[2-66] 後はもう、堕ちるだけ
王城内。相変わらずガラクタのような物体が大量に置かれているエヴェリスの工房にて。
「あれ?」
だらしなくソファに寝そべって資料を読んでいたエヴェリスは、窓の外で何かが光ったような気がして身を起こした。同時に僅かな魔力の波動も感じられた。
「おっかしーなー……なんか罠が動いちゃってる?
試作品の熱源感知トリガートラップ、二人以上の熱源を感知しないと動かないように設定したはずなんだけどな」
エヴェリスは首をかしげた。
今夜はルネがテイラカイネを攻める。まさかこんな日にいきなり王都を攻めてくる軍は無いだろうと、エヴェリスは今夜、罠の試運転を行うつもりだった。仕掛けられた罠のほとんどに魔力が流され、動作可能な状態になっている。
街壁付近に仕掛けた『パーティ分断用・熱源感知転移トラップ』もそれだ。熱源感知は誤作動が多く敵味方の識別も難しいので普通トラップのトリガーとして使われないが、味方のほとんどが体温を持たないので使えるのではないかと試しに設置してみたものだ。ぶっちゃけ『試しに作ってみたかった』というのが大部分だが。
「誤作動ならいいけど……いや、よくないけど……まさか侵入者?
うぇえ……センサーとカメラを先に付けとけばよかったやつじゃん、これ」
頭を抱えざるを得ない事態だった。
転移罠で飛ばされる先は、城壁の周りに築き上げた要塞のような外縁ダンジョンの中。
未だ工事中であるあの要塞のコンセプトは『一体の戦闘ゴーレム』だ。攻め寄せる者があれば自動砲台などで迎撃し、王城へ向かう……あるいは要塞そのものを攻撃するため侵入してくる者あらば腹の中で取り殺す。
そのため、城壁の一部として魔法防御構造を採用しており、外から魔法で中の様子を探るのも難しい。だというのに侵入者の状態を観察するためのセンサー機器やアラームはまだろくに取り付けていないのだ。
まあ魔力の供給を止めてしまえば魔法防御能力が無くなるので透視可能だが、中に侵入者がいるかも知れないと思うと罠は動かしておきたい。
エヴェリスは机の上に山と積まれている未完成の
「あー、もしもしぃ? 城内に待機中のみなすぁーん。こちらは最高参謀兼技術顧問エヴェリスでーす。
なんかもしかしたら侵入者が居るかも知れないんで、
罠動いてるんで気をつけてねー。壊れても惜しくないザコを先頭に進んでねー」
罠の試運転のため城内に引っ込んでいた留守番のアンデッドたちが、行動を開始した。
*
エトレはサイコロのように四角い石造りの部屋の中に居た。
ただし、その部屋がサイコロのような形だったのは最初だけで、今は本のように薄くなりつつあったが。
「くそっ、壁が……!」
ギリギリゴリゴリと重い歯車の回るような音がして、前後の壁が迫っていた。
話にはよく聞くが実際見ることは意外と少ない『プレストラップルーム』だ。天井や壁が迫ってきて、最終的には中に居る者をぺっちゃんこにするという単純だが恐ろしい罠。
対処法はまず、そういう罠がある部屋を見抜いて『入らない』『閉じ込められない』こと。しかし転移の罠で放り込まれてしまったのだからそれはもう不可能だ。
脱出路らしきものも当然見当たらない。そうなると、仕掛けをぶち壊すのが最も効果的だろう。絡繰りが仕込んであるということは、そのための空洞があるということであり、普通の壁より脆いのは確実だから。
しかし、迫り来る壁に斬り付けても硬い手応えが返るだけだった。手が痺れた。
魔法は…おそらく効かない。聖騎士であるエトレは神聖魔法にも熟達しているが、神聖魔法は破壊を苦手としている。そもそも、この建物は全体に魔法防御の術式が施されているようで、普通の魔法ではダメージが入らないだろう。
「なら、これを……!」
腰のベルトに取り付けてある、銀色の角砂糖みたいなものをエトレは取り出した。
それはまるで多重に折りたたまれていたかのようにパタパタと展開していく。元の大きさの数倍にまで膨らんでいき、盾のような形になった。
『白銀巨兵の追加装甲』。かつて魔族に世界が滅ぼされかける前、人族が今より進んだ技術を持っていたとされる時代に作られたマジックアイテムだ。
鎧に貼り付けるなり手の持つなりして使う防壁だが、これをエトレは突っ張り棒にした。頑丈なはずの装甲が、みしりと音を立てる。
エトレはさらに立て続けに三枚の装甲板を展開させ、床に置いて壁と壁の間につっかえさせた。それでも装甲板が少しずつひしゃげていくのを見て、愛剣を抜き放ちこれもまた支えとする。
エルミニオを守るための装備。ドロエット家の財力をフル活用してあつらえられた逸品だ。マジックアイテムの頑丈さに賭けるしかなかった。
ギリ、ギリと歯車が苛立たしげに軋み、そして、遂に壁は止まった。
「助かった……」
ほっと胸をなで下ろすエトレ。
部屋は既に、大人一人分の肩幅ぐらいにまで圧縮されていた。
しかし、ほっとしたのも束の間。
「……う、動けん……」
もはやエトレは向きを変えることすらできなくなっていた。辛うじてカニ歩きで細い部屋の中を移動できる程度だ。
この状況からどうすれば助かるのか。情けない話だが、外から味方に助けられるのを待つくらいしか考えられなかった。
