[2-74] 太陽と潮風の狭間
戦いから一夜明け……王城にあるエヴェリスの工房では、未だに戦闘状態のような緊張感が続いていた。
例によってガラクタのようなアイテムが所狭しと散らばって、足の踏み場も無いような有様の部屋の中。
手術台のような作業台の上には
少しずつ少しずつ数字を書き換えながら、エヴェリスは幾度も魔法を発動する。
その様を、ルネは固唾を呑んで見守っていた。
ルネのワイバーンの身体は亜空間かどこかにしまい込まれ、今は普通の少女の姿に戻っていた(首に切れ込みが入っていることを除けば)。
「これでダメなら……どうにか身体を継ぎ合わせてレブナントにして、自分で魔法使ってもらうしかないか……
でもそれは私も未経験……んっ!」
ピチッ、と音を立てて稲妻が走ったかと思った瞬間。
作業台の隣に大量のガラクタが降って来た。
ざらざらと音を立てて積み上げられる大量のアイテムは、半分くらいが何かに引き裂かれたようになって壊れていたが、どれもこれもマジックアイテムだ。
これは作業台に安置されている死体……"果断なるドロエット"の
本来はそのまま取り出せなくなる可能性もあるアイテムたちだが、ルネはエヴェリスに逆探知を依頼していた。
ロレッタは魔法で荷物持ちをさせられているという情報があった。
そしてあの三人は、誰も『宝箱の中身』を持っていなかった。だとすると残る希望は、ここだった。
「よっしゃ、繋がった!」
「≪
ルネは山になったアイテム群を即座に掻き分け始めた。
魔法によってガラクタの山は四角四面に整列させられていく。
それを半ばまで掘り返したところで、ルネは目当てのものを発見した。
「あった!」
巾着状の厚手の布袋の中にそれは入れられていた。
邪気に灼かれた銀鞭の残骸と、焼け焦げた薔薇のブローチが二つ。
「良かった……!」
嘆息し、ルネはそれを胸に抱いた。
ルネにとっては自分の命(もう死んでいるので『存在』と言うべきか)の次に大切な物だった。
「いやー、成功して良かった良かった。
ところでさ、姫様。それの話、なんで黙ってたカンジ?」
緊急プロジェクトを見事成功させたエヴェリスが、エロ紫色の頭を振って肩をほぐしながら聞いてきた。
ルネは、身を固くする。エヴェリスの声音にも感情にも非難の色は無いが、彼女はルネを問い詰める権利があると言うべきだろう。
ルネは"果断なるドロエット"からこれを取り返すため、テイラカイネを放棄した。単純な優先順位の問題だ。
だがその後、テイラカイネではジスランが再度暴れ出したらしい。
エヴェリスはアラスターからの連絡を受けて、ミアランゼを伴い自ら出撃。戦いに決着を付け、軍の損耗を防いだ。
アンデッド軍団は無事、帰途についている。現地で作ったブラッドサッカーは夜明けと共に灰になってしまうだろうが、残りの者たちはじき王都に到着するだろう。
結果だけを見れば、ルネが戦場を放り出したことで彼女らが割を食い、尻拭いをした形だ。
未だ本調子でないはずのミアランゼは、また地下に戻って休んでいる。
何か凄い無茶をしたらしいトレイシーは、工房の隅のベッドで全身に蛍光色の点滴らしきものを繋がれたまま気持ちよさそうに寝ている。
「私はまだ事情がちょっとよく分かってないんだ。
戦線離脱に値するだけの重大な何かがあるんなら言って欲しかったな。
そこまで計算して作戦組む必要があるし、あと、あらかじめ相談してくれたなら私の方でちゃんとそれ守る態勢作ったよ」
「それは……」
「責めてるわけじゃないんだ。
ただ、なんで私に何も言ってくれなかったのかって話でね」
ルネは口ごもる。
この件を隠し続けたのは、ルネにとっては『語るのも辛いこと』だったからだ。
ただそれを口にするだけで、きっとルネは冷静でいられなくなる。
しかし、エヴェリスが言う事もまた正しかった。
エヴェリスはテイラカイネ攻略に際してちゃんと作戦を立てていたけれど、それを乱したのはルネの行動だ。ルネの隠し事という伏せられたデータがあったからエヴェリスは作戦立案を誤ったのだと言うこともできる。
覚悟を決めなければ。
曲がりなりにもルネは彼女たちの主だ。上に立つ者が不公正ではいけない。
「……ぁ」
「ごめん! この話はここで終わりにしようか」
エヴェリスが急にそう言ったのは、ルネが口を開こうとしたまさにその時だった。
「えっ?」
「いい、もういい、言わなくていい。一応建前では私も臣下だってのに今のは言い過ぎだったわ。
私から一つ言わせてもらえるなら、ほら、収納魔法の新開発。
あれの優先順位を上げるよう、ちゃんと指示して欲しかったなってくらいかな。
もしあの魔法が完成してたら、後顧の憂い無く戦えたんでしょ?」
「あ、えっと……」
エヴェリスはヒラヒラと手を振ってルネを止めた。
肩透かしを食らってしまったルネは、固めかけた覚悟の置き場所を探すかのように視線をさまよわせる。
「ごめんなさい……」
結局ルネは、ぽつりとそれだけ言った。
エヴェリスは困ったような顔で首をかしげた。
彼女の感情を読んでみると、謝罪を受け容れたわけでも不服に思ったわけでもないようで、むしろエヴェリスは引け目を感じているようで。
その根底にある感情は、たぶん、パソコンの排熱くらいには温かかった。
「あのさぁ、姫様……」
トレイシーはとっくに起きていた。
全身チューブまみれで動けない状態のままだけれど、声を聞く限りでは元気だった。
「捕虜で戦奴みたいな立場のボクが言うのもなんだけどさ。
……変なとこで無理しないでよね?
