日記5を書いた際に「田房永子さんの『どぶろっくと痴漢の関係』を良かったら読んでください」というコメントを頂いた。
実は以前一度読んだことはあるんだけど、あまり記憶に残っていなかった。
正直、記憶に残っていない時点で(良いと思ったものは、わりとしつこく覚えてるほうなので)僕にとってあまりピンと来なかったんだろうな、と思いながらも、コメントしてくださった方がとても親切な方のように思えたし、なんとなく読んでみたくなったので再読してみた。
こちら。
著者の田房永子さんは1978年生まれ(ということは41歳くらいかな?)の漫画家・ライターさんらしい。
小学生の頃から痴漢にあい、中2頃からは頻繁に痴漢にあうようになったらしい。
その他にも、ずっと隣を歩かれたり、いきなりカメラで写真をとられたり、自転車のかごに卑猥な手紙をいれられたり...
想像しただけで気分が悪いというか、もう加害者が気持ち悪すぎて最低過ぎて、田房さんにかける言葉も見つからない。
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記事を読んだ感想としては、正直、どぶろっくと痴漢との間に、あまり関連性が見いだせないというか、僕にはよくわからなかった。
「どぶろっくのネタで笑うことは、女性に対しての侮辱に対して社会全体が鈍感であることを示している」とおっしゃっているが、僕はそうは思わない。
女性に対しての侮辱に社会全体が鈍感である、という主張には同意するが...
「どぶろっくのネタで笑うことと、女性に対しての侮辱に対して社会全体が鈍感であることには特に関連性が無い」というのが僕の正直な感想だ。
「自分はどうしてあんなにたくさん痴漢にあわなければならなかったのか考えていきたい」という言葉でこの文章は終わっているのだが、痴漢が発生する原因、加害者の心理とかは既に結構明らかになっていると思う。
少し前にこの本を読んだ。
著書は精神保健福祉士で、東京にある「大森榎本クリニック」という病院で性犯罪者やアルコール、薬物、ギャンブル依存症の人達の治療を行っているらしい。
興味深い文章を少しだけ引用させて頂く。
78P「自暴自棄になった時に、自分より弱い存在を支配したり、押さえつけたりすることで自分を取り戻すーそれを行動化したのがDV加害であり、痴漢行為なのです」
80P「男性の支配欲がすべての性犯罪の基盤になっている」
「私は、すべての男性の内面に『加害者性』が潜在していると考えています」
興味深い文章を引用しまくるとキリがないし、長くなりすぎて誰も読んでくれないと思うので、自分なりに思ったことを書きます。
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男性は女性よりも暴力的だ。それは間違いない。
世の中(?)の犯罪の95%は男性が犯しているらしい。
脳にも遺伝子にも性差があることは間違いない。
環境によって暴力性が助長されてしまうことも間違いなくあるし、無視はできないが、僕はどちらかというと脳、遺伝といった先天的な要素に重きを置きたい。(もちろん環境も非常に大事であることは間違いないのだが、環境だけに着目してしまうと、本当の原因を見誤ってしまうと思う)
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簡単に言ってしまえば、今の時代はそれほどではないと思うが、昔は【暴力的な男性のほうが非暴力的な男性よりも適応的だった】のだ。つまり暴力をふるう人間のほうが、暴力をふるわない人間よりも生きやすかったり得をしていた。
もし村でトラブルが起きた場合に、話し合いで解決するよりも、突然奇襲して相手を殺した方が効率的だったし、話し合い中に後ろから刺されるリスクも防ぐことが出来た。
そして合意を得てセックスするよりもレイプしたほうがコミュニケーションにかかる時間を節約できて、効率的に子孫を残せたのだろう。
【暴力はよくない】というコンセンサスが世界規模で生まれたのはつい最近のことであり、それ以降は暴力は表向きには適応的ではなくなった。
もちろん見えにくい形で、暴力は今も幅をきかせており、日常生活や社会の様々なところで暴力は存在するし、暴力や脅しを使って利益を得ている局面も数多くあるだろう。
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そして、痴漢や性暴力を犯す人間に共通しているのが「共感性の低さ」だ。
