迷子のプレアデス   作:皇帝ペンギン

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第十三話

 霊廟地下、薄暗い玄室に燭台の灯が揺らめく。シズ・デルタは幽鬼の如く映し出されたナイトリッチを見上げる。巧妙に〈不可視化(インヴィジビリティ)〉で隠蔽されていた。おそらく油断した隙を窺っていたのだろう。無関係なんてとんでもない。この組織を指揮し、夜な夜な儀式を行わせていたのだ。推測するに負のエネルギーを集め、己の力を高めるために。

 

「……無関係? どう見ても黒幕」

「くく……違いない」

 

 わずかに残る皮が口角を吊り上げる。狙いが看破されて開き直ったのだろうか。

 

 

「あ、ああ……邪神様」

「邪神様だ」

「邪神様! 邪神様!」

 

 狂信者たちが色めき立つ。闇より顕現せしその姿はまさに邪神。彼らの信仰する神そのもの。自分たちの信仰は確かに神に届いたのだ。割れんばかりの大歓声が巻き起こる。

 

「あ……あ、あ」

 

 生まれつきの異能(タレント)によりアルシェは見てしまった。目の前のアンデッドの魔力系魔法詠唱者(マジック・キャスター)としての力量を。その爆発的なまでの力の奔流は、彼女の師にして帝国最強の魔法詠唱者(マジック・キャスター)──フールーダ・パラダインをも凌ぐ。すなわち、前人未踏の第七位階到達者。勝てる訳がない。いや、そもそも勝とうと思う方がおこがましい。逃げの一手しかない。だが逃げるにしても最低限度の実力が必要だ。アルシェは後悔に曇った表情で友を見る。これまでの道中、卓越した身のこなしからシズが只者ではないと理解している。そんな彼女でもあの化け物相手では分が悪いだろう。いくら妹たちのためといえ、友を死地に巻き込んでしまった。

 

「シズ……私のお願い聞いてくれる?」

「……何?」

 

 アルシェは覚悟を決めた。責任をとらねばなるまい。カッツェ平野を抜けるため、ヘッケランたちがしてくれたように。

 

「私が何とか時間を稼ぐから、二人を連れてここから──」

「……断る」

 

 シズは全てを聴き終わらない内にばっさり切り捨てる。それも当然か。自分の命が懸かっているのだ。子供とはいえ人間二人を担いで逃げるより、一人で逃走した方が助かる公算ははるかに大きい。振り返るシズの横顔はいつもの無表情。しかしその言葉は予想だにしないものだった。

 

「妹にはお姉ちゃんが必要不可欠。貴方こそ二人を連れて逃げて。私は大丈夫」

「で、でも……!」

「……私は強い。貴方が思っているよりも。それに」

 

 シズは目を瞑る。瞼の裏には姉妹たちの笑顔がいくつも浮かんでは消えていく。

 

「……私にも頼りになる姉がいる」

「え?」

 

 アルシェにはシズの真意が掴めなかった。彼女にも姉妹がいると聞いたことがあるが、何故今このタイミングでその話題を振るのか。

 

 

「不老不死?」

「はい、敬虔な私に是非」

「いや、儂にこそ!」

「私が先よ!」

 

 果てない儀式の末降臨せし邪神。神を前にした人間の行動など決まっている。我先にと迫る人間たちは異口同音に欲望を口にする。鬼気迫る形相は生への飽くなき渇望を感じさせた。人間とはかくも強欲なものなのか。人の生態をまた一歩知れたと彼は呆れるよりむしろ感心した。この辺りに弱者が強者へと喰らい付ける所以があるのかもしれない。

 

「よろしい」

「おお、我が神よ! 感謝致します!」

 

 彼は手近な人間に手を翳す。その姿はさながら親鳥が雛に餌を与えるようであった。熱狂の坩堝が加速していく。中年の男は片膝をつき、神の洗礼を今や遅しと待ち受ける。しかし彼らは失念していた。目の前の存在はアンデッド、生きとし生けるもの全ての敵だということを。

 

「〈脱水(デハイドレーション)〉」

「ひっ……!」

 

