[2-44] のーもあ☆ほわいとうぃるだねす
エドフェルト侯爵による皇太子候補ジスラン擁立の報は、通信を介して国中に響き渡った。
ジスランは王として誰もが認めるようなカリスマ性こそ持たないが、政治的な色の付いていないジスランは国民に広く受け容れられる皇太子候補であった。血筋も申し分ない。
また、ジスランはノアキュリオとの連係も打ち出した。
シエル=テイラ東部に現れたノアキュリオ軍が治安の維持や魔物退治など安全確保に動いていることは周知の事実。クーデターの一件でノアキュリオに疑問を抱く者もあるが、やはり今まさに身体を張ってシエル=テイラを守っているという事実、そこから来る信用は大きかった。
ジスランを旗印にノアキュリオと手を結び、国家を再建する。
それは、明日をも見えない暮らしをする人々にとって希望の光だった。
だがそのニュースを打ち消すように、別のニュースが西から轟いた。
ベルガー侯爵が自らの長男であるヨハン・ヴィルヘルム・ベルガーを皇太子として擁立すると発表したのだ。
ヨハンは王家の血を引いていることから皇太子候補たる条件は満たしているものの、傍流の傍流だ。
最も前王に血の近い男子を皇太子を選んでいたシエル=テイラの慣例からすれば、諸侯のみならず国民の支持も得られるか微妙なところだ。
しかし、もうひとりの皇太子候補擁立のニュースには、二頭立ての馬車を引く馬のように別のニュースが併走していた。
ジレシュハタール連邦が派兵を準備している、というものである。
その大義名分は『国家体制が崩壊したシエル=テイラにおいて在留邦人を保護するため』というものだが、当然ながら人々の期待は『自分たちも守ってくれるのではないか』と高まる。
なにしろ連邦は付き合い長く、気心の知れた仲だ。ヒルベルト2世によるクーデターという不幸なトラブルがあったとは言え、それでも人々は都合の良い期待を抱く。
そしてベルガー侯爵領はシエル=テイラの最西端。連邦との国境に当たる。
ノアキュリオ軍を刺激しないためか明言はされなかったが、あからさまな話だった。ベルガー侯爵の擁立する皇太子候補ヨハンは、ジレシュハタール連邦との連係を掲げているのだと。
ジレシュハタール連邦に期待する者あり。
ノアキュリオ王国が居るのに何を今さらと疎む者あり。
そして、この対立が危険な衝突に発展しかねないのではないかと危惧する者あり。
不穏な空気を抱いたまま、時間は無慈悲に流れ続けていた。
* * *
「この私に何用だ? 聖獣使い。
先日の非礼を詫びに来たというのなら、そうだな。頭を地に擦りつけて豚の鳴き真似をし、私に一生逆らわないと誓え。そうすればこのエルミニオ、貴様を寛容に許してやらんでもない。
私を呼びつけようとした非礼も不問に処してくれよう」
居室を訪れたモルガナに対し、玉座のようなソファに足を組んで深く座ったエルミニオは、傲岸として言い放った。
ここはエルミニオに割り当てられている、エドフェルト侯爵居城の客室だ。
全体的に白と金、そしてアクセントに深紅を使った装飾が、部屋全体から家具に至るまで執拗に施されている。
例によってエルミニオの両脇には、彫像のように神殿騎士ふたりが控えていた。
モルガナはエルミニオを呼びだして話をしようとしたが、エルミニオがそれを拒否したため自ら出向いたのだ。
彼女もまたエルミニオに対抗するように、覆面僧服の男たち……自ら造り出した聖獣人を従えている。
「あんたら“果断なるドロエット”に、王都テイラルアーレの調査に出向いてほしい。できるかい?」
モルガナは、エルミニオの妄言には全く耳を貸さず用件だけを伝える。
エルミニオは不快げに睨み付けた。
「調査だと? 国へ逃げ帰ろうとしている貴様らが、今さら何を調べるというのだ」
「いいや、違う。違うよ。方針が変わった。ノアキュリオ軍はこのまま一気に王都を攻めるんだ」
「何?」
気だるげに話を聞いていたエルミニオが身を起こした。
「ねぇ、あんたは“怨獄の薔薇姫”を倒したいんだよねぇ?」
モルガナの問いに、エルミニオは何も言わない。
その沈黙は、肯定だった。
エルミニオは“怨獄の薔薇姫”が来ると見込んだからこそエドフェルト侯爵の護衛を引き受けたのだ。
本音ではエドフェルト侯爵などどうでもいいはずだ。
「ノアキュリオ軍が帰るなら“怨獄の薔薇姫”は攻めてくるだろうが、逆にノアキュリオ軍はこれから王都へ攻め上るんだよ?
