[2-41] カジン・ハクメイって言うと東国の武人っぽい
エヴェリスに呼び出されたトレイシーが工房に入ると、部屋は奇妙な有様だった。
ガラクタのような
それが全体にぼんやりと薄緑色の光で照らし出されていた。
光源は、探すまでもない。部屋のど真ん中に置かれた巨大な
円筒形のガラスのような容れ物の中。
発光する淡緑色の液体の中にルネが浮いていた。目を閉じて、安らかに息を引き取ったかのような様子で。
一糸まとわぬルネの艶やかに瑞々しく白い裸身を、ふわりと広がった銀髪が包んでいる。発行する液体の中で、銀の髪は光そのもののように輝いていた。
「ねえ、これボク部屋に入っちゃって大丈夫な状況?」
「まあ姫様は気にしないでしょ。適当に座って」
訝しげなトレイシーにエヴェリスは椅子を勧めたようだが、変な物がごちゃごちゃと散らばっていてどれが椅子なのか分からなかったトレイシーは立っていることにした。
「何なの、この素敵アクアリウム」
「先日の戦いで動けなくなった時、姫様は気付けの代わりに自傷をしたそうじゃんか」
「うん、見てた」
「身体は乗り換えれば済むけれど、本体にもダメージが来てたみたいでね。いよいよ決戦な感じだから急速回復中」
「……この液体、健康な人間が5人くらい溶けてたりしない?」
「惜しい! 正解は10人ね」
「うええ……」
詳しくは分からないけれど、冒涜的な回復処置であるらしい。
確かに今は決戦間近。
ノアキュリオ軍は、もはや撤退するしかない状況だ。
エドフェルト侯爵はノアキュリオ軍の撤退する前に皇太子擁立の発表を間に合わせて、ノアキュリオの後ろ盾を印象づけて諸侯の協力を取り付けるだろう。おそらくその直後にノアキュリオ軍は帰って行くことになるだろうが、その前に諸侯の言質を取ってしまえば流れはできる。
だが、ノアキュリオ軍が撤退すればルネはエドフェルト侯爵領に攻め込む。
テイラカイネを滅ぼし、領主マークスと皇太子(予定)ジスランを討ち取るだろう。
侯爵が取り得る対抗策は冒険者を呼び集めるとか、親和的な諸侯に兵力供出を求めノアキュリオ軍の穴を埋めるくらいか。
もっとも、軍が帰って行くとしても聖獣は残っている可能性が高いが。
余談だが、ノアキュリオ軍の撤退と前後して反ヒルベルト派だった諸侯が別の皇太子を擁立する手筈になっている。この動きには第二騎士団長バーティルが一枚噛んでおり、ジレシュハタール連邦とも繋ぎが付いているという話だ。
「しかし……魔法研究者の端くれとして、実に興味深い。神降ろしの魔法に対して読心をすると、たぶん心に神を宿した本人よりも鮮明に神を視てしまうんだろうね。私もさすがに知らなかったなー。
よくそんなものを視て精神崩壊しなかったもんだわ」
「神様の敵、かあ」
トレイシーは独りごちる。
トレイシーの信仰心は弱い。カルガモには勝てるんじゃないかというくらいに弱い。本当に辛い時に都合良く神様が助けてくれるわけなんかないと、少々突き放した見方をしていた。
そんなトレイシーでも神様(邪神を除く)というのは、なんとなく良いもので、慈愛に満ちたもので、尊崇に値する存在だと思っていた。
だがルネの話を聞く限り、理解不能な化け物のようにも思える。
ルネが神の敵であるアンデッドだからそんな風に見えただけなのか、それとも。
「ところでトレイシー、君を呼んだ用件についてなんだけれど」
「おっと、なあに?」
とりあえず面倒なことを考えるのは後にしておこう、とトレイシーが頭を切り換えたところで、エヴェリスはさらに面倒な話題を突っ込んできた。
「君さー、その歳でその容姿……
子どもの頃にヤバイ薬2,3本飲まされてない?」
エヴェリスはニヤニヤと笑い、好奇心に双眸を輝かせていた。
ひどくプライベートな話題だし、しかも事情を見抜かれていたというのはそれなりにショックだった。が、トレイシーはそんな様子をおくびにも出さず、せいぜい余裕ぶって応じる。
「半分は当たり。ボクが可愛い理由の残り半分は、ボクの努力の賜物だよ」
「そりゃ失敬。事情を詳しく聞いてもいいかな」
「ま、隠すことでもないか。
ボクのお父さんはね……ああ、お父さんっても育ての親だけど、シエル=テイラに隠れ住む邪術師だったのさ」
邪術師。それは、本来人族が使うべきでない術を行使して欲望を満たす外法外道の者だ。
ちなみに邪術師のうち特に女性を『魔女』と称する。
「お父さんは身寄りの無い子どもを引き取ってきて、顧客の注文通りに育てて出荷するのが生業っていう……まあ控えめに言っても
ボクもその作品のひとり。ほら、どう見ても女の子なのに実は男って、結構便利じゃん」
「性別限定で効く魔法ってあるもんね」
「そうそれ。誰が買い手だったのか知らないけど。
