6月。
ここ最近は、テレビをよく見るようになった。
朝のニュースはもちろんのこと、特に夜の歌番組は決して見逃さない。そのお目当てはもちろん、
『いやあ、素晴らしいダンスでした。歌声も熱くて、本当に良いですね』
『ありがとうございます!』
定番の歌番組にて、アイアンフリルのメンバーがはっきりと映し出されている。司会者の言う通り、歌もダンスもほんとうに素晴らしかった。
『アイアンフリルは、何事も本格的ですね。歌いながら、あそこまでキレキレのダンスが出来るなんて』
『はい。私達は、お客さんに良いものを見せたいという一心で、ここまで頑張ってきました』
『おおー、若いのに志が高いですねえ。さすが、今をときめくトップアイドルグループです』
まったくだと、夕飯を口にしながらで頷く。
一方の愛は、その賞賛に恥じらうこともなく、堂々とした表情をテレビ越しから見せつけていた。
『確かに私達は、トップであるかもしれません』
味噌汁がうまいなあと、ゆっくり飲んでいって、
『ですが、超えるべき壁はいくつもあります』
むせた。
母が「あ、大丈夫?」と心配してくれた。
『それを乗り越えられるまで、私たちは前進を止めるつもりはありません』
今度会った時に、真意を聞いてみることにする。たぶん、思った通りの答えが返ってくるのだろうけれど。
気を取り直して、卵かけご飯をもりもり食べ始める。
『素晴らしいです、この調子でもっと輝いて欲しいところですね。……そういえば本日は、何やら重大発表があるそうですね?』
何だ。卵にとろける米を、何度も何度も堪能する。
――愛は、「はい」と頷いて、
『この夏、アイアンフリルは全国ツアーを行います!』
喉に詰まった。
□
「――マジすか?」
「マジ」
大マジな顔になりながら、AIがTHUNDERにカーソルを合わせる。
Lotusも歌番組を視聴したらしくて、「すげえなーAIさんはー」と漏らしていた。
「てことは、忙しくなるわけか」
「ええ。しばらくは、ここに来れなくなるわ。本当、残念よ」
「――あ、でも、ゲーセン自体は全国各地にあるワケだから、練習は出来るんじゃねーかな?」
名案を、言ったつもりだったのだ。
けれどもAIは、不満を絵に書いたような表情を露にした。
思わず、「え」の声が出てくる。
「な、なんだよ」
「……それじゃあ、意味ないでしょ」
「何が」
AIが、びしっと人差し指を突きつけて、
「あなたに勝たなければ、何の意味もないの!」
「え、ええ……」
「あなたは壁なのよ。それを分かりなさい!」
「! あ、あの壁発言って、やっぱ俺のことだったのか!?」
「そうよ。何か文句ある?」
「いや別にねえけど……でも、恥ずかしいっていうか……」
「名前は出さなかったから、別にいいじゃない」
ギャラリーが、くつくつと笑い出す。震は、げろげろな表情を垂れ流すほかない。
「分かっているでしょう。私は、アイドルもゲームも、トップを取るつもりでいるの」
「そりゃあ知ってるけどさあ。でも、ランカーは全国各地にいるもんだし……」
「そういう問題じゃない。私はSINに、あなたに勝ちたいのよ」
「なんで」
その時、見逃さなかった。
AIが、気恥ずかしそうな顔をして目を逸らしたのを。
「……ち、近くにいるからよ」
「ち、近くぅ?」
「そうよ、悪い? 遠くのライバルよりも、近くのラスボスの方が気になるのは、ゲーマーとして当然のことじゃない」
「ああ、それはわかる」
口では平然と、心の中はすっかり沸騰していた。
「まあ、そういうわけだから。……いい? ツアーで私がいなくなっても、私のことは絶対に忘れないように! あなたを倒すのは、この私なんですから!」
「ああ、わかった。首洗って待っといてやるよ」
誰が忘れるものか、好きな人からの挑戦状だぞ。
思わず、上機嫌が顔に出そうになる。そこは、顎でぐっと堪えてみせた。
――その時、カウント音めいたSEが筐体から鳴り響いてきた。思わず、「あ」の声が漏れ、
