日本名で潜伏中)とあらゆる形で日本を侵略、侵食しながら増殖し続けてる中 韓 鮮 台のおぞましい血筋、特定外来生物は潜伏(帰化)済みのバイ菌まで炙り出して報復、駆除、強制送還しよう。
うちのじいちゃんが人に好かれる性格をしていて上官のお供としてよく宴会とかに連れて行ってもらい、「残った料理は食べていいよ」と言われてうまい文ばかり食っていたとか・・・。
米兵の吸殻入り食べ残し雑炊買って食べてたのは有名だね
前戦この将兵にすら?
そこへ届けるのが一番難しいんだが?
イラク戦争の時の米軍ですらてこずってただろう?
どこと比較してんだよw
そりゃあ農家は売らなくても困らんもの
買う人はひっきりなしに来るし
お前らの特定外来生物が日本に寄生してくる前の祖国とは、遺伝子レベルで上から下まで民族性が違ったんだよ。
戦争前は豊作で都市に買いたたかれてクッソ貧乏だったと聞いた
サラリーマン階級へのその恨みを戦争末期に晴らした話とセットで何度もw
それでもWW2のドイツはヒトラーが必死で食料をあき集めて配ったお陰でドイツ国民”は”戦争末期まで飢えなかった。
なお、WW1のドイツでは国民が6桁クラスで餓死しようとも平気で戦争を続けていた・・・。
それ敗因が「社会主義者だかユダヤ人による背後の一突きだからだ!」と言われて納得するドイツ国民も相当あれですが・・・。
何か、航空燃料の生産用にイソブタンだかイソオクタンだかを量産するために生産した芋が、敗戦で不要になって民間に大量に出回ったからいっぱい食べられてたらしい
燃料用の芋だから、味の方は当然よろしくない
何か、戦後の食糧難て、輸入が止まった事に加えて1945年が凶作だったとか、いろいろ重なって起こったものっぽいね
それを象徴する出来事として、燃料用に作られた不味い芋の記憶が当時の人の印象に残ったんだろうね
戦中は配給制は一応回ってたみたい。もちろん、後半になると通商破壊で輸入が止まって、米の配給量は少なくなったみたいだけど
何か、戦前の食料自給率って、我々がイメージするほど高くはなかったらしい。少なからずを輸入に頼っていたみたい
サツマイモ飯は程度の問題で、芋が2割ぐらいなら美味しい。
芋が半分を超えるとつらくなるという感じはあると思う。
サツマイモは水分がないというかたくさん食べられない。
芋けんぴなら美味しいと思うけど。
そうかもしれないが頑張って育てた米をそれなりに提出出来たから
家探しまではしなかったんだなーと感心した。
節米運動は移入元だった半島で干ばつが発生した日中戦争のころから始まってんだよね
戦時~終戦辺りで農家が景気良かったんだろうね。
農地解放もあるだろうけど。
うちの知り合いは、それでも米は売る為に、家族は芋ご飯で、米飯は食べれなかったと言ってたな。
子供の頃はオヤツは芋だけで、肉を食べたければ、子供らでトリモチで野鳥捕まえて焼いて食べてたと。海沿い農家なら、魚釣りしてたんだろうけどね。
昔の『こち亀』で駄菓子屋にトリモチ売ってた描写があるけど、その頃の名残だろうよ。もう駄菓子屋もないけど。
漁業者なら、大抵部落の近くに、小さい畑ぐらいは持ってるから、農業専業よりマシな食生活してたでしょ。
もしこんな「昔は食糧難だった」とかほざく老害がいたら、そんな時代錯誤な糞に「さっさと高脂血症だの2型糖尿病だのでさっさとタヒね。」というべきだろう。
そりゃ今のはうまいさ
昔のさつまいもなんて筋が多くて食べれないと思うぞ
品種改良もあるだろうが質より量の時代だったし
戦後の学校は給食が普及するまで貧乏な子は昼休み時間消えるからな
子供に弁当(ふかし芋など)もたせる家はまだマシなぐらいだし
水で腹を膨らしてひもじさをごましてたとか聞くし
自分と派閥の権益を守るため都合のいい脚気対策委員会・・・見たいのを立ち上げた選んだ部下があっさり造反(と言うか正しい結果報告)したのでクビ。
ちなみにその部下はその研究を元に脚気対策の薬とその特許を取得してそれなり大もうけし、薬自体も戦後の少し前まで使用されていた・・・・・・と言うのを当時の日本医療界で延々とやっていたのが本名:森林太郎さん。
ちなみに新千円札の人がノーベル賞取れなかった理由が人種差別・・・ではなく、林太郎さんが自分の派閥の人間の研究発表に駄目だしした逆恨みで徹底して邪魔したから・・・とも言われている。
