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【芸能・社会】

〈記者メモ〉藤井聡太七段 「常勝将軍」への一里塚に 19日の大一番・広瀬竜王戦 王将リーグ

2019年11月18日 16時43分

第8期名人戦第2局に使われた盤駒で師匠の杉本昌隆八段(左)と棋譜を再現する藤井聡太七段=2017年10月13日

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 「私も一日も早く木村名人のように大きな舞台で活躍したい」

 その「大舞台」の一つにあと1勝で立とうとしている。19日の王将リーグ最終戦で広瀬章人竜王(32)と対戦する藤井聡太七段(17)だ。これに勝つと、史上最年少でのタイトル挑戦が決まる。

 藤井七段が冒頭の言葉を語ったのは、2017年10月13日のこと。この日は師匠の杉本昌隆八段(51)とともに、伝説の盤駒と対面していた。

 藤井七段の4代上の師匠に当たる木村義雄十四世名人は1949(昭和24)年4月8日、豊川稲荷(愛知県豊川市)で指された第8期名人戦第2局で時の塚田正夫名人と対局した。伝説の盤駒とは、その時使用されたものだ。

 それが68年の歳月を乗り越え、くしくも名古屋市内で発見された(現在は豊川稲荷に展示)。その報に接するや、忙しい合間を縫って駆けつけてくれた藤井七段。その姿は、一門の先達への深い尊敬の念にあふれていた。

 1926(大正15)年に当時の最年少記録21歳で八段に昇った木村名人は、戦前から「常勝将軍」と呼ばれ、あの69連勝の大横綱・双葉山と並ぶ国民的スターだった。現在の日本将棋連盟の礎を築いた大恩人としても知られる。

 木村名人門下は、板谷四郎九段系、花村元司九段系を中心とする一門。これまでに深浦康市九段(47)=王位3期=と高見泰地七段(26)=叡王1期=の2人のタイトルホルダーを輩出しているが、いよいよ木村名人以来となる才能と人気を兼備したスーパースターとして登場したのが藤井七段なのだ。19日の大一番は今後、木村名人の「常勝」の系譜を受け継いでいく上でも大事な一里塚となる。

 14日の久保利明九段(44)との対局後、藤井七段は「気負わず普段通り指せればと思う」と話していた。藤井七段のすごさは、突出した才能はもちろん、実はその強靱(きょうじん)なメンタルにもある。

 木村名人もまた「常勝将軍」たり得た秘訣(ひけつ)をこう明かしていた。「驚懼疑惑(きょうくぎわく)」にとらわれるな―と。将棋の世界も剣の道と同じく、驚き、懼(おそ)れ、疑い、惑いこそが道の妨げとなる「四病」で「これを脱却する捷径(ちかみち)は、勝敗を超越することである」(木村義雄著・将棋一代)と説いているのだ。

 勝敗はさておき、いつも通りの指し回しを―。多くのファンが天才少年に望むのもそこにある。(海老原秀夫)

 

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