新時代を拓いた「終わりなき疾走」
浜田省吾「第2のデビュー曲」
1980年10月21日発表、浜田省吾の通算6作目のアルバム「Home Bound」。
このアルバムの冒頭を飾る「終わりなき疾走」は浜田省吾が新時代を拓いた名曲です。
1980年という時代の区切りと始まりの年に発表されたこの曲。
浜田省吾のファンにとっては「第2のデビュー曲」として鮮烈な印象をもって迎えられました。
アメリカでのレコーディングであり、スティーヴ・ルカサーやニッキー・ホプキンスなどが参加します。
ロックの本場の凄腕ミュージシャンを迎えて、新しい時代の日本のロックを宣言しました。
疾走感にあふれたそのサウンドはロックの聖地・アメリカでのレコーディングならではのものです。
近年は制作費の削減などの問題で日本の音楽家の海外でのレコーディングは少なくなりました。
ロック・ミュージックこそが最先端の音楽であった時代のキラキラした空気を伝えるこの曲。
今こそ聴き直されて欲しい楽曲です。
この曲「終わりなき疾走」の歌詞やサウンドの背景について解説いたします。
では実際の歌詞を見ていきましょう。
エレキ・ギターに骨抜きにされた
一直線に夢を追い続ける
15の時 通りのウィンドウに飾ってあったギターを見た時
稲妻が俺の体 駆け抜け 全ての夢が走り出し
貧しさも恋の辛さも受け止めた まっすぐに
出典: 終わりなき疾走/作詞:浜田省吾 作曲:浜田省吾
誰もが胸をときめかした歌い出しです。
ギターにも様々な種類がありますが、おそらくエレキ・ギターが店頭に飾られていたのでしょう。
エレキ・ギターは色とりどりで塗装が光り輝いています。
アコースティック・ギターやガット・ギターにはない派手なビジュアルが魅力です。
浜田省吾が15歳だったときのエレキ・ギターは容易く入手できるものではなかったでしょう。
国産のエレキ・ギターであってもそこそこの値段がしたはずです。
ロック・ミュージック自体を聴いて戦慄を覚えた訳ではありません。
エレキ・ギターの実物をガラス越しに見た瞬間に強烈な感動を得たのです。
この瞬間に彼の人生のすべてが始まります。
実際にエレキ・ギターを買えたのがいつかは分かりません。
それでもかなりの無理をして、彼はエレキ・ギターを手に入れたのだと推察されます。
決して恵まれた家庭に育った少年ではないのかもしれません。
経済的に困窮していた時期もあったと書かれています。
それでもアルバイトなどをしながら、ティーンネイジャーのうちにエレキ・ギターを手に入れました。
青春期のあらゆる想いをエレキ・ギターに込めます。
虚しく散ってしまった初恋の苦さを味わったのもこの時期です。
それでも少年は一直線に夢を追います。
エレキ・ギターを抱えたロック・スターになるという夢を追い続けるのです。
アメリカでのレコーディング
レジェンドたちの共演
1980年、この「終わりなき疾走」の歌い出しは鮮烈に響きました。
浜田省吾にはアメリカのSSW(シンガー・ソング・ライター)たちの影が見えます。
日本の音楽シーンでは新しい時代を代表するアーティストの雰囲気がたっぷりあったのです。
ジャクソン・ブラウンというSSWのバック・ミュージシャンたちとアルバムを創りたい。
浜田省吾が最初に抱いた希望はこうしたものでした。
しかし、彼らがライブ・ツアーに出ていた時期であったために違うミュージシャンを集めます。
TOTOで大ブレイクしていたギタリストであるスティーヴ・ルカサー。
ローリング・ストーンズとの共演などで著名であったニッキー・ホプキンス。
スティーリー・ダンなどで活躍したジェフ・バクスター。
とにかく錚々たるメンバーで、今ではレジェンド・クラスの人たちです。
現代では日本のロック・ミュージシャンも実力をつけてきました。
またレコーディング・スタジオも先進的です。
ジャパン・マネーが枯渇した今、海外でレコーディングする必要も余裕もなくなります。
しかし、ときは1980年です。
最先端のロック・ミュージックを鳴らすためには本場でレコーディングする必要がありました。
その成果は日本の音楽ファンを興奮の坩堝に叩き込みます。
浜田省吾がロック・ミュージシャンとして最先端を進み始めたのがアルバム「Home Bound」でした。
彼自身も自信作であったのでしょう。
この作品を「第2のデビュー・アルバム」と称します。
そんな自信作の最初の1曲が「終わりなき疾走」です。
大成功したロック・スター
想像力で紡がれた歌詞
嵐のような拍手とざわめき
フラッシュライトヒットチャートは NO.1
サクセスストーリー 罠に満ちたゲームに奪われて見失い
お前から遠く離れた でも 今夜戻ってく
出典: 終わりなき疾走/作詞:浜田省吾 作曲:浜田省吾
貧困にあえいでいたギター少年は今や大成功を収めて音楽チャートの第1位を獲得します。
彼の夢は見事に叶うのです。
一方で浜田省吾のこのアルバム「Home Bound」はスマッシュヒットで終わります。
オリコン・アルバム・チャートで最高20位です。
浜田省吾がいまだ叶わない夢を街角のギター少年に託したのがこの曲であります。
彼の経験から導き出した歌詞ではなく、想像力と創造力で編み出した作品になるのです。
一方で浜田省吾はこの先の未来で実際にNo.1ヒット・アルバムを出します。
1986年のアルバム「J.BOY」です。
この「終わりなき疾走」から6年後の未来のことになります。