ちなみに駄目だしされた人といえば、別に気にも留めていないどころか彼自身も新鮮縁札の人の駄目ところは駄目だしはしているし、私的にもり親交が続いている
・・・と言うか留学時代に「親だろうが恩師だろうが間違っていることは間違いと言うべき」と言うのがモットーの教授を紹介したのが当人なのでいってくれないと紹介した甲斐がない、とのことだった。
まぁ、林太郎さんの方でも自覚はあったようで遺言で「公人としての追悼はしないでくれ 」といっていたとか
食糧難になったのは1944年中頃からで物資統制のための配給制やってただけで食料事情の悪化がひどくなったのは1年ぐらいしかないけど
悲惨な面は強調されるからそうなる
飢え死にするほどではなかったが何時不足するかわからんので
カボチャやサツマイモでかさ増ししていたと聞いた記憶がある
肉や卵は貴重だったようだが鶏も十数羽飼っていたらしく
鶏盗まれないよう注意していた
婆さんは、防空頭巾持って逃げまわったり、疎開したし、戦後も闇市に米買いに行って、憲兵に見つかりそうになって、窓から捨てたりしたって。
東北はつい最近まで「試される大地」れべるだった。
理由は予算不足と当時の農業技術では手の施しようがなかったため・・・と言うかそんなところで米作るなと・・・。
農家が全部米農家って訳ないし、
百姓は、米以外も作る、だから百姓。
普通に畑作農家なら、米買わなきゃ食えない。
田んぼ持ってないんだから。
↑
ウソウソ!ww
バッバは余所者にやる飯はねえ!って、いわれていつも飢えてたってよ…だからバッバは農家と田舎が大嫌いだったよ…
都会は知らないけどじいちゃんが住んでたとこは配給員さんがいつも規定よりちょっと多目にくれてたんだと
老後の楽しみか?
受益者が働く農場があって収監者の食いもんはそこで生産するんだが、戦時中もたらふく食べた上に割り当ての「15倍」も供出して関係者を驚かせてた。戦時中はまぎれもなく日本における「幸福な場所」のひとつだった。
すいとんが薄いとかなら分からんでもないが。
毎年秋になるとサツマイモを貰うんで良く炊き込みご飯にしたりもする。簡単だし結構ウマいぞ。
味の不自由なところに行くことも有る。だが「栄養があるなら食う」を心掛けていればどうとでもなる。
ガチで体作りをしているときは鶏の胸肉とシンプルな野菜炒め、プロテインの日々が続く。でも慣れる。
穀物が充分とれていれば不満はあってもまず死なない。
それにしても数週間ぶりに日本に戻って食う米の美味いこと美味いこと。
大根飯は一時で食べられたのは東日本が中心
温暖な西日本では、空いた土地で土を選ばず作れ、保存のきくサツマイモが、家庭にとっても家計を助けてくれて、戦後も経済成長が始まるまで続いたらしい
これは生き証人がまだ多いので、「食料難は無かったって」言う馬鹿タレは戦争による被害の少なかった東日本の北陸の出身者に多い
不思議な理屈だよな
それなら米を主食に食えば嫌いになるはずなのに
余程不味かったんだろう。
俺の爺さんは爺さんの姉の作ったすいとんカレーがトラウマになるくらい激マズで、それ以来カレーが嫌いになったという。
だから地域によるんだってば・・・・・・流通機構の変化を考慮しない人が多すぎ。
今そう言う話じゃないって分からないかな
俺んちは田舎だが普通に兵隊さんが米かっさらってったって言ってたぞ。
兵隊さんに反発した地元民が兵隊にとられるよりかはマシだっつって米びつをまるごと川原に流したってさ。
66だけど、ジジババなんて呼ばれたくない。
「飽きるほど芋」じゃなかったにしてもそれなりに食卓にはあったはず
貧乏だろうがなんだろうが、
日本とタイ以外の有色人種はほぼすべて白人の奴隷だった時代、
日本だけが白人と戦争できるほど大艦隊を持ってたんだから、
白人側につくんじゃなく、有色人種側について、
戦わなければならない。当たり前。
大人になったら清太クズじゃんに変わったなー
本当ならばだが、一概に言っちゃうところは今と変わらない
都会の人間=指導者層ってわけでもないんだが、何かによってそこら辺の判別がつかないんだろう
ほかの作物分も考えると結構食料はあったのかもしれない