相手の痛みや苦しみを想像する、実感することが出来ない。
痴漢やレイプされることの苦しみ、痛み、地獄を想像できる人は、そもそもこういった犯罪を犯さない。
共感性の低さは、脳、遺伝子、幼少時の環境に原因があると思われる。
普通の人間は、他人が苦しむ顔を見て、不快感を感じ、自分の不快感を回避するために他人の苦しみを取り除きたい、と願うものだが、少数ではあるが、他人が苦しむ顔を見ても何も感じない人、むしろ脳の報酬系(嬉しいことがあった時に反応する脳の部位)が活動する人もいるので、もうそれはハードウェアの異常、バグとしか言いようがない。
彼らにつける薬は無いのだ。
異常なハードウェアを持っている人間は、なるべくはやくーーーーーーーーーーーーーーーーーと僕は思っている。
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何が言いたいのか分からなくなってきてしまった。
結論っぽいことを書くと『痴漢は、性欲だけの問題ではなく、男性の支配欲を満たす、ストレス解消、日常では味わえないスリルを味わう、のが目的であり、主に共感性の低い男性が、外見的に被害を訴え出そうに無い、おとなしそうな女性に対して行うもの』だと僕は認識している。
加害者は痴漢がバレて、捕まることを恐れている。
おとなしそう、従順に見える女性にターゲットを定めることによって【女性を支配してる感】を味わうことが出来る。彼女たちはおそらく声をあげない。
恐怖のあまり声を出すことが出来ない女性を【気持ち良くて受け入れている。彼女は触られることを望んでいる】と本気で考えている男性が残念ながら一定数いる。
たぶん彼らは罪悪感すら感じていない。むしろ、彼女たちの願望を叶えてあげている、「触ってほしい」という需要にこたえてあげている、とすら思っているだろう。
【本当は性欲があって身体を触ってほしいのに、正直にそう言えない女性の内なる欲求に俺はこたえてあげている】という気持ちだと思う。
つまり彼らには悪気すら無いのかもしれない。それが一番恐ろしいことではあるが。(もちろん、悪いことだと認識しながら痴漢をしている男もかなりいるだろうが)
そして、上記の本にも書かれているが彼らにとって【スリルを味わう】というのも痴漢の楽しみの1つになっているようだ。
彼らは痴漢行為がばれて、逮捕されたり、会社にバレることを恐れている。
「なぜそんなリスクをおかして痴漢なんてするの?馬鹿なの?」とあなたは思うかもしれない。
しかし彼らが痴漢をするのは「日常では味わえないスリルを味わえるから」なのだ。
「もし、目の前の女性が「痴漢です!」と言えば俺の人生が終わるかもしれない」そんなスリルを感じながら、電車の揺れなどに乗じて、偶然を装って女性の身体を触る。
日常に楽しみを見出せない彼らにとって、痴漢ほど楽しいものは無いんだと思う。
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著者は痴漢の再犯防止プログラムの中で「痴漢行為を手放すことであなたが失ったものは何ですか?」と質問してみたそうだ。
106P
「そのときにある受講者から出てきた答えで、ほかの過半数の受講者もうなずき賛同していたのが【生きがい】でした」
「逮捕され、幾度となく反復してきた痴漢行為にようやく歯止めがかけられたことによって、彼らは【生きがい】を失ったというのです。これにはプログラムのスタッフも唖然としました」
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田房永子さんが痴漢にあった理由はおそらく「おとなしそうだったから。声をあげそうになかったから」だと思う。
今の日本(ほかの国は知らない。そして、推測だが昔はもっとひどかったような気もする)は、おとなしい女性が、電車などの匿名性が高く、多くの男性がいる場所に放り込まれてしまうと、一定の確率で性被害にあってしまうという現実がある。
もちろん、電車に限らず、ライブ会場だったりハロウィンだったりもする。
要するに匿名性が高く、加害者にとって都合の良い場所ならどこでも起きてしまうのだ。
僕なりの解決策はあるのですが、おそらく、あまり賛同を得られないと思うので、書くのはやめておきます。
でも、その解決策をとらない限り、被害は無くならないと思う。
急に男性のモラルが高くなり、共感性が上がるなんてことは絶対ないからね...
