あいはとまらない


メニュー

お気に入り

しおり
作:まなぶおじさん
▼ページ最下部へ


5/7 

2008年 8月4日


「はー疲れた疲れた」

 

 夏頃の夜はとても暑い。ライブの帰りとなると尚更だ。

 喉はカラカラで、体はビキビキ痛い。頭は余韻でクラクラしていたりと、久々に満身創痍になっている気がする。こんなの、初めてボス曲をクリアした時以来だ。

 疲弊している体を何とか引きずり、ゾンビのように歩みながら、何とか自室のドアを開ける。そしてそのまま、ベッドの上に転げ落ちた。

 

 けだるげな声を上げながら、これまでのことを思い起こす。

 

 ■

 

 アイアンフリルの全国ツアーは、まずは東京で行われることになった。

 震の家からはとても近く、それでいてAIが唄うのだから、震は当然ながら参加しようとした。トップアイドルのライブチケットなんて、そう簡単には手に入るはずが――入った。むこう数年分の運は使い果たしたと思う。

 

 翌日。

 バスを降り、日差しに苦しみながらもライブ会場へ足を踏み入れた瞬間――空気が、暑さから熱さへと変わった。

 そうとしか言いようがなかった。空き席なんてどこにもなかったし、年齢性別なんてとにかくバラバラ。そして、右を向いても左を向いてもアイアンフリルの話題だらけ。

 センターである水野愛についてはもちろん、他のメンバーに対する評価、魅力、逸話などが隙間なく飛び交うあたり、アイアンフリルが、水野愛がトップアイドルであることを実感させられる。

 ――なるほどな。こりゃあ、変装も必要になるよな。

 寂しい、とは思わない。誰もがアイアンフリルを、愛を求めている姿を見て、達成感すら覚える。

 そして、苦笑いが漏れた。

 自分は、プロのダンサーになるとAIへ誓った。あわよくば、AIの隣へ立てるような男になりたいと、そう思っていた。

 けれどその願望は、あまりにも無謀であるということを痛感する。やっぱり妥協しようかなと、そう考えていたフシがあったのだが、

 

 ――あなたがこれまでに攻略した全てのボス曲を、私の手でぜんぶ上書きできたら――

 

 そうだな。AIも、無謀な願望を抱えているんだったな。

 それなら、自分もやらねばなるまい。愛の為に無茶をするのは、男どもの専売特許だ。

 

 そして、時間が来た。

 会場内の照明が、ふっと落ちる。客のざわめきが、嘘みたいに消えた。

 永遠の闇が訪れようとした時、ステージには一筋の青い光が、一人の女の子が、堂々とそこに居た。

 間もなくして赤、黄、桃、白のスポットライトに点火し、四人のメンバーたちが映し出される。

 アイアンフリルだ。

 みんな、目をつむったままで動かない。

 ここにいる誰もが、アイアンフリルのことを見届け続けている。

 震は、ひたすらなまでにAIを見守っていた。

 

「――みんな」

 

 心まで震えたと思う。

 

「今日は、私達のライブを見に来てくれてありがとう」

 

 嘘みたいに、透き通った声だと思う。

 

「いつもお疲れ様。次へ繋げるために、みんなが戦い続けてきたことを、私たちは知っています」

 

 その言葉に、いつの間にか頷いていたと思う。

 

「だから、」

 

 AIの目が、音もなく開いた、

 

「今日は私達と一緒に、躍り明かしましょう!」

 

 会場の沈黙が、木っ端微塵に砕かれた。

 もはや遠慮なんてものは無い。男は叫び、女性は歓喜して、老人に至っては拳まで振り上げている。FANTASTIC LOVERSが大音量で鳴り響いた瞬間、震は青いサイリウムライトを片手に、その両足を軽やかに踊らせてしまっていた。

 いまの震は、ただのひとりの観客だ。

 これだけの客を前にして、アイアンフリルは明るく楽しげに踊り明かしている。それを見ている老若男女が、魅せられるがまま笑っている。そして、何の打ち合わせもなくサビの歌詞をシャウトするのだ。

 ――これが、トップアイドルなんだな。

 思う。快く、そう想う。

 ここまでたどり着くのに、かなりの時間をかけたのだろう。上手くいったこともあるだろうし、その逆だってあったはずだ。

 その積み重ねを次に繋げられたからこそ、いまのアイアンフリルが、愛がいる。

 