この話題に戻るが、共産主義国家並みの厳格な生産徴収配給制度ができれば、食糧安全保障ってのは結構なんとかなるのかもしれないな
エネルギー安全保障となるとそうはいかないんだろう
芋が十分あるからいやになる。当時は食べ物自体少ない。戦後はもっと少なくなった。冷蔵庫の無い時代で食品自体みすぼらしかった。芋が毎日食えれば幸せ。子供のころ空き地、土手にのびるを取りに行った。あつめて家で酢味噌で煮た。食うものが無かった。
お前は何を食っても、今後どれだけ生き続けても無意味だから、明日から一生かすみだけ食って行けよ。
生産地である農村はふつうに食ってたり、場合によっては都会に売る分の出荷が滞ってるから普段よりたくさん食ってたところまである
絶対的な物不足ではないとすれば現代でも物流破壊するような事態があれば大消費地に暮らす人は似たようなことになるのかも
鉄道と海運と人力だった当時に比べれば速くて柔軟で頑丈な自動車輸送時代だからある程度マシかもしれんが
そういう供出鉄は実際にはあんまり使われなかったらしいぞ
素材の問題もあるし、総量も大したことないから
食糧難で途中で抜かれた可能性もある。食料は重さで分かるから。また米は検査の対象になる。闇販売は禁止されていた時代。家にも闇屋が食糧を売りによく来た。多分検査にかかったのだろう。鉄道でも検査を受ける。実際の攻防を見たから。
東京市位なら、利根川流域の水田だけで賄えてる。
倉庫に米は、積まれていた。
倉庫から先が、一度、異世界経由しなければならなかっただけ。
※44
ふだんから農家を馬鹿にしてきたのが、都市住民。
因果応報だろ。
ジャガイモとサツマイモを同列に扱うのは、どうかと思うぞ。
ジャガイモ嫌いが居ない、不思議さよ。
蛇を捕まえて食べたり、カエルも食べたそうだ。
なおその裁判官は自分が公務員だから食べないと決めただけで自身の家族には生き残らせるためにヤミ米食べさせた人や
うちの親父も芋嫌いになったって
ちなみに昭和9年生まれ、田んぼもあった
原爆が主因だよ。
原爆で京都焼き払われるのは、先祖に申し訳無いと、いってる。
ソ連の対日参戦は、7月には日本側も覚悟決めてる。
そして、関東軍参謀の竹田宮を本国に召還し、交代で、瀬島龍三が満州に飛ばされた。
米は、朝鮮・台湾産が、四割占めるんだし。
確かに、これはあるな
※173
脚気細菌説は、帝大医学部の統一意見だから、陸軍内で有力派閥に所属してない林太郎くんでは、仕方ない。
昭和30年代まで九州の山村では畑で米作ってたんだぞ、、、
焼米っていう精米方法が麦と同じやり方でな、、、
米と田んぼはイコールじゃないんだよなぁ、、、
一般国民「ひもじいょ……」
昭和王「案ずるな!チンは鱈腹食うておる!(銀シャリバクバクー!)一億総懺悔じゃ!www」
ただ植えただけなら、当時に近いのが再現できる…
あれじゃ嫌いになって当たり前だよ…
実際に、後方では輸送できない武器弾薬がかなりタブついてたからなぁ、、
昭和末期に自衛隊に任期制でいたけど「お前、縄の作り方も知らんのかw都会人か?ww」と言われたわ…身体用偽装網も縄にして携帯する。
藁から縄を作るのもたまにあったな。当時の自衛官は今よりサバイバル能力高いかもな…
逆でしょ。流通はあるんだから都民は高い金だして買うから食料は都市部に集中して、
自分たちの分を確保している地方の農家以外が食糧不足になるだろ。
農家だってより高く買ってくれるところに売る。
若い時は芋を見るのもウンザリだったが、芋しか出ないので食わないと死ぬから仕方なく食ったと言ってる。
テレビ世代もそうだよ。昔、親に「いくら働いてなくても、お前よりは私は世の中がわかってるし物知りだ!一日中テレビ見てるからね!」とか言ってたな…
米を食うと馬鹿になるってデマを学者が本気で流すくらいだしな。
葉自体を切り取って売ってるからね…食べられるのに…
戦中より戦後の食糧難の方が酷かったようだ。
当時は遠慮してあまり口外はしなかったらしいが
戦局が悪化した頃には米を輸送するトラックも鉄道もなかなか来なくなって
戦中戦後も米には困った事が無かったそうだ
都会の食料事情は少しだが聞こえて来たそうだが、運ぶ手段が無かったとか。