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最後に僕自身の暴力性について書いておきたい。
言うまでも無いが僕は痴漢もレイプもしたことがない。
今後もするつもりもない。
僕は共感性が高い。
対象となる人間は限られてしまうが、人の痛みを自分の痛みのように感じてしまう。
そして幼少時に暴力をふるわれたことが一度もない。
僕にとって、暴力とは【なじみのないもの】で【嫌悪の対象】なのだ。
しかし著者が言うように、全ての男性は内面に加害者性を持っている。
全ての男性は、心の奥底で暴力に憧れている。
僕も暴力に憧れている人間の1人だと思う。
僕の中にも暴力性は存在する。
もし知り合いがなんらかの事件の被害者になってしまったら...と僕はたまに想像する。
僕は加害者の頭に金属バットをフルスイングする。彼の頭は割れてしまう。
そんなことをよく想像する。
でも実際に知り合いが何かされても、僕は何も出来ないだろう。仕返しをして何になる?被害が無くなるわけじゃないし、僕も罪に問われてしまうだろう。
そして、僕は他人に暴力を振るうのが怖い。
だから僕は妄想の中で何度も何度も加害者にバットを振るし、銃を撃つ。
暴力を振るってる自分自身に恍惚を感じる。暴力を振るってる自分をかっこいいと思う。
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以下は性的な描写がありますので、もし嫌な方は読まないほうが良いかと思います。
僕は性犯罪を嫌悪している。
ただ、普通に自慰行為はする。
性暴力のAV(もちろん演技であることは言うまでもない)を見て、興奮することもある。
☆
AVを見てオナニーをすることはあまりなく、知り合いとセックスすることを考えて、射精することが多い。
オナニーする時に思い浮かべる子は毎回決まった子だ。
妄想の中で僕と彼女は部屋の中にいる。たいてい彼女の家か僕の家だ。
僕は彼女に「手を繋いでもいいですか?」と聞く。
彼女は頷く。
僕は「ごめん。キスしてもいい?」と聞く。(超絶ブサイクがこんなことを真剣に書くのは気持ち悪いし恥ずかしいけど、大事なことだから真剣に書いている)
彼女は「彼氏がいるから...」と拒絶する。
妄想の中で女性は必ず僕を拒絶する。
ここで拒絶してくれないと興奮出来ない。射精できないのだ。
僕は彼女に優しくキスをする。(...知り合いにこの文章を見られたらまぁまぁ恥ずかしいけど、事実だから仕方ない...)
彼女は「嫌だ...」と思いながらも『本当は僕とのセックスを望んでいるので』僕のキスに応じる。
そして、最終的にはセックスに至る。
...............本当は最後まで書きたかったんですけど、恥ずかしいのと馬鹿馬鹿しいのと眠くなってきたのでやめます。
僕が言いたかったのは、暴力(性暴力を含む)を一度も振るったことがなく、性暴力を嫌悪している人間でも、知り合いと無理矢理セックスすることを妄想して興奮して射精したり「本当は僕とのセックスを望んでいるのではないか?」と考えることがある、ということです。
つまり、加害者性だけではなく【性犯罪者に特有だと思われている誤った認知すら、男性全般が持ち合わせている】ということです。(男性全般というか、少なくとも僕は持っている。っていうか言ってないだけで、世の多くの男性は絶対持ってると思う)
【全ての男性が勘違いする生き物】だと思う。
女性の行動や言動に、女性が全く意図していない性的な意味を見出してしまう。
それは男性全員が持っている病気だと思う。
要するに、その勘違いを基に行動するかどうかが全て、ということだ。
僕は今のところ【自分自身が勘違いが多い生き物】ということを自覚しているので、犯罪や暴力の加害とは無縁で生きている。
今後もそうありたい。
世界から性暴力がなくなることを願っている。
長文読んで頂いてありがとうございました。