 ――♪

 

 愛が、見覚えのある「キレ」で一回転してみせた。

 観客が湧く、震はたまらず喜ぶ。

 ゲーマーとしての意地を貫いてきたからこそ、いまのAIがいる。ゲームは、大切なことを教えてくれるのだ。

 

 ――そしてあっという間に、FANTASTIC LOVERSが終わりを告げる。なのに誰もが、アイアンフリルへのラブコールを止めようとはしない。

 そしてそのまま、二曲目が始まる。こりゃあ死ぬなと笑いながら、震は青いサイリウムライトを握りしめた。

 

 ■

 

 これまでのことを、鮮明に思い起こせた。

 夢心地な気分に浸りながらで、「あー」と声を出す。部屋の天井をじっと見つめたままで、何もしない。

 今日は夕飯もとらずに、このまま寝ちまおうか。

 それほどまでに疲れ果てていた。満足しきっていた。

 

 音もなく寝転がり、何もない壁をじっと見つめる。嘘みたいに静かな部屋の中で、AIのことを考え始める。

 AIはトップアイドルで、時の人で、安易に触れてはいけない存在だ。改めてそう思う。

 だからこそ、二度と会えないんじゃないかと考え始める。これから忙しくなるだろうし、それに伴って行動だって制限されるかも。本人はゲーマーを続けるつもりだが、大人の都合がそれを許してくれるかどうか。

 けれど、でも、AIはそれをも織り込み済みでアイドルを選んだはずなのだ。

 すごいな、と思う。

 夢のために、自分はゲームをやめられるのだろうか、と思う。

 無理だな、と笑う。

 

 仰向けになって、小さくため息をつく。

 今頃AIは、あれやこれやと動き回っているのだろう。ライブが終わったばかりだというのに、大変だ。

 ならば自分は、部屋の中でささやかながら応援させてもらおう。

 そしていつしか、隣に立てるダンサーになれるよう頑張ろう。

 自己満足に浸りながら、震は両目をつむって、

 

 携帯から、FANTASTIC LOVERSの着メロが鳴り響いた。

 

 なんだよもう、人がせっかくすっきりしてたのに。

 半ば寝ぼけ気分で、携帯を開く。「着信:AI」の文字を見て、「AIか」と思考して、

 意識に火がつき、体が勝手に叩き起こされる。着信ボタンを親指で潰しては、電光石火の如く携帯を耳に当てた。

 

「はい! もしもし!」

『あっ、SIN? いま、大丈夫かな?』

「うんうん平気平気。どしたの?」

『あ、えーっと……その、ライブ、見に行ってくれた?』

 

 その声は、まちがいなくAIのものだったと思う。

 ライブとは違って、どこか遠慮がかった雰囲気をまとっていた。

 

「……行った」

『……どう、だった?』

 

 深、呼吸。

 

「……最高だった。死ぬかと思った」

『ど、どう最高だった?』

「ぜんぶ」

『具体的に』

「え、ええ? じゃ、じゃあー……」

 

 最初に思いついたのは。

 すこしだけ、躊躇して、

 

「……笑顔」

 

 言った後で、めちゃくちゃ恥ずかしくなる。

 部屋には自分一人しかいないからこそ、余計にそう感じる。

 

『そ、そう、なんだ』

「うん、まあ」

『ほ、ほかは?』

「え、まだ聞くの?」

『だ、だめ?』

「だめじゃねえけど……」

『じゃあ、言って』

「う――じゃ、ジャーマネさんとかに聞くのもアリだろ」

 

 切実な言い回しだった。

 AIへの想いをこれ以上口にしようものなら、震は間違いなく嬉死恥ずか死んでしまうだろうから。

 

『だめよ』

 

 でも、AIは許してはくれなかった。

 

『あ、あなたの口から聞かなきゃ意味がないの! キングとして、どう思ったの!?』

 

 大声を出されるものだから、携帯を少し離してしまう。いつもの意固地に、思わず口元が緩んでしまった。

 ――AIは、ぜんぜんなど変わっていない。決して遠くない場所に、AIは居る。

 

「わかった。わかったよ、AI」

 

 震の返事を聞いて、AIが沈黙する。

 

「そう、だな。ミスらしいところがまるで無かった、フルコンしてたよ」

『本当っ?』

「ほんとほんと」

 