「なあ、AIさんや」
「なに」
「もう少しで、曲が強制的に決まっちゃうんですけど」
「え? あ! これこれ! これにするから!」
ここ最近の音ゲームは、曲数がかなり多い。そのせいで「どこだっけ?」とボヤボヤしているうちに、時間切れとなってよくも分からない曲をプレイさせられることも珍しくはない。
幸い、AIはあからじめTHUNDERにカーソルを合わせていたのだけれど。
――間もなく、曲が始まる。あと少ししたら、幾多もの譜面が殺しにかかってくる。AIは稲妻を受けきれるのか。
「頑張れーAIさーん」
「王なんてけちょんけちょんにしてくださいよー」
「ええ、わかってるわ」
外界における愛は、触れざるトップアイドルだ。それは皆も分かっている。
けれどAIは、ダンスゲームを愛する一介のゲーマーに過ぎない。だから、こんな軽口だって交わしあえる。
「……行くわよ!」
□
Bランクだった。
AIは「ぐぬぬ」と歯を食いしばり、勢いのままで震の方へ振り向く。正直ビビったが、情けないところを見せたくないがあまり、何とか踏ん張る。
「……いい曲じゃない」
「そうだな、いい曲だな」
「うん……だいぶコツは掴んできたわ。次こそは必ず、Sを獲ってみせる!」
ああ、この流れは。
震は、AIめがけ「待った」と腕を伸ばす。
「なに」
「その……気分転換に、違う曲を選ぶのも良いぜ? 同じ曲ばっかだと、気が滅入るしさ」
「……まあ、そうなんでしょうけれど」
思い出せる。AIが初めて、音ゲームに手を出したあの日のことを。
「……でも」
「ん」
「今のうちに、私はSランクでクリアしたいの。もう少しで、ツアーが始まってしまうから」
「その気持ちは、よく分かるよ」
「なら、」
「だからこそ、気分転換はするべきだ。……同じ曲調で踊り続けるなんて、プロでもダルいだろ?」
AIからの反応が、返ってこない。ギャラリーも、沈黙を以て肯定してくれている。
前に、AIは言っていた。リアルのダンスをする際に、何度も同じミスをしたことがあると。そんな悪循環を払拭するために、ゲーセンへ立ち寄ってみたということも。
だからこそ、AIは何も言ってこないのだろう。表情が真顔になっているのも、音ゲーへの情熱が焼き焦げているからこそだ。
だからギャラリーも、AIを見守り続けている。震も、これ以上の余計は口にしない。
「――そうね、あなたの言う通りだわ」
「AI」
「……そうよね、ゲームは楽しんでナンボよ。うん、なにやってたんだろ、わたし」
AIが、両肩で息をついて、
「すみません、みなさん。変な空気にしてしまって」
AIの、極めて生真面目な謝罪。
対して常連は、ほんの少しの間とともに、含み笑いをこぼしあうのだ。
「いや、俺もそういう時期があったから。気持ちはわかるよ、AIさん」
「そうそう、ムキになっちゃうわよね。音ゲーマーあるあるだと思う」
「そうそう。だから、そんな暗い顔しないでくれよーAIちゃーん」
この場にいる誰もが、AIの姿勢を「肯定」している。AIは、目と口を丸くしたままで、それらの言葉を耳にしているはずだ。
「AI」
「……あ」
「気にするなって。ここにいる奴らはみんな音ゲーマー、AIの気持ちにみんな共感しているから」
たぶん、正しいことを言えたのだと思う。
だってAIは、少しずつ、すこしずつ、顔を明るく染めていって
「……わかった」
笑顔で、こう答えてくれたのだから。
――筐体に向き合い、「そうねえ」と曲をセレクトしていく。
「おい、SIN」
Lotusに小突かれ、「んだよ」と悪態をつく。Lotusは「へへへ」と笑いながら、
「かっこよかったぜ」
「ああ? 何が」
「とぼけんなよ。いやーこれは、AIさんとの関係が楽しみですなー」
「な、何を言うてんだコイツは」
Lotusめがけエルボーを食らわせている間、AIがいくつかの曲を視聴した後に、