庭に畑があって自分で栽培して食べてたから飢えはしなかったけど食べたいものは食べれなかったってさ
じいちゃん、ばあちゃん家でおにぎりは塩たっぷり(辛い)、卵焼きは砂糖入り(甘い)という飯を出されたことあるなら戦後貧しい時期を体験した人だと思われる
供出された米を外国に売って戦費の足しにしたらしい。
あと、サツマイモは今と品種が違い農林一号とかいって、甘みも無くボソボソしていて吐き出したくなるくらい不味かったのに、さらに不味いツルまで食っていたとも言ってた。
まだ言ってるのw
まあ、王なんて言ってるからあっちの人なんだろうけど
共産党のおじいちゃんw
石炭も茨城と何とかトンネル生きてる九州頼みで北海道からは機雷封鎖で入ってこないし。
普通は「農家以外は米が食えない/食い難い」ってなるんだが
このイッチはアホなのかな
米が食えるようになったのは6才以上になった頃からかな。
その前は里芋、押し麦、トウモロコシ(今のスイートコーンとは別物)を食べてました。
1日2食です。
>>共産主義国家並みの厳格な生産徴収配給制度ができれば
共産主義国家になれば働いても働かなくても同じだから怠ける
上に忖度してノルマだけはこなした風に報告する
毛沢東は忖度された報告を信じて農産物が沢山あると思い
翌年農民を工場に駆り出し農家を休ませたらたちまち夏には
餓死者が出始め約4000万人も餓死したという
>>なぜか朝鮮半島からの強制徴用者は何万人も無事にたどり着けてるんだよなぁ
それはウソだね 半島からの強制徴用は254人くらいだった筈
当時は半島も日本で 日本国籍だった者が都合で日本国の工場で働くのは
当たり前だ 強制なんかに当たらない
終戦時は人災による大凶作年だったから。
農家の主力である成人男子は徴兵にとられ、燃料肥料もなし、農具も鉄がないから修理もできず。
終戦の理由のひとつがこのままだと餓死者が大量にでることだった。
人災+天災だぞ。地震で東海地方全滅に北日本が冷夏で全滅で西日本が台風×2で全滅
飢餓の本番は戦後な。
「火垂るの墓」でも死んだのは戦後だろ?
あのな、陸稲位、誰でも知ってるわ、アホ。
其れが主流かって話しだろ。
田んぼみたいに、陸稲が毎年とれるか?
連作障害って知ってるか?
台湾や朝鮮などから大量に輸入していた。
それが途切れたら、農家の一部以外は雑穀など混ぜた粥を食うしかない。
農家に米を買いに行くというシーンはよく出てくるのだが
戦前も平和な時代は普通に農家を馬鹿にしてたから農家が食糧難につけこんだのは意趣返しの面もある
今はネットが普及してトンキンとか言ってるから罵りあいはお互い様になってるんじゃね
いまの芋は美味しいと後期高齢者過ぎてるおじはパクパク食べてるよ
大根飯嫌いの爺婆とかも今の食べたら多分うまいって食ってくれると思うけどなぁ
悲惨な記憶って悲惨であるべき時代とはだいたいずれてる年代のだよな
更に言えばあの兄妹が餓死したのは兄がバカだったからで、食料自体はそこそこあった
盗んでこられる程度には
サツマイモやカボチャばかり食べてたせいで飽いてしまって
いまだにサツマイモやカボチャを食べようとしない
おかんは沿岸部だけどやっぱり米はない
というか灌漑の進んでない土地でそもそも米作が盛んでない(当時は)
落花生ばっかりゆでて食べてたらしいけど
いまだに落花生大好き
狭い日本でも土地柄や食べれる作物が違うし、体質(好み)や世代の違いなんかも影響して、印象が変わってくるのかなぁと思う
終戦時の混乱も、物流統制や凶作の問題に加えて、価値観の急激な変化なんかも、その価値観の変化を受け入れるかどうかで、印象が違ってくるのかなぁと思う
おやじの方のじいさんは終戦間近に赤紙来たんで内地で終戦迎えているから、終戦直後から家に帰ってるんで、おやじから戦後の苦労話はあまり聞かないけど(小作農だったじいさんが今の田畑をどうやって手に入れたかは想像するしかない)
おかんの方のじいさんは戦死してて、ばあさんが女手一つで育てあげた
おかんも土地の顔役なのかやくざ者なのかわからないけど、赤の他人のつてで就職して、おやじとの縁を仲人してもらってて
実の兄弟以上に、その恩人のことを、故人となっても気にかけている