 AIが、「そっかぁ」と言う。それはもう嬉しそうに。

 

「あとは、魅せプレイも完璧だった。ギャラリーは大盛り上がりだったよ」

『ゲーセンで鍛えてますから』

 

 互いに含み笑いをこぼした。

 

「あとは……そう、とても輝いてた。俺の心も、足も、躍ってた」

『……そう、なんだ』

 

 正しいことを言えたのかは分からない。AIはただ、自分の言葉を受け入れていた。

 ――ここからは、蛇足だ。けれども、いちばん言わなければいけない事でもある。

 だから震は、深呼吸した。それは、一人きりの部屋によく響いた。

 

「AI」

『うん』

「AIのダンスは、歌は、笑顔は、どれもすべてが最高だった。トップアイドルだった」

『うん』

「それを間近で見られて、俺は、俺は、」

 

 きっと、笑えていたと思う。

 

「AIに、心から見惚れてた」

 

 長く話し込んだせいで、携帯が熱くなっている。静かすぎるせいで、壁時計から音が聞こえきた。そろそろ夕飯であるはずなのに、親からの声は届かない。

 AIの吐息が、震の鼓膜を震わせていた。

 

『……ほんとう?」

「ああ」

『ほんとうにほんとう?』

「王に誓って」

 

 AIが、くすりと笑った。

 

『そっか。うん、今日のライブは大成功ね』

「だな。俺の方も、満足してるよ」

『やった、ランカーからのお墨付き』

「そんな喜ぶなよ、ハズいだろ」

『同じゲーマーでしょ? 感激して何が悪いのかしら』

 

しれっと正論を言われて、もはや笑うしかなくなる。

嬉しかったのだ。愛が、AIと共に生きてくれていることに。

 

「ほんと、すげえよAIは」

『どうも』

「――ほんとな。トップになるっていうのは、つまりはそういうことなんだろうな」

 

携帯を片手にしながら、震は仰向けになって倒れる。

 

「俺はあの会場に、立てる男になれるんだろうか」

『――なれるわ』

「諦めるつもりはないよ。ただ、怖いなって思っただけ」

 

 AIの隣に立てるような、プロのダンサーになる。震は確かにそう誓った。

 けれども今日のライブを見て、改めて思い知ったのだ。本物になることの難しさを、AIの男になるという途方のなさを。

 自分は、輝けるだろうか。見知らぬ誰かを、躍らせられるだろうか。あの台に、最後まで堂々と立っていられるだろうか。

 自分はダンスゲーマーとして、ギャラリーを湧かせてはいる。ダンサーになるために、ダンス教室で指導を受け続けている。それで多少の自信を身にはつけたが、やはり、本物は格が違う。

 AIのことを好きになっていなければ、今度こそ折れていた。

 

「……あ、」

 

 しまった。

 今日はとても良い日だというのに、何を愚痴ってしまっているのか。

 

「わりい、AI。このことは忘れ、」

『ねえ』

 

食い気味に声をかけられ、震の言葉が止まる。

 

『怖いのはよくわかる。私だって、本物のアイドルになれるかどうか、いつも考えてるもの』

「へえ。……そういやAIって、なんでアイドルになろうと思ったの?」

『私? 私はー……その、まあ、テレビで素敵なアイドルグループを見て、ああなりたい! って思ったからよ」

「おお、俺と同じ」

 

 互いに、気楽に笑い合う。

 

『で――私はまあ、見ての通り負けず嫌いで、誰よりも輝きたかったから、トップアイドルになれたんだけれどね』

「流石」

 

 ほんとう、AIらしい流れだと思う。Sランクのダンスゲーマーになれたのだって、元々は自分に対しての対抗心があったからこそだし。

 

『ね』

「ん」

『あなたは、キングは、どうしてSランクのプレイヤーになれたと思う?』

「それはやっぱり、みんなが評価してくれるから、かな」

『……評価、か』

 

 AIが、考え込み始める。

 ここで「俺なんかのために」なんてほざこうものなら、本気で怒られるだろう。AIとは、そういう人だ。

 ――間。

 秒針の動く音が、部屋に反響する。バイクのけたたましい轟音が、どこか遠くから聞こえてきた。

 

『ねえ』

「何だい」

『あなたの上達を評価してくれるのは、ギャラリーだけじゃないわよね』

「え? ――あ」

 

 呆けた声が、口から漏れた。

 

