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中井寛一 Retweeted
平凡 昭和31年11月号 巻頭口絵『秋空高く』/飛行機の客室乗務員と乗客に扮した芦川いづみさんと津川雅彦さん。pic.twitter.com/khUCpDtsRl
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大阪万博会場で目から光を放つ「太陽の塔」。 1970年(昭和45年)に開催された大阪万博(日本万国博覧会)で撮影された写真。 アメリカ人が所有していた“souvenir slides”の一枚である。 何だかカッコイイ。pic.twitter.com/1xTLjTnCZd
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49年前の嵐電(京福電気鉄道嵐山本線)の電車。 1970年(昭和45年)4月に、アメリカ人観光客が撮影したカラー写真。 ポールが良いですな。pic.twitter.com/a4nTMiDTUT
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1952年(昭和27年)ごろに撮影された、京浜急行電鉄の横須賀中央駅。 米軍軍人が撮影したカラー写真。pic.twitter.com/8eVExIHCym
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46年前の地下鉄丸ノ内線の車内。 1973年(昭和48年)にアメリカ人観光客が撮影した写真。pic.twitter.com/KjIJsBGqfu
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#これを見た人は青色の画像を貼れ 青っぽいと思うので。。。 しかし、スクリプターが円谷英二に「金星から来る怪獣なので、金色かと思ってました」と言わなければ、歴史は多少は変わっていたのかな?pic.twitter.com/qVDLwuCVv3 -
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チャールズ ・ブラント『アイリッシュマン 上・下』を読んでいるのだが、この本で語られる××××××の話は、どこまで本当なのか?銃を運んだというのだが。 それと、裏表紙のあらすじやAmazonのこの本の紹介はネタバレしているので注意。ジミー・ホッファについて知っていれば、察しはつくと思うが。pic.twitter.com/cPQGAHRhSQ
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今から50年前の横浜市中区伊勢佐木町。 1969年(昭和44年)7月15日に、当時日本に滞在していたアメリカ人が撮影したカラー写真。 左に見える「いせ一」(現存)の位置から、現在は「イセザキモール」となっている商店街で撮影された写真と推測される。pic.twitter.com/WHX2VkGKDf
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61年前・48年前の御茶ノ水。 1枚目の画像は、アメリカ人観光客が1958年(昭和33年)に撮影したカラー写真。 2枚目の画像は、アメリカ人観光客が1971年(昭和46年)に撮影したカラー写真。 13年の間に、ビルが多くなったことがよくわかりますね。pic.twitter.com/RI0alkGHZM
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第一生命館を出ていく連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー。 1951年~52年ごろに米軍軍人により撮影された。 第一生命館が連合国最高司令官総司令部として使用されていたのは、有名な話ですね。 色鮮やかなカラー写真で、臨場感がありますな。pic.twitter.com/JCUrbILYfg
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67年前の八重洲二丁目付近。 奥に見えるビルは、日東紡ビル。1980年代後半まで現存していた。 1952年(昭和27年)に米軍軍人がカラーで撮影した写真。pic.twitter.com/X3CxNDfZr5
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約70年前の小学生たち。 1950年~1951年ごろに、米軍軍人が鎌倉の鶴岡八幡宮で撮影したカラー写真。 地元の小学生たちだろうか? ちなみに、この太鼓橋は現在封鎖され、渡ることはできない。pic.twitter.com/SrpUYFqeXg
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開業間もないころの名古屋テレビ塔。 1955年(昭和30年)5月10日にアメリカ人が撮影したカラー写真。 名古屋テレビ塔は本多猪四郎監督『モスラ対ゴジラ』(1964年)にも登場。劇中でゴジラに破壊される。 それにしても、周りに高いビルが見えないので、荒野にポツンと立っているような感じですな。pic.twitter.com/rPvuSRM78G
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67年前の熱海の少女。 1952年(昭和27年)3月に米軍軍人が撮影したカラー写真。 写真を撮られてちょっと恥ずかしがっている感じが、実に可愛らしい。 この少女も元気でいれば70歳を超えているのですね。pic.twitter.com/6upt9K8sO1
