迷子のプレアデス   作:皇帝ペンギン

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第十四話

「急げ、グズグズするな!」

「は、はい……」

 

 王は部下たちを叱咤する。国全体を揺るがす断続的な地響きがもう間も無く城壁が崩れ去ると教えてくれた。急がなければならない。森妖精(エルフ)王国未曾有の危機に王はすぐさま立ち上がった。

 

「早くしろ、全て運び出せ!」

 

 王の姿は最前線にあるか、否。では玉座の前にて全軍の指揮を? それも違う。あろうことか、王は部下たちに全てを丸投げに宝物庫を訪れていた。宝物庫に輝くは建国以来二百余年間に及ぶ彼のコレクションの数々。金貨の山々には宝剣、王冠、王笏、宝石、装飾品、武具、マジックアイテムなどが乱雑に敷かれていた。

 

「収められているもの全てが貴様らより価値あるものと知れ!」

 

 各人に〈小型空間(ポケットスペース)〉を唱えさせ希少なアイテムから優先的に運ばせる。もう治癒の小瓶一つ分の隙間すらない無限の背負い袋を見やり、王は苛立ちを露わにする。このマジックアイテムがもっとあれば楽に移動できるものを。森妖精(エルフ)王ですらリーダーから譲り受けたもの一つしか所持していない。それこそいくつあっても足りない状況だというのに。王は神経質そうに親指を噛みながらこれからを思案する。そもそも強い兵さえいればこんなことにはならなかった。自分の種は問題ない、悪いのは森妖精の女共だ。今必要なのは強い母体。そう、法国のあの女のように。

 

「……待てよ」

 

 妙案が浮かぶ。異種間による交配などどうだろうか。例えば近親種の闇妖精。昔はトブの大森林に闇妖精の王国があったはずだが、ザイトルクワエのせいで移住を余儀なくされたはず。今は一体何処にいるのか。皆目見当もつかない。王は苛立たしげに歯噛みする。またザイトルクワエか。愚かな人間共め。太古の厄災を持ち出すとはなんと邪悪な存在よ。

 

 

 ドサリと何かが落ちる音に思考が妨げられる。扉付近からだ。振り返ると全身鎧(フル・プレート)に身を包んだ侵入者がいた。白と黒の翼をはためかすその姿は天使を彷彿とさせる。足元には息絶えた兵士が転がっていた。バイザー越しの視線からは一切の感情は読めない。

 

「殺せ!」

 

 聖域を侵した侵入者に裁きを。部下たちに詠唱させる。この場にいる女たちは選りすぐりの第三、四位階の使い手だ。相手がどれほどの手練れであろうが波状攻撃に曝されてはひとたまりもあるまい。

 

「ッ──」

 

 森妖精王の予想は、しかし簡単に裏切られる。

 

 女が戦鎌を横薙ぎに振るう。ただそれだけだった。だのに風車の如く回る鎌は赤い果実を収穫していく。瞬く間に森妖精らの命を刈り取った。

 宝物殿に首を失った身体がいくつも沈む。深紅の液体が黄金の山を流れた。気がつくと両の足で立っているのは王と侵入者だけとなる。運び手兼貴重な母体を失ってしまった。王は苛立たしげに侵入者を罵る。

 

「痴れ者が! この私を誰と思っての狼藉か!」

「……」

 

 バイザーに隠れたその表情は窺えない。数十の森妖精を一度に屠ったのになんの感傷も抱いていない様子だ。無言で鎌を振るい血を払っている。

 

「愚か者めが、死を以って償え! 〈炎翼(フレイムウイング)〉」

 

 不死鳥の如き炎が舞い上がる。自慢の第六位階魔法だ。炎の翼が対象者を骨の髄まで焼き尽くし灰燼と化す、そのはずだった。紅蓮の向こうに涼しげに佇む影。傷一つ、焦げ一つない胸装甲(チェスト・プレート)が見えた。果たして、侵入者は無傷だった。

 

「バカな、そんなはずは!」

 

 魔法の矢。雷撃。衝撃波。どの魔法も敵を足止めするのは叶わなかった。ゆっくりと、ただ悠然と歩み寄る。女の戦鎌の穂先が地面すれすれを撫でる。全身を怖気が走った。

 