それぞれの人生なんで、それぞれの受け取り方があるんじゃないかと思うから、おやじが、もう赤字しか出ないのに、兄弟の腹を満たした田畑を続けたいというなら助けたいし、おかんが恩人が枕元に立ったというなら、恩人の子供や孫の息災を訪ねに行きたい
なんというか、こうひとくくりにまとめるには、今となっては遅すぎるような気がする
そういう国は芋くらいしか育たなかったんだョ
足りないのは都会や
近所の漁師が闇で別の場所に魚を運んでるのがばれてしょっ引かれてたとか言ってたな
漁師の家でも自由に魚を食えんかったらしい
うちもそれ言ってた。でかい芋は見るのも嫌になったって
今は焼き芋大好きだけどな
御多分に漏れずサツマイモ嫌い。
祖父は工場やってたんで、戦後、軍の放出品加工して弁当箱とか日用品作って売ってたんだが、中に詰めるコメが無くて弁当箱だけは売れなかったって笑ってた。
昔は稲作の効率が悪かったんだよ。
流通も悪いから一部に米が滞ったりして。
でも、自然は今より豊かだから、魚は取れるし、農村では作物も作れただろうね。
やっぱり流通の問題で。
とか書かれたメモ用紙見つけた
勝手に育つ芋と違い、台風でも見回りするほど、稲作は手間がかかる。
日本の国土は山が8割、平地2割で、年と農地は隣接している
本土空襲4~8月により、
農家でも電波谷手入れができなかったため、戦後の食料がほぼ壊滅した。
稲作の効率は良くなっている。
台湾での蓬莱米やハワイの砂糖栽培での品種改良が優先され、
寒冷地方でも、米が取れるようになった。「おしん」が大人になった頃ね
単純に、手のかかる稲作が、本土空襲で出来なかっただけの話。
一度、荒れ果てた田畑水路を、元に戻すのには数年かかり、
1950年頃は農家だけは安定し、農家が富裕層へ、
農家以外が食料のために、高価な着物や骨董品と食料を交換。
農家の利権を守るために、農地売買規制とか、一部の農協など、いまでも弊害がある。
そりゃそうだ、戦中に農家やってて「食うに困った」って言う話を聞いたことがない。 当たり前だ。
食うに困ってるのは「そうじゃない人たち」の話だからな。 そっちの数のほうがはるかに多かった。
1945年67 10a 当たりの収量208kg
1993年74 10a 当たり収量367kg。平成の米騒動でタイ米輸入。
8月15日の東京をはじめ東日本から西日本は30℃越えで暑かったが、
全体としては冷夏。北陸から北海道は冷夏。北海道の作況指教は42。
秋には西日本で台風被害がおきた。
苦しかったのは終戦直後。配給だけなら栄養失調になってしまうので皆さん農家へ買い出しに行った。むしろそのときの農家の態度に憤りを覚える人が多い。
ただ、それでもうちは食べ物に困ったことは無いと言っていた。
大空襲を受けた町だけが苦しかったのでは?
「スパム(ソーセージの中身の缶詰)は、もう食べ飽きた!」
米軍の爆撃と機雷による海上封鎖のせいで流通網がほぼ完全に死んだからな。
今も農家に対して「膿家」だの「補助金利権がー」だのぬかすアホがたくさんいるし、いざという時にはまた厳しい態度をとられるだろうなw
普段農家をいじめ抜いてきたからだろ。
反省しろ。
オートバイや車を持ってる所は燃料が手に入れば楽だったかもしれないけど当時は結局人力や畜力に頼るしかないんだよね
北海道まで攻め込めなかったソ連がどうやって日本の領海に機雷撒くのさw
あまりいい加減なことを言うなよ。
1%割ってるかと思ってたけど意外だなw
因果関係が逆。
農家を馬鹿にしすぎたからいざとなったら足元を見られるようになった。
おれは~食ってたっておかしいやろ
余った爆弾を途中の寄り道で田んぼに落とされて悔しい思いをしたらしい
大きなすり鉢状に泥が吹き飛ばされて元の状態に戻すのが大変だったらしい
不発弾もあるのに泥水がどんどん入るのでそのまま埋めたというから。。。
畑にいたら空襲でグラマンの戦闘機が操縦手の顔がラグビーボールみたいに見えるほど低空飛行して
何も無い所に機銃掃射して脅かしてきたのが腹が立ったと言ってたよ
石原慎太郎も言ってたな、米軍機が機銃掃射してきたときは背の高い麦畑で幸い隠れれた、芋畑の時は死んだと思ったけど日本機で何も無かったって。
震災とかで避難所が町民分の食料の用意してなかった場合...な感じかな?
