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 その条件闘争の内容は、大学の東側を走る南北の幹線道路(吐露港公路)の1車線を開放する代わりに政府は24時間以内に「区議会選挙を行うことを承諾しろ」というものだった。

上下線ともに1車線だけ開通された吐露港公路

 政府寄りの建制派には勝ち目がなく、政府は選挙を中止するかもしれないという懸念があった。そこで一部の抗議者はこの大動脈を「人質」にとって24日に実施予定の区議会選挙が中止されることを阻止しようとしたのである。吐露港公路は上水など多くの住宅がある新界の東北部と九龍地区を結ぶ幹線道路で、深圳と香港の間の物流の大動脈の1つである。代替となる経路は少なく、人質として利用しやすかったのだろう。

 しかし学生会側には道路は閉ざしておくべきだと考えている人が多かったようだ。また学生会は区議会選挙の実現を最終的な目標と考えておらず、そのための条件闘争には参加しないとの立場だった。学生会は記者会見後の朝5時に声明を出し、「プラットフォームのないデモとして前線を尊重する」とは言いつつも、一部の抗議者が勝手に記者会見をしたことについて強い不快感を示している。

 その他にも様々な対立が存在していた。例えば抗議者がバスの鍵を破壊して広大なキャンパス内で独自のシャトルバスを運行している中で、人身事故があったとされる。バスの運転に不慣れな抗議者がキャンパス内の一方通行などの交通ルールを守らず運転しているのは私も何度も目撃しており、事故が事実である可能性は十分ある。学生会はそのようなことを許可しておらず、シャトルバスを運営していたグループと学生会の間でもそこで対立が生じたようだ。他にも中文大学から撤退し、警察との抗争がより過激化しそうな香港理工大学に行くべきだという論争もあったようだ。

残された物資。兵糧の不足から撤退したわけではないことが分かる

 今回の香港の一連の抗議活動はリーダーがはっきりしない点に特徴がある。そのため仲間割れのプロセスは現地にいた人や当事者もはっきり分かっていないようだ。しかし、金曜日になり抗議者がどんどんキャンパスから出て行くようになったのは事実だ。

 そして15日金曜日の午後になって、一部の過激な抗議者が爆弾を「二橋」に設置するという噂が流れた。この橋は警察との衝突が度々起きていた場所である。本当に設置したかどうかは確認が取れていないが、複数のソースから、爆弾を作っていたのは事実と聞いている。

 大学側もこうした不穏な状況を察知したのか、動きがあわただしくなった。いまだキャンパス内に残っていた学生と職員をなんとか外に出そうと臨時のシャトルバスを手配し、大学から徒歩数分の場所に車が乗り入れられる場所を確保し、キャンパス外部の安全な地点とピストン輸送を行った。