 

「〈損傷移行(トランスロケーション・ダメージ)〉!」

 

 腐っても十三英雄の一人だ、本能的に魔法を発動させる。凄まじい衝撃が王を襲った。あまりの威力に黄金の山に叩きつけられる。魔力もごっそり持っていかれた。危なかった。あの一撃には如何程の威力があったのだろうか。王の背筋を冷たいものが流れた。

 

「ま、待て! わかった、話し合おう! 金か、金が欲しいのか!?」

 

 王は左手に金貨を鷲掴むと女に向かって差し出す。次の瞬間、王の左手が肘の辺りから切断された。鮮血が噴き出す。

 

「おおおおおおおお! 痛い痛い、痛いぃいいいい!?」

 

 王は半狂乱で絶叫する。誰かに痛みを与えるのは大得意だが、自分が痛みを与えられるなどついぞ記憶にない。金貨の山に尻餅をつく王は後退りながら必死で命乞いをする。

 

「何だ、何が望みだ! 言ってみろ! 何でも望むものをやろうでは──ぎゃあああああ」

 

 一閃。命乞いに伸ばした右手の指が三本飛ぶ。泣き叫ぶ王は半狂乱になりながら目の前の侵入者を凝視する。小柄な、人であれば成人前であろうか。重厚な鎧に身を包んでいるが細く柔らかそうな手足は女性であることを示していた。以前にもこのような出来事があったような。強烈な既視感を覚える。

 

 

「お前……もしかして    か?」

「ッ──」

 

 女の鉄仮面にヒビが入る。明らかな動揺が見て取れた。

 

「生きていた……いや」

 

 記憶にある外見や匂いが僅かに異なる。それにあの女は人間だ。生きているはずがない。二百年前の断片的な記憶が思い起こされる。臨月の大きな腹をした女を拐われた苦い記憶。自分とあの女の強さを継ぐ子。目の前の人物にあの女の面影が重なる。

 

 

「まさか、まさか──」

 

 王の冴え渡る頭脳はある答えを導き出した。

 

「お前は、あの時の子か?」

 

 辿り着いた答えに女が身を震わせた気がした。無理もない。敬愛すべき父を父と知らずに狼藉を働いたのだから。だが寛大な父王は全てを許そうではないか。

 

「おお、おお! よくぞ、よくぞ生きていた! お前と私の血が合わさればきっと無敵の軍団が作れるぞ!」

 

 痛みも忘れ王は女へ歩み寄る。父と娘の感動の再会だ。二百年前に法国に奪われた希望が戻って来てくれた。失った兵たちなど物の数ではない。自分とこの娘さえいれば。自分の子らで結成された軍団が世界征服する様を夢想し、王は夢と希望に胸と股間を膨らませた。自分の置かれている立場も忘れ、女に欲望のこもった手を伸ばす。

 

「あぁああああああ!?」

 

 瞬間、無言の一閃が森妖精王の夢と欲望が積もった一物を斬り飛ばした。局部から噴水のように鮮血が噴き出す。痛みのあまり黄金の絨毯の上を転げ回る王を女が冷ややかに見下ろした。

 

 そして一言。たった一言だけ娘から父へと言の葉が紡がれた。万感の思いが篭ったそれは、簡素にして明快だった。

 

「死ね」

 

 右手を斬りとばす。

 

「死ね」

 

 逃走出来ないように両足を奪う。

 

「ぐひ、ひひひ……!」

 

 手足を落とされ達磨と化した男はもう悲鳴をあげなかった。代わりに気持ち悪い醜悪な笑みを浮かべていた。口端から泡を吹いている。これ以上聞きたくない。同じ空間にいるだけで不快だ。

 

「お前は必ず私を──」

 

 もう我慢の限界だった。女は戦鎌を思い切り振り下ろす。

 

 気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。

 