そうなったら“怨獄の薔薇姫”も王都に籠もって守りを固めるだろうさ。護衛であるあんたの出番はなくなるだろ。それでも侯爵は、念のためを思えばあんたを離すわけにゃいかないだろうね」
「つまり、私のあずかり知らぬ場で戦いが起きるやも知れないと……」
「ノアキュリオ軍は“果断なるドロエット”に仕事を依頼したい。一度は王都に潜入し、無事とは言わないまでも還ってきた実力を買ってるんだ。
調査に際してはノアキュリオ軍が全面支援するよ。必要な物資は融通するし、足りなきゃ金も出そう。
あんたらだけで“怨獄の薔薇姫”を討ち取れるならそれでよし。でなくてもノアキュリオ軍が到着する前に王都の状況を探ってもらいたい」
エルミニオは腕を組み、思案する様子だった。
彼は名声を得ることに貪欲な質だ。“怨獄の薔薇姫”には個人的な恨みもあるらしい。
自分が侯爵の番犬をしている間にどこかで戦いが終わっている、なんて事態は絶対に避けたいはずなのだ。
「本隊到着後は合流して、攻城戦では遊撃に当たってもらう。ザコどもの露払いが済んだら、最後に“怨獄の薔薇姫”と戦うのはあんたらの仕事さ」
「なるほど、それはまさしく私に相応しい役目だろう。だが……」
エルミニオの目がモルガナを見据える。
どっかりと座り込んだエルミニオと、杖を突くモルガナ。目線の高さは同じくらいだが、それでもエルミニオの視線は高みより睥睨するようなものだ。
人を見下すことに慣れきった、生まれたときからそういう生き方をしてきた者らしい目つきだった。
「何故、技術顧問でしかない貴様がその話をする? まさか貴様の一存で話を進めているわけではなかろうな?」
この辺り、エルミニオも愚物だが考え無しではない。
モルガナだってエルミニオが言うのはもっともだと思った。
「信じらんないなら将軍に聞いてみな。あんたが参加するなら次の作戦の要になるだろうだからね、すぐにでも会ってくれるさ」
「ならば、そちらから私のところへ馳せ参じるのが礼儀ではないか?」
「あいあい、そうだね。呼んでおこう」
モルガナが二つ返事に了承すると、エルミニオは『最初からそうやって下手に出ていればいいのだ』と言わんばかりに皮肉っぽく笑って頷いた。
「それと、この件はエドフェルト侯爵には内緒にしとくんだよ」
釘を刺すようにモルガナが言うと、エルミニオは訝しげだった。
「私を引き留めようとするからか?」
「違う違う。エドフェルト侯爵はまだノアキュリオ軍が退却すると思ってるのさ。
ジスラン殿下と一緒にノアキュリオ軍に同行して、ふたりともウェサラまで逃げる予定らしいからね。
ごねられたらたまったもんじゃない。……少なくとも、行軍のための物資を供出してくれるまではね」
「ハッ! 腰抜けが!
