[2-69] タイプ:ドラゴン いりょく:120 めいちゅう:100 PP:9/10
「アアアアアアアアア!!」
死都と化したテイラルアーレに竜の咆哮が轟き渡った。それはまるで、死の臭いを孕んで谷底を吹き抜ける風。
そんな怖気を誘う響きの中に、怒りのままに叫ぶ少女の声音が入り交じる。
石造りの通路を疾走するエルミニオたちの背後、銀の鱗に銀のたてがみ、そして銀の目を持つワイバーンゾンビは追いかけてくる。
骨だけの翼を振り回して、外見からは信じられないほどの力で壁を打ち崩して拡げ。
硬い鱗に覆われ角が生えた鋭角的な頭部で天井を打ち壊しながら。
「なんだこれは!? これが"怨獄の薔薇姫"なのか!?」
「くそったれ、効かねえぞ!」
逃げ走りながらエドガーは手持ちのマジックアイテムをあれやこれやと後方に撃ち込む。
しかし、火の玉も雷も銀の鱗に弾かれて、銀色の竜の猛進を一秒たりと止められなかった。
絶え間なく破壊の音がする中に、ふいごのような音が聞こえる。
「ブレスが来やす!」
切羽詰まった声でエドガーが警告した。
細道が続く中で逃げ場は無い。
前に進もうと、どこかの曲がり角で曲がろうと。
虫を燻し出すように巻き込まれてしまう。
ブレスというものは総じて魔法的な作用によって生み出されるが、ただの魔法ではない。
体内に蓄積される分泌物などを用いて半ば……あるいは完全に実体化させたものであることが多い。例えば炎のブレスは、炎の元素魔法のような『仮想的な炎』でなく本物の炎なのである。
護符などの純粋に魔法を防ぐための手段では防げず、個別の対策を要するのだが……
「何だ!? こいつは何を吐く!?」
「分かりやせん!」
火を吐くなら水の魔法で打ち消せばいい。あるいは炎に対する防御の魔法を使えばいい。
だが、何が来るか分からないとなると選択肢が多すぎる。
「なら……風か! ロレッタ、『風花扇』を!」
「≪
ロレッタの詠唱はほぼ悲鳴だった。
ブレスはあくまで吐息に乗せて何かを吹き付ける攻撃。風による防御は、完璧と言えないまでも汎用性のある対策だ。
ロレッタ自身も風の魔法を使えるが、初歩の初歩だけ。こんな大物のブレスを吹き返すような魔法は使えず、マジックアイテムに頼らなければならない。
彼女は虚空から一本の扇を掴み出す。仰げば暴風を巻き起こす扇だ。
だが。
「嘘……」
その扇は半ばから骨が折れ、面の部分もズタズタだった。
先程ロレッタが収納から出した際に回転ノコギリの罠にやられてしまっていたのだ。
「まずい……!」
銀色のワイバーンゾンビの口元に、赤黒い炎がちらつく。
本来は元素のような存在である『邪気』を粉塵などに含ませ、毒としたもの……生命を冒す『瘴気』のブレスだ。
浴びれば肉体が焼けただれたようになって壊死し、死に至る。
もはやいかなる防御も間に合わぬ。
ブレスが放たれる、その瞬間。
「させるかぁ!」
崩れた天井から何かが降ってきた。
聖印が刻まれた鎧を纏った騎士だ。サブウェポンとして持っていた短めの剣を口にくわえている。
左半身は鎧の隙間に無数の矢が突き刺さっている。まるで吹き矢か仕掛け弓にでも使うような太短い矢が大量に。鎧の側面もよく見ると細かなヘコミがいくつもできていて、左手は力なく肩からぶら下がっているだけだ。
神聖魔法は回復を得意とするが、瞬時に傷を回復する魔法は魔力の消費が著しい。この有様は魔力の消費を厭い、最低限の治療だけを施して残りの魔力を攻撃のために温存した結果であるようだ。
手負いの聖騎士は右手一本でワイバーンゾンビの首に組み付いた。そして首筋にまたがり足で身体を支えると、口にくわえていた剣を手にした。
ワイバーンゾンビはうるさそうに首を振るが聖騎士はこらえる。
青白く輝く刃は、ただでさえ『聖別』の魔化が施されている刃にさらに≪
ワイバーンゾンビの首に組み付いた聖騎士は顔に這い上るようにして、その口を垂直に貫く。
「グブッ!」
ワイバーンゾンビの口が縫いとめられた。
聖気の力を多重に纏った剣は、白銀の鱗を貫いたのだ。
食いしばった牙の隙間から瘴気がこぼれる。
「坊ちゃまぁ! お逃げくだされ!」
「よくやった、エトレ! ……いや、アルフォンソの方か?」
聖騎士を助ける素振りすら見せずエルミニオは走り出していた。
ちなみにエルミニオは兜を被ったエトレとアルフォンソの区別が付かない。声で判別を付けることもできるだろうし、よく見れば装備の傷や仕草のクセで見分けられるのだが、エルミニオは二人にそこまで興味を持っていなかった。
ブレスを阻止されたワイバーンゾンビは、しかし怯まず、何のダメージも受けていないかのように平然と、手近な壁に思いっきり頭突きをした。
