今回書評するのは、少年司法に関する最近の動向がまとめられた一冊です。
日本においては昨今、選挙権を得られる年齢が18歳以上に変更されたことを受け、少年法の適用年齢も引き下げようという動きがあります。しかし本書が紹介する知見は、そのような試みが無残な結果に終わるだろうことを適切に指摘しています。
脳は発達の途上である
なぜ、少年法の適用年齢は引き下げるべきではないのでしょうか。
それは、18歳前後の少年の脳はいまだに発展途上で、可塑性に富むからです。
俗にこういう話を聞いたこともある人がいるでしょう。脳の発達は20歳でピークを迎え、それ以降は衰えていく一方であると。この話を念頭に置くと、20歳以降の人の脳を変えることは難しく、故に少年法の範囲を引き下げても問題なさそうな感じがしてしまいます。
しかし、最新の知見では、非行や犯罪と密接にかかわる前頭葉の発達はむしろ、20歳を超えても続き、最終的に完了するのは25歳ぐらいだということが示されています。
つまり、少なくとも少年法の適用年齢を引き下げる根拠は、脳科学にはないということです。この知見からすれば、適用年齢を引き上げたっていいくらいです。
また、少年期には親の不適切な養育などの影響も大きいことが知られています。このような段階において、適切にその悪影響を減じるための措置を行えば、非行少年の反社会性が収まっていく可能性は小さくありません。
脳が発達途上で、可塑性に富む段階の公正可能性は高いといえるでしょう。このような段階に更生プログラムを受けさせず、犯罪を成人と同様の刑事罰、あるいは適当な訓戒や罰金刑で済ませてしまうのは、再犯率を押し上げ社会にかえって悪影響を与えることになります。
アメリカ厳罰主義の転換点
本書はアメリカにおける少年司法の動向をかなり詳しく紹介しています。その背景には、日本の少年法がアメリカの少年法に由来するという事情があります。
本筋から離れますが、時折聞く「少年法は戦後まもなくの苦境にあえぐ少年を保護するためにつくられたもので、いまはもう必要ない」という主張がデマなのはこの辺の事情からも分かるところですね。(参考『【急募】少年法が「戦後の貧しい子供を保護するためだった」という元ネタはどこに』)
さて、アメリカといえば「三振法」「メーガン法」そして学校におけるゼロ・トレランス政策など、厳罰主義のメッカといえましょう。セサミストリートに親が刑務所に収監されているキャラが登場するくらいですから(『【記事評】スペシャルインタビュー『セサミストリート』リリー(THE BIG ISSUE JAPAN364号)』参考)。
しかし、その流れも変わりつつあります。
刑罰においては、18歳未満の少年への死刑を違憲としたローパー判決を皮切りに、少年の非殺人事件において仮釈放のない終身刑(LWOP)を違憲としたグラハム判決、LWOPが最低の量刑である事件においても少年であることを考慮せずに義務的にLWOPを科すことを違憲としたミラー判決、さらにミラー判決以前にLWOPを科された元少年に対し判断をやり直すことを示したモントゴメリー判決が出ています。
特に注目すべきはモントゴメリー判決でしょう。この裁判を起こした受刑者は当時69歳でしたが、ミラー判決の基準が遡及的に適用されることが確認されました。一見おかしいように見えますが、これは専門的な用語を使えば「新たな実態法規範」の効果なので遡及適用する、平たく言えば新しく法律ができたのではなく過去の拘禁がそもそも違法だったことが確認されたので当然遡及適用するという話です。
また刑事手続きに関しても、同様の流れにあります。
アメリカのドラマを見るとよく、警官が人を逮捕するときに権利を読み上げるシーンがあります。あれは被疑者の権利を告知すべきという判決に基づくミランダ警告と呼ばれるものなのですが、あれは身体拘束下にあるときにしなければならないというルールがあります。
裏を返すと、日本における任意同行のような、身体拘束のないときには別に言わなくてもいいということです。
しかし、少年に関してはその「身体拘束」を広く取り、精神的にあらがうことが難しい場面、例えば学校の校長室で教師立会いの下事情聴取をする場面ではミランダ警告をしなければならないということを示したのが、J.D.B.判決です。
これは、少年が権威の誘導を受けやすいことといった心理学な知見が反映されています。またこのような背景から、ミランダ警告に対し一般になされる権利の放棄も、少年に関しては鵜呑みにすべきではないという指摘があります。
日本の少年法はどうあるべきか
本書の後半では、少年法の適用年齢を引き下げた場合の弊害とそれへの対策を議論した法務省「若年者に対する刑事法制の在り方に関する勉強会」の報告が取り上げらています。
いろいろ書かれていますが、全体的に一貫して「対策は非現実的」かつ「そもそも引き下げなければいいんじゃない」という、辛辣でシンプルな批判が投げかけられています。
元々、少年犯罪の増加や凶悪化といった実態は存在しません。そのうえ、心理学・脳科学上のエビデンスもないとなれば、いよいよ少年法改正は立法根拠を失うでしょう。
そもそも、選挙権と少年司法は性質も目的も全く違うものです。それぞれに適した線引きがあるのであり、その2つの年齢を統一すべき理由も特にありません。
山口直也 (編) (2019). 脳科学と少年司法 現代人文社