……まあいい。この私に声を掛けたのは正解だぞ、聖獣使い。
“果断なるドロエット”、必ずや“怨獄の薔薇姫”を討ち果たしてくれようとも」
エルミニオは自信と余裕に溢れていた。
信義に応えようとか、人々のためにとか、そんな様子は見えない。エルミニオはただ、自分は勝って当然であり、その結果として名声を手にして当然だと考えているだけだ。
実に愚か。しかし、その愚かしさの結果として神のための戦いに赴くのであれば好ましくもある。
誰もが賢くある必要はないのだ。変に賢いばかりに神の道に反する、パトリックのような背教者も居るのだから。それくらいなら世の中には愚か者が多い方が良い。
神々は人族に対して、嘘をつくことや騙すことを戒められた。
しかし、不信心者を騙して神のため働かせることに何の問題があろうか。
そして愚か者を騙すことは、とても簡単なのだ。
* * *
「我らはこれより王都を攻める」
パトリックがそう言った時、天幕での軍議に集った軍幹部たちはあっけにとられた様子だった。
補給部隊が壊滅させられ、備蓄物資も焼かれてしまった。前線部隊全体の士気も統制が取れるギリギリのところで首の皮一枚繋がっているかのような状態だ。
考えるとしても『補給を待つか、撤退するか』であって、まさかここから攻勢に出るなんてことはあり得ない……はずだった。
しかし『再度の輸送に成功し、すぐに補給部隊が追いついてくるのだ』とまで言われれば、もう信じるしかないようで、気が進まないようではあったが了承した。
どのみち、彼らに選択肢は無いのだ。パトリックの命に逆らって勝手に帰ったりしたらどうなるか。
国に帰ってから責任を追及されるだけならまだいい。
少人数だけで移動していて、魔物(もちろん“怨獄の薔薇姫”や彼女の軍勢を含む)に襲われたりしたらひとたまりもない。
結局、軍は西へ進むために動き出した。
王都を攻めるらしいという話はすぐに広まり、宿営地はざわついた雰囲気になる。
それでも反抗しようとする者は居なかった。
少なくとも、ノアキュリオ軍の中には。
* * *
「将軍! これは何事ですか!」
ノアキュリオの騎士に化け、軍の中に紛れ込んでいたマークス。
彼がパトリックの所へ怒鳴り込んでいったのは、ノアキュリオ軍のほとんどが荷物を片付けて陣を引き払い、部隊が行軍を開始してからだった。
宿営地の囲いを出た陣列の先端は、明らかに西へ向かっている。それを見てしまったのか、あるいは周囲の者の噂を聞いたのか。
パトリックは残った数少ない天幕のうちひとつで、自分が出発する番になるまでの短い休憩として紅茶を飲んでいるところだった。
天幕の奥の隅には特に何をするでもなくモルガナがじっと控えていて、マークスはそれを見た瞬間に嫌な汗が噴き出してきた。
「なぜノアキュリオ軍は西へ向かっているのです!」
「見ての通りです。我らノアキュリオ軍は、これより王都攻撃を敢行します」
紅茶のカップを持ったパトリックが悪びれもせずに言い放ったものだから、マークスは寸の間、絶句するより他になかった。
「撤退ではなかったのですか! 我らは共にウェサラへ向かうはずで……!」
「情勢が変わったのですよ」
「そんな! では、我らはどうすれば……」
「残念ながらウェサラまでの護衛は不可能です。ですが、我らが王都を攻めるというのに“怨獄の薔薇姫”が軍勢を率いてテイラカイネまで来ることはありませんでしょう。街で我らの勝利をお祈りください。可能でしたら助勢していただけますとありがたいのですが……」
「……無理だ、そんなことはっ……」
頭を抱えてしまいそうだった。
護衛に雇ったはずの“果断なるドロエット”も、何故かいつの間にか姿を消していた。
このうえノアキュリオ軍までわけがわからないことをやり始めたらどうすればいいのか。
「騙すような形になってしまったことは申し訳なく存じます。
しかし、私のすることはこの国のためでもあると確信しておりますよ」
ぬけぬけと言い放つパトリックを見て、マークスは肝の冷える心地だった。