それなら災害起こった時に国が補償してくれなかったら~、って考えるほうがリアルだろが
自分たちが普段お世話になってる面も忘れて都会を恨むんだからなぁ
社会から目を背けた引き篭もりが自滅する話なんですが。
読解力なさ過ぎ。
農作物の指導してたらしいけど幸い食うには困らなかったらしい
ちなみに小説版は結果的に見殺しにした下の妹に対して+こういう兄であればよかった・・・と言うせめてもの謝罪と鎮魂の念を作品にしたもの。
で、世間ではなんでか戦争悲哀ものになっている・・・ので原作者曰く「もう、俺の意図した作品じゃねーわ(それでも、違う形で人々にいい影響を与えられる作品を書けたことは嬉しいことである)」といっている。
254人ってのは終戦後に半島に帰らず日本に居残った人間の数で、徴用で日本に来た人数じゃないぞ徴用者自体は万単位だよ、徴用が始まる前から日本で働いていた者が、徴用が始まって徴用者になったとかもあるからな。
実家は土地持ちで配給の仕切り役だった親戚は、毎日白米食べて肥満体形だったらしいが、小作だったり土地が悪くて大したもの作って無い所は大変だったらしい。しかも農作物を軍に供出する必要があったから余計。
だからそういった家は、優先して助けてたって言ってた。
昔のしっとり系の芋の方が好きだった
今はパサパサばっかり
全く見当違いのコメントだな
米軍は、鉄道インフラを徹底的に分断する作戦に出てる、つまり鉄道網の破壊だ
当時は、国道であってもアスファルト舗装されているわけでもなくトラック輸送でまかなえるような高速道路も無く、トラックは、全て軍用であって民間企業が使える訳もなかった、ほぼ唯一の大量輸送網は鉄道だった
農村に食物があっても消費地の都市部へ運ぶ鉄道網が寸断されていては運ぶ事もできないだから都市部では飢餓状態が発生していたんだよ
空襲された都市(地方都市を含む)の上空からの偵察写真(アメリカ軍の公文書)が本になってるが田んぼを空襲なんてしていない、鉄道網を徹底的に空襲している、工廠で兵器を作っても戦場に運べなければ戦力にならないという当たり前の事をやっている、だから実は農村とか漁村には…
尚爆撃自体は思ったほど効果無かった模様。
実際横浜の貨物ヤード(確か旧高島)にニコニコ顔で来た米軍のえらいさんに、「いや、あんま影響なかったですよ?」って言ったら「嘘だ!」って言い返されて、実際見せて「・・・」ってなったエピソードもあったり(そもそもドイツ程日本は鉄道施設攻撃されてない気も)
それより設備更新できず壊れて走れなかったり、石炭足りなくなったりした方が影響大だった(だから電化急いだんだけど)
漫画家の松本零士先生は、野菜嫌いを公言して憚らない。なぜ野菜が嫌いかと言うと、終戦後、復員して来た御尊父が現役時代の技術と経験を生かす事が可能な航空自衛隊に入隊する事を拒み、八百屋を営んだ。しかし、全くと言って良い程に売れず、松本先生曰く『一生分の野菜を食べた』程、売れ残りの野菜を食べる羽目になったのだとか。なお、松本先生の御尊父は、帝国陸軍航空隊の佐官だったとか。
ということは、毎日米(ご飯)を食べてるだろうから、米も大嫌いなんだろうなぁ
いやいや、どこ情報よ
効果なかったらなんで餓死者出たり飢餓状態になったりしてるんだよ
日本政府の公式記録にも一部地域飢餓状態発生しており、物流が滞っていると残ってるぞ(NHK映像の20世紀より)
あのさ、電化してもその電力を発電する為の石炭どうしたんだよ
お前さんの話だろだと石炭無いんだろ?
