以前に近藤某さんについて、公共図書館に著書がずらりと並んでいるのに「公共図書館が、このような公益に反する本を並べているのはいかがなものか」みたいなことを述べたら、図書館関係の方から 「公共図書館であるからこそ、それらの本は並べざるをえません」 と教示いただいたことがある。
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「公共であるからこそ、言論・表現の自由は守る必要がある。誰かの恣意によって情報を統制するのは危険だ」 という意見だ。 それは確かに一理ある。誰が情報を管理するかによって、世に出るものと葬られるものが変わるのは自由とは程遠い。 先の事件のように医師免許が信用の担保とも言い切れない。
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その一連のやり取りがあって、図書館や書店、新聞広告への直接の批判は止めていたのだが、今回はなぜ、あの広告に反応したくなったのだろう?と考えると、それは反社会性という評価だったのかなと思う。 既に死亡事故もあり、それが一国の司法で裁かれているにも関わらず、同じ手法を広めている点。
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過去に犯罪歴があるという点だけで、本の広告を差し控えるべきかというとそれは行き過ぎかと思う。 本の内容が科学的妥当性を欠くことだけというのも然り。それは公益を損なう可能性はあるが、それを言えば多くの書籍の出版が阻害されるのも事実だろう。
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ではどこでラインを引くのが妥当なのか? 私はそれを「反社会性」という線で引いた。例えば科学的に妥当だからと言って「人体をバラす方法」のような本が出版されて広告されたらそれは批判されるべきだろう。今回の重曹注射は既に一国が違法と判断し、日本でもそれは認めるべきではない、と考える。
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ただ、この考えも決して普遍的とは言えず、「何をもって反社会的というのか」や他のラインの決め方があるかどうかなどは、慎重に議論したほうがいい。 これは新聞社一社の問題ではなく、メディア全体の課題であるし、国民一人ひとりにも関わる。公益と表現の自由のラインの引き方は、生活に影響する。
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なお、今回の反応で新聞社一社に対する誹謗のコメントをたくさん見たが、私はそれにはリアクションしなかった。そう思いたいのは個人の自由だが、別の新聞社やメディアが、こういった広告と無関係ではないことは周知の事実だ。