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話は表に出てやりましょう!

9月に関西大学アイススケート部監督の職を辞し、それが関係者によるモラハラを原因とするものであると明かしていた織田信成さんが、ついに提訴に踏み切りました。訴えた相手は有力選手を多数指導することで知られるフィギュア界の実力者・濱田美栄コーチ。織田さんの訴えによれば、濱田コーチから無視・陰口など執拗に敵意を向けられ、精神的苦痛によってリンクに行けなくなるほど体調を崩すまでに至ったのだと言います。

↓織田さんの訴えについては織田さん自身の言葉をブログにてお読みください!


現段階では織田さんの訴えを聞くのみで濱田コーチ側の声は聞こえてこないところでもあり、どちらがどうというものではありません(※ずっとこんな状態でまったく進展がないが…)。ただ、訴えを起こさざるを得なかった状況というものがあったことは容易にうかがえます。関西大学がもう少ししっかりと対処してくれていればこのような事態には至らなかったというのは織田さん自身も語るところですし、周辺の状況から見てもまったくそのように思います。

まず大学側の動きですが、事態が明るみになる前は「多忙による辞任」という実態と異なる内容を広め、織田さんが事態を公にしてからのちも第三者委員会設置等の目に見えるアクションはなく、むしろ「関西大学は、たかつきアイスアリーナに集うすべての利用者の静謐な練習環境の維持・向上に最大限努めます」と暗にこの事態を煙たがるようなコメントを発しています。また公表したコメントにおいて「事態を適切に収拾できなかったことを深く反省」と綴るなど、「問題の根本的解決」とは違う角度から対処にあたっていた様子、そうした認識というものが垣間見えます。

↓訴訟に至ると今度は「シーズン中の提訴は残念」とのこと!

オフシーズンの間に解決に至らなかったことのほうがもっと残念です!

そして「これを言っちゃうんだなぁ」というのがさらに残念です!




そして、当事者であることが明らかになった濱田コーチについては、一部週刊誌による取材に応対したことはあるもののやはりアクションはなく、今回の提訴に関しても「連絡がつかない」ということで表立った動きは見せていません。このSNS時代に、どこからも何も伝わらない・伝えられないということはなかろうと思いますが、「連絡がつかない」という話だけが伝わってきています。

無視・陰口などのモラハラが訴え通りにあったのかという話はさておき、今まさに「訴えられた相手」と「仲裁すべき大学側」とがそもそも本件をまともに取り合っていないように僕には見えるわけです。その印象どおりの実態なのであれば、ちゃんと話をしたい、ちゃんと事態を解決したいという願いを叶えるには、こうして表に出るほかなかったのだろうと思います。

もしも慰謝料を求めることが目的であるなら、訴訟戦略としても相手に準備期間を与えるような形で少しずつ実態を明らかにする意味はないでしょう。それぞれみな忙しく、本来やるべきことが多いなかで、こういった事態となったことはとても残念ですが、こうせざるを得なかったのならば仕方のないことです。シーズンインする前にひざ突き合わせて話す時間はあったのに、そうした時期に「訴え」は起こされていたのに、それをスルーされつづけたらやがてシーズンインしてしまうのは当たり前。

先ほどリンクした織田さん自身のブログを読んだとき、その投稿日時は2019年10月4日20時47分50秒となっていました。日付が間違いでないとすれば、1ヶ月以上前にあの文を綴っていたことになります。そして、その10月4日の日付で、関西大学は「静謐な練習環境の維持・向上に最大限努めます」のコメントを発表しています。この日付の一致が、偶然ではなく必然だと思うのは僕の考え過ぎでしょうか…?

↓内向きの問題を解決するには風通しをよくして第三者を入れるのが一番!裁判所なんてのはまさに、日本国が用意したプロの第三者です!


思う存分話し合いましょう!

お互いに忙しい日程は一緒なんですから、スケジュールも合わせやすいはず!