おかしい。確かにパトリックの顔をしてパトリックの声で話しているが、別人としか思えない。話が通じている気がしない。
だいいち、ここで王都を攻めるというのが不自然なのだ。
そんなことをして喜びそうなのは、誰か。
唇を噛む。
そして、マークスは己を奮い立たせた。
「調べろ」
背後から配下の騎士のひとりが天幕に入ってきた。いわゆる騎士鎧ではなく、サーコートに似た
ほとんどの騎士はテイラカイネ防衛のために残してあるが、彼は神聖魔法を使えるので、自分とジスランのために帯同させることになっていたのだ。
騎士は、聖印と魔方陣を刻んだお盆のようなものを持っている。『微睡む神眼』というマジックアイテムだ。
これは生体に宿った魔力と、その聖邪を調べるための道具。王都でレブナントが出たという報告があったことから、レブナントを警戒してアンデッドを検出するための道具として持ってきたものだ。
だがアンデッドとは逆に、異常な聖気を持った『人ならざる人』を見つけ出すこともできる。
ノアキュリオ軍が妙な動きを始めた時点で、マークスには『よもや』という気持ちがあった。
パトリックと話をしていて、疑念は深まった。
「これは何のおつもりで?」
「将軍。あなたがあなたであるという確証を得たい」
「……冗談では済みませんよ。ノアキュリオ王国への侮辱ともなりかねませんが」
国への侮辱という言葉を聞いて、『微睡む神眼』を持った騎士が怯む。
マークスも、この瞬間には迷いがよぎった。進駐部隊の指揮官にあらぬ疑いをかけたとあってはノアキュリオとの関係を決裂させかねないと。マークス自身の立場も非常にまずいことになる。
だが。
マークスはもはや、山のてっぺんからでも転がり落ちてやるという心地だった。
もしマークスが懸念する通りの事態になっているのだとしたら? 僅かな希望すら絶たれよう。
今、シエル=テイラを守れるのは自分しか居ないのだ……!
「間違いだったなら私の腕でも足でも首でもくれてやる! 今すぐに調べろ!」
マークスが命ずると雷に打たれたように騎士は反応し、お盆状の本体に繋がった銀線をパトリック目がけ放り投げた。
パトリックはそれを払いのけようとする。
それはまるで、大人が手加減して子どもと力比べをしているようで。
本来の力を見せてしまわないよう苦心して、そのせいで不器用になっているかのようで。
銀線がパトリックの腕を巻き取る。
すると、円盤に埋め込まれた20の石が全て白輝の光を放った。
「ぐっ……!」
「あり得ません、こんなもの! 計測範囲外です! 人間がこれほどの聖気を体内に宿しているはずありません!」
「聖獣使い! 貴様の仕業かっ!!」
マークスは反射的に剣を抜きモルガナに突きつけた。
モルガナは小揺るぎもせず、穏やかな表情でじっと立っていた。
モルガナがパトリックを聖獣化し、操っている……
マークスがその発想に至ったのは当然だった。なにしろ、自分たちがジスランに対してやったのと同じことなのだから。
マークスの怒鳴り声を聞いて、外で待機していた数人の騎士が踏み込んでくる。ウェサラへ連れて行くはずだったマークスの手勢だ。
「引っ捕らえぃ!! 聖獣が怪しい動きを見せたら構わん、即座に首をはねろ!」
「ああ、やれやれ。ここで兵を減らすわけにゃいかないね」
モルガナに縄が打たれ、パトリックにはミスリルの鎖が巻かれていく。さらにモルガナには魔封じの力を持つ猿ぐつわが掛けられた。モルガナは超短距離のテレパシーか口頭命令で聖獣を動かすことができる。発声と魔法を封じれば彼女は聖獣を動かせなくなるのだ。
ふたり(もしくはひとりと一匹)は意外にも全く抵抗しなかった。
「辺りに触れ回れ! 行軍を止めさせろ! この将軍は偽物だ!」
マークスの中には、崖っぷちで踏みとどまったという安堵と、状況が想定を超えて悪化したという焦りがあった。
何が神だ。何が≪
モルガナは相変わらず穏やかに微笑んでいた。
それがマークスには憎らしく、そして不気味だった。