ほら、こんな
「トレイシー。年上のレディに年齢の話は御法度だゾ☆」
「そうなってくると、相応に気に掛けてみたくなったりするもんなんだよね。ほら、子どもは守ってあげなきゃー、みたいなアレ。
姫様は割とおマセな雰囲気あるけどさ……十歳になったばっかりだっけ?
小っちゃい子が無理してるの見るのって、辛いんだよ?」
「そうそう。
言いたくないなら言わなくっても……まあ、そういうもんがあるって分かってればある程度なんとかなるしね。
何から何まで秘密にされちゃー困るけどさー。この程度なら融通効かしちゃうよん」
話術に長けたトレイシーは、相手を欺くことも得意だが、誠心誠意の言葉を伝えることもまた得意だった。
友人のように心配するトレイシーの言葉を、エヴェリスも否定しない。
エヴェリスは察したのだろう。触れてはならない部分なのだと。
「……誰に。言ってると、思ってるの。どうして……そんなこと、が、言えるの」
「やぁ、ほら……なんていうかボクさ、『放っておいたら人殺しまくる』ってとこ以外、姫様を嫌いになれないんだよね。恩もあるし」
「ああ、それじゃ私は姫様を嫌う理由が無いや。魔女さんは自分以外がどれだけ死んでも気にしないから」
二人は冗談めかして軽い調子で、嘘ではなしにそう言った。
轟々と、耳元を風が吹き抜けていくかのようにルネは感じていた。
ルネは。
踵を返し、工房の扉に手を掛けた。
二人に顔を見せたくなかった。
「……エヴェリス。トレイシー。
昨夜の働きは見事。そのうち、褒美を取らせるわ」
「あ、ちょっと……」
それ以上何も聞かず、ルネは工房を飛び出した。
* * *
ルネは走るような勢いで廊下を歩いていた。
地下室のミアランゼを労いに行かなければならない。病み上がり(?)なのに無理を押して、自分のために働いてくれたのだから。
「ふふふ……部下の忠誠度が高いっていうのは、いい事だわ……
せいぜいわたしを哀れんで、わたしのために尽くしなさい」
どんなに歯を食いしばっても、ひとりでに涙が溢れてきた。
体温の無い身体であるはずなのに、手の平で拭った涙が熱く感じた。
冷たい皮肉の笑いを浮かべながらルネは泣いた。
気遣われてしまった。
エヴェリスにも、トレイシーにも。
エヴェリスとしては対応策に協力する傍ら、今後こういった『気まぐれ』が無いようルネに釘を刺すのが本来するべきことだろう。
トレイシーに至っては、無理やり従わされている立場なのだから、昨日の戦いについて文句の一つも言っていいところだろう。
それでも二人は、ただルネを気遣った。
それはとても嬉しくて、でも、その気持ちに甘えたら何かが壊れてしまいそうで。
心の痛みを全て打ち明けて、泣いて縋って慰められたりしたら……きっとルネは二度と“怨獄の薔薇姫”には戻れない。
そうして一息ついた時、もう一度立ち上がれるなんて思えるほど、ルネは自分自身を信用していなかった。
――勝手にわたしに近付いて来ないで。でも……もし願ってもいいのなら、どうか遠くに行かないで。
自分がどれだけ面倒くさい奴なのか、ルネはひしひしと感じていた。
求めながら、拒絶せざるを得ないのだから。