王国領城塞都市エ・ランテル。人間国家三大国の国境線が交わるこの都市を異様な緊張感が支配していた。三重の城壁の最外周には王国駐屯軍のみならず帝国軍、法国軍の姿もあった。一触触発の空気の中、兵士たちの視線は最内周、行政区画へと注がれていた。
都市長パナソレイ・グルーゼ・デイ・レッテンマイアの邸宅の一室、会議室を重苦しい沈黙が覆っていた。今日ばかりはパナソレイも居住まいを正している。〈
(とはいえ、ここまでするものだろうか? それほどの事態と言うことか)
卓につく顔触れにパナソレイはその場から逃げ出したい衝動に駆られてしまう。
リ・エスティーゼ王国第一王子バルブロ・アンドレアン・イエルド・ライル・ヴァイセルフ、第二王子ザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフ。エリアス・ブラント・デイル・レエブンをはじめとした六大貴族。
バハルス帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス。最強にして最高の
スレイン法国最高神官長と大元帥。そして各国のアダマンタイト級冒険者。王国からは蒼の薔薇、朱の雫。帝国からは銀糸鳥、漣八連。法国はアダマンタイト級こそ保持しておらぬも、第四位階の治癒系
「おや、ストロノーフ殿は不在なのか。このような時にこそ、彼の御仁の力が必要になると思うのだが」
帝国皇帝の牽制に王国勢は過剰とも言える反応を示した。
「このような時だからこそ、だ。戦士長殿は病床に伏せる父についている」
「彼奴などいなくても我々だけで充分!」
「その通り!」
「はは、豪気なものだ。是非ともあやかりたいものだな」
皮肉げに口角を上げるジルクニフの瞳がスッと細まる。やはりガゼフ・ストロノーフが死亡したという情報は真実のようだ。王子や貴族たちの様子から、蘇生すら失敗したとみえる。周辺国家最強のガゼフ・ストロノーフの死。国力低下は免れまい。士気の減退を恐れ戒厳令を敷いているのだろう。
「その辺りにしていただこう」
法国最高神官長がゆっくりと口を開く。その目は落ち窪み、疲労の色が濃くみえる。何があったのか、側からみても憔悴しきった様子だった。
「今は国家間で争っている場合ではない。世界滅亡の危機なのだから」
「ならばお聞かせ願おうか? あれがなんなのかを」
「……あれは……あれは『世界を滅ぼしうる存在』だ」
最高神官長は静かに事の顛末を語った。
「馬鹿な、ありえん!」
バルブロが憤りを顕に机を叩く。各国要人が集まる場にて慇懃無礼な態度だ。しかしその場の誰もが同じ思いを抱いていた。頭痛を覚えたジルクニフがこめかみを抑えた。
「……そのような話を信じろと言うのか? ははっ、悪い冗談だ」
「難度にして約二百五十……」
アダマンタイト級冒険者たちの間にも動揺が広がる。アベリオン丘陵地帯が一夜にして森と化した。荒唐無稽な話だが事実だ。森を構成するトレントや
事態を重くみた各国は休戦協定を結ぶ。人類の危機に同族同士で争っている場合ではない。各国は軍を展開し、樹海の侵攻を水際で防いでいる状態だった。王国筆頭貴族、レエブン侯が法国に向き直る。
「つまり神官長、貴方はあれが森妖精王国の仕業だと言うのですね?」
「いかにも」
スレイン法国と森妖精王国が長年戦争状態だったのは周知の事実だ。王国は近年、ラナー王女の働きにより奴隷制が廃止されたが帝国は未だ奴隷制が残っており法国から森妖精の奴隷を購入している。
今回、法国は総力を結集し森妖精を後一歩のところまで追い詰めた。後がなくなった森妖精王が姦計を巡らせ、エイヴァーシャー大森林に封ぜられていた古の厄災を解き放ったという。法国は甚大な被害を被り、枷が外れた魔樹はその猛威を振るった。
「そういえばババアから聞いたことがあるな」
仮面の
「かつてリーダーたちと魔樹をどこかの森に封印したらしい。確か名はザイトロ、ザイトリ……」
「ザイトルクワエだよ、インベルンの嬢ちゃん」
「げぇっ、ババア!?」
「リグリット様!?」
蒼の薔薇が驚きの声を上げる。リグリット・ベルスー・カウラウ。十三英雄の一人である死霊使い。生ける伝説の突然の訪問に場が騒然とした。自身に匹敵するであろう