 ボコボコと水音が奏でられる。でっぷりとした男が一瞬で枯れ木と化した。信者たちの帯びた熱が急速に引いていく。

 

「な、何を!?」

「邪神様!?」

 

 足元に魔法陣が浮かび上がる。ナイトリッチは左右の骨と動死体(ゾンビ)の腕を大きく掲げた。

 

「〈魔法広域化(ワイデンマジック)火球(ファイヤーボール)〉」

 

 薄暗き地下室が一瞬、白日のもとに晒される。無数の火球が放たれた。阿鼻叫喚の地獄と化す。

 

「走って!」

「〈飛行(フライ)〉!」

 

 同時にシズの得物の銃口が火を噴いた。アルシェは謝罪を叫びながら唯一の出口目指して飛翔する。シズの弾丸はアルシェたちを狙う火球と撃ち合い相殺した。焼け焦げ、逃げ惑う人間たちの絶叫が木霊する。

 

「邪神よ! 何故なのですか!? これほどまでに尽くしてきた我々を、何故──!!」

「ああ、ちょうど部下が欲しくてね。それに」

 

 顔の半分、髑髏の相貌がカタカタと歯を打ち鳴らす。それは愉悦に歪んでいた。

 

「不老不死──それが君たちの望みなのだろ? 〈低位アンデッド創造〉」

「い、嫌だ!」

「助け──」

 

 死した狂信者たちが汚泥のような闇に塗れる。再び立ち上がった彼らはもはや人ではなかった。その瞳からは生気が失われていた。アンデッドとして蘇った彼らはまだ息のある同胞たちに襲い掛かる。まるで生あるものを妬むかのように。

 

 左右から襲い掛かるアンデッドをシズはナイフで一閃。バランスを崩した隙に顎から脳天を撃ち抜くヘッドショット。プレアデス内で比較すればレベルも低く、お世辞にも近接戦闘が得意でないとはいえ、この程度の相手に遅れをとるシズではない。ナイフを振るい、血を払う。

 

「……酷いことをする」

「酷い? 心外な、彼らの願いを叶えてやったまでのこと」

 

 むしろ感謝してほしいとナイトリッチは嗤う。人が蟻を踏み潰してもさして罪悪感が湧かぬように、彼もまた人に対して研究対象以上の感情は持ち合わせていない。どうせ黒幕と勘違いされているのだ。ならばいっそこの状況を少しでも楽しむべきであろう。彼は邪神という望まれた役を演じてみせる。

 

「……貴方の目的は何?」

「知れたこと。深淵へ至る、ただそれだけだ」

「この儀式がそうなの?」

「さてな。〈恐慌(スケアー)〉」

 

 シズは自動人形(オートマトン)の種族特性により相手の魔法を無効化する。返す銃口が鉛の弾を撃ち出した。またもや不可視の障壁に弾かれる。

 

「飛び道具完全無効……? 何かしらのマジックアイテム?」

「無駄と知れ。〈魔法上昇(オーバーマジック)雷撃(ライトニング)〉」

 

 杖の先端から強化された雷光が牙を剥く。シズは雷撃を躱そうとして、アンデッドの貼り付いた皮膚がくつくつと笑っていることに気づく。

 

(……何故笑う? まさか)

 

 ハッとして振り返る。唯一の出口を塞ぐように立つ小さな影。背の低いミイラのような男がいた。痩せすぎなくらい痩せている体は腰布以外何も身につけていない。男は小さな体に不釣り合いな長い腕を伸ばしアルシェたちを足止めしている。雷撃はたたらを踏む無防備な背に向けられていた。シズは咄嗟にその身を射線上へ躍らせる。

 

「…………うぐっ」

 

 全身をビリビリと衝撃が走る。高性能の装備ゆえ、ダメージは軽微だがシズは転移して以来初めて痛みというものを味わった。アルシェが悲鳴を上げる。

 

「シズっ!」

「何者か知らないが、この場を知られたからには逃す訳にはいかない」

 