「あ、これいいわね」
選んだ曲は、「LOVE SONG」。難易度はそこそこで、AIならば気軽に踊り明かすことが出来るだろう。
――それにしても、ラブソングか。
何だか、どきりとする。
そして、曲が始まった。
最初こそ、AIはゲーム的なダンスでスコアを稼いでいたのだ。そう難しくない曲であるから、AIならばフルコンボすら余裕だろう。
――ところがAIは、この曲に「慣れて」きたようで、
「踊った!」
ギャラリーに、火が点きはじめる。
それもそのはずで、AIは「本気で踊り始めた」のだ。緩やかに手を薙いで、歩くようにステップを踏んで、時には振り向いて、ウインクまでしてみせて、
「――私は恋しました。ケンカばかりしていたあなたに、恋をしてしまいました」
そして、歌まで唄ってみせた。
ギャラリーが歓喜の声を上げる、口笛が乱射される。エンターテイメントを前に、誰も彼もが笑顔に染まっていく。
「本心は言えないくせに、強い言葉ばかり口にして。ほんと私ってば、ばかね」
歌番組と何ら変わらない歌声が、ゲーセンに響き渡る。ばかと言われて、男どもがやかましくなる。
「でも、いつか言うの。嫌われるまえに、言いたいの」
女性たちも、AIの生み出す雰囲気に飲まれているのだろう。沈黙したまま、歌とダンスを見届けている。
「あなたに好きって、言いたくて」
震は、笑っていなかった。ただただ真顔で、AIのラブソングを聞くことしか出来ていなかった。
「あなたに好きって、」
その時、AIと目が合った。
――コンボが、途切れた。
「……言いたくて」
――曲が終わる。Sランク、高スコア。
すこしの沈黙が、訪れたあと、
「すげえ」
Lotusが、ぽつりと、感想を漏らした。
「すげえよ、AIさん。いいもん、見させてもらった」
「あ、ありがとう。いい気分転換に、なったわ」
指を突き上げることなく、AIはとぼとぼと台から降りていく。
そんなAIをよそに、ギャラリー達は未だ余韻から醒めきれていない。すごかったとか、可愛かったとか、一生モンだとか、やっぱりAIちゃんかわいいわーとか、男女問わずにすっかり虜にされていた。
「ああ、やっぱりプロは凄いわねえ。――うし、私もやってみようかな」
「おお、やったれやったれー!」
「オッケー。じゃ、簡単な曲にしようかなっと」
そうして、ギャラリーの関心がAnemoneへ集中し始める。本気で「踊る」つもりなのだろう、Anemoneは簡単めの曲をセレクトした。
――AIが、震の隣に立つ。
「……うん。良い気分転換に、なった」
「それはよかった」
「その、ありがとう」
「いや、いい」
「……どうだった、私のプレイ」
「よかった、とても」
「どんなふうに」
「ぜんぶよかった」
「具体的に」
「まあ……その、」
AIのダンスも、歌声も、震はよく覚えていた。言おうと思えば、すぐにでも答えられる。
ただし、それらの感想にはフィルターをかけなければならない。ナマのままで言おうものなら、間違いなく告白めいた言葉が飛び出してしまうから。
呼吸する。
己が頭を、手のひらで軽くはたく。
AIが、「わ」と小さく驚く。
「えと、なんていうのかな。歌にもダンスにも、気持ちが込められてた。曲と、馴染んでた」
「そ、そう。そうなんだ」
「いや本当、良かったよ。AIは、才能がある」
「う、うん。どうも」
AIが、気恥ずかしそうに視線を逸らす。頬を、人差し指でこすりはじめる。
「……ねえ」
「うん?」
「あー、えと、その」
物事をはっきり言うはずのAIが、言葉に躓いている。
珍しいな、と思う。
どこか赤らんだAIを見て、やっぱり可愛い人だなと想う。
Anemoneが、バレンタインソングを歌い始める。常連達が、いいぞいいぞと囃し立てる。テーマがテーマなだけに、こっ恥ずかしさめいたものが膨らんでいく。
「……え、えーとね」
「あ、ああ」
AIにも影響が及んでいるのだろうか。ちらちらと、女性プレイヤーのダンスへ視線を傾けている。