ところがボクのお父さん、まだボクが子どものうちに
隠すようなことでもないけれど、率先して人に話すようなことでもない。自分という存在に変な色が付いてしまうからだ。だから、他人のこの話をしたことは数えるほどしかない。
エヴェリスやルネとの関係はあくまで、使役者と被使役者。だからこそ、こんな風に何の気兼ねも無く話ができるという気がする。
「別に親子の情とか無かったから
仕方がないから狡っ辛く生きてきたよ。話術と可愛い顔で誰にでも取り入って、ね。仕込まれてた
「ふんふん、いいねえいいねえ。甘ったれたスイーツ脳かと思ったら、ハードな生い立ちでスレた感じのビタースイーツでしたーみたいな子はいいねえ。そういうの魔女さん好きだなー」
「うひー」
紫水晶のようなエヴェリスの目が輝き、トレイシーはファイアパイソンに睨まれたバルーンラットのようにすくみ上がる。
おちゃらけたいい加減な痴女に見えるが、相手は魔王軍で長年参謀を務めたという恐るべき魔女だ。気配だけでも力の差を察するくらいはできる。彼女がその気になればいつでもトレイシーは手籠めにされてしまうだろう。
「まあ、それはいいとしてだ。
君、自分が先短いの分かってるよね? なんかやたら命の危機に鈍感だなって思ってたんだ」
さすがのトレイシーも、これにはどきりとした。
薄々感づいていた破滅の運命を突きつけられたのだから。
「あはー、お見通しか。
……ねえ、ボクあと何年生きられると思う?」
「検査しなきゃ正確には分からないけど……5年ってとこかな」
「やっぱりかー。そんなもんかー」
自分の身体にガタが来ていることはよく分かっていた。
少女めいた容姿のまま、成長しない身体。幼き日に飲まされたポーションがどんな作用をもたらしているのか分からないが、こんな無茶が身体に良いわけがない。
「私なら延命できる、と言ったら?」
トレイシーは息を呑む。
……そんなあからさまな反応を表に出してしまったのは、常に無い失敗だった。
エヴェリスは悪戯っ子みたいなニヤニヤ笑いをさらに深くしていた。
人をたぶらかす悪魔の笑み? いやいや、そんな大層なものじゃない。これはエヴェリスにとってただの戯れのようなもの。だからこそ単純にトレイシーの反応を楽しんでいるのだ。
「このまま解放されず世界滅ぼすために使われるなら、いっそのこと潔く死んでやる!
……って言えたら格好いいんだけどね。ボクは自分が一番だから延命できるならお願いしたい」
諦めて、運命を受け容れようとしていた。だけど死にたくないのは当たり前だ。トレイシーは明日も鏡を見ていたい。
「できればあんまり邪悪じゃない手段でお願いしたいケド。こう、人が死んだりしないやつで」
「よっしゃ。まあなんとか考えてみよう」
「でも、なんで延命するのさ。魔女さんがボクを気に入ったとか? それとも、死なせるには惜しい駒だと思ったのかな」
正直そこはどうでもいいと言えばどうでもいいのだが、なんとなく聞いてみたトレイシーに、エヴェリスは愉快そうに答えた。
「いんや。姫様のお願いだよ。もちろんお代は姫様持ち。君の推定余命について姫様に話をしたら、興味を持たれてね。
断っておくけれど、魔法に使う触媒の値段を考えたら君を延命するのは決して『お買い得』じゃない。定期的な処置も必要だし、
「ええっ?」
「これは君への報酬、お給金の代わりだよ」
笑えるほどに予想外の答えだった。
「報酬? お給金? だってボクそんなの貰わなくても、
トン、とトレイシーは自らの胸を突く。
『隷従の首輪』を改良してエヴェリスが作り出した、同等の拘束力を持つアイテム『隷従核』。それがトレイシーの身体には埋め込まれている。
命令で雁字搦めにされたトレイシーは逃げることも逆らうことも自害することもかなわず、忠実に仕えることを強制されている。
仕事の報酬として金をくれてやる必要など無い、はずだ。
「そこだよ。アンデッドどもは自動的に忠誠を刷り込まれるからいいとして、私とかミアランゼはちゃんと自分の目的があって姫様に仕えているわけじゃん。
でも君は無理やりだ。
それがね、姫様には気持ち悪いんだと思う。不自然な状態だから据わりが悪くて、どこかで崩れるように思えて……だから無理やり従えてるにしても、ある程度納得して仕えてほしいってことじゃないかな」
「意味分かんない! どんな世界で育ったの!?」
「
死ぬまでいいようにこき使われるのだろうな、とトレイシーは思っていた。
間違ってはいなかった。トレイシーが考えていたのとは全く違う形だが。
こんな身の上だ。延命の魔法とか、そういう効果があるマジックアイテムを探したこともある。