 両の眼球のない眼窩がアルシェを捉える。歯が全て抜け落ちた口がもごもごと聞き取り辛い音を出した。アルシェは知る由もないが、彼こそは秘密結社ズーラーノーン十二高弟の一人。神官風の男がこの教団の管理者的立場ならば、この男はその監視者だ。帝国貴族の弱みを握り、弱体化を図る。それは同時にズーラーノーンの強化にも繋がる。そのはずだったのだが突如として現れた謎のアンデッドに教団が乗っ取られてしまう。このまま逃げ帰ったのでは無能の烙印を押されてしまい、どんな目に遭わされるか。まずは確実に目撃者を消す。前門のアンデッド、後門のミイラ男。各々の思惑が交錯し、シズとアルシェは図らずも挟み撃ちにされてしまった。アルシェが歯噛みする。妹たちにはもう一刻の猶予も残されていないと言うのに。

 

「そこをどいて! 〈魔法の矢(マジック・アロー)〉」

「無駄……」

 

 足下まである腕が伸びた。触手の如きそれは魔法の矢をはたき落とし、アルシェの両肩を鷲掴む。勢いそのままに壁に叩きつけた。昏睡状態のウレイリカ、クーデリカが地に転がる。

 

「……きゃっ」

「〈魔法二重化(ツインマジック)氷葬騎士槍(フリーズランス)〉」

 

 その様をナイトリッチが嘲笑いながら詠唱する。巨大な氷柱が放たれた。今度の狙いは床に転がる幼い姉妹だ。

 

「……舐めないで」

 

 シズは弾丸の雨を降らせ氷柱の一本を破壊する。しかしもう一方を仕損じた。頭上を飛び越す氷柱に背面撃ちで追撃。残りの弾丸を全て撃ち尽くす。辛くも二本目の破壊に成功した。ほっとひと息つく間も無く、硝煙を穿つ新たな氷の穂先。

 

「……無詠唱化」

「正解だ」

 

 ナイトリッチの欺瞞作戦にまんまとハマってしまった。無詠唱可能にも関わらず先はあえて詠唱してみせたのだ。次弾装填(リロード)が間に合わない。シズは跳躍し、姉妹に覆い被さった。

 

「……うぐっ」

「ほう」

 

 シズの小さな背に氷の騎士槍(ランス)が突き刺さる。赤い液体が滲み出た。力量(レベル)が拮抗した相手との戦闘は一瞬の油断が命取りだ。ましてや守るべきものを抱えたシズは圧倒的に不利。相手にとってこれほど楽な戦闘はあるまい。弱い生き餌を狙うだけで敵が勝手に血塗れになってくれるのだから。アルシェは瞳に大粒の涙を浮かべ懇願する。

 

「もうやめて! お願いシズ、戦って! 私たちはいいから! ──かはっ」

「黙れ……」

 

ミイラの腕がアルシェの首を絞め上げる。男の見立てでは女とアンデッドの力は拮抗していた。侵入者同士が潰しあってくれるこの状況、邪魔立てする理由などない。今のところアンデッド側に此方を攻める意思は感じられない。ならば自分の任務を果たすだけだ。人質は生かしておくに越したことはない。殺してしまわぬよう細心の注意を払い首を締める。

 

 

 

「……アルシェを離して」

 

 シズが照準をミイラ男へ定めようとするが、

 

「余所見をしない方が良いと思うのだが?」

「ッ……! フルバースト」

 

 〈火球(ファイヤーボール)〉、〈雷撃(ライトニング)〉、〈氷騎士槍(フリーズランス)〉、〈困惑(コンフュージョン)〉、〈(ポイズン)〉、〈傷開き(オープン・ウーンズ)〉、〈衝撃波(ショック・ウェーブ)〉。色取り取りの魔法の光が煌めく。その悉くが無詠唱化されていた。シズの魔銃に甲高い金属音が収束する。全弾一斉射撃。爆発と炸裂とが耳を劈くノイズを生み出した。硝煙が立ち込める。

 

「…………っく」

「ふむ、精神系は効果なしと」

 