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約70年前の日本の子ども達。 1950年(昭和25年)または1951年(昭和26年)に、米軍軍人が撮影したカラー写真。 撮影場所は東京近郊と思われるが、詳細は不明。 靴ではなく、下駄を履いている子が多いのが興味深い。pic.twitter.com/37KkgXPJU6
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40年前の少女と警官。 1979年(昭和54年)に、アメリカ人観光客が横浜市の元町で撮影した写真。 ここに写っている少女たちは、今は50代後半ぐらいだろうか?pic.twitter.com/GjkPPR3OXv
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47年前の東京の若い女性たち。 1972年(昭和47年)にアメリカ人が観光客が撮影した写真。 かなり鮮明なカラー写真なので、この女性たちが今も元気でいれば、おそらく70歳ぐらい(70歳以上)というのが何となく信じられない。pic.twitter.com/ZGrFK369bl
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65年前の沖縄の子どもたち。 1954年(昭和29年)4月に米軍軍人が撮影したカラー写真。 撮影場所は沖縄県嘉手納町と推測される。 65年前に撮影されたのが信じられないほど鮮明なカラー写真だ。pic.twitter.com/s3tcbZagiT
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66年前の京都駅。 1953年(昭和28年)に米軍軍人が撮影したカラー写真。 写真内の京都駅の3代目駅舎は、1952年(昭和27年)に完成。pic.twitter.com/N611B5ayot
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ちなみに、実際に何の集会であるかは不明。「全共闘」の看板が見えるので、革マル派以外の方々もいるのだろうが、正直言って興味ありません(どうでもいい)
だいたい、革マル派の残党が私が早稲田の学生の頃はまだ少しはいたのだが、正直言って鬱陶しい思い出しかない。話せば長くなるが。。。
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50年前の地下鉄東西線車内と高田馬場駅。 学生運動の活動家でいっぱい。 1969年(昭和44年)4月28日に、当時日本に滞在していたアメリカ人が撮影したカラー写真。 早稲田大学から高田馬場駅にかけてのデモ行進を終えた活動家たちが、地下鉄東西線で皇居方面に向かっているのだろうか?pic.twitter.com/NUry2I0AIc
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50年前の早稲田大学。 1969年(昭和44年)4月28日に、当時日本に滞在していたアメリカ人が撮影したカラー写真。 4月29日の天皇誕生日を迎えるにあたって、革マル派(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)が集会とデモを行ったと思われる。pic.twitter.com/UM94DfPFvo
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遠州鉄道奥山線の廃線跡。静岡県浜松市。国鉄二俣線と立体交差するため、1938年に建造された陸橋の跡。廃止から半世紀以上経ちますが、今も名残を留めています。来年刊行されます『廃線の本(仮)』(実業之日本社)に掲載予定。8月最後の日曜日の撮影です。
#平成最後の夏pic.twitter.com/PytRhB1AGLShow this thread -
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男の子2人がピースしてるので撮影は1972年以降だと思われます。調べてみた所、世界的にピース(元はV(victory)サイン)はあるみたいですが、日本で流行りだしたのは1972年頃に井上順氏がCMで使ったのが切っ掛けの様です。
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約50年前の小学生たち。 1960年代後半に、滋賀県米原市で撮影されたと思しき写真。 撮影者と撮影場所の詳細は不明。 小学生たちがかぶっているのは、紅白帽だろうか?pic.twitter.com/hRhT0nvbZu
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井上泰幸氏によると、『空の大怪獣ラドン』(1956年)では、当初は八幡製鉄所も壊す予定となっており、ミニチュア製作のロケハンも行ったそうだ。 ところが、「(ラドンの)衝撃波くらいじゃ壊れません」と八幡製鉄所の職員に言われたことから、結局壊すことを辞めてしまったそうだ。pic.twitter.com/ZW4ofLThZY
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円谷特撮のミニチュアの「芸の細かさ」の例としては、『三大怪獣 地球最大の決戦』の鯨があげられる。 単にゴジラが船を襲うだけではなく、(おそらく)ゴジラから逃げる鯨というデティールがあることで、画面が豊かになっている。さらに、観客を「現実」を見ている気にさせているのではないか?pic.twitter.com/lmeXMxVYGa
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円谷英二の特撮による(特にカラーになってからの)ミニチュアは、「ミニチュアであることを理解しつつ、ミニチュアの芸の細かさ(ミニチュアのデティール)を楽しむ」というもののような気がする。 ただ、『モスラ対ゴジラ』の排水ポンプのミニチュアは実物と見間違う見事な出来だと思う。pic.twitter.com/CTKRqC95lB