「のう、法国の。これから何人も死地へ赴かせようと言うのだ。そろそろ腹を割って語るべきではないかの?」
「な、何を言っておる」
シラを切り通そうとする神官長にリグリットは深く溜息を吐いた。
「わしらがザイトルクワエを封じたのはトブの大森林のはずだが?」
「ッ──」
二の句を継げずにいる神官長をリグリットが豪快に笑い飛ばす。
「カカカ、我が友からの伝言じゃ。『自分たちの不始末は自分たちでつけよ』とな」
「それはどういうことだ!」
「この騒動は貴国が原因なのか?」
法国への非難で会議は紛糾した。バルブロが神官長を口汚く罵っている姿を尻目に、リグリットは蒼の薔薇に目配せで合図を送る。自然と廊下へと連れ出した。ラキュースはホッとひと息つくと笑顔を浮かべる。
「お久しぶりです、リグリット様」
「うむ、お主らも元気そうで何よりじゃ」
「チッ、くたばってなかったか──あいた!?」
憎まれ口を叩くイビルアイにリグリットの拳骨が飛ぶ。イビルアイにこんな態度が取れるのは彼女だけだ。未曾有の危機に気を張り詰めていた蒼の薔薇の面々は思わず顔を綻ばせる。その様子に老婆は自分の判断は間違ってなかったと満足げに頷いた。
「さて、本題に入るとしようかの。お主たちにしか頼めんのじゃ。安心せい、わしも手伝うでな」
リグリットは懐に忍ばせていたアイテムを取り出してみせる。皆の瞳が驚愕に染まる。そこには水晶の輝きがあった。
◇◆◇
「っくしゅん!」
「おや、ナーちゃん。風邪っすか?」
可愛らしくくしゃみをする妹をルプスレギナが茶化す。ナーベラルはハンカチで口元を覆いながら即座に否定した。
「まさか。耐性は万全のはずよ? ありえないわ」
「ということは誰かが噂しているに違いないっす! いやあ、我が妹ながら罪作りっすね」
美姫の四人は城塞都市エ・ランテルを訪れていた。以前はたくさんの人々が行き交い、活気に溢れていた通りには人影すらなく。露天が消え失せた閑散とした広場に響くのは鉄靴の金属音だけだ。王国を含めた三ヶ国が非常事態宣言を発令したのだ。当然といえば当然かもしれない。ルプスレギナたちは何も人類存亡をかけた一大決戦に馳せ参じた訳ではない。彼女たちは、正確にはプレアデスの二人はこの都市に用事があったのだ。
「あぁああああ!?」
大通りを歩く一行に背後から絶叫が降りかかる。振り返った先には四人の冒険者。どこかで見た顔だ。ナーベラルは既に名を忘れていた──正確には覚えてすらいない──がルプスレギナには覚えがあった。漆黒の剣。以前この街で多少の縁を結んだ冒険者チームである。声の主はそのうちの一人、ルクルット・ボルブだった。両手で頭を抱え戦慄いている。
「ル、ルプスレギナちゃん!? その男は……まさか!?」
「そうっす。ナーちゃんのコレっすよ」
「ルプー!」
小指を立て悪ノリするルプスレギナにナーベラルが声を荒げた。本気で怒っているようだ。ブレインは呆れたように息を吐いた。
「勘弁してくれ。俺も命が惜しい」
「それはどういう意味かしら?」
冷たい視線を浴びせるナーベラルにブレインは降参とばかりに両手を挙げる。
「ブレインって……まさか、あのブレイン・アングラウスですか!」
「知っているの?」
漆黒の剣リーダー、ペテル・モークが歓喜の音を上げた。ニニャが小首を傾げる。
「ああ、そうだが……」
「やはり! 御前試合での一戦はお見事でした!」
「おお、それなら知っているのである。戦士長殿との伝説の一戦であるな」
ペテルにダインが同調する。その頃、たまたま王都に赴いていたペテルが御前試合を観戦したのだ。後に王国戦士長となるガゼフ・ストロノーフと互角に戦った男、ブレイン・アングラウス。戦士の間ではちょっとした有名人である。
「そいつはどうも」
盛り上がる漆黒の剣にブレインは苦笑するしかなかった。昔の自分であれば誇らしげに胸を張っただろうが、現在の自分はパーティメンバー中最弱と自覚している。上には上がいると嫌という程思い知らされた。とてもじゃないが自分程度の強さを誇る気にはなれない。歯切れの悪いブレインに気を悪くさせたと勘違いしたペテルは話題を逸らした。
「皆さんは組合に召集されたのですか?」
「違うっすよ」
「いいえ」