 大部分を薙ぎ払うも〈雷撃(ライトニング)〉や〈衝撃波(ショック・ウェーブ)〉など、相殺仕切れない魔法がシズを襲う。二人を守るには身を盾にするしかない。シズが傷だらけになるのは時間の問題だった。体中、至る所から鮮血が滴り落ちる。

 

「なかなかにして愉しめたぞ」

 

 今なお嵐の如く吹き荒れる魔法の数々。耐え続ける少女に彼は素直に賛辞を送る。彼の知る限り、人間でここまでの強者はついぞ記憶になかった。先の爆裂には肝を冷やしたものだ。おそらくあれが彼女の切り札だろう。人質がいなければどちらに転ぶかわからなかった。将来的に脅威となりえる存在は排除する必要がある。彼は腐った人差し指を差し向けた。

 

「褒美をくれてやる──〈獄炎(ヘルフレイム)〉」

 

 吹けば消えるような小さな火が瞬いた。赤黒い火はシズへと灯ると一瞬で燃え広がる。紅蓮の炎が哀れな少女を包み込んだ。

 

「シ……ズ!」

 

 首が締まる苦しみに耐えながらアルシェは必至で手を伸ばす。届かない。無力だった。目鼻から液体が止めどなく溢れた。自分がシズを頼ったから彼女は死んだのだ。彼女を殺したのは自分だ。自責の念が、後悔が波のように押し寄せた。

 

『お前の所為だ!』

 

 父だったものの言葉が脳裏を反芻する。何度も何度も。その通りだ。友を、妹を、そして自分自身の命すら喪う。何故自分如きが何かを変えられると本気で信じていたのだろう。世界はこんなにも残酷で、自分はこんなにも無力なのに。

 

「……後はお前だけだ」

「うう……」

 

 ミイラ男の口角が吊り上がる。死神の手が徐々に首に食い込み、アルシェの目から光が失われていく。ウレイリカ、クーデリカ。二人を庇うように散ったシズ。少女の頬を涙が伝った。

 

「ごめ……んね」

「フハハハハ……ごあっ!?」

 

 アルシェの細い首が手折られる刹那、その力が唐突に弱まった。

 

 

 

「……む」

 

 黒炎を眺め無い耳を澄ませていた彼は違和感を覚える。どれだけ待っても一向に断末魔が聞こえてこないのだ。そろそろ骨すら消し炭になる頃だと思うのだが。

 

 その時、地下室中に響くような轟音が響いた。例えるなら鉄の塊で果実を殴りつけたような異音。

 

 彼はそちらを振り返る。

 

 女がいた。今まで甚振っていた少女とは違う女だ。傷だらけの少女は女の腕の中。彼女の仲間だろうか。彼は入り口を守っていたはずの男に視線を向ける。仰向けに倒れ、完全に昏倒していた。成り行き上、対処を後回しにして生かしておいたが存外使えない男だ。

 

 

 シズは姉の腕に抱かれながら顔を上げる。ユリが優しく微笑んだ。

 

「ユリ……姉さま」

「もう大丈夫、安心して。あの子たちも無事よ」

「……そう」

 

 少女たちはすうすう規則正しい寝息を立てていた。どうやらユリが介抱してくれたらしい。その頬は朱を帯びている。ユリの手のひらが淡く輝きシズを包む。気功でシズのダメージを回復しているのだ。

 

「ゲホッ、ゲホッ……貴方……は」

「私はユリ・アルファ。貴方がアルシェ様ですね、シズから伺っております。よく頑張られました」

 

 ユリは微笑んでアルシェにも手を翳す。アルシェの痛みが和らいでいく。気を張っていたアルシェの瞳から涙が零れ落ちる。その輝きの持つ意味は先ほどまでとはまるで違っていた。

 

「あ……」

「後はお任せくださいませ」

 

 ユリは手持ちの治癒薬を渡すとシズをアルシェに託す。次の瞬間、顔を上げるユリの表情が一変する。優しい姉は鳴りを潜め、屈強な戦士が顔を覗かせた。

 

「……この気配は」

 