――いやいや、まさか。
自意識過剰にも程がある。AIに「好かれる」ほどのタマじゃないことは、我ながら自覚しているところだし。
俺はただのキングで、ラスボスだ。
それ以上でも、それ以下でも、
「ねえ、SIN」
「何」
「――その。また、ああいうコトをやったら、SINはちゃんと見てくれる?」
息を吸うことすら、忘れかけていたと思う。
AIと目が合って、その瞳が泳ぎ始める。口元はへの字に曲がっていて、花びらのヘアピンは心なしか多い。近くにいるからか、AIの呼吸がよく聞こえてきた。
「……もちろん、見る。AIのやることなら、全部見届ける」
「あ――そう、そっか」
AIが、小さくうつむく。まばたきを、忙しなく繰り返しながらで。
「……わかった。攻略に詰まったら、また、ああいうことをやる」
「楽しみにしてる」
そうして、AIの顔がゆっくりと上がっていって、
「――ありがと」
こんな至近距離から、AIは、俺に対して笑顔を分け与えてくれた。
――もう、だめだった。抑えきれそうに、なかった。
「なあ」
「なに?」
「このあと、時間あるか?」
□
喫茶店に入るだなんて、生まれてこのかた始めてだった。
それだけならまだしも、客層は女性ばかり。一人で居る者から、談笑しあっているグループ、遠い目で外を眺めている人もいたりして、とにかく場違い感がすごい。
けれど、「落ち着いて話せそうな場所」を求めたのは自分なのだ。だから、文句を言うなんて筋違い以外に他ならない。
覚悟を決めろ。
どうせ、興味なんぞ持たれはすまい。
よし。
振り向き、サングラスとフード姿のAIを見つめる。AIは、小さく頷いてくれた。
改めて、店員へ目線を投げかける。それを合図か何かだと察してくれたのか、店員はにこりと笑って、
「お二人様でよろしいでしょうか?」
「は、はい」
「かしこまりました」
よし、何とか切り抜け、
「お客様」
「は、はい」
不意に声をかけられて、筋肉が強張ってしまう。
もしかして、AIの正体に感づかれたのでは――握りこぶしまで作りながら、笑顔を浮かばせたままの店員を凝視する。
店員は、実に嬉しそうににこりと笑って、
「後ろの方とは、お付き合いを?」
意識がちょんぎれたと思う。
「いま、カップル応援キャンペーンを実施していまして。二人で食べる、ラブラブパフェがおすすめですよ」
「は、はい、そうなんですか」
AIが、必死そうな声を絞り出した。
「それでは、お席にご案内します。その後にメニューをお渡ししますから」
AIと、目と目を合わせる。
その顔には、「どうしよう」が描かれていた。
□
「では、ごゆっくりー」
ごとりと、ラブラブパフェがテーブルの真ん中に置かれた。
名前とは打って変わって、かなりごつい音がしたと思う。
よく見なくても、一人きりでは絶対に食い切れない。ハート形のチョコレートがクリームに突き刺さっていて、スプーンが二人分用意されていて、そもそもの名前がラブラブなあたり、完全にカップル御用達のスイーツだった。
店員が去っていって、嘘みたいに静かになる。
ここにはギャラリーもいない、客も関心の目を向けたりしない。完全な二人きりになってしまって、ろくに言葉すら紡げない。
ちらりと、AIの方を見つめる。
AIと目があって、思わず視線が泳いでしまう。
――こうなったのも、すべては己が勢いのせいだった。
最初は、「ラブラブパフェかあ、ラブラブねえ」と苦笑いしたのだ。けれどもAIは、特に嫌そうな顔もせずに「い、いいんじゃない?」と促してきて、震十五歳は「そ、そうかな?」と舞い上がってしまって、店員からの「ご注文はお決まりでしょうか?」に押されて、「ラブラブパフェお願いします」と口にしてしまって、こうして現在に至る。
ぎこちない沈黙が、二人の間に生じる。
AIはただただ、スプーンをゆらゆら揺らしている。気恥ずかしいのか、視線なんてひと時も合わない。このまま時間を過ごすのは――