 詠唱を封じるために口を斬り裂いた。顎を踏みつけ破壊した。耳を削ぎ落とした。ねっとりとした視線が気持ち悪いから視界を潰そう。不快なオッドアイを両眼とも潰した。顔が気持ち悪いから念入りに耕した。二度と起き上がらないように胴も念入りに壊しておく必要がある。心の臓を抉り出そう。これ以上息が出来ないように喉を潰そう。肺を穴だらけにしよう。何も食べられないように腹も耕そうか。腸を引っ張り出す。

 

 それから絶死絶命は既に絶命している死体目掛け戦鎌を振り下ろす。何度も何度も。執拗に攻める彼女の目は血走り、狂気に塗れていた。

 

 どれくらいの時間が経っただろうか。

 

「ハァ、ハァ……」

 

 気がつけば息を切らすほどに熱中していたようだ。バイザーを外す。見れば人型の赤黒い何かが挽肉よりも酷い状態になっていた。周囲に肉片が散乱している。

 

「は、ははは……」

 

 女は戦鎌を黄金の山に突き立て空を仰ぐ。白と黒のオッドアイからとめどなく涙が溢れた。

 

 

 思い出されるは耳に残る母の言葉。

 

『お前さえいなければ……』

 

 怨嗟の声が子守唄だった。物心ついた時、既にそれは始まっていた。実の母から毎日のように振るわれる暴力、呪いの言葉は少女の精神を大きく歪ませた。少女はそれでも母が大好きだった。いつかは微笑んでくれる、優しい言葉を投げ掛けてくれる。そんな日を夢見て日々の厳しい訓練に耐えた。

 

『お母……さん?』

 

 そんな日が訪れることはなかった。母は首を吊った。壁一面に書き殴られた血文字の遺書にはありとあらゆる恨み辛みが綴られていた。当時の神官長たちは残された少女に英才教育を施した。森妖精の王を殺せ、森妖精を皆殺しにしろ。母に報いるために。母の死を無駄にしないために。

 狂っているのは少女か、それとも彼女を取り巻く世界だろうか? 幼い少女の真っ白な心は漆黒に塗りつぶされた。

 

 

「あは、あはは。アハハハハははははハハはハハははは!!」

 

 両手を大きく掲げ、あの日の少女は高笑う。遂げた、ついに成し遂げたのだ。復讐するは我にあり。絶死絶命は黄金と屍の頂きに一人立つ。絶対的強者たる少女は、しかし不思議と母を求めて泣く幼子にもよく似ていた。

 

 

 

「……もう、良いのですか?」

 

 狂ったように笑い転げる女に静かにかかる声。漆黒聖典隊長が扉の前に佇んでいた。番外席次のお目付け役かつ復讐の見届け人だ。

 

「うん、もういいの」

 

 満足した、本懐を遂げたと女が目元を拭いながら青年を振り返る。呼吸が止まる。我が目を疑った。

 

「どうかしましたか?」

 

 そこには森妖精の王がいた。漆黒聖典隊長の装備を身に纏っている。容姿も、声も、匂いも。その全てが不快なあの男そのものだった。平静さが一瞬で失われる。憎しみが全身を支配した。

 

「──え?」

 

 次の瞬間、青年の脇腹を戦鎌が薙ぎ払った。鮮血が舞う。

 

 

 

 

 

 王城から飛び出す一つの影。隊長から〈伝言(メッセージ)〉があるまでは立ち入らぬよう厳命された漆黒聖典員たちは思わず身構える。一触即発な空気の中、白と黒の翼を持つ天使がふわりと舞い降りる。皆、安堵の息を吐いた。

 

「なんだ、貴方でしたか」

「隊長はどうした?」

 

 第ニ席次〝時間乱流〟と第十席次〝人間最強〟が警戒を解く。途端、第七席次〝占星千里〟が悲鳴を上げた。恐るべきヴィジョンを見てしまったのだ。

 

「待って、彼女に近づかないで! 二人共逃げ──」

「え?」

「は?」

 

 死神の鎌が弧を描く。血の噴水が立て続けに湧き上がる。二人は自分の身に何が起きたのか理解できぬまま絶命した。

 

「なっ──」

「バカな!?」

「血迷ったか!?」

 

