[2-70] ねこねこヴァンパイアの手も借りたい
『ウダノスケ殿。今し方、王都のエヴェリス殿ヨリ連絡が。
姫様ハ王都にお帰りにナられてイたトのコトだ』
「そウでごザっタか」
ウダノスケは生前に師匠から習ったサムライの作法に則り、
通話の相手は後方指揮所のアラスターだ。
精鋭のアンデッド兵や肉戦車二号を含む本隊は、もはや矢の一本すら飛ばしてこない街壁の麓まで来ていた。
既に街の中は決着が付いているわけだが、雲隠れしてしまったジスランの捜索、そして場合によってはルネへの助太刀という仕事が残っている。
まあ、そのルネが念話による指示すら飛ばさないまま突如として姿を消してしまったために、本隊もアラスターも泡を食ったわけだが。
王都からテイラカイネまでの間に転々と残してきた『通信兵』によって数枚の
「でハ、我々ノ行動は?」
『新タな命令を与エラれていナい以上、変ワらぬ。
皇太子候補ジスランを捜索すルのだ。逃がすワけにハいかヌ』
「承知
ルネの突然の行動に疑問はあっても、それは手と足を止める理由にはならない。
主に対する
ルネの魔法によって手ずから生み出されたアンデッドたちは、皆ルネに対して揺らぐことのない絶対の忠誠を抱いている。
己は徹頭徹尾ルネの私物であると認識し、その存在が終わる瞬間まで全てをルネに捧げる所存で戦っているのだ。もちろん、ルネの財産である以上
「ふム……しカし、捜すト言っテも何処をドう……」
その時、ウダノスケは気付いた。
前方より接近する生者の気配に。
開け放たれた街門をくぐり、ひとりの騎士がこちらへやってくる。
身につけた鎧の紋はキーリー伯爵家の
だが何故か両腕の肩から先は、防具どころか服も身につけない剥き出し状態だった。
腰に剣を刷いてはいるが、騎士は素手だった。
アンデッドの大軍目がけてたった独り、歩みを進めるその騎士に、数多の剣と槍が向けられる。
それを、騎士は。
『ウダノスケ殿、街門周辺のイくツカの部隊が通信に応答セぬ。状況を探ってハくれヌ……』
「竹輪麩……!」
アラスターからの通信を、ウダノスケは悪態で遮った。
奇妙なことが起こっていた。
騎士の両腕が肥大化したかと思ったら、その手が
それは白く、異様なまでの聖気を纏っていた。
そして、騎士はその両腕で手当たり次第に手近なアンデッドを食い始めたのだ。
獲物を呑み込むヘビのように、腕(首だろうか?)を通ってアンデッドたちの肉体が嚥下されていく。
「へ、減らさ……なきゃ……"怨獄の薔薇姫"の……手下……
勝てる……勝てる……勝てる……
騎士は、いびつに歪んだ笑みを浮かべていた。
「……じすらん……かてる…………!」
鎧が弾け飛び、騎士のシルエットが無秩序なまでに膨らんだ。
真白き肉体が半ばまで腐れた、双頭の竜が顕現した。
*
エヴェリスは工房の窓から魔動双眼鏡で城壁の外を見ていた。
工事中の城壁外縁ダンジョンには、モグラが掘り進んだみたいに穴が開いていた。
銀色のワイバーンゾンビと化したルネが侵入者を追いかけて掘り進んだ結果だ。
「んー、ダンジョンへの魔力供給切ったのは余計なお世話だったかな?