日本においては昨今、選挙権を得られる年齢が18歳以上に変更されたことを受け、少年法の適用年齢も引き下げようという動きがあります。しかし本書が紹介する知見は、そのような試みが無残な結果に終わるだろうことを適切に指摘しています。
脳は発達の途上である
なぜ、少年法の適用年齢は引き下げるべきではないのでしょうか。
それは、18歳前後の少年の脳はいまだに発展途上で、可塑性に富むからです。
俗にこういう話を聞いたこともある人がいるでしょう。脳の発達は20歳でピークを迎え、それ以降は衰えていく一方であると。この話を念頭に置くと、20歳以降の人の脳を変えることは難しく、故に少年法の範囲を引き下げても問題なさそうな感じがしてしまいます。
しかし、最新の知見では、非行や犯罪と密接にかかわる前頭葉の発達はむしろ、20歳を超えても続き、最終的に完了するのは25歳ぐらいだということが示されています。
つまり、少なくとも少年法の適用年齢を引き下げる根拠は、脳科学にはないということです。この知見からすれば、適用年齢を引き上げたっていいくらいです。
また、少年期には親の不適切な養育などの影響も大きいことが知られています。このような段階において、適切にその悪影響を減じるための措置を行えば、非行少年の反社会性が収まっていく可能性は小さくありません。
脳が発達途上で、可塑性に富む段階の公正可能性は高いといえるでしょう。このような段階に更生プログラムを受けさせず、犯罪を成人と同様の刑事罰、あるいは適当な訓戒や罰金刑で済ませてしまうのは、再犯率を押し上げ社会にかえって悪影響を与えることになります。
アメリカ厳罰主義の転換点
本書はアメリカにおける少年司法の動向をかなり詳しく紹介しています。その背景には、日本の少年法がアメリカの少年法に由来するという事情があります。
本筋から離れますが、時折聞く「少年法は戦後まもなくの苦境にあえぐ少年を保護するためにつくられたもので、いまはもう必要ない」という主張がデマなのはこの辺の事情からも分かるところですね。(参考『【急募】少年法が「戦後の貧しい子供を保護するためだった」という元ネタはどこに』)
さて、アメリカといえば「三振法」「メーガン法」そして学校におけるゼロ・トレランス政策など、厳罰主義のメッカといえましょう。セサミストリートに親が刑務所に収監されているキャラが登場するくらいですから(『【記事評】スペシャルインタビュー『セサミストリート』リリー(THE BIG ISSUE JAPAN364号)』参考)。
しかし、その流れも変わりつつあります。
刑罰においては、18歳未満の少年への死刑を違憲としたローパー判決を皮切りに、少年の非殺人事件において仮釈放のない終身刑(LWOP)を違憲としたグラハム判決、LWOPが最低の量刑である事件においても少年であることを考慮せずに義務的にLWOPを科すことを違憲としたミラー判決、さらにミラー判決以前にLWOPを科された元少年に対し判断をやり直すことを示したモントゴメリー判決が出ています。
特に注目すべきはモントゴメリー判決でしょう。この裁判を起こした受刑者は当時69歳でしたが、ミラー判決の基準が遡及的に適用されることが確認されました。一見おかしいように見えますが、これは専門的な用語を使えば「新たな実態法規範」の効果なので遡及適用する、平たく言えば新しく法律ができたのではなく過去の拘禁がそもそも違法だったことが確認されたので当然遡及適用するという話です。
また刑事手続きに関しても、同様の流れにあります。
アメリカのドラマを見るとよく、警官が人を逮捕するときに権利を読み上げるシーンがあります。あれは被疑者の権利を告知すべきという判決に基づくミランダ警告と呼ばれるものなのですが、あれは身体拘束下にあるときにしなければならないというルールがあります。
裏を返すと、日本における任意同行のような、身体拘束のないときには別に言わなくてもいいということです。
しかし、少年に関してはその「身体拘束」を広く取り、精神的にあらがうことが難しい場面、例えば学校の校長室で教師立会いの下事情聴取をする場面ではミランダ警告をしなければならないということを示したのが、J.D.B.判決です。
これは、少年が権威の誘導を受けやすいことといった心理学な知見が反映されています。またこのような背景から、ミランダ警告に対し一般になされる権利の放棄も、少年に関しては鵜呑みにすべきではないという指摘があります。
日本の少年法はどうあるべきか
本書の後半では、少年法の適用年齢を引き下げた場合の弊害とそれへの対策を議論した法務省「若年者に対する刑事法制の在り方に関する勉強会」の報告が取り上げらています。
いろいろ書かれていますが、全体的に一貫して「対策は非現実的」かつ「そもそも引き下げなければいいんじゃない」という、辛辣でシンプルな批判が投げかけられています。
元々、少年犯罪の増加や凶悪化といった実態は存在しません。そのうえ、心理学・脳科学上のエビデンスもないとなれば、いよいよ少年法改正は立法根拠を失うでしょう。
そもそも、選挙権と少年司法は性質も目的も全く違うものです。それぞれに適した線引きがあるのであり、その2つの年齢を統一すべき理由も特にありません。
山口直也 (編) (2019). 脳科学と少年司法 現代人文社
https://youtu.be/opdfGcnkGyg