即座に否定する二人に漆黒の剣が曖昧な表情を浮かべた。王都のみならず、帝国、法国の冒険者チームが多数エ・ランテル入りしている。オリハルコン級の美姫がそこに加われば戦力は盤石だと思ったのだが。こればかりは仕方がない。冒険者にとって何よりも大切なのは生きて帰ること、即ち冒険しないことなのだから。リーダーとして仲間全ての命を預かるペテルにはその気持ちが痛いほどよくわかった。
エ・ランテルに迫り来る樹海の噂は冒険者の間で持ちきりだった。けれどもミスリル級に満たない冒険者チームは此度の潜入作戦において役不足だ。銀級の漆黒の剣は城壁の防衛任務を任されていた。
「急ぎの用がないのでしたら是非とも俺たちとお食事を!」
「いい加減にしないかルクルット。私たちには任務があるだろ?」
「いいじゃんか、どうせ見張りだろ? 以前の礼もしたいし」
「おおっと、デートの誘いっすか? どうしようかなー」
ルプスレギナは漆黒の剣へ、正確にはその背後へと流し目を送る。釣られて振り返る漆黒の剣は言葉を失った。そこには絶世の美が二輪、優雅に咲き誇っているではないか。漆黒の髪を夜会巻きに束ねた女性と腰までありそうな桃色の長髪に首巻きを靡かせる少女。何故かメイド服を見に纏う二人はそれぞれが美姫と称されるルプスレギナとナーベラルに勝るとも劣らない魅力を醸し出していた。人間にはニコリともしないナーベラルがぱあっと顔を輝かせる。
「ユリ姉様、シズ!」
「ちわーっす!」
「ルプス、ナーベラル。二人とも元気そうね」
「…………久しぶり」
四人が親しげに言葉を交わす。その光景はまさしく美の饗宴。ルクルットはこの場に居合わせたことを神に感謝し感涙に咽び泣いた。鼻息荒く問いかける。
「ルル、ルプスレギナちゃん! この方々は!?」
「んー? 私たちの姉のユリ姉、それから妹のシズちゃん! ちなみにユリ姉怒るとマジヤバっすから気をつけ──げふっ」
くの字に曲がるルプスレギナ。ユリの鉄拳が炸裂した。クレマンティーヌとブレインは戦慄した。あのルプスレギナを一撃で。姉妹というだけあってこの女もかなりの手練れらしい。ユリは何事もなかったかのように優雅に会釈した。
「皆さま方、いつも妹たちがお世話になっております」
「違いますユリ姉様。迷惑を被っているのは我々の方です」
「…………」
約二名、喉元まで出かかった抗議の声を何とか飲み込んだ。
「ああ、今日はなんて良い日なんだ! お姉様方も是非とも我々とお食事を!」
「お誘いいただきありがとうございます。ですが私たちには為すべきことがありますので」
「為すべきこと……ですか?」
「…………そう、迷子捜し。手のかかる妹を持つとお姉ちゃんは苦労する」
帝国でお姉ちゃん属性を強めたシズは完全にエントマを妹認定していた。
「そいつは大変だ」
「私たちも手伝いますよ!」
「人手は多い方がいいのである」
「どの辺りで逸れました?」
漆黒の剣が口々に協力を申し出る。目の前の少女の妹ということは大分幼い子だ。おそらくエ・ランテルで逸れたのだろう。早く保護してあげなくては。
「お気持ち大変嬉しく思います。ですが──」
ユリは彼らの善良さを好ましく思った。だからこそきっぱりと断っておく必要がある。
「いくら探しても妹たちはこの都市にはいません」
「え?」
「二人は樹海にいます」
漆黒の剣は言葉を失う。直前までの騒がしさが嘘のように静まり返った。
「〈
「……了解。目標までの最短ルートを検索する」
しかし彼女たちの目に絶望の色は一切なく、まるでピクニックに行くかのような気楽さすら感じさせた。
「ま、まさかあそこに向かうおつもりですか!」
「考え直してください、自殺行為だ!」
「お気遣い痛み入ります。ですがお構いなく」
ユリが深々とお辞儀し、激しく狼狽する青年たちに別れを告げた。
「ああ、そうそう」
当然のように後に続こうとするブレイン、うんざりした顔のクレマンティーヌをルプスレギナが振り返る。
「クーちゃん、ブーちゃんはここまでっす」
「は?」
「え?」
「その辺のカフェで優雅にお茶でも飲んでればいいっすよ」
困惑。相手の意図が掴めない。いきなり何を言い出すのか。言葉足らずなルプスレギナをナーベラルが補足する。
「察しなさいな。足手まといなのよ」
「なっ──」
絶句するブレインを置いて四姉妹は正門へ向け歩き出す。
(っし、絶好のチャンス到来!!)