姫様のあの形態は未検証だから、罠でどの程度ダメージ受けるか分っかんないんだよねー」
エヴェリスは独りごちる。
ルネは急に掘り進むのを止め、兵を率いて外へ飛んで行ってしまった。
どうもダンジョン全体の対魔法防御を切ったせいで侵入者は外に転移して逃げてしまったらしい。
ただ、対魔法防御を切ってから侵入者が逃げるまでの僅かな時間にエヴェリスもある程度状況を把握していた。
「……二人死亡。逃走中なのは……もう気配消しちゃったけど多分三人。ま、時間の問題ってとこか」
エヴェリスはルネに渡した『殺意が高い箱』のアラームが、念のため自分にも飛ぶよう紐付けていた。
なので、侵入者が例の箱に触れてしまい、そのことでルネが戻って来たのだとは分かっている。
ただ、ルネが何を箱に隠したのかはエヴェリスも知らない。
と言うかルネがあの箱をあんな場所に隠していたことさえエヴェリスは知らなかった。相談してくれればもっと良い隠し場所を用意できただろうが、どうもルネは秘密にしたがっている節がある。
結局何がどうしてこうなったのか釈然としない想いを抱えたままエヴェリスはルネの飛翔を見送っていた。
そこへ
「はいもしもーし。どったの、ジェラルド卿」
『……ジスランが本隊に攻撃ヲ仕掛ケて参りマした。応戦中でスが被害甚大』
耳を疑うとまでは言わないが、エヴェリスは思わず眉根を寄せる。
「えぇ? 相手はもうボロボロじゃなかったの?」
『奴メ、此方の兵を取リ込んデ肉体を補っテおりマす。
先程まデは捕食対象とシテ生者ノミを狙ッておりまシた故、苦肉の策トいう印象も受ケますが』
「そりゃそーだ。聖獣が
『シかし、一時的でアれ戦闘能力ヲ取り戻しテオりマす』
エヴェリスはうんざりして夜天を仰いだ。
「うへー、ウダノスケとか"蒼銀の絆"とか、こんなとこでロストしてらんないよ。
現場で対処できる? ……無理だよね! わざわざ私に連絡してきてるんだもんね! もー!
分かった、
あとトレイシー呼び出しといて! 近くに居るよね!?」
『カしこマりマシた』
「……姫様は……今話しかけたら私まで殺されそうだな」
「まぁったく、デキる魔女さんはワイン片手に裏方やってるべきなのに。
こういう時に私の代わりにバトりに行ける有能な手下が早く欲しいわ。耽美系美少年希望ーっ!」
ぶつくさと文句を言いながら烈風の如き勢いでエヴェリスは身支度を調えていた。
ガラクタの山みたいな部屋のあちこちから飛んできたものをエヴェリスは身につけていく。
宝石で飾られた長手袋、歯車と蒸気噴出口が突き出した籠手のようなもの、やたらとポーチが付いたベルト、びっしりと魔方陣らしき紋様が縫い取られたスカーフ等々。
そして扉も閉めずに工房を飛び出したところで、エヴェリスはこちらへ走ってくる血まみれのメイドの姿を見た。
「エヴェリス様、何が……?」
「ミアランゼ! もう起きられんの?」
地下室で熟成中だったミアランゼだ。
艶やかなショートの黒髪に、つんととがった三角形の耳。時間が時間なので瞳孔はまん丸く黒目がち。
元々色白だった彼女の顔色は血の気が失せて雪のようになり、血を吐いた跡が映える。ありきたりなメイド服は彼女自身の血であちこちが染まっていた。
「お休みをいただいている場合ではないと判断しました。
先程地下室で悲鳴が聞こえましたので、姫様が緊急でお帰りになったものと……」
「ああ……そっか。近いもんね、あそこ」
ルネの『残機』を保管してある部屋は、ミアランゼが篭もっていた光差さぬ独房からあまり離れていない。
ルネが少女の身体に憑依した際の悲鳴でミアランゼも異状に気付いたようだ。
「なんか知らないけど王都への侵入者が姫様の大事な宝箱を開けちゃったっぽい。
そっちは姫様が王都のお留守番組を総動員して追跡中だからいいんだけどね。姫様が帰ってきちゃったからテイラカイネの方がちょっちマズめなのよ。
このまんまじゃ主力部隊がごっそりやられちゃうかも知れないってんで、私が助けに行くとこ」
早口に説明してエヴェリスは走り去ろうとしたが、そこで急ブレーキを掛けた。
驚き戸惑っているミアランゼの気配を、エヴェリスは探った。
身に纏う邪気の量と質で、どの程度の力を秘めているか分かる。
ミアランゼは戦いの術を習い始めたばかりの素人だった。そしてそれは今も別に変わっていないわけだが、彼女の発する気配は様変わりしていた。
圧が違う。格が違う。
ヴァンパイアとして見てもなかなか上等な部類だ。未だ原石だが、長じれば魔王軍でも幹部を張れるほど逸材かも知れない。
エヴェリスは、戦いの素人であるミアランゼを連れて行くリスクと、戦力としての有用性を天秤に掛けて即座に答えを出した。
「君が来てくれるなら、私としては非っ常ーに心強い。
「姫様のため戦えるのであれば、それが私の幸せです」
「よろしい。姫様の大事な手駒を保護しに行きましょうか」
メイド服の背中の部分は乱雑に引き裂かれ、そこから生えた皮膜の翼が黒い猫尻尾と一緒に揺れていた。