 隊員たちの混乱する傍らで番外の姿が搔き消える。今度は第九席次が背後から縦に両断された。反応する間もない。皆に動揺が広がる。

 スレイン法国暗部、六色聖典。黒を戴く漆黒聖典は英雄級で構成されており、その身に六大神の遺産を纏う。故に彼らは六色聖典中最強を誇り、他の追随を許さない。とりわけ、神人と呼ばれる第一席次、漆黒聖典隊長と〝絶死絶命〟番外席次は別格だった。この二人は他の聖典員全員を敵に回したとて勝利を収めるだろう。そのうちの一人が、支配されたのか魅了を受けたのか定かではないが敵に回った。最強の矛が牙を剥く。悪夢のような光景だった。

 

「すぐにレイモン様に連絡を……!」

 

 叫ぶ第五席次、〝一人師団〟クアイエッセ・ハゼイア・クインティアが召喚したギガントバジリスクを盾にする。ほんの一時でも時を稼ぐために。

 

「逃げろ!」

 

 皆散り散りに森へと消えていく。番外席次は小首を傾げた。

 

「まだ生きてる。なんでなんでなんで? 殺したのに殺したのに殺したのに殺したのに殺したのに……」

 

 絶死絶命は逃走する怨敵へ一瞬で距離を詰め刃を振るう。崩れ落ちた王を足蹴にしながら狂気の目を向ける。何人いようと構うものか。あの男は一匹足りとも逃がさない。

 

 森妖精王が今際の際に放ったのは言葉だけではなかった。それは生れながらの異能(タレント)か、あるいはマジックアイテムか。ともすれば世界級(ワールド)アイテムの類だったのかもしれない。森妖精王本人ですら正しく認識していなかったその効果は全種族魅了(チャーム・オールスピーシーズ)完全幻術(パーフェクトイリュージョン)に近い。今の彼女には目に移るものならば人、亜人、異形種問わず全てが森妖精王と認識する祝福(呪い)が掛かっていた。おそらくは森妖精王が彼女を自分の虜にしようと目論んだ結果だろう。彼女の心理的外傷と相俟ってその効果は絶大だった。少女は無差別殺戮人形と成り果てた。

 

 

 聖なる大剣を振るう森妖精王を殺した。セーラー服なる装備で女装する森妖精王も殺した。漆黒聖典も火滅聖典も森妖精も関係ない。目に映る全ての森妖精王を屠っていく。彼女の凶行は止まるところを知らず、ついには三日月湖にまで到達する。湖畔には破滅の竜王を操るため傾城傾国(ケイ・セケ・コウク)に身を包んだ老婆カイレ、作戦指揮官レイモン・ザーグ・ローランサンら法国の重鎮たちもいた。

 

「どうした、何があった?」

 

 返り血に塗れ異様な形相の番外席次に神官長であると同時に元漆黒聖典でもあるレイモンはただならぬ気配を感じた。誰一人として作戦本部にまで緊急事態を伝えることが叶わなかったのは彼らの不幸だった。

 

「セドラン、カイレ様を守れ!」

「はっ」

「カイレ様、お逃げくださいませ! 早く!」

「う、うむ……!」

 

 国の至宝を纏うカイレだけでも〈転移〉で逃がそうとしたが遅きに失す。第八席次〝巨盾万壁〟セドランが巨大な盾を構えるが絶死絶命の前には薄氷も同然だった。(セドラン)諸共にカイレの首が落ちる。

 

「うるさいなぁ……本当に耳障りな声」

 

 周りの森妖精王たちがピーチクパーチクと騒がしい。今殺すから待っていろ。絶死絶命は周囲の森妖精王を一掃しようと得物を真横に構え、

 

「ッ──」

 

 ただならぬ気配を感知。獣じみた動きで後方へ飛び退いた。刹那、暗雲を貫く一振りの剣が遥か上空より飛来した。爆音が轟く。圧倒的な破壊力は周囲の木々を薙ぎ倒し湖面が大きく波打った。

 

 絶死絶命は殺意に満ちた形相で空を睨む。

 

「…………」

 

 漆黒の闇に白銀が舞い降りる。背後に浮かぶは無数の剣、槍、斧。所々に竜の意匠が施された全身鎧(フル・プレート)はただ無言で絶死絶命を見つめていた。

 

 


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