すっかりForkwell Pressの「常連」になった感のある、株式会社LITALICOさま。今回登場いただくのは、2019年6月15日から入社した宮本泰男さんです。
20代~30代前半の若手が多い会社に、会社を引っ張る立場として加入した宮本さん。それまでは医療系や動画配信など、様々な経験を積んでこられたようです。どういう経緯があって、LITALICOさんへの入社を決意したのでしょうか?
フロントもサーバもやり、仕様も考え、ミーティングにも出ます
――今回で、LITALICOさんのインタビューは5回目になりますね。
久保(HR担当) だいぶやっていただいてますね(笑)、ありがとうございます。
――恐縮です。まずは採用ご担当者様から、改めて御社についてお話をいただければと思います。
志賀(採用担当) 「障害のない社会を作る」というビジョンを元に、就労支援から発達が気になるお子さまの療育支援、プログラミング教育、さらには業界全体を良くしていく働きかけなど、ビジョンに基づいてさまざまな領域に展開している会社です。
これまでは当事者の方やそのご家族に向けての支援や指導などが多く、店舗での活動がメインでした。ここ最近は弊社の久保や宮本のいる部署も然りなのですが、障害福祉・児童福祉の事業所の集客や教育研修、人材採用など幅広く経営にまつわる課題解決など、業界全体をより良くしていくための動きが多くなっています。
――業界を広げていくというのは、サービスの存在をより多くの人に広めていくというイメージですか?
志賀 そうですね、どちらかというと法人向けの運営支援ですね。弊社と同じような施設を運営している企業さまに対し、より良い経営をしていただくためにどう業界全体に働きかけていけるか。「一緒に業界を良くしていこう」という方向性ですね。
――ありがとうございます。宮本さんは2019年6月15日入社とのことですが、現在はどういったお仕事をされているんですか?
宮本 所属としては「LITALICO仕事ナビ」という、働くことに障害のある方が自分にあった仕事や就職支援サービスを探せるウェブサービスの開発をやっています。そこをやりつつ、プラットフォーム事業本部としてウェブサービスや基盤開発全体の設計といいますか、そういうところが職務内容ですね。
どちらかというとインフラというか、アーキテクチャを考える側です。全体的な仕様を策定するところが、まずメインになります。今までの経歴でもどちらかというと仕様・策定のところに入っているのですが、手を動かすのはやめたくないので「二足のわらじ」でやらせていただいていますね。フロントもやる、サーバーもやる、仕様も考える、ミーティングも出る、みたいな感じです。
リアルタイムの動画配信は、大きな経験に
――直近では2015年にエムスリー株式会社さん、2018年にHmcomm株式会社さん、それを経てLITALICOさんに入社されたと伺っています。これまでのキャリアで、今に活きている経験はどのあたりでしょうか?
宮本 エムスリーでの経験は大きかったですね。ただ、エムスリーに入れるレベルになったひとつ前の会社も重要でした。あの時代ってクラウドがないし、データセンターへ行って自分ひとりでサーバーと格闘したり。人数が少なかったこともあり、何でも屋みたいに全部やっていることで実力がついた部分は大きいと思います。
そこを経てエムスリーに入ったのですが、大手ですからいろいろ経験させていただけましたね。ビジネス的な見地でも経験になりました。
――例えば、どういうことをされていらっしゃったんですか?
宮本 エムスリーでは最初エンジニアとして入って、製薬会社が主催する勉強会をリアルタイムでストリーミングしたり。サーバーサイドで、リアルタイムに走る動画を触るのは大きな経験でした。
リアルタイムで監視しながら、何かが起こったらすぐ対処する。リアルタイムのストリーミングってかなりいろいろな要素があって、データ量もあるし重いんですね。加えて、技術的に最先端のものが使われているので難易度も高いんです。
飛んでいるネットワークを使っているので、何が起こるかわからない。ネットワークのパケットが1個落ちただけで、全体がバンッと落ちることもあって、すぐに復活させるために、常時待機する必要がありました。
YouTubeなどの大規模動画サイトにも、そういう人たちがいるんですよ。大きな生放送がある日は、リアルタイムでずっと監視している人がいるはずです。いないと、途中で落ちたら大ごとになるので。
――自動的に復帰してるように見えて、そうではないんですね。
宮本 そうなんです。自動的に復帰するよう組んではいるんですが、実際は手で何とかすることも多いです。サブ回線を用意したもののそれも落ちて、どうしようもないから手動でガッと戻したり。特に製薬会社の主宰イベントはお医者様が見ていることもあり、映像が途切れることで重要な部分が聞けなかったらえらいことになってしまう。
――そうなんですね。YouTubeのライブとかはよく見るので、今後エンジニアさんに感謝しながら(笑)見ます。
宮本 たぶんYouTubeはすごいレベルの高さだと思いますけど、やっぱりカクつかないじゃないですか。ブロックノイズとかがすごい出るはずなんですけど、一切出さずに生放送を配信してるので。どうやってるんだろうなと。
――見ても想像ができないレベルのことを?
宮本 そうですね。見て何を使ってるかは多少想像できるのですが、そこからさらにいくら掛かって、これくらいの費用で、何十億円のサーバーがあって、みたいなところまでは考えも及びません。すごいことしてるなと。何人エンジニアが付いているんだろうって思いますけどね。たぶん最高水準の世界一レベルの人が作ってるものなんだろうなと。
――その後、Hmcommさんに移られて、ここではどういうことをされていたんですか?