本件については第三者を交えた話し合いの推移を見守るとして、パワハラ・モラハラといった問題がスポーツ界からたびたび出てくる昨今について、改めて思うところがあります。レスリング、相撲、アマチュアボクシング、相撲、体操、相撲、テコンドー、相撲、アメリカンフットボール、相撲…とにかくたくさんこうした問題が漏れ聞こえてくることについて、「さもありなん」と思うと同時に、スポーツ界こそこういった問題を許してはいけないとも思うのです。

スポーツの価値というのは、こうした行為ともっとも遠いところにあります。

スポーツは食糧を生産するわけでも、鉱物を発掘するわけでも、荷物を届けるわけでもありません。物質的な価値は何ひとつ生み出さない行為です。「球蹴り」「棒打ち」「玉入れ」「氷滑り」…すべては物質的な意味においては無意味な行為です。スポーツの生み出すものは無形の価値であり、それは人間の心にだけ生じるものです。

スポーツをしたり観戦したりすることで生じる「楽しい」という気持ち。スポーツを通じて、自分の能力を伸ばしたり、自分の弱さを克服したり、人生の方法論を確立したりといった「成長」。スポーツに取り組む人の道のり…その勝敗や生き様を通じて、見る者にも前向きなチカラを与える「感動」。スポーツの価値は健やかなる「心」に生じるものです。その価値が実は「心を傷つける」手段によって生み出されたものであったなら、それはスポーツの持つ価値そのものの否定であり、インチキです。「勝利という栄光があるから、どんなに罵倒され傷ついても耐えられる」というのは、インチキなのです。

だって、世界で一番強くなるほど頑張った人を見て「素晴らしいなぁ」と心を動かされるからこそ、勝利にはお金や名誉がついてくるのでしょう。すごいなぁ、頑張ったなぁ、立派だなぁ、と熱くなる「心」がお金や名誉に変換されているわけでしょう。それが実は「心を傷つけながら」作られたものだったなら、楽しめないし、感動できないし、成長だって認められません。「実は感動できない」ようなものに金や名誉を与えてしまうのは、「紛いもの」によって金や栄誉を盗まれているのと同じです。そうした手法を駆使することは、ドーピングと同じく不正な方法でチカラを引き出し、金と名誉を得るものなのです。

奴隷が無理やり戦わされる姿を見るのが面白いという貴族諸君もいるのかもしれませんが、僕は素晴らしい人が前向きに楽しく頑張っている姿を見て、自分も前向きに楽しくなりたいのです。スポーツから得る活力によって、今週も頑張ろう、来週も頑張ろう、次のこの試合が楽しみだから今を乗り越えようと思えるのです。金のために我慢して戦う奴隷を見たいわけではない。後年になって「実はあのときすごい傷つきながら我慢していたんです」なんて話、これっぽっちも聞きたくない。

「勝てば、報われる」

それは勝負事であるスポーツにおいては特に鮮明なことですが、報われかたが途方もないがゆえに、手前で色々な非道が見逃されてしまいます。とりわけ、勝った者、チカラがある者の非道は大胆に見逃されてしまいます。「さもありなん」です。けれど、それではスポーツがこの社会に存在する意義はないも同然です。何故スポーツは「直接相手から奪う」ことなく、ほかの人から金や名誉が与えられるのか、自分たちが何を生み出しているのかをしっかりと自覚してもらいたいなと思います。

勝ったことが素晴らしいんじゃない。

相手に勝つくらい、一生懸命頑張ったことが素晴らしいのです。

だから、正しく頑張り、正しく頑張らせてください。

クスリ、パワハラ・モラハラ、不正、買収…真っ当な道のり以外は全部ダメです。

クルマより遅く、飛行機より低く、ロボットより著しく不正確な人間が何故こんなに金や名誉を得られるのか。

それは「心」があるからです。

僕は「心」に金を払っています。

「心」を大切にしましょう!




「フィギュアスケート界の悪弊」へ投じるのは一石で足りてるのか不安です!