糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの

11月18日の「今日のダーリン」

・19歳の人とかは知らないと思うけれど、
 1999年が、2000年になるときのことを憶えている。
 20世紀が21世紀になる。※
 世紀末だった長い時間が、初々しい新しい世紀になる。
 1999年の12月31日から、2000年1月1日になる変化が、
 いろんな問題を引き起こす可能性があるということで、 
 けっこうな騒ぎになっていた。
 コンピューターの時間設定が1999年までしかないので、
 2000年になったとたんに暴走するとかしないとか、
 世界は大混乱になるとかならないとか、騒がれていた。
 その問題について、ぼくは切実にわかってなかったので、
 「大変なことだね」とか言って、
 テレビ局の人に「これでほんとに最後ですから」と
 誘われた「赤城山埋蔵金発掘番組」の撮影をしていた。
 正月を迎えて、やっぱり埋蔵金は出なかったし、
 コンピューターの大暴走という話も聞こえてこなかった。
 年越しに、なにも起こらなかったことの背後では、
 たくさんの技術者が寝ずの調整をしていたのだろうな。
 あれから、20年も経っていたんだよなぁ。

 もうじき、今年も12月に山下達郎がやってくる。
 その数日後には大晦日がやってきて、間を置かずに、
 2020年の正月がやってくることになっている。
 2019年から、2020年になるからといって、
 なにか危険なことがあるというニュースもない。
 スムーズに来年になる、その年にはオリンピックがある。
 なんだか、あかるい感じの年越しができるのだろうか。

 ぼくは、先日、中国で若い女性に言われたことばが、
 気になったまま年を越しそうである。
 「東京は、なつかしくて、静かで好き」
 肯定的に言ってくれていたのだけれど、
 「1980年代から変わってないような、なつかしい感じ」
 と表現されたことは、かなり衝撃的だったのだ。
 40年も変化が感じられない街で、いいのかなぁ? 
 「それがいいんだ」という弁護の気持ちもあるけれど、
 やっぱりまずいんじゃないかという気がする。

 2019年が明けて、2020年に新しい風が吹いてくるか? 
 そういう年のはじめを、本気でたのしみにしたいと思う。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ぼくが20歳だったら、どんな気持でいるのだろうか、いま。

(※21世紀に変わるのは、正しくは2001年からです)