AIの顔が、どこか苦しそうに見えた。
いけない。
誘ったのは俺なんだ。
俺は、AIのことが好きなんだぞ。
ひと呼吸つける、AIに目を合わせる。言うべきことを言うために、スプーンを手に取った。
「なあ」
AIが、びくりと震える。
「よかったら、食べなよ。これは俺のおごり、遠慮しなくていい」
「え――どうして?」
震は、気恥ずかしそうに「いやー」と声に出して、
「さっき、いいモン見せてくれただろ? そのお礼だよ、お礼」
「そ、そお? そう」
そうそう。気楽そうに、震は二度うなずいてみせた。
――それを見て、AIの緊張がほぐれたのだろう。「そっか」と言って、表情が朗らかなものになる。
「そう言うことなら」
AIは、慎重な手つきでパーカーを、サングラスを外した。
「じゃあ、いただきます」
「いただきます」
ほぼ同じタイミングでスプーンがクリームに突き刺さり、ほぼ同時にクリームを口の中に入れて、
「うまいっ」
「あまいっ」
二人して、本音を口にした。
甘いものを一口入れようものなら、手はもう止まらない。甘味特有の柔らかい刺激に惑わされるがまま、クリームを一口、更にクリームを一口つけて、それでも飽きずにパフェを求めるのだ。
うまい。うんうまい。
言動らしい言動は、ほぼそれだけ。スイーツを味わおうものなら、人間は大抵こうなる。
喜色満面の時を過ごして、いったい何分ほど過ぎて行っただろう。クリームの山も、そろそろ陥落寸前にまで差し掛かっている。
自分はもちろん、AIもご機嫌そうに微笑んでいる。先ほどの緊張感なんて、もはや大昔の出来事だ。
「ふぃー」
一旦、手を止める。流石に食べ過ぎたせいで、腹が少しだけキツくなってきた。
そして、AIも似たような状態だったのだろう。ハート型のチョコレートを食べ終えたあとで、スプーンをグラスの中に置いた。
「……しっかし、全国ツアーかあ」
「ええ、本当に長かったわ」
「信じられない、と言わないあたりがAIらしいな」
「当たり前でしょ」
AIの口元が、不敵そうに釣り上がる。クリームが少しついていた。
「てことはあれか。このツアーも、単なる通過点でしかないとか、そんな感じ?」
「そうよ」
「はー、すっげえなあ」
「通過点だからって、手は抜かないけどね。私たちを観てくれるお客さんのために、常にSランクのライブを披露し続けるわ」
「さすが」
ほんとうにそう思う。
AIはこれからも、道なき道を歩み続けるつもりなのだろう。途中でくじけそうになっても、持ち前の負けん気で立ち直って。道が途中で崩れ落ちていようとも、それすらも飛んで乗り越えてしまうに違いない。AIとは、そういう人だ。
ため息。
対して自分は、なんだ。経験すべき失敗に打ちのめされて、嫌になって逃げ出してしまって、そうしてダンスゲームへ逃避してそれきり。
――この世で最も、ダンスゲームをプレイする資格がない男なのだ。おれは、そういうやつだった。
「ねえ」
不意の声に、体がびくりと震えた。
「どうしたの? 何か、思いつめたような顔をして」
「え。き、気のせいじゃね?」
「いいえ」
AIは、きっぱりと否定した。
「時折見るもの、あなたのそういう顔。いつも気になるんだけれど、聞けるタイミングがなかなか掴めなくて」
「く、くせみたいなモンだよ、うん」
「聞かせて」
AIの表情が、いつもの凛々しさに早変わりした。
「何か、悩みがあるんでしょう? その、役に立てるかは分からないけれど、話すだけで楽になれると思う」
「AI」
たぶん、聞くまで一歩も退かないつもりなのだろう。それが、AIという女の子だから。
――観念したように、頷く。
いつか、誰かに話そうとは思っていたのだ。弱音を洗いざらいぶちまけて、聞くだけ聞いてもらって、それでダンサーとしての自分がエンディングを迎える。そういう腹づもりでいたのだ。