宮本 自然言語解析系のAIのベンチャーだったんですが、これから先AIを少しでもやっておかないと、絶対に技術の進歩とともにつまづくと思ったんですね。ただ、ここではどちらかというとAIのサーバー自体はほぼできていて、それをプロダクトマネージャーとして、クライアントに合わせてカスタマイズするといったことをしていました。
クライアントのところにいって、要件定義のミーティングを続けて、サーバーを設置しにいったり、オンプレで対応しないといけなかったり。クライアントがコールセンター様だったので、電話回線を外部のクラウドとかに出すことが基本的に禁止だったんですよ。
それで、現地にサーバーを持っていかなきゃいけないんです。そうすると、北海道から沖縄まで移動しないといけない。会議も北海道から沖縄まで移動。営業マンと同じスケジュール感で飛び回りました。サーバーを送って、カバンの中にサーバー用のキーボードを入れて、現地に行って何とかするみたいなことをしてました。
とはいえAIの勉強になったし、AI自体にも詳しくなれました。出来合いといっても、最終的にクライアントチューニングがあるので、そこでAIのアルゴリズムとかベクターとかの勉強をできました。
前の世代しか持っていない知識を、伝達したい
――LITALICOさんに転職されようと思ったきっかけは何でしたか?
宮本 正直言いますと、LITALICOはオファーが来るまで知らなかったです。他社から内定をもらっていて、5月1日から有給消化に入っていました。3社に内定をもらい、「ここに決めようかな」っていうギリギリのところでLITALICOからオファーが来たんです。
率直に、面白そうだなと思いましたね。「福祉のウェブサービスって何だろう」「会社の写真もカラフルだな」と思って、面談に行くことにしました。話を聞いてるうちに、「なかなかない会社だな」と思いましたね。技術面というより、事業としてこういう会社は少ないと思います。
PMもやっていたので、技術側の目線でこういうビジネスに携わってみたいと思いました。「ウェブサービスはこう作ればもっと良くなる」「もっと多くの人に使ってもらえる」とか、立案するメンバーの一員になりたいなと思い始めたんです。
加えて、社会的意義も高いですよね。エムスリーに行った理由も、医療という社会的意義の高い仕事に携わりたい動機があったので。社会貢献している実感は一定量ほしいし、「どこかの誰かを支えている」という仕事は素敵だなと思って。
その時、一次面接を担当したのはプラットフォーム事業本部でVPoEを務める亀田だったんですが、すごく若くて驚きました。
――1回目のインタビューに出ていただいた亀田さんですね。
宮本 そうです。最初名乗られるまで若手エンジニアだと思っていたら、「部長です」と言われてびっくり(笑)。
組織的にも面白いと思いました。若いのに技術面も見つつビジネスのアサインをしたり、ビジネスサイドでも技術のほうにアサインしたり。サッカーでいうと、攻撃の人にも守備をさせ、守備の人にも攻撃させる。ポリバレントな役割をやらせてくれそうな雰囲気を感じました。
ただ、先ほど申し上げたように次の転職先がほぼ決まっていて、5月中に返答しなきゃいけなかったんです。「あと1週間くらいしかないです。急げますか?」って聞いたら、そこからササッと進めてもらえて。
「明日面接で。その次は明後日でいいですか?」って感じで迅速に進めてもらえました。融通の利く会社だな、と思いましたね。融通の利かない会社って、いちいち稟議があったり何とかがあったりで、1週間はかかったりするじゃないですか。
会社規模は結構な大企業ですけど、聞いているとプラットフォーム事業本部っていうところだけベンチャーっぽいみたいなことを言ってたので。「店舗を持っている大きな会社の中で、ベンチャーっぽい部署もあるのは、両面あって面白いな」と。
実店舗を持ってる会社に行ったことはなかったですが、実店舗を利用していろいろな戦略を考えることができますし、今までやったことがないことができそうだと思いました。
――私も40歳なのですが、やはり40歳を迎えるにあたって「社会的意義の大きいことをしたい」という心境の変化はありましたか?
宮本 そうですね、エムスリーにいた頃から社会的意義の高い仕事はしていたのですが、その頃はたまたまでしたから。ただ、仕事をしているうちに「社会的意義の高さをより実感できる仕事をしてみたい」と思うようにはなりました。
とはいえ40歳になっちゃうと、若者ではないので。後進を育てたいとか、あまり前に出過ぎないようにするとか、そういう気持ちはあります。かといって権限や裁量が無いと仕事にならないし、そこはせめぎ合いですけど。
特に技術業界はクラウドが出てきたりして、僕らが20代から経験したことはこれからの世代って経験できないんですよね。物理サーバーをいじくって何とかするってことも、これから先の子たちはしないしできない。
でもその知識がないと、例えば今のクラウドのAWSなどネットワークがなんでこうなってるのかは理解できないところがあります。前の時代の人しか持っていない知識があるんですよね。それは伝達していきたいなと。プロ野球がテレビ中継されている世代の選手と、それ以降の選手では経験が違う、みたいなことは感じます。
<了>
ライター:澤山大輔
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