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ビートルズが世界を塗り替え始めたデビューアルバムは「たった1日で録音」された!【エンタメ】

 

 

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ビートルズのデビューアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』は1963年4月にイギリスでリリースされ、翌月に全英ヒットチャートのトップに躍り出て以降、30週に亘って首位を独占した。このアルバムはなんと僅か1日、約13時間で収録された。それにも関わらず、音楽の歴史を動かした奇跡的なアルバムである。

 

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リンゴ屈辱のデビューシングルは全英17位

 

音楽にとどまらず、様々なカルチャーや人々のライフスタイルにも多大な影響を与えた革命的音楽集団ビートルズのレコードデビュー自体は、シングル盤「ラブ・ミー・ドゥー」だ。

 

第2弾、第3弾がいずれもシングル盤の「プリーズ・プリーズ・ミー」そして「フロム・ミー・トウー・ユー」であり、第4弾で初めてアルバム・デビューを果たし、本格的に世界的アーティストとしての進撃を開始することになる。

 

さて、1962年10月5日リリースのイギリスでのデビュー・シングル「ラブ・ミー・ドゥー」はミュージック・ウィーク誌の「トップ50」で最高位17位を記録した、初っ端から高評価を得たシングル盤だ。

 

しかしこの楽曲のドラムスを叩けなかったのが、リンゴ・スターの長年にわたる屈辱の種であった。

 

プロデュースを担当していたジョージ・マーティンは、EMIがシングル盤発売を決定していたこの「ラブ・ミー・ドゥー」の演奏の仕上がりに納得していなかった。

そこで録り直しをすることになったのだが、再収録の日はマーティンの都合が悪く、際スタント・プロデューサーのロイ・リチャーズが担当した。

 

ところがロイはリンゴ・スターの演奏がどうも気に入らず、シングルA面の「ラブ・ミー・ドゥー」とB面の「P.S. アイ・ラブ・ユー」の両方とも、スタジオ・ミュージシャンのアンディ・ホワイトに叩かせた。

 

リング・スターは止むを得ず「タンバリン」で参加する屈辱を味わい、しばらく引きずることになる。

 

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デビュー2枚目シングルで全英トップ! 一躍脚光を浴びる

 

1963年1月11日にイギリスでリリースされた2枚目のシングル「プリーズ・プリーズ・ミー」はメロディー・メーカー誌の「シングル・トップ50」で俄然1位、前述のミュージック・ウィーク誌の「トップ50」で最高位2位を獲得した。

 

ブルージーで渋みある「ラブ・ミー・ドゥー」から一転して、爽快でエネルギッシュなポップ色の強い楽曲であることも功を奏したのであろう。

 

ここにおいてイギリスでは一躍脚光を浴び、同4月11日リリースの第3弾シングル「フロム・ミー・トゥ・ユー」でミュージック・ウィーク誌「トップ50」で7週連続1位を記録することになる。

 

  

そしてシングル「プリーズ・プリーズ・ミー」とシングル「フロム・ミー・トゥー・ユー」の狭間で作られた、満を持してのイギリスでのデビュー・アルバムが『プリーズ・プリーズ・ミー』である。

 

これが順序は逆にシングル「フロム・ミー・トゥー・ユー」リリースの直後、4月26日にリリースされるのだが、その録音たるや超ハード・スケジュールでおこなわれたのであった。

 

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1963年2月11日 12時間45分で収録

 

1963年1月11日にシングル「プリーズ・プリーズ・ミー」がリリースされてしばらくすると、果たせるかな大ヒットの兆しが現れた。

 

さほど期待をしていなかったので、大慌てをしたのはEMIであり、これは急遽アルバム・デビューをさせようということになった。

種々の事情で収録日は「プリーズ・プリーズ・ミー」のリリース後ちょうど1ヶ月にあたる2月11日、たった1日で収録をしなければならない強行スケジュールとなった。

 

それまでのシングル2枚の音源のA,B両面の計4曲は使えるが、あと10曲ほど追加の録音をしてアルバムに仕立てるプランであり、その10曲の録音を1日でやり切るというハードなミッションであった。

 

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この難題を命じられたビートルズならびにプロデューサーのジョージ・マーティンは、EMIレコーディング・スタジオ(後のアビイ・ロード・スタジオ)にて、その日「12時間45分」がかりで見事に録音を完遂した。

 

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既存の4曲に加えて10曲を録音

 

ジョージ・マーティンはアルバム録音の強行企画が決定するや、ビートルズにレパートリーの中からすぐに録音できるぐらい仕上がっている曲のリストを提出させた。

 

当初に候補に上がった曲は以下の通りだった。

  • アイ・ソー・ハー。・スタンディング・ゼア
  • ミズリー
  • アンナ
  • チェインズ
  • ボーイズ
  • ベイビー・イッツ・ユー
  • ドゥー・ユー・ウォント・トゥー・ノウ・ア・シークレット
  • ア・テイスト・オブ・ハニー
  • ゼアズ・ア・ウレイス
  • ホールド・ミー・タイト

この中で「ホールド・ミー・タイト」はボツとされて、R&Bのアイズレー・ブラザーズのカヴァー曲である「ツイスト・アンド・シャウト」が加わった。 

 

  

この「ツイスト・アンド・シャウト」やアレキサンダー・アーサーの「アンナ」等いくつかのカヴァー曲は1960〜61年頃のハンブルク巡業時代からのレパートリーだった。

毎晩のように演奏されてきたのでブラッシュ・アップされていて、すでにビートルズのオリジナル・サウンドになっていた。

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アルバム最大の勝因はライブ再現を狙ったこと

 

ジョージ・マーティンは大急ぎで作らねばならないこのアルバムのコンセプトを、彼らの魅力を最大限引き出すべく、ライブ活動の本拠地「キャバーン・クラブ」での演奏をそのまま再現しようと考え、当初ライブ録音を考えた。

 

しかし実際にはライブ・ハウスの湿気の多さや煉瓦造りの天井の音への影響、機材のセッティングなど困難な部分が多いので断念した。

そこで、スタジオ内では彼らにできるかぎり生き生きとしたライブ感覚で収録できるように、マイク・セッティングもライブでの彼らの普段の立ち位置通りにしたりの配慮をし、のびのびとやらせた。

 

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また、ハンドクラップ(手拍子)を多用したり、ジョンのアドリブのシャウトも歓迎し、ポールのカウントを取るナマ声をアルバムの一番最初の音として、ともかく「臨場感」を意識して作られたのが極めて斬新なロックンロール・アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』である。

 

ジョージ・マーティンの狙い通り、眩しいほど若々しいビートルズの大いなるのびしろを感じさせるこのアルバムは、全英チャート・トップの座を自分たちのセカンド・アルバムによって引き摺り下ろされるまで、30週の長きに亘って独占し、世界進出への足掛かりとなった。

 

 

 

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