けれど相手が、よりにもよってAIだなんて。
けれども、AIで良かったと思う。AIのことが好きだからこそ、そう実感できる。
未練を断つのには、あまりに贅沢なシチュエーションだった。
一息、つく。
「俺な、元々はダンサー志望だったんだ」
「へえ……だから、動きのキレが良いんだ」
「そうかい? まあ、ダンスはもともと好きだったんだよ」
苦笑い。
「でも、コンテストの結果は鳴かず飛ばずの連続。評価されるのは、ほかの同い年のダンサーだった」
AIは、真顔のままで小さく頷く。
「それが嫌になっちまって、俺はダンスから逃げ出した……つもりだった」
これから言うことを察したのだろう。AIが、「あ」と口にした。
「そう。気分転換にゲーセンに行って、そこで音ゲーをプレイしてみて……周りから、才能があるって、褒められたのさ。で、今に至るわけ」
自虐的な笑みを浮かばせる。AIは、ずっとずっと真顔のままだ。
「俺は、失敗とか後悔に負けたんだ。AIのようには、なれなかったんだ」
思う。
こんな自分とAIとでは、まるで釣り合っていないんじゃないかと。こんな野郎に告白されたところで、AIを困らせるだけになるんじゃないのかと。
頭が冷える。熱めいた衝動は、もうどこにもない。
話せてよかったと思う。AIはどうか、こんなふうに腐らないで生きていて欲しい。
「……ねえ」
「うん?」
愛が、パフェをそっと横に移動させた。
愛の真顔が、冗談なんて通じない瞳が、震めがけ突き刺さる。
「あなたは、ダンスを辞めた後でキングになったのよね?」
「え? うん、まあ」
「その玉座を得るまでは、沢山の失敗や後悔を味わってきたんでしょう?」
「……そう、だな」
最初の頃は、ただ踊れていればそれで良かった。
けれどもゲーマーという生き物は、必ずと言っても良いほど上を目指すようになる。それが競技性の強いゲームなら、尚更だ。
上を目指すのにも、色々な種類がある。全曲を制覇したいという目標、仲間内で一番を目指す熱意、世界一すら狙う意思――震は、世界一を目指すようになっていた。ほんとうに、いつの間にか。
いまの震は、残念ながら世界一にはまだまだ程遠い。せいぜいが、地元で一番程度の腕前だ。
しかしそれでも、震は「キング」だった。数えきれないプレイミスを乗り越えていって、確かに王の座を獲得したのだ。
「あなたがこうして輝けているのも、それらを次に繋げられたから。違う?」
「……違わない」
失敗はする。けれども、失敗しないようにすることはできる。
そうやって進歩するのは、そう簡単な事ではない。何度も同じミスを繰り返さなければ、震は一歩すら踏み込めなかった。
失敗を積み重ねてきたからこそ、震は前へ歩み続けられた。
「そういうのを踏み越えてきたからこそ、あなたは誰にも負けないゲーマーになれた。……あなたには根性が、夢を果たせる力があるわ」
言った。
AIは、そう言い切った。
――震は、弱々しく「けどよ」と漏らし、
「ゲーム、だろ? 本物のダンスとはちが、」
「同じよ!」
店内が、震えた。
「ダンスもゲームも、勝ち負けがある。練習だって強いられる。極めるのに時間はかかるけど、それを乗り越えられた瞬間にとても嬉しい気持ちになれて、自分のことがもっと好きになる。まったく同じよ」
AIが、「はあ」と呼吸して、
「私も、そう思ってるから」
それ以上の反論なんて、出てくるはずがなかった。
だって自分は、ダンスゲーマー「AI」の生き様を見届けてきたから。
これまでのAIは、ボス曲に翻弄され続けてきた。上手くいかないたびに唸って、ムキになってリトライしようとして、周囲から気分転換を勧められては笑顔を取り戻す、それの繰り返しだった。
そしてAIが、Sランクをもぎとってみせた時――AIは、惚れてしまう笑顔を顔いっぱいに咲かせていた。歓喜で体が止まらないのか、人差し指を天高くにまで掲げてみせた。
あの時のAIは、達成感でたくさんだっただろう。