ダンジョンが揺れた。
頭突きをしたということは、つまり頭に取り付いていた聖騎士は壁との間に挟まれるということだ。
「がはっ……!」
フルフェイスの兜から血が噴き出した。
さらにワイバーンゾンビはそのまま頭を壁にこすりつける。
壁を割り砕きながら聖騎士はすり潰され、振るい落とされ床に転がり、そして、踏み潰された。銀色の鱗に覆われたたくましい脚の鉤爪が、鎧を貫いて縫いとめていた。
「もう死んじゃったわよ、どうするの!?」
「うるさい、分かっている! 何か、何か対策を……!」
聖騎士を置き去りにして全速力で三人は逃げる。
背後で何か、金属質なものが床を転がる音がした。口を縫いとめていた剣を抜き取ったらしい。
「……あん!? ちょ、旦那!」
「なんだ!」
「なんでか分からんですが、建物の魔法防御が消えてやす!」
ふと気が付いて『細工師のレンズ』を通して周囲を見れば、何かの模様のように縦横に走っていた魔力の流れが一切消え去っていた。
「ならば、あれを……!」
エルミニオが言うまでもなく、エドガーは懐から薄緑色の宝石を取り出す。
『七里石』。2個セットになった宝石のようなマジックアイテムで、片方の石を
似たような効果で転移距離が短い『七歩石』と違って、これは結構な貴重品だ。
「どらあ!」
エドガーは力任せに『七里石』を床に叩き付けた。
その途端、全てがねじ曲がった。
*
頭上には朧月が輝き、冷たい風が吹き抜けていく。
3人は野外に立っていた。
王都から見ると地形の起伏に隠れるようになっている場所。先程まで"果断なるドロエット"が休息を取っていた場所だ。
エドガーは『七里石』の片方をここに置いてきていた。いざという時、こんな風に脱出するために。
中長距離の転移は実現手段が乏しいものだが、それでもどうにかして脱出の準備を整えておくのが上級冒険者のたしなみだ。
もちろん、準備をしていたからと言って五体満足で脱出できるとは限らないわけだが。
「助かっ……た……!」
「まだでさぁ、姐さん」
安堵のあまりへたり込みそうになるロレッタだが、エドガーはまだ気を抜いていない。
まずはシックな黒塗りの小瓶を取り出し、栓を開ける。薄ぼんやりと輝く雲のようなものが吹き出して空気に溶けていった。周囲を幻覚で包み姿を隠す『蜃気の惑い香』だ。
さらに、繋いだ者が立てる音と気配を消す『秘せる森の縛鎖』で3人の腰を繋ぎ、ニオイを消す『忍びトワレ』を吹き付ける。
「何時間もつ、エドガー」
「……この大盤振る舞いじゃ魔石が足りねえ。2時間はねぇと思ってくだせぇ。
その間に少しでも遠くに離れて、後は全速で逃げるだけっすね」
『秘せる森の縛鎖』の片端に連結された、燃料を装填するための箱の中に魔石を詰め込みつつエドガーは言った。鎖に繋がった者同士なら会話できるが、この声は他の者に聞こえない。
ただでさえ強力なマジックアイテムは多量の魔石を消費するのに、3人で使っていれば消費も3倍。道中で魔石を詰め続ければ、安全圏に辿り着く前に燃料が尽きるのは明白だった。
最悪エルミニオを見捨てる選択肢もあるか、とエドガーは少し考えた。
エルミニオを連れて帰らなければ報酬は出ないだろうが、命あっての物種。
何よりエドガーが再度の王都潜入に結局付いてきたのはエルミニオではなくロレッタが心配だったからだ。命の瀬戸際に立たされたらエドガーはエルミニオよりロレッタを生かす方を選ぶだろう。
「厳しいな……だがそれだけの時間、追っ手の目を眩ませれば、だいぶ距離を離せるだろう」
「姐さん、絨毯は無事ですか」
「……≪
ロレッタが気まずげに呪文を唱えると、真紅のぼろ布がぼそりと地に落ちた。
切り裂かれた『フライングカーペット』の残骸だ。先程、罠に巻き込まれて損壊していたようだ。
エルミニオが燃えるような目でロレッタを睨み、ロレッタはそっと目を逸らした。
エドガーが試しに持ち上げてみると、切り刻まれて切り分けられた布地のうち数枚だけが浮かび上がった。
残念ながらそれは、腰掛けるにも心許ないほどの大きさだったが。
「掴まって飛んで行くしかねぇか……
流石にこっちのが速いし、足跡残すわけにゃいかねえ」
「よし……では、これより我らは転進する」
エルミニオが指示を出したのとほぼ同時だった。
ひょう、と風を切る音がした。
「えっ?」
エドガーのすぐ隣に矢が突き立っていた。
黒々とした空にいくつもの影がよぎる。
羽ばたきの音が輪唱のように聞こえてきた。
朧月を背負い、銀の輪郭を輝かせる巨体が夜空に舞っていた。
そんな銀色の飛竜を取り巻くように、弓や投げ槍を携えてヒポグリフのゾンビを駆るスケルトンライダーたちが迫っていた。