『そう、他でもない筐体ね。人の評価はどうしても主観が混ざるけれど、機械は正確無比の判断しか下さない。つまり、ダンスゲーマーとしてはこの上ない絶望に繋がってしまうかもしれないし、揺るぎないご褒美にもなる』

 

 その通り過ぎて、ろく反応を口にできない。

 

『ご褒美は、人の原動力よ。ましてやゲーマーとなると、その重要性はよく知っているはず』

 

 異論なんて口にできなかった。なぜなら震は、他でもないゲーマーだったから。

 どうしてゲームは長らく遊べてしまうのか、それは具体的な報酬が与えられるからだ。アクションならステージクリアという事実が、RPGならアイテムという結果が、レースゲームなら順位という優劣が、音ゲーなら筐体を通じての公式的なスコアが表示される。

 ゲームは決して裏切らない。だからこそ色目をつけたりもしない。AならAと、BならBと、筐体は必ず結果を突きつけてくる。

 そう、「必ず」だ。決してうやむやにしないからこそ、プレイヤーはランクを見て燃え上がったり、落ち込んだり、時には歓喜したりする。ゲームほど、他人に対して真摯に相手をしてくれるものもない。

 だから震は、キングになるまで必死になれた。AIもまた、Sランクを勝ち取るまでに負けん気を発揮してきた。数値として結果が表示されるからこそ、「次こそは」とゲームをプレイし続けられたのだ。

 

「……なるほど、ご褒美か。それは確かに、とても大切なものだな」

『でしょう? だからこそ、あなたがプロのダンサーになれた時には、何かご褒美をあげたほうがいいかなって』

 

 ――AIの言葉を理解した。

 

「いやいやいや、そういうのはいいから。AIに負担はかけさせたくない」

『は? あなたと私とは、もう他人じゃないのよ。別にいいじゃない、プレゼントの一つや二つ』

「そうかあ? ……まあ、そうだよな、他人じゃないもんな」

『うん、他人なんかじゃない』

 

 喫茶店での出来事を思い出しかけて、首を左右にぶんぶんと振るう。

 

「じゃ、じゃあさ」

『ええ』

「サイン入りハンカチでもいいぜ」

『だめ、安い』

「えー? 値段なんていいよ別に」

『駄目。トップダンサーになるっていうのはね、とても価値があることなの。決して、安く見てはいけないのよ』

「けどよお」

『頂点に達して、ご褒美がハンカチ一枚だなんてあんまりじゃない?』

 

 言われてみれば、確かにAIの言う通りかもしれない。

 けれどだからといって、AIに負担をかけさせたくなどない。死んでもゴメンだ。

 ――あ、

 

「ひらめいた。トップアイドルと、デートなんてどうだ」

『パフェ食べたでしょ』

 

 ああ、

 

「……思いつかねえっすよAIさん……」

『……そうね、ご褒美っていうのも中々難しいわね』

 

 そうして、話が進まなくなってしまった。

 震はうんうんと唸り続けるが、これといった閃きは生じない。対してAIは、深く考え込んでいるのか「デート……それ以上……」と呟き続けている。AIのことだ、思いつくまで一歩も退く気はないのだろう。

 震も大真面目に思考してはいるが、デート以上のご褒美なんてまるで思いつかない。ましてや告白まで受け入れられて、これ以上何を望めというのだ。

 今のままでも、自分は十分に満たされている。

 だから、このままダンサーを目指そう。ご褒美は、前借りしたと解釈するべきだ。

 だから震は、AIへ断りを入れようとして、

 

『あ』

「お?」

 

 どうやら、何かを閃いたらしい。発言権をあっさりAIへ譲って、このまま待機する。

 

『……あの、さ』

「う、うん」

『そ、その、えっと……』

 

 AIらしからぬ躊躇っぷりに、震の首が斜めに傾く。

 何だ。AIは、何を言おうとしている。

 

『あ、う~ん。でもなあ、これしか思いつかないしなあ』

「ど、どしたん? 何かこう、マズいことでも?」

『! いや、そんなことない、そんなことはないのよ! ただ、その』

 

 急かさないように、口を強くつむぐ。

 AIは、何か重要なことを言葉にしようとしている。それこそ、AIほどの人物が口ごもってしまうような。

 顔が伺えないから、どう予想して良いのかが分からない。震はただただ、AIの動向を見守ることしか出来なかった。

 そうして、幾分が経過しただろう。

 決意したのか、AIが静かに呼吸する。聞き逃すまいと、携帯を強く耳に当てる。

 