あの時のAIは、自分が好きで好きで仕方がなかっただろう。
とにもかくにも無我夢中で、キングのポーズすら奪い取ってしまったのだ。AIは間違いなく心の底からゲームを楽しんでいた。
沈黙が生じた。店内から、音が消えている。
「SIN」
真剣味の溢れる顔は、もうどこにもない。
あるのは、AIの穏やかな瞳だけ。
「私は、あると思うな」
「なにが?」
「ダンサーになれる、その素質が」
うつむいて、しまう。
「ゲームだって、あなたをSランクのダンサーだと認定してる。それは結果だけじゃない、過程あっての評価よ」
そうだ。
ゲームは、人を裏切ったりはしない。
「……それにね」
自分は、確かに聞こえた。
「わたしは、あなたに期待してるんだ」
これまでに聞いたことがない、優しい声を。
「ゲームがすごく上手くて、ダンスもできて、これまで以上に活き活きとしてる。そんなカッコいいあなたを、私は見てみたい」
自分は、確かに見た。
「私でよければ、なんでも言って! あなたからはゲームについて色々教えてもらったし、これでおあいこってことで!」
これまでに見たことがない、輝かしい笑顔を。
「あ、AI、」
醒めきっていたはずの理性が、だめになっていく。隠そうとした本音が、どうしても抑えきれそうにない。
やっぱりおれは、AIのことが好きだった。
想いだけは、どうしても伝えたくていっぱいだった。
たとえ釣り合わなくとも、負けが決まっていても、しまい込むことだなんて出来そうになかった。
「AI」
「うん」
「ありがとう。おれ、決心がついたよ」
「うんっ」
「ダンサーになる。AIと同じくらいの、輝かしいダンサーに」
「うんうんっ」
呼吸。
「……それで、もし、いつか、俺がプロのダンサーになれたら」
「うん」
ここで、話の流れが鈍る。視線なんて下に傾いてばかりだったし、AIからは「どうしたの?」と心配されるし、つい頭を掻いてしまう。
情けない男だな、そうは思う。けれども、口元はずっとずっと歪みっぱなしだった。ちらりとAIのことを伺ってみれば、心配そうに表情を困惑させているAIの姿が。
ごめんな、AI。そんな顔をしたAIは、とても可愛い。
うん、わかった。
「俺が、プロのダンサーになれたら」
「うん」
「俺と、付き合っていただけませんか?」
やっぱり俺は、この人のことが大好きだ。
言い終えた後で、身の程知らずだなあと実感する。相手はトップアイドルで、かたや自分はゲーマー、比べるまでもない。
ほら見ろ。AIが、口元に手を当ててしまっているじゃないか。
「あ、あー、いやその、迷惑だった? いや、迷惑だよな。ああ、返事はしなくてもいい、言いたかっただけだから」
「そ、そんなことないっ」
え。
「……どうしよう」
AIの顔が、少しずつ赤くなっていく。AIの赤い瞳が、水面のように揺れ動いている。震はただただ、困惑することしかできない。
手で口を伏せたままのAIは、「どうしよう」、「ええ」、「待って」、小さな声で狼狽し続けている。
何か、声をかけた方が良いのだろうか。
けれども今のAIは、あまりにも繊細な空気を身にまとっている。それに手を出すことなんて、恐れ多くて出来やしなかった。
「ああ、そんな、こんなことって……」
「AI、」
そしてAIは、目を逸らしたまま、
「――先に、告白されちゃった……」
ああ、そうなのか。最初はそう思った。
え、いま何て言った。次に、そう思考した。
あの、それって。そして、無謀な憶測が湧いて出てきた。
「……そう、だったんだ」
怖いものでも見るかのように、おそるおそる、視線を合わせてきて、
「私のこと、好き、だったんだ」
「……まあ、ね」
「そう、そっか……」
AIは、大きく大きく息を吐く。両肩が、上下にそっと動いていた。
「あのね」
「ああ」
そして、AIからの言葉が途切れた。けれどもその瞳は、震のことをずっと映し出している。