またとない逃走の機会だ。喜びを隠しきれないクレマンティーヌは憮然とした様子のブレインに気づく。
「あれぇ、嬉しくないの?」
「……俺はまだあいつらに借りを返してないからな」
ブレインは彼女たちの後を追う。呆れたように吐き捨てるクレマンティーヌは彼らとは逆方向へと歩き出す。
「……ああ、もう!」
数歩進んだところで苛立たしげに頭を掻くと遠ざかる青髪に向かって怒声を上げた。
「待ちな、お前の命は私のもんだ!」
クレマンティーヌは踵を返し駆け出した。残された漆黒の剣は唖然と彼女たちを見送ることしか出来なかった。
◇◆◇
「オラァッ」
ガガーランの気合を込めた一撃が炸裂する。行く手を阻むトレントを粉砕した。空いた隙間を塞ぐように新たなトレントが枝葉を伸ばす。その先端には絞め殺す蔓が触手のように身をくねらせていた。
「うへぇ、ぬるぬる系は苦手なんだよ!」
「交代」
ガガーランの両肩を飛び石に忍者姉妹が軽やかに躍り出る。
「爆炎陣」
「爆炎陣」
ティア、ティナはそれぞれ鏡面のような動きで印を結び発動。前方を塞ぐトレント、絞め殺す蔦を燃やし尽くした。
「
「〈
ラキュース、イビルアイが剣、水晶の槍をそれぞれ飛ばし後続を穿つ。
「アズス叔父様、今です!」
「感謝するぞラキュース」
蒼の薔薇が作った道を朱の雫、錦糸鳥、漣八連が続く。次は朱の雫が道を切り開く番だ。アダマンタイト級冒険者チームは隊列を組み、互いに互いを庇い合いながら樹海を進んでいく。少しでもリソースの消耗を控えているのだろう。彼らが切り拓いた道を進むのは帝国四騎士の四人だ。後続にオリハルコン級、ミスリル級、治癒系魔法詠唱者などが続く。他の一般兵士達は樹海がこれ以上広がらないようにと円周上に部隊を展開していた。フールーダと彼の高弟、
作戦目標はひとつ。ザイトルクワエの殲滅、あるいは封印。
観念して重い口を開く最高神官長曰く、森妖精王国との戦争において魔樹を投入した法国は終始優勢だった。だのに法国戦力はほぼ壊滅。帰還したのはたったの二名。その生存者すら共に重傷を負い、一人は意識不明の重体らしい。
魔樹を操った特別なマジックアイテムは樹海の海に沈んでおり、回収不可能。よしんば回収出来たとしても担い手は既に失われている。九百万を超える法国の民において適合者はたった一人しかいなかった。今から王国、帝国から適合者を探す暇もないし、ザイトルクワエの支配は実質不可能だろう。交戦経験のあるリグリットは顔を顰めた。
「……今思えばわしらが戦ったのはあの魔樹のごく一部だったんじゃろうて」
二百歳を優に超える老体とは思えぬ俊敏な動きをみせるリグリットにイビルアイが並走する。
「私たち総がかりでも無理か?」
「……正直言って厳しいじゃろうな。かつての仲間たちがいれば話は別だが」
リーダー、魔法剣士、大神官、
「後は……世界の揺り返しにでも期待するとしようかの」
「世界の揺り返し? 何だ、ついに呆けたのかババ──痛っ」
イビルアイの脳天に拳骨が落ちる。仮面越しだがおそらく涙目だろう。
「舐めんじゃないよ泣き虫。冒険者こそ引退したがわしは生涯現役だよ」
「リグリット様、あれを!」
ラキュースが声を張り上げる。見上げた視界の先、天まで届きそうな巨大樹が不気味に聳え立っていた。
「いよいよだ、みんな! 気を抜くんじゃないよ!」
「はっ」
「了解」
「おうよ!」
一行は各々の得物を構えて死地へと赴いた。