元鉄道省~国鉄の人の話。今そのサイト残ってるかは不明。一応探してみるけど。
※316
つ水力
いや、国が発電所も整備してたみたいだけど。
ちなみに1946年が一番石炭事情酷くて、急行が休止された要因にもなった。
東京から疎開した爺さんは、芋すら無く収穫後に捨ててある蔓をもらってきたり、野草を取って食べていたとか。
都会(どこ?w)の婆さんは、それほど不自由した記憶はない、と言っていました。
すまん、勘違いしてた。爆撃に使用した地図が正確じゃなかっただった。
あと別に滞ってないってとは言ってないよ?ただ整備不良の影響が大きいって言っただけ。
当時のニュース映画で「立ち上がる輸送」ってのがあって、全く整備されてない状況映ってるから。
当時の時刻表もネットで調べたら一部の路線は出てくるし、それ読んだらww2末期よりさらに減ってるのがわかる。
だから都会になればなるほどひもじい食事になる。
親は小学校まで樺太で生まれたんだけど、ソ連から避難して北海道に戻るまで白米のご飯とお弁当を食べて育ってたらしい。
その地域一帯ではみんなそうだったと
まぁ米食ってた地域があっただけで全部嘘だったんだとか言う奴が頭おかしい
サツマイモは重量あたりの値段がコメより高価いと思うが
戦時中はコメの方が貴重になる理由があったのかな?
調理後の体積あたりだと芋の方が有利になる?
それとも燃料代高騰からくる輸送コスト上昇で米作地帯では芋が高級、
芋を沢山作ってる土地では米が足りない、で地域によって不足物が違うとか?
米とサツマイモを一緒に炊いていた。
相対的な意味で現代ではサツマイモやダイコンの値段がおかしいんだわ。現代の八百屋で売ってる野菜は異常に高品質なんだよ。
虫食い一つ無いとか、すらっとまっすぐとか、葉と葉の間に泥もついてないとかさ。食糧難時代のダイコンさつまいもがそんなはずはないわけで。
質より量で大量生産する場合はコメより色んな意味でなんぼか楽に大量に収穫できる。
都会では持てる物は何でも質屋に入れて食料に変えた、田舎では、今なら雑草と呼ばれる野草を多く食料にしていた、サツマイモは勿論、サツマイモの蔓、ピーマンの葉っぱ、大根の葉等は上等な方だ、米は貴重な現金収入源だし、あっても多くは麦飯だった、子供達の多くは栄養失調ももちろんだ
だが、今でも全世界で十分食料を確保できているのは人口の3分の一だ、他人の噂を信じるのは洗脳だぞ、自分で調べることだ、先祖が必死に生き抜いてきたことも知らないようでは情けなさ過ぎ、先行き暗すぎる
なるほど。逆に言うと見た目にこだわらないだけで
いくらかはカロリーベースの食料自給率の改善が出来そうだなぁ
※326
限られた時期と階層の話を拡大してドヤ語りしてるようにしか見えん
お袋側は祖父母の実家があった千葉の疎開先で毎日普通に食べていたが芋など根菜の混ぜ物はあったと言っていた(雑穀混じりは無かった)
親父側は祖父が夕張で炭鉱事務をしていて金はあったし当時国政で優遇されていた街だから酒、小麦、魚貝などは普通にあったとか(ただし米だけは配給だった)
共通の話しとしてはどちらも空襲はおろか戦争で身内を無くしたとか食べ物で苦労した覚えも無いので同世代の人とは話しも合わず苦労した人には申し訳ないといつも言っている。
食糧事情が一番酷かったのが昭和20年秋からの1年だったが、生産量は配給が欠品無しでできるぐらいはあった。
ただ、米軍の爆撃のせいで運べなかっただけなので、買い出しが成立したわけだ。
なお、買い出しの取り締まりで逃げだした時に捨てて行った食料は、GHQ命令で日本の警察官では取り締まりができなかった元日本人が回収して闇市で販売された食糧の仕入れ元になったそうだ。
そしてそれで手に入れた金を原資に、駅前のパチ等の商売を始めて…。
特に日本は細々とやってた統計が信用できるものではなく、統計が信用できるものだったなら日本は米国に喧嘩を売らなかっただろうと言った旧軍のお偉いさんもいたとか…。
まぁ、末期はぼけて親英米路線内閣を潰した山県元老、統帥権干犯問題を起こした鳩山、日露戦争の悲惨さを知らず上層部の意向を無視して満州事変を起こした統制派(というか一夕会かな)を処分できなかった旧陸軍、統制派に洗脳されて失政を続けた先々帝(敗戦後は二・二六事件の時の御聖断を真に悔いていたようだし、敗戦後に会われた皇道派の真崎元大将の人柄で洗脳されてたことを強く自覚されたようだが)、日本の対場を諸外国に説明せずに上層部の意向を聞かずに勝手に国連脱退を宣言した外務省興亜派(今の外務省もこいつらの末裔が多いな)等、日本が道を誤った原因を造った人物は色々といたのよ。