震は誓う。この目からは、絶対に逸らしたりはしない。一時でもAIを視界から外してしまえば、本当にAIが消えてしまうような気がしたから。
AIは、音を立てて呼吸する。
震は、じっとAIを見届ける。
「私、わたしね」
そして、AIは、
「あなたのことが、あなたのことが、好きなの」
決して忘れることのできない笑顔を、俺にくれた。
――理性なんて、吹っ飛んでいた。
どんな間抜け面を晒しているのだろう、それを取り繕う余裕もない。それでもAIは、震に対してじっと微笑んでくれている。自分の返事を、ずっと待ち続けてくれていた。
正直、ほんとうに死にそうになっている。
最も言われてみたい言葉を、いちばん言って欲しい人が告げてくれたから。
実感なんて、沸かなかった。
だって、自分は、
「……AI」
「うん?」
「俺は、その、ただのゲーマーだぜ?」
「私だってゲーマーよ。ゲーマーがゲーマーに惹かれて何が悪いの」
「そ、そうだけどよお。でもAIは、トップアイドルだろ?」
けれどもAIは、震のうじうじなんか意にも介さずににこにこし続けている。
「ねえ、SIN」
「うん?」
AIは、テーブルの上に手を置いた。
「アイドルにとって、いちばん必要な能力って何だと思う?」
「え? ……なんだろう。諦めない心とか、かな?」
「うん、それも大事ね」
人差し指が、とん、と動く。
「でも。アイドルにとって一番大切なのは、人を惹き寄せる力なの」
納得した。
だから、すぐにでも頷けた。
アイドルとは人気商売だ、だから、ファンという他人が必要になってくる。
そのファンを得るには、歌やダンス、精神力などが確かに必要となるだろう――けれど、だからといって、それで人が惹き寄せられるとは限らない。真剣すぎて、近寄りがたいと思われる可能性だってある。
人から受け入れられるだなんて、そう簡単な事ではない。どうやったら「魅力」なんてものが磨かれるのか、自分には正直よく分からない。
それでもAIは、アイドルとして生きていくのだろう。目には見えない道を、これからも歩み続けていくはずだ。
――ダンスから逃げた自分とは違って、AIは強かった。
「……あなたは」
「え?」
「あなたは、私と釣り合っていないと思っているから、迷惑だなんて言っちゃったんでしょ?」
図星だった。
言葉が、奥底に引っ込む。
「それは違う、違うのよ、SIN」
え。
縋るような声が、喉から出た。
「私は、あなたのプレイに刺激されて――魅せられて、ゲーマーになった」
頭の中で、真っ白い稲妻が落ちた。
そうだ。そもそものきっかけは――
「あなたは私を、トップアイドルの私を、惹き寄せてしまう力があるじゃない」
頷けもしなかった。
信じられないとか、うれしいとか、ありえないとか、本当かよとか、とにもかくにも感情がごちゃごちゃになってしまっていたから。
「あのね」
AIは、そっとうつむいた。
気恥ずかしそうに、頬が赤く染まっている。
「あなたがこれまでに攻略した全てのボス曲を、私の手でぜんぶ上書きできたら、」
AIは、おびえるような上目遣いをして、
「あなたの隣に立てるゲーマーとして、王の妃として、想いを伝えるつもりだった」
両目を、ほんのすこしだけつむって、
「私が、真のダンスゲーマーになれたら」
少しずつ、少しずつ、笑みを取り戻していって、
「私と、わたしと、付き合ってください」
精一杯の笑顔を、自分に向けてくれた。
――声が出てこない。
けれども間違いなく、震の心は躍りきっていた。AIからそう言われて、霧がかった迷いなんてものは消え失せていた。
「AI」
「うん」
もう、目なんて逸らさない。
真正面から、AIの瞳だけを見据える。AIも、それに応えてくれる。
「待ってる」
「うん」
「ずっとずっと、待ってる」
「――うんっ」
ラブラブパフェを食べ終えたあとで、震とAIは、電話番号とメールアドレスを交換しあった。
もちろん、ふたりだけの秘密だ。