赤木智弘(あかぎ・ともひろ) フリーライター
1975年生まれ。著書に『若者を見殺しにする国』『「当たり前」をひっぱたく 過ちを見過ごさないために』、共著書に『下流中年』など。
二次元と現実の区別がつかない人が現れだした
それにしても、このような彼らの無遠慮さはどこからくるのだろうか?
それは二次元表現による「おっぱいヒエラルキー」とでも言えるステレオタイプに問題があるのではないだろうか。二次元の女性キャラには基本的に「おっぱいが大きいほうが優位」という考え方がある。そして胸の小さいキャラクターは大きいキャラクターに対してコンプレックスを持っている。
水着回や温泉回などで、貧乳キャラが巨乳キャラの胸を見て、ぺたーんという擬音と共に目が点になったり、「くっ」とかやるのがそれだ。もちろん、それは本来二次元に用いられるだけのギャグであるし、その認識が二次元にとどまる限り、問題にはならない。しかし、乳袋の件に関して言えば、それが現実に滲み出てしまっている。
彼らはブランドの服を乳袋と称したことを、ブランドを貶めたとは考えていないはずだ。それどころか「大きくきれいな形の胸を乳袋と呼ぶことは褒めているのだ」くらいに考えているのである。
自身の胸が大きいことが褒められるべきことか、そうではないかを決める決定権は、その女性本人にある。たとえ本人以外の誰かが乳袋ができることを良いことだと思っていても、本人にとっては自分の意図を無視した形で褒め讃えられることは、単に気持ちが悪いだけだ。
ましてやoverEやHEART CLOSETのようなブランドの服を着ている人は、乳袋と言われるような胸の形がハッキリ出てしまうような状況を避け、自然な装いになるためにその服を着ているのである。当人が褒めてほしくないことで褒めても、それはただの侮辱に過ぎないのだ。
アニメやゲームといったメディアが問題になる際に、よく「仮想と現実の区別がつかなくなるのではないか」という意見が出てくる。それに対して僕は「二次元が好きなくらいで仮想と現実の区別がつかなくなるなんてありえない」と考えているし、そう主張してきた。だから僕は、宇崎ちゃんのポスターについても、我々が二次元キャラをハッキリと二次元の存在であると認識できる限りにおいては、一切問題のない表現であると考えている。
しかし、実際にこうして二次元的表現の乳袋と、実在のブランドの洋服によって形付けられる胸の形の区別がつかず、これを平気で混同し、あまつさえ上書きを試みる人が出てきてしまった。
それは、我々が二次元であるからこそ許容してきたさまざまな表現、もちろん女性をレイプするような表現までもを含むすべての表現を、二次元だからと批判なく許容していると、やがて現実に反映されてしまいかねない可能性の一端が見えてしまった状況と言えるのである。こうなると、これまでの主張も起動修正をしなければならないのかもしれない。
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