『あの、さ』

「ああ」

『そ、その、そのっ!』

「うん」

 

『あなたがダンサーになれたら、キスしてあげるッ!』

 

 鼓膜が、キーンと震えていた。

 理性が、キーンと凍っていた。

 

『……な、何? 何よ、キスじゃ、駄目!?』

 

 もう一度大声を出されて、脳ミソが目を覚ました。

 

「い、いや! ぜんぜん良い! それはいい! 好き!」

『そ、そこまで言わないで! 恥ずかしいから!』

「あ、悪ぃ」

『あ、いえ、喜んでくれているのなら、別にいいんだけれど』

 

 一悶着がすぎれば、後はしんみりと進行するだけだった。

 

「……で、いいの? マジ? いいの?」

『う、うん』

「信じるよ? それだけのために、ダンサー目指しちゃうよ?」

『だ、だめよ。ダンサーなんだから、みんなを盛り上げないと』

「それはそうだけど……ダメ?」

『……ダメじゃない』

 

 それを聞けて、震はくつくつと笑ってしまう。

 AIからは、「笑うな!」と怒鳴られてしまった。

 

「ごめんごめん。いやしかし、キスか、キスねえ」

『そ、そうよ。デート以上のご褒美といったら、これしか思いつかなかった……』

「いや、ぜんぜん良い。頑張るには十分すぎる」

『……そっか』

 

 AIもほっとしたのだろう。どこかすっきりしたような声が、携帯の向こう側から聞こえてきた。

 

「んじゃ、明日も頑張りますかね。トップアイドルのキスのために」

『ばか、そういう言い回しをしないでよ』

「……そうだな」

 

 小さく、咳をついて、

 

「AIとのキスのために、これからも踊るよ」

『……ばか』

「へへ。――なんつーか、その、ありがとう。俺のために、こんな約束までしてくれて」

『ううん。私も、あなたにはダンサーになってほしいから。だから、いいの』

「わかった」

 

 背筋を、うんと伸ばす。

 

「俺は、プロのダンサーになるよ」

『うん』

「でも、途中でつまづいてしまうかもしれない」

『……うん』

「その時はさ、一緒にゲーセンで遊ぼうぜ」

『うんっ』

 

 そうだ。

 いまの自分には、ストレスを発散できる遊びがある。共にダベりあえる仲間も居る。

 

『あ、でも』

「ん?」

『ゲーセンでは、私の挑戦を受けてもらうわ。なんてったって、あなたは私のラスボスなんですから!』

「――ああ、いつでも待ってるぜ」

 

 こうして、かけがえのない人が傍に居てくれる。

 だから自分は、ダンサーを目指すしかないのだ。上等だ。

 

『……あ、もうこんな時間ね』

「ああ、ホントだ。すまないね、こんなに話し込んで」

『ううん、かけたのは私の方だから。……じゃ、約束だからね』

「おうよ。妃のキスはいただきだぜ」

『ふふ、ばーか』

 

 今度は、互いに笑ってみせた。

 AIとは、ずっと友達だ。そしていつかは、堂々と添い遂げたい。これは自分の願いであり、夢だ。

 

『さて、それじゃあ』

「ああ」

 

『――またね、SIN』

 

 心の奥底まで、それは聞こえたと思う。

 そして、携帯がぶつりと切れる。しばらくは携帯を耳に当てたまま、寝転がりもせずにただただ沈黙するだけ。

 

 下から、夕飯を促す母の呼び声が聞こえてきた。

 

 

――

 

 8月――

 

送信者:AI

『今日のライブも大成功! みんな応援してくれた、笑ってくれた。それが本当に嬉しい。

 

SINの方はどう? ダンスの方は上手くいってる? まあキングであるあなたなら、上手くいくと思うけどね。

ダンスもいいけど、疲れたら気分転換にゲームをすること! 私も、ゲームがあったからこそ潰れずに済んだんだから。

そう思うと、あなたは恩人なんだかラスボスなんだかよくわからないわね。どっちもかな?