 彼は骨の顎を撫で上げる。女からは生気を感じず、呼吸をしている様子もない。そしてアンデッド反応を感知。同族か。いい加減、甚振るのも飽きたところだ。何も成果がないのなら、そろそろここを離れる頃合いか。

 

「同胞のよしみだ。見逃して──」

 

 荒々しい風切り音。

 

 何が起きたかよくわからなかった。思考が混迷を極める。強かに背を打ち付けたと思った瞬間、全身に浴びせられる殴打ダメージ。未だ嘗て味わったことのない痛みが全身を貫いた。

 

(何だ? 何が起こって……)

 

 一つしかない眼球が上下左右に忙しなく動く。高速で動く影を捉えきれない。プチュっと何かが潰れる不協和音。眼球が潰されたようだ。得心がいく。魔法などによる不可視の攻撃かと思ったが違う。

 

 殴られている。ただそれだけだった。

 

「ハァアアア!!」

 

 ユリ・アルファは怒りに打ち震える。気持ちを乗せた拳をひたすらにナイトリッチに叩き込んだ。詠唱する暇なんて与えやしない。

 〈伝言(メッセージ)〉を頼りにここまで来たユリは胸が張り裂けんばかりだった。地に伏せる少女たち、庇うように血塗れの妹。首を締め上げられる少女。その痛ましい光景に全てを理解した。眼前のアンデッドは卑劣にも人質を取り、抵抗できないシズやアルシェを甚振ったのだ。許せない。許せるはずがない。ユリは義憤に熱く身を焦がした。

 

「調子に、乗るな──」

「ふん!」

 

 右手に火球、左手に氷騎士槍。アンデッドは同時に魔法を行使した。ユリは避けるまでもないと両の手甲を力任せに振り下ろす。騎士槍がまるで薄氷のように砕け散り、火球が消し飛んだ。

 

「馬鹿、な──ぐおっ」

 

 絶句するアンデッドの頭蓋が揺れる。伽藍の脳が激しく揺さぶられた。

 

 左のジャブ、ジャブジャブ。怯んだ隙に渾身の右ストレート。左フック、アッパー。

 

「せい、ふっ、はっ!」

 

 壁に打ち付け釘付けにする。ユリはファイティングポーズを保ったまま上体を振り子のように激しく揺らす。左右からリズミカルに振るわれる鉄拳はさながら暴風雨のようだった。シズを助け起こしながらアルシェは驚嘆の音を上げた。目の前の理不尽が爽快に殴り飛ばされている。

 

「すごい……!」

「……だから言った。頼りになる姉がいると」

 

 シズは姉の大活躍に自慢げに胸を張った。

 

 

 

 

 なすがまま、されるがままに打ちのめされる彼は自問自答を繰り返す。何故こんなことになったのだろうか。一張羅の黒衣はボロ切れに変貌し、各種魔法の効果がある腕輪や杖なども破壊されてしまった。

 

 今日は厄日だ。数ヶ月掛かりで作った拠点は謎のトレントに破壊し尽くされた。仮宿を求めて訪れた霊廟では謎の儀式で邪神扱いされる始末。そんな人間たちの願いを叶え、向かってくる輩を迎撃して遊んでいただけなのに。生命の危機に晒されるなどまるで割に合わないではないか。

 

「〈転──〉」

 

 もう付き合っていられるか。彼はこの場を離脱しようとして、

 

「……何?」

 

 魔法が発動しない。〈転移(テレポーテーション)〉、〈転移(テレポーテーション)〉、〈次元移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉……何度試しても同じだった。

 

 

「……理由が知りたい?」

 

 シズが魔銃を放つ。弾丸はアンデッドを逸れ、後方の壁を経て跳ね返る。複雑な軌道を描き彼の背に命中した。ぱすっという気の抜けたような音、かつ女の拳の痛みで認識すらしていなかった。仮に気づいたとしても大したダメージはないのだ、無視していただろう。それが仇となった。

 

「これは……」

「……貴方程度の強さで完全耐性は無理がある。となるとその障壁は特殊技術か装備、あるいはマジックアイテムの効果」

 

