[2-38] 骨太のおなご
補給・援軍部隊が壊滅したという噂は、実際に壊滅した
当然、駐屯部隊の将軍であるパトリックは兵に動揺が広がらないよう即座に噂を否定したが、後に本国からの連絡を受けて青くなった。援軍部隊は本当に壊滅していたのだ。
その手口を聞いてパトリックは唸るしかなかった。
移動中の軍隊は
そして、即座に戦果を宣伝する周到さ。
周辺地域では食糧と飼い葉が買い占められている。
このうえ、さらに補給を絶って動けなくして、士気を下げるべく情報戦を仕掛けている。
――こんな迂遠な手を使ってくるとは……いや、違う。
私はなぜ“怨獄の薔薇姫”が馬鹿だと決めてかかっていた!?
領城に間借りした仮執務室でパトリックはほぞを噛んでいた。
奇策と言えるほどの策ではない。ありがちな計略だ。
だが、ありがちな計略とは、裏を返せば汎用性が高く有用だから使い古されているもの。
当たり前の計略を当たり前に講じていれば、備えを怠った軍隊など脆い。ヘビが卵を呑むように潰せる。
魔物の戦い方は概して単純だ。
待ち伏せや騙し討ちみたいな戦術レベルの策を弄することはあっても、それが限界。
軍隊としてまともに戦っているのは、せいぜい魔王軍くらい……というのが常識だった。
しかし“怨獄の薔薇姫”は違ったのだ。
パトリックは
おそらく計算は間違っていない。そして“怨獄の薔薇姫”も同じく考えているのだろう。何故なら“怨獄の薔薇姫”は徹底してノアキュリオ軍との正面衝突を避け足下を崩しに掛かっているのだから。
……“怨獄の薔薇姫”はノアキュリオ軍に戦わせないつもりだ。
パトリックの中に迷いが生じていた。
現在の駐屯軍はほぼ全てパトリックの家臣だ。
手柄があれば独り占めだが、損害も独り占め。そして、もし兵に無理をさせて反感を買えば国に戻ってからツケを払うことになる。
補給も援軍も無い現状で王都攻めをするのは賭けだ。速やかに勝利できなければ緩慢に全滅する。かと言って、状況が好転するのを待つにも食糧は必要だ。
いざとなれば略奪に走るという手もある。
ノアキュリオは今のところ、シエル=テイラに傀儡政権を立ち上げ平和的に乗っ取る方向で動いていて、だからこそシエル=テイラ国民に対してまだしも紳士的に振る舞っているわけだが、侵略に切り替えることだってできる。そうなれば何の遠慮も要らない。
だが、もしここで諸侯の反発を招けば駐屯軍の対処能力を超えかねない。そしてジレシュハタールに対して付け入る隙を見せることにもなるだろう。
グラセルム鉱脈はなんとしても確保したい。せっかく一番乗りで、しかも『援軍』という大義名分付きでシエル=テイラに軍を入れたのだから、ここで撤退するのは惜しい。
だがジレシュハタールがいつまでも座視しているとは思えない。それだけではなく、皇太子の後ろ盾となるマークスはディレッタ神聖王国とも手を結ぼうとしている。
頭の痛い状況だった。
――やはり、もう一度本国に相談し指示を仰ぐとしよう。
重い頭を振ってパトリックは立ち上がる。
もはや独力で対処できるような状況ではない。
上に判断(と責任)を委ねるべきだ。
ちらりと見た窓の外。パトリックの心の風景のように、空には分厚い雪雲が垂れ込めていた。
*
テイラカイネの街のすぐ外にくっついたコブのように、ノアキュリオ軍は駐屯地の陣を築いている。
その辺で調達した木材から作られた囲いは、もはや簡易的な城壁と言ってもいい。歩廊付きの立派なもので、強度を高めるための魔法的な加工も施され、侵入者を迎撃する
そんな野営地の門の前に二人組の少女が姿を現したのは、雪雲の向こう側で日も傾き、辺りが薄暗くなってきた頃だった。
「止まれ、何奴だ!」
みすぼらしい風よけの外套に身を包んだふたりは、荷物を満載した荷車を駄馬に引かせてやってきた。
