今月1日に、2020年度から計画されていた大学入学共通テストへの英語の民間試験の導入が延期されるという異例の決定がなされた。この判断を巡り与党議員からは「受験生の立場に立った思いやりにあふれた決断だ」という発言も出て、「えっ?」と驚かれた方も少なくなかったのではないかと思う。
しかし、実際、英語の民間試験の導入には本当に多くの問題があり、延期を決断した大臣なのか、官邸なのかは、分からないが、その英断を一大学人として、心から歓迎したい。
点睛を欠いたとすれば、その判断がもう少し早くなされなかったことではあるが、この問題を、やっても批判、やめても批判、みたいな政争の具にはしてもらいたくない。現時点における判断としては、最善が尽くされたのだから、それを活かしてより良い大学入試の制度設計をする機会として欲しい。
本稿は、現在大学で実際に起こっている混乱について紹介し、今回の大学入試改革の根本的な問題点は何なのか、考える素材を提供するものである。
現在進んでいる大学入試改革のバックボーンとなっているのは、2014年12月に出された 中央教育審議会の答申「すべての若者が夢や目標を芽吹かせ、未来に花開かせるために」である。これに従って、英語の民間試験の導入に限らず、高大接続、AO入試、国語・数学の記述式問題の導入など、様々な入試に関連する改革が進められている。
この答申で、高らかに謳われているのは、
ということである。
評価されるべき学力とはなにかという点は、「確かな学力」と定義され、
の3つの要素で構成されることになっている。
大学入試における知識偏重のペーパー試験には、古くから批判があり、そんなもので人間の何が測れるのかという疑問はまっとうなものである。
2014年の答申は、そういった古くからある批判に応えるためのものと言ってよいかと思う。単なる知識ではなく、多様な力を、多様な方法で「公正」に評価し選抜するという理念が強く打ち出されている。
こういった考え方に依拠すれば、英語試験や記述式の問題に対する評価の曖昧さ、1点、2点にこだわることなかれ、英語はCEFR(外国語の学習・教授・評価のためのヨーロッパ言語共通参照枠)で6段階評価、記述問題は全体を5段階で大雑把に返します、という方針も理解できないことはない。
また、高大接続で内申書を重視する選抜や面接やプレゼンのようなものによるAO入試を加えた大学入試の設計も、その理念に則ったものと言えよう。
現在、こういった方針に沿った国立大学のAOや推薦入試は小規模で、合格者の一部に過ぎないが、隣国の韓国では推薦入試が合格者の7割以上を占めるという。日本もこの理念で改革を進め、同じようなことになっていくのだろうか?