まあ、あれよ。お互い頑張りましょう。

それじゃあ、おやすみなさい』

 

 AIからのメールが、今日も届いた。

 ここ最近は電話をする暇もないのか、大抵は一日一通のメールでやりとりし合うことが多い。

 

『お疲れ様、AI。俺は今日もダンス尽くしだったよ。本物にゲームと、お陰で体が痛い痛い』

 

 けれど、それが寂しいなんて思わない。

 だってAIは、人々から求められているからこそ忙しないのだ。アイドルにおける暇ほど、不安になるものはない。

 ファンとして、震として、AIの現状を嬉しく思う。

 

『それでも俺は、明日も踊るよ。だって俺は、Sランクのダンサーになれる根性はあるらしいからね。ゲーム万歳だ』

 

 けれど、AIだって人間だ。疲れもするだろうし、荒むことだってありえる。経験者だからこそ、そのあたりはよく分かっているつもりだ。

 

『だからこそ、俺はゲームを続けるよ。こんなに楽しいものもないからさ』

 

 だからこそ、AIには、

 

『――だからAIも、疲れたりしたらゲーセンにおいでよ。挑戦ならいつでも待ってるからさ。

そんなわけで、俺の方は大丈夫大丈夫。AIも体に気をつけて、おやすみ』

 

 メールを送信し終えて、そのまま携帯をベッドの上に放り込む。

 震もそのまま、倒れ込んだ。

 外から、虫の音がよく聞こえてくる。夕飯を食べ終えたおかげで、じんわりとした眠気を覚える。横になりながら、意味もなく深呼吸した。

 AIは今頃、遠い遠いところにいるのか。

 すごいもんだな。俺も負けてられねえな。

 ――あくびが漏れた。

 今日はそろそろ、寝ようかな。

 歯を磨くために、緩慢に体を起き上がらせて、

 

 携帯が、震えた。

 

『ありがとう、SIN。私は大丈夫。

あなたの方もいつまでも元気で、そして前向きに生きて。

だってあなたは、私のラスボスなんだから!

 

それじゃあ、明日のサガライブへ向けて、いってきます』

 

――

 

 2008年 8月3日

 

 休日ということで、夕方までダンススクールにて基礎を学び、残り時間はゲーセンへハシゴしてダンス三昧。もちろん、常連達とはAIの活躍について語り合った。

 後はそのまま、痛む体を引きずりながらで無事に帰宅し、脱ぐもの脱いでひとっ風呂浴びる。身も心もすっきりさせた後は、待ちに待った夕飯だ。

 

「いただきまーす」

 

 母から「召し上がれ」と告げられ、早速ながら卵ごはんを箸で掴み取る。黄色にとろりと染まった米を目にして、震の腹が不意に鳴った。

 喜色満面を隠そうともしないまま、震は卵ごはんを口にする。出来たてほやほやだからか、熱が口の中をぐるりと回り、卵特有の甘さが舌に染み込んでいく。熱さで肌が少し痛かったが、勝てない食欲に煽られてまた一口、また一口と味わっていく。ここ最近は運動日和であるせいか、飯がいつも以上に美味い。

 そんな食べっぷりを見て、母はにこりと笑う。

 

「ねえ、震」

「ん」

「ここ最近は、よく笑うようになったわよねえ」

「そお?」

 

 心当たりがあるせいで、つい曖昧な反応を口にしてしまう。

 

「ええ。あなたはいつも明るいけれど、近頃は本当にいい顔をするようになって」

「そっかぁ」

「何か、いいことでもあった?」

 

 サラダを口にしながらで、母が機嫌よく質問する。

 震はといえば、当然ながら口ごもってしまい、箸の手を止めてまで返答に悩み、

 

「……まあ、一応は」

「そう」

 

 額面通りに受けとったのか、それとも何かを察したのか。母は、それ以上は言わなかった。

 やっぱり母は、息子の顔をよく見ているなあと思う。

 

「さて、と」

 

 母が、食卓の上のリモコンに手を付ける。いつものように、ほんの軽い調子で。

 震も、特に気にもせずに卵ごはんを飲み込んでいく。間もなく、リモコンから「ぴ」という音が漏れて、

 

『――本日のニュースです』

 

 馴染みのニュース番組が、テレビに映し出される。名前は覚えていない、いつもの男性ニュースキャスターと目が合う。

 ニュースキャスターは、大真面目な無表情を露にしながら、

 

『大人気アイドルグループ、アイアンフリルの、』

 

 箸の動きも、呼吸も止まった。

 

『メンバーである、水野愛さんが、』

 

