出演:加古隆(ピアノ)、進藤晶子(語り)、日本フィルハーモニー交響楽団(管弦楽)、岩村力(指揮)
1995年、「映像の世紀」の放送が開始された。
19世紀末から20世紀末の映像をつなぎ合わせ、俯瞰的に20世紀を振り返った
番組作りが高い評価を集めた本作は、従来のドキュメンタリー番組とは
明らかに作りが違っていた。それは制作あたりに3つの決め事が定められたからだ。
"①世界史に残る有名な出来事でも映像に描けないものはテーマから落とす。
②新たな証言者へのインタビューは行わない。すべて映像資料に語らせる。
③完成した「作品」ではなく、出来る限り映像の一次資料に語らせる。"
(『NHKアーカイブスカタログ : NHKは何を伝えてきたか : テレビ番組放送記録+番組小史1953~2008』より)
こうした徹底的な映像主義は、活字では伝えきれない当時のリアルな姿をいまに甦らせ、観る者の心に訴えかける作品となった。
今回の特集では、本作を最新のデジタルリマスタリング技術で画質・音質ともに復活させ、2015年にNHKで放送された<デジタルリマスター版>を放送。
――『映像の世紀』は、どのように企画されたのでしょうか。
河本 天安門事件のときですから1989年ですか、90年代を前にして「世紀末企画」の募集があったんですよ。その中で出した企画なんです。最初は、イベントに出来るような企画を出せって言われて、それで番組と連動してホールを借り切って20世紀の代表的な演劇であったり、歌であったり、そういう「20世紀イベント」みたいなものが出来ないかという提案を書いた記憶があります。
――初めからタイトルは『映像の世紀』ですか?
河本 『映像の世紀』というタイトルだけは、最初の企画書から一歩も動いていません。「20世紀は初めて動く映像で記録された世紀である」というのが企画書の書き出しなんですよ。それでどうやって作っていくかと具体化させる中で、NHKだけで作るのは無理でしょうということで共同制作をするという話になったんです。イギリスのBBCやアメリカのABCと話をしたんですが、やっぱり興味の持ちようがそれぞれ違うんです。BBCは1つのバージョンを両国で放送することにこだわり、番組の内容についても、インドの識字率がイギリスの植民地化によって上がったというようなことを入れると言い出したので、これはちょっと組めないなと思ったんです。それでABCと組むことにしたんですが、取材は共同でやって番組の内容はそれぞれの国で作りましょうということにしたんです。だから厳密な意味では共同取材ですね。
――日米の共同取材では、興味を持つ対象がずれることはありませんでしたか?
河本 ありました。打ち合わせで、こんな映像が残っていればいいというようなことを挙げていくんですが、そこは大きくは変わらないんですよ。ただ、一つのテーマや出来事をどれくらい集めるかというところで揉めるんです。NHKの感覚だったら2分ぐらいのシーンになるという出来事も、向こうは15分と考えていたりするんですよね。逆の場合もあります。それで僕は、それぞれの側の多い方に従いましょうと。つまり、NHKがその出来事で10分くらいの映像を使うつもりなら、ABCが例え3分のつもりでも10分間の構成が出来る映像を探してくださいと。その代り、逆もあり得ますと。そうすると、日本人にとってはあまり関心のない映像もあるのですが、初めて知る映像も集まってきた。例えば今の人気タレントのように群衆に囲まれるトルストイとか、NYの摩天楼や地下鉄の建設に従事したのは移民労働者だったりとか、それらは僕らの知らない世界ですよね。
――それらが、『映像の世紀』の膨らみになっていますね。
河本 第一次世界大戦って学校では第二次世界大戦に比べて詳しくはやらないでしょう? ところが映像で見ていくと、これが全ての始まりだった。兵器にしても技術革新がすごくて、わずか3、4年で、戦車から潜水艦等、ほとんどの兵器のルーツが登場してくる。ここから20世紀の物語は始まっていると思ったほどでした。1920年代のアメリカも僕らの知らないことがいっぱいあって、社会風俗で言えば、今の新宿にある様々な店や商売の原型がほとんどあの時代にありました。百貨店の通信販売まで、大衆の欲望を満たす様々なものがニューヨークで生まれていくんですね。
――1回につき75分の番組の大部分が、当時の映像だけで構成されています。
河本 学者が出てきたり、第一次世界大戦を生き残った人のインタビューを入れたりすることも最初は考えましたよ。だけど、集まってきた映像を見ると、これは映像だけで行けるんじゃないかという気が少しずつしてきたんです。それならば思い切って解説やインタビューを禁じ手にしようと。最初にそう決めないと、学者がインタビューに出てくる回もあれば、体験者が出てくる回もあるではシリーズの統一感が出ませんからね。インタビューを禁じ手にしたのが一番大きかったのかなと思いますね。映像を数多く重ねることによって、その時代の空気感や臨場感を伝えることに重きを置きました。それによって加古さんの音楽も活かせたと思います。
――ナレーションでは、その映像の時代に書かれた文章などを引用して立体的に構成されています。
河本 当時書かれた手記、演説などを使っていますね。そうした記録を見つけるのも大変なんですよ。それをフルに使い込んで臨場感ある音を作っていこうと。後からのインタビューや回想録っていうのは意外に信用できないところがあるので注意していたんですが、引っかかりましたね。ダグラス・マッカーサーが父親と日露戦争の戦場を視察したということが回想録にも書かれているので、そういうナレーションをつけて放送したんですが、あれは間違っていると専門家から指摘されたんです。戦争が終わってから視察に行ったんだと。それで本当にそうなのか、もう一回リサーチャーを走らせたら、その通りだったんですよ。
――時代が進むにつれて映像が増えてくるだけに、第一次世界大戦に比べて第二次世界大戦は映像が豊富だったのでは?
河本 豊富だったことで、編集もタイトルも苦労しました。これまでにも記録映画が数多く作られてますからね、だから一つのテーマに絞ろうと。戦場だけでなく、都市にまで戦禍が拡大、そこで記録された膨大な数の戦慄の映像、タイトルは「世界は地獄を見た」としかつけようがなかったという感じでした。
――『第4集 ヒトラーの野望』に登場するアドルフ・ヒトラーの演説映像は、大衆の熱狂的な歓声が響く中で、話し始めるまでの数十秒の沈黙の時間をそのまま流すことで、なぜ支持を得たのかを感じることができます。
河本 入手したヒトラーの演説は1時間近くあったんですよ。試写をしていると、当時学生アルバイトの人たちがたくさんいたのですが、いつの間にか編集台の後ろに集まってきて、みんな見ているんです。言葉はわからなくても、彼の物言いというか扇動性というものに何か異様なものを感じたんでしょうね。
――『映像の世紀』は幅広い年齢層の視聴者から支持される番組でした。
河本 小学5・6年から80幾つの老人まで反響がありました。一番多かったのは、「歴史を学ぶことは、いかに難しいか」という感想でした。「記録映像ってすごいな」って見入っている間に番組が終わったという感じで良いと思ったんです。ある時代を映像で見ながら通り抜けたっていう感じさえしてもらえれば、後は自分の興味に沿って次のステップに行ってもらえれば良い。その入口をどう魅力的に作るかっていうことだったと思います。本放送以来、再放送は教育テレビや衛星放送でも何回もやっているんですが、新たに今回、日本映画専門チャンネルで放送されて、これでまた初めて見てくれる人がいるわけですから、ありがたいことだと思っています。
文/吉田伊知郎
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「映像の世紀<デジタルリマスター版>」「NHKスペシャル 新・映像の世紀」「映像の世紀 コンサート」
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