見張りの兵たちが威圧的に誰何し、槍を鳴らすと立ち止まる。
少女の片方は十代半ばほどで、もう片方は更に小さい。おそらく姉妹だろうと兵士は当たりをつけた。
「近くの村の者です。保存食を買ってはいただけませんか」
兵士たちが予想していた通りのことを、姉らしき少女が言った。
食糧、武器、日用品、娯楽……
軍隊はあらゆる物事に対して大口の消費者だ。一儲けしようと企む連中が、野営地には次から次へやってくる。
ことに今は食料品だ。
ノアキュリオ軍が食糧難に陥っているという噂は、既に広まっているようだった。
そのためか、こうして食料品を売りつけにくる行商人や農民が多い。
「……荷物を検めるぞ」
「どうぞ」
荷車に掛けられた幌を剥ぎ取ると、野菜の漬け物の樽や干し肉がゴロゴロ積まれていた。
兵士はごくりとツバを呑む。このところ飯の盛りが明らかに悪くなっていて、いつも腹を減らしているのだ。
この干し肉をこの場で独り占めして掻っ食らってやったら、さぞかし爽快だろうと思った。思っただけで実行はしなかったが。
とにかく、この食糧が部隊に買われれば一欠片くらいは自分の口にも入るはずなのだ。
すぐにでも彼女たちを中に入れたいところだったが、荷物だけ調べて中に入れるわけにはいかない。
兵士は門の脇に置かれた変なものに目をやった。
金色の
これが何なのかは全く分からない。だが、魔物やアンデッドが発する邪気を検知する魔法の道具なのだと言われている。
敵がアンデッドだからと導入されたものである。人族のフリをしたアンデッドが現れても看破できるはずだ。
とは言え、警戒すべき対象はアンデッドに限らないのだから、これはあくまでも補助的なものだが。
「邪気は検出されません」
「よし」
そして兵士たちは身体検査に移る。
服の上から身体に触り、武器などを隠し持っていないか調べるのだ。
……なお、女性が来た時の身体検査は兵士たちにとってちょっとしたお楽しみだった。
「ちょ、ちょっと! あまり無遠慮に触らないでください!」
姉の方が抗議しつつ後ずさり、魔手を逃れる。
「こりゃ失礼。しかしな、武器を持ち込ませるわけにはいかないから仕方なく調べてるんだ」
「そうそう。怪しまれたくなかったらちゃんとお調べを受けるんだな」
「……分かりました」
不承不承、という様子の彼女の身体を兵士たちは念入りに揉みしだく。
普通の身体検査の倍くらいの時間を掛けて、ようやくそれは終わった。
「どうだった?」
「……ああいうのを洗濯板って言うんだろうな」
「カハハ、残念でした」
「農家のイモ娘は身体が硬えよな。ツラは悪かねえのによう。やっぱり今度の非番には商売女を……」
男どもは下卑た笑いを浮かべ、小声で囁き合った。
ちなみに彼女は魔法で触覚を遮断していたのだが、それはまた別のお話。
「よし、入れ。中に入ったらまっすぐ右へ行くんだ。あまりきょろきょろするなよ。俺に付いて来い」
「はい」
即席の門が軋みながら開き、門番のひとりが少女たちを先導した。
そして、買い付け物資の審査を行っている輜重隊の天幕の前まで来た時だった。
「誰か居るか? 食糧を売りに来た農民が……」
そこまで言ったところで、ぼとぼとぼとっ、という水っぽい落下音を聞いて兵士は振り返った。
死体が積まれていた。
少なく見積もっても100は超えるだろう死体が積まれていた。
鎧を着た白骨死体や腐乱死体が山のように積まれていた。
さっきまでこんなもの無かったはずなのに積まれていた。
「な……!?」
「≪
幼い方の少女が呪文を唱えると、屍の群れが武器を取り、立ち上がった。
「空腹の皆さんにたっぷりご馳走してあげるわ。絶望ってやつをね」
Q:トレイシーはどうやってナニを誤魔化したんですか?
A:足の間に巻き込むようにしてキツく縛ると(大きさとか触り方次第ですが)割とバレないそうですよ!