 天井、床、対面の壁。ユリの猛攻を援護するように無数の跳弾が跳ね回る。着弾。着弾。着弾。

 

「……もしも装備ならユリ姉が破壊済み。特殊技術なら回数制限や発動条件があるはず」

 

 シズの特殊技術で強化された魔弾は彼の魔法を強制キャンセルする。ユリとの完璧なコンビネーションは彼に逃走する暇を与えない。魔法を封じられ、弱点である殴打ダメージが蓄積していく。彼の片腕は千切れ膝から下は消し飛び、満身創痍の状態だった。ユリは深々と腰を落とし、右腕を引き半身になる。勝負を決めるつもりだ。

 

「…………さよなら」

 

 親指を撃鉄に、人差し指を銃口に。シズは右手を銃に見立てると銃口(人差し指)をナイトリッチへと向けた。逃れられない死の足音に彼は初めて恐怖を覚えた。

 

「待っ──」

「〈破砕衝撃(インパクト・ブロー)〉!」

 

「…………バァン」

 

 鉄拳制裁。ユリの剛拳が彼の頭蓋を叩き割った。

 

 好奇心は猫をも殺す。深淵なる棺、内なる七人にして第七位階到達者。このまま成長を遂げればいずれは第九位階すら夢ではなかったかもしれない。前途有望なアンデッド、ナイトリッチの彼は深淵に至ることも、旧友に会うことすら最早叶わない。プレアデスに手を出したのが運の尽きだ。互いにとって不幸な遭遇戦により彼はこの世から消滅した。

 

 

 

 

 

「ユリ様、ご無事ですの!」

「レイナース様、来てくださったのですね」

 

 ユリたちが霊廟を出るとそこには四騎士の一人、レイナース・ロックブルズを始めとした皇帝ジルクニフの配下たちがいた。墓地を取り囲む形に展開している。空には皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)も控えていた。鷲馬(ヒポグリフ)が勇ましい雄叫びを上げ旋回している。ユリは霊廟潜入前にレイナースに一報を入れていたのだ。四騎士や皇帝直属部隊まで寄越してくれるとは、ジルクニフの度量の大きさが窺える。昏倒するミイラ風の男、地下室の隠し部屋で防御魔法を唱え震えていた神官風の男など、邪神教団の指導者的立場であろうものが連行されていく。

 

 

「アルシェ!」

「怪我はないか?」

「ご無事ですか!」

「みんな……」

 

 ヘッケランたちフォーサイトがアルシェに駆け寄る。夜通し街中駆けずり回った彼らは皆酷い有様だった。それぞれ抱き合い、感涙に咽び再会の喜びを分かち合った。その後ろで微笑ましそうに佇む姉妹。アルシェは改めてシズたちに頭を下げた。

 

 

「助けてくれてありがとう」

「…………ん」

 

 親指を立て短く返すシズに感極まったアルシェが思わず抱きつく。ユリは頬に手を添え、妹とその友達を心から祝福した。

 

「…………あ」

 

 ふと眩しさを覚える。見上げた空には朝焼けが輝いていた。橙色の陽光が墓地を照らし出す。少女たちの長い長い夜が終わった。

 

 

 遺留品などから邪神教団との関係が明るみになったウィンブルム公爵家はジルクニフの怒りを買い、即刻取り潰しとなった。関係していたと思しき貴族たちも次々と処罰されていく。

余談であるが、首謀者と思しき二名は翌日には獄中から姿を消していた。脱獄の痕跡はなく、厳重な監視網をどうやって搔い潜ったのか。帝国最高の魔法詠唱者(マジック・キャスター)、フールーダですら皆目見当もつかなかった。真相は闇の中へ。

 

 

 

 

 

 

「…………ここは」

 

 彼は見知らぬ場所で目を覚ます。睡眠不要なアンデッドである彼の意識は発生以来、一度も途切れたことがない。こんなことは初めてだ。直近の記憶が欠落している。何とか思い出そうと頭を抱える彼は眼前に立つ影を認めた。

 

「……久しいな、友よ」

「お前は──」

 

 


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