 爆発的な緊張感が生じ、目と耳の神経が研ぎ澄まされ、

 

『サガでのライブ中に落雷に撃たれ、意識不明の重体。現在は病院に搬送され、治療中とのことです』

 

 

 

「ごちそうさま」

 

 箸を置く。呼吸が荒む。悪寒がする。

 

 

―――

 

 

 眠れないまま、次の日の朝を迎えた。

 ダンスで積み重なった疲弊など、もはやぜんぜん感じない。震はただただ、AIの無事しか考えられていなかった。

 時計を見る。間もなく朝の六時に差し掛かろうとした時、

 一階から、音が鳴った。

 同時に、布団を蹴っ飛ばしてまでその身を起き上がらせる。

 大急ぎで階段を降りて、途中で転倒しかけ、どうにか玄関口まで辿り着いては新聞受けを確認し、

 あった。

 新聞を勢いよく引っこ抜いて、AIに関するニュースをどうにか探し当てようと――

 

 手間なんてかからなかった。

 新聞の一面には、AIの死亡が書き記されていたから。

 

 詳細をなんとか読む。

 アイアンフリルは悪天候の中でライブを決行し、そして運悪く落雷が発生したのだという。それはAIに直撃し、そのまま意識不明の重体に陥って、病院へ搬送されたものの死亡が確認された、とか。

 すべての現実を、時間をかけて咀嚼する。

 落雷に打たれれば、人は○ぬ。だから、AIがいなくなった。AIと会えなくなった。AIの笑顔が見られなくなった。AIと踊れなくなった。

 

 落雷に打たれたAIは、つまり、死んだ。

 

 胃から熱いものが溢れ出そうになる。新聞を放り投げ、急いでトイレへ駆け込んで、便器のフタを乱暴に開けて、ぐちゃぐちゃのままに震は吐く。

 嘔吐はすぐに終わった。けれども喉のうずきは止まらない、心臓が嘘みたいに膨らんでいく、体が凍えていくのを感じる。

 その場で倒れ、両腕で体を抱き込む。寒気に覆われながら、震はただただ、AIとの思い出を頭の中でリピートさせていく。

 

 上から誰かが降りてきた。たぶん、母だろう。

 

 

―――

 

 

 布団に籠もって、もう数日が経った。

 

 熱は未だに冷めない。だから学校には行かず、ダンススクールにも通わず、ゲームセンターなんて行く気にもなれない。ずっとずっと、暗がりの部屋で引きこもりっぱなしだ。

 ――けだるく、ため息を漏らす。

 ベッドの上に放置されたままの、携帯電話を眺める。

 AIへは、何度か電話をした。メールだって数回ほど送った。けれども未だに、AIからの返事はない。

 忙しいんだろう。そう、思い込みたかった。

 

 そう思い込んでいるくせに、自分は何度も何度も「葬式」のことを考えるようになった。

 自分は「水野愛」の関係者ではないから、参列する資格などはないだろう。AIの最後の顔を、見届けることは決して叶わない。

 けれど、それで良かったと思う。

 AIの死を確認してしまったら、AIが戻ってこなくなる気がするから。そもそも、AIの死を受け入れるだなんて度胸もなかったから。

 だからこうして、布団の中で寝転がるのが正しいのだ。きっと、そうだ。

 

 母がノックし、そのまま入室する。朝食を運んできてくれたらしい。

 母には、「ショックなことがあって」と伝えてはいる。もちろん、「AIが死んだから」とは断固として口にしてはいない。

 最初こそ理由を問おうとした母だったが、自分ときたらよほどひどい顔をしていたのだろう。母はただ、「元気になってね」と告げてくれた。

 

 おかゆが置かれる。母は「何かあったら呼んでね」と言って、部屋から出ていった。

 ――目を閉じる。

 ずっと、この繰り返しだ。いったい何日が経ったのだろう、もしかしたらずっとこのままなのかもしれない。

 けれど、それはそれで良いかなと思う。横になってばかりの人生を送り続けて、眠るように死ぬのもありだと思う。

 

 もうダンスとか、ゲームとか、夢とかなんてどうでもいい。AIがいない世界なんて、何の意味もない。

 体の力が抜け落ちていく、何の意欲もなくなっていく。死んでもいいやと思いながら、震は眠りに落ちていった。

5/7 



メニュー

お気に入り

しおり

▲ページ最上部へ