やり方はいくつか見つかったが、どれもこれも稀少なうえに多大なコストがかかるものだった。いくら優秀な冒険者であっても、とても手が届くようなものではなかった。寿命を1年延ばすために何年分の収入をつぎ込めばいいのかという話で、結局諦めるしかなかった。残りの人生を精一杯楽しもうと、それだけしかできないと、思っていた。
それが、まさかこんな場所で救われるなんて。
トレイシーは部屋のど真ん中に置かれた透明な棺のような水槽を見やる。
薄緑に発行する液体の中、ふわふわと浮かんだルネは、眠るようにじっと目を閉じていた。
“怨獄の薔薇姫”。シエル=テイラを、やがては世界を滅ぼさんとする恐るべきネームドモンスター。
トレイシーは彼女の捕虜となり、呪いのアイテムで従わされて共に戦うこととなった。そんな中で、一言に『邪悪』と言い切れないルネの在り方を知った。
割り切れない気持ちを抱えるトレイシーを見て、エヴェリスは目を細める。
「……堕ちたかな?」
「うぇっ!? べ、別にそういうわけじゃ……」
「君もこっち側に来なよー。楽しいよ?」
「やだやだやだー! ガチな悪役はやだ! ボクはみんなを遊び半分に籠絡したりしながらも、いざって時には有能さを発揮して気まぐれに他人を助けたりする小悪魔キュートなトリックスター系冒険者なんだからー!」
「ふーん。じゃあ、良い感じに活動実績積んだ辺りで『隷従核』外してみようかなー。なんだかんだ理由付けながら自分の意思で姫様に従う君が目に浮かぶね」
「……性格悪いって言われない?」
「あはははは! ごめんねー、可愛い男の子はいじめたくなるもんでね。まあ本当は可愛い系より耽美系が趣味なんだけど」
「ボクであーそーぶーなー!」
握り拳をぶんぶん振ってトレイシーは抗議する。
人類の敵、神の敵になるとまでは吹っ切れていない。あくまでもトレイシーは『隷従核』で従わされている立場だからこそルネに協力している。自分で自分を、そう信じたかった。
「とにかくこれで決まりだね。後々ガッツリとメディカルチェックをするからそのつもりでいてちょーな」
「分かった。……お手柔らかにね」
*
トレイシーが部屋を出ると、ルネは≪
『エヴェリス』
「なんだ、姫様……起きてたなら言ってよ。人が悪いなあ」
『寝てないわよ。目を開けても口を開けても水が入ってくるし、狭くて身動き取れないからじっとしてただけ』
眠っていると思われていたようだが、じっとしていただけだ。
本体が霊体系アンデッドであるルネは、目を閉じて耳を塞いでいても周囲の状況をレーダーのように魔力によって知覚できる。霊体には視覚や聴覚を処理する機関が無いから、こうした知覚機能が備わっているのだ。
「こうやってデタラメに部下の好感度稼ぐのは流石にどうかと思うよー? 無自覚あざとーい」
『あなたの知識に関していろいろと聞きたいことがあるのだけど』
別の世界というものを知っているかのようなエヴェリスの言葉。あれは聞き捨てならない。
「簡単な話だよ。これだけ長く生きてれば、チキュウからの転生者っていうのに会ったのも一度や二度じゃなくってね」
エヴェリスは軽く答えた。
まさかエヴェリスまで異世界転生者なのかと思ったが、違ったようだ。
そう言えば、大神はたくさんの異世界転生者を呼び込んで、それを必要に応じて使っているという話だった。つまりルネ以外にも転生者が居るわけだ。その中には過去、魔族との戦いで活躍して、最終的に魔王軍の捕虜になった者なんかも居るのかも知れない。
『長く生きてれば、って……転生者ってそんな昔からこっちに来てたの?』
「その口ぶりだとやっぱり姫様も異世界人ってことかな。
チキュウはどうにも、私らの世界とは時間の流れが独立してるみたいなんだ。神々の通る道が繋がってるのは、チキュウにある21セイキのニホンって時間と場所に近いらしくて、だいたいその辺から掻き集められた人らがこっちの世界の現在過去未来に現れる仕組みらしい」
『よく分からない話ね……
それで、どうして私が異世界人だって思ったのかしら』
「神々は邪神さんも含めて地上の人々に
ルネは邪神の
それが異世界転生者の証だというなら気付かれるのも道理である。
「まあ邪神さんはこれまで、異世界転生者を引っぱってきたりしなかったはずなんだけど……」
『大神よ。わたしをこの世界に呼び込んだのは』
エヴェリスの双眸に星が瞬いた。
「ほほう、何やら私好みの話って予感。よろしければ暇つぶしにお聞かせくださいますー?」
『いいわよ』
「よっしゃ、ワインとおつまみ出すからちょっと待ってて」
映画でも見るようなノリで、エヴェリスは部屋の隅から
彼女が悩ましげな所作でソファに身を沈めると、杯とワインボトルが勝手に宙に浮いて血のように赤いワインを注いだ。
「ところで姫様って元・男だったりする?」
「ごぼっ……!?」
ルネは培養液の中で溺れかけた。