しかし、この状況。他の四人はどうしているのだろうか。一緒に魔方陣に呑み込まれたエドガー以外の三人も、またどこかで罠に襲われているという気がした。
同僚であるアルフォンソを案じざるを得ない。
ロレッタ本人はものすごくどうでもいいが、彼女が持たされているマジックアイテムは脱出時に役に立つはず。無事を祈りたい。
そして何より、エルミニオ。お父上にあらせられるドロエット郷とは顔以外似ても似つかない、あの御方の
気を揉みながらもじっとしているしかなかったエトレだが、彼はふと、妙な音を聞いたような気がして足下に目を向けた。
床が、透き通り波打っている。
縦に平べったくなってしまった部屋の中に、水が流れ込み始めていた。
「なっ…………」
*
雄叫びのような機関音を上げながら、銀の刃が迫る。
「何これ何これ何これ!? やだやだやだ!」
細長い通路を疾走するロレッタを追跡しているのは、銀の円盤のようなノコギリだ。半分だけ顔を出したような状態の刃が、壁を、床を、天井を突っ走って、火花を上げるほどに回転しながらロレッタに迫り来る。足を止めた次の瞬間には五体バラバラにされて惨死することだろう。
「何か、使えるアイテムは……!」
ロレッタは必死で、自分がエルミニオに持たされているアイテムの脳内目録を手繰った。
ロレッタの主な仕事は収納系魔法を使った荷物持ち。大量のマジックアイテムを持ち歩きたがるエルミニオのため、自身の魔力を捧げている。
だがロレッタが持たされるものは『大きな物』『あまり使わない物』『量が多い物』だ。単純に破壊力のあるアイテムなんかはエルミニオ自身やエドガーが持っていることが多い。
となれば、むしろ収納魔法はこの状況で足枷だ。
「もう、重いったらない! ≪
大量のアイテムが通路にぶちまけられた。
棺桶のようなもの、丸めた絨毯、よく分からない金属の箱、小物を収めた鞄、そんなものが撒き散らされて回転ノコギリに切り刻まれていく。
これで止まってくれるほど甘くはない。
だが収納魔法を放棄したことでロレッタはフリーハンドで魔法を使えるようになった。
収納から取り出した
ロレッタは後ろ向きに走りながら詠唱した。
通路を絞り上げるように回転ノコギリが迫り来る。
だがロレッタが見るのは、ノコギリの群れの隙間の向こう側だ。
「≪
ロレッタは回転ノコギリの群れを飛び越え、今し方駆け抜けてきた通路の上に着地していた。
「バーカ。クソボンボンの道楽冒険で命掛けてなんかいらんないのよ……!」
火花を上げながらすっ飛んでいくノコギリを見送って、ロレッタは汗を拭いつつ毒づいた。
だが。
「え、うそ、やだ」
その悪口が聞こえたかのように、ノコギリの群れが急ブレーキを掛け、逆方向に回転しながらバックし始めた。即ち、ロレッタの方へと。
「来ないでよおーっ!」
半ば残骸と化したマジックアイテムの山を乗り越え、ロレッタは死に物狂いで走り始めた。
肺が破裂しそうだった。
あのノコギリには半端な魔法攻撃では通用しない。物理攻撃をかまそうにも、ロレッタは簡単な地の元素魔法くらいしか物理攻撃の魔法を使えず、さらにそのためには土塊や石が必要だった。
この建物がただ石を積んだだけの建物だったら壁や床を抜き出して魔法に使えたのに、よりによって街壁や城壁と同じように地脈の魔力を汲み上げて魔法防御力を備えている。
「もうやだぁ! 神様助けて! 今度こそ真面目に生きていきますからぁ!!」
半泣きで叫びながら逃げるロレッタ。その背後に絡繰りの音が迫る。徐々に、大きく。
「姐さん! 伏せて!」
前方から声が掛かり、その妥当性を判断する間もなくロレッタは従った。
走り続ける体力も限界で、つんのめるように倒れて伏せた。
姿を現したのは髭面の
エドガーはガラス玉の中に液体を収めたみたいなものを指の間に挟んで片手に3つずつ持っていた。
そして、鋭く擲った。
ドジュウ、と焼け火箸を水に突っ込んだみたいな音がした。
振り向けば回転ノコギリにぶつかった玉が割れ、中身の液体が降りかかっていた。
銀色をした死の刃はガクガクと震えながら速度を落とし、やがて、ピクリとも動かなくなる。
倒れたまま、ロレッタはぜぇぜぇと荒く呼吸をして息を整える。気が付けば汗だくになっていた。喉が張り付いて血を吹いているかのようだった。
「間一髪、でやしたね」
怖気を吐き出すように、エドガーは細長い息を吐いた。
「エドガー。これ、どしたの?」
「『アクルロクルの酸液』ってぇやつでさ。そいつを『薬玉』に仕込んでぶつけりゃ、この手の罠は案外簡単にぶっ壊れるんで」
「やるじゃん。やっぱあんたがパーティーで一番いい男だわ」
「へへっ、そしたら今度一晩お相手してくだせえや」
「やぁよ。アタシは顔のいい男としか寝ないんだから。ついでに金持ってたら最高ね」
ちなみにロレッタは、先程逃走中に神に立てた誓いをもう忘れていた。
ようやく起き上がったロレッタは、回転ノコギリが本当に壊れたのか注意深く観察しつつ周囲を伺う。
「ここって、あれよね? 城壁の周りにあった変な建物」
「そっすよ。そん中に転移させられたみてぇで」
「で、これからどうするのよ」
「どうするって、逃げるしかねぇけど……」
二人は黙りこくり、固唾を呑む。
カツリコツリと何者かの足音が迫っていた。