なにしろ、日露戦争で日本将兵を最も殺した将兵と言われ、公費で留学したドイツで作った愛人を狂い死にさせた経緯を小説にして一儲けした森鴎外だからねぇ。今なら、発達障害か何らかの精神病質の認定を取れる程度には人として問題があったと思うよ。
日露戦争での戦死者にとっては、そんなのが軍医のお偉いさんだったことが不幸の始まりだったわけだが。
特に嫌うのがうなぎで、現代は蒲焼きなのに受け付けないほどトラウマらしい。
サツマイモや大根なんて「作るだけ」なら家庭菜園で簡単にできるもんな。「商品」としては無理だけど。
味覚や嗅覚と記憶が結びつくことはよくある
スパイの白洲次郎たちは田舎で日本が負けるのを待っていればよかったのだ
敗戦の暁には天皇を追放して自分が政権をとろうと思っていた近衛文麿も、田舎で毎晩宴会でした
戦争末期は小作はもとより自作も土地貸しもみんな米なんか食えず麦食ってたんだから。
美味しんぼの京極さん、ああいう山師みたいのが893つかって米相場しきって大儲けだよ。
京極さんなんかのせいで何万何十万っていう飢餓が生まれたんだから。
火逃げと呼ばれて疎開した子供達と引率した教師が地元民に虐められてまともに食い物を
貰えなかった話しはその世代直撃の親に良く聞かされたぞ。
泣きながら元の家に帰りたがっていた同級生が居なくなったあと線路上で死んでいた話しも聞いたよ。
おそらく線路を伝って歩いて帰ろうとしたんだろうな。
まあ地域差もあったんだろうが戦後その地を毛嫌いしていた親はその地へは絶対に行かなかった。
米は売って金にしないと生活できない
食うものだけじゃ生活は出来ない
純粋に銀シャリ食ってるのはそんなにいなかったんじゃね?っておもう
ほんとどうかはしらん
1.ヤミ米が売っている → 農村部での米の集荷がうまく行ってない、にも関わらず都市近郊へは集まってくる
2.鉄道利用して買いに行ける → 移動の自由がある、鉄道輸送が完全には統制されていない、無駄が多い
3.都市では配給が滞っている → にも関わらず餓死者が出ない程度には民間の自由流通が存在している
日本がやってた国家総力戦なんてこんなもの
そもそもの統計が杜撰で管理出来ない行政と一定数従わない民間と利権は絶対に手放さない官僚機構
今でも葉っぱ付きの大根を買った場合は普通に炒め物や漬け物にして食っているぞ。
ニンジンの葉っぱも付いていれば炒め物かチャーハンの具材だよ。
戦時中「サツマイモまっず!」
青木さんも泣いとるよ
基本トトロをイメージすれば、あんな感じだったそう
ただ流通がダメだったんで
都市部の人が来たって爺さんが言ってたね
タダであげても良かったけれど、それをすると人が卑しくなるから
何でもよいから交換にしてたと言ってたよ
一般人はイモのツルや硬くてクソ不味い麦食わされてたんだ
麦でさえ高価だから家中の高価な正絹の着物を
何十枚も農家に山越えして持ってったけど
玉子をやっと10個ほどとしか交換してくれなかったと
曾ばあちゃんは生涯農家をドン百姓と蔑み恨んで死んで行ったわ
子供だったうちの大叔母なんて
カルシウム不足だったらしく
ある日婆ちゃんが気づくと家の壁舐めてたんだと
カルシウム不足の身体が壁に含まれるカルシウムを子供ながらに生理的欲求で欲してたんだな
そんな子供を見て母親としてどんな気持ちになるかわかるか?
戦争なんて所詮庶民が犠牲になるだけ
欲しがりません、勝つまでは
というスローガンに洗脳され
そんな惨めな時代を庶民は必死で耐えてたんだ
ご先祖さま居たらぶんなぐられるな、その爺さん
昭和王?
どこの国に歴史方?
銀シャリって、おじいちゃん、早く金正日のとこら行けや、
米あっても塩ないだろう?農家なんて、
塩必要不可欠
たぶんソビエト方が送ってくれたんだだろう、適当
特高警察いたら連行されるな?そのばあさん、
カロリーメイト?
戦時中?大塚製薬の?
震災ならともかく、
ばあちゃんが言ってた
米にイモ混ぜてじゃなくてほとんどイモで米がゴマのように混ざってるだけだったってw
ちな東京な