それからというもの、AIとはゲーセンでよくよく絡むようになった。だいたい、週に三回ほどのペースで挑戦をふっかけられている。
正直なところ、AIの成長速度はとてもやばかった。最初の数回は失敗続きだったものの、持ち前の負けん気でCランクからBランクへ、そうして日を跨げばAランクにまで登りつめてしまうのだ。
とにかく勢いで上達してしまうからか、AIの存在感はとても色濃い。自然と、ゲーセン仲間と交流するほどになった。
本当にすげえ人だなと、素直に思う。
「……ふう」
AIのダンスが終わる。曲は曇り空の下で、判定はAだった。
「流石」
「どうも。でも、Sランクじゃない」
「あと数回もプレイすれば、達成出来る気はするけどな」
「そう? まあ、キングが言うのなら間違いないわね」
花びらのヘアピンが、なんだか増えた気がする。
常連の間では、「あれって気分で数が変わるんじゃ?」ともっぱらの噂だ。
「――さ、次はあなたの番よ。見せて頂戴、キングのダンスを」
「あいよ」
そうして震は、Rainに次ぐボス曲、THUNDERを迷いなく選択する。間もなくして、稲妻の如くアイコンが降り掛かってきた。
――今やキングとして名を馳せている震だが、成長速度そのものは「ごく普通」だ。毎日ゲーセンへ入り浸って、何度も幾度も失敗を重ねて、地道にランクを上げて、そうして今の自分がいる。
自分の才能に関しては、正直なところ凡くさいと思っている。ここまで成り上がれたのは、単にキングへの執着心が強かったから、そして褒められるからだ。
「……なんて曲なの。こんなのを、あなたは踊れてしまうの?」
だからこそ、天才型かつ超負けず嫌いなAIの存在は、本当に驚異的だった。
単にダンスが上手いのは良い、そういう奴はちらほら見かけてきた。そうして壁にぶち当たった時は、何くそと上達しようとするか、「これが限界か」と悟ってしまうケースが多い。
一方のAIは、何くそこのやろうと上達しようとする上に、敗因をも食い物にしてしまえるのが心底恐ろしい。はっきり言って、驚異そのものだ。
――けれど、
THUNDERが終わる、結果はS判定。スコアに輝く、BESTSCOREの文字。
ギャラリーが湧く、AIが「すごい」と口にする。
――確かに、AIの存在は驚異的だ。だからこそキングとしての焦りが、そして負けん気が再熱したのも事実だった。AIが現れなければ、BESTSCOREなんて取れやしなかっただろう。
台から降りる。腕を組んだままのAIが、不敵そうに笑いかけてくる。
「流石ね、SIN。やっぱりあなたは、キングだわ」
「どうも。でもAIだって、かなり腕を上げてるじゃん」
「あの頃と比べたらね。でも、まだあなたのレベルには達していない」
「こだわるね」
「こだわるわ」
こんなやり取りを交わしているが、何やかんやで表情そのものは柔らかい。
「ねえ、SIN」
「ん」
「今ね、すごく充実してるの」
「へえ、充実」
常連のダンスを眺めながら、震が小さく頷く。
「この前、ダンスをしてるって言ったよね」
「ああ」
「まあその、ダンス自体は楽しいし、辞めるつもりはないんだけれど、」
辞めるつもりはない。その言葉に、声にならない唸り声が漏れる。
一方のAIは、両腕をうんと伸ばして、
「……行き詰まっちゃってね」
「ああ、よくある」
「何度やっても、同じ箇所でミスしちゃってさ。それを見かねた講師が、気分転換をしてこいって休みをくれたの」
「ああ、それでゲーセンに?」
「そ。ダンスゲーはいいわねえ、ワンコイン入れるだけで下準備が完了するし、色々な曲を手軽に体感出来るし、勝ち負けもあるしで」
「結局はそこに行き着くんですかい」
「別にいいじゃない。あなただって、そういう競技性があってナンボだと思ってるんでしょ?」
「……まーな」
話を聞いて、AIは凄いんだなと思った。
だってAIは、ダンスを続けるためにダンスゲーへ足を突っ込んだのだ。自分とは真逆だった。
「……ね」
「うん?」
「どうしたの? 何か、暗い顔してるけど」
変な声が漏れた。
つい、油断が生じてしまったらしい。
「いや、なんでもない。気にしないでくれ」
「そう?」
「そうそう。……で、どうだ、気分転換にはなったか?」
「ええ、お陰様で」
声はあっさり気味だったが、口元はずいぶんと上機嫌そうに曲がっている。
「体全体で遊びきったお陰で、ダンスのことがもっと好きになったわ。キレも良くなったって、講師も言ってくれた」
「それは良かった」
AIから、目を逸らす。
「……ま、あれよ、あれ」
「何」
AIが、ふう、と息をついて、
「あなたのお陰、と言っておくわ。刺激を与えてくれて、その、ありがと」
動揺のあまり、無思考でAIめがけ首をごきりと傾ける。
AIはといえば、震と視線を合わせないように、はるか向こう側へと視線を投げ飛ばしていた。
「……ねえ」
「な、なに?」
「私、もしかしたら、ここに来れる機会が少なくなるかもしれない」
「――え」
不満めいた声が、己が口から漏れたと思う。
反対側へ顔を向けているせいか、AIの表情は伺い知れない。
「ああ、悪いことがあったんじゃなくてね。むしろ逆、いいことがあったから」
「……それは、ダンスが関わってる?」
「まあね」
「そうか。――まあその、良かったな」
「そうね。……でも、」
そして、AIの視線がゆっくりと動き出す。
――その二つの瞳には、震の姿がはっきりと映っていた。
「まだ、あなたには勝てていない」
そんなことを、AIは言って、
「あなたに勝つまで、私はずっとここに通い続けるわ」
「……どうして、そこまでこだわってくれるんだ」
「あら、決まってるじゃない」
軽い調子で、AIが人差し指を向けてきて、
「ラスボスを倒すのが、チャレンジャーとしての義務でしょう?」
とても楽しそうに、AIは笑ってくれた。
「……うん、まあ」
対して震は、惚けた返事しかできていなかった。
だって、思わず惚れそうになってしまったから。
―――
雪が溶けてからは、AIとの交流は確かに減った。これまでは週三で会えていたのだが、今となっては一度か二度くらい、ギャラリーも「来ねえかなーAIちゃん」とよく言うようになった。
震も物足りなさを、寂しさを露骨に抱いていたものだ。口には決して出さないけれども。
――それだけならまだいい。問題は、AIが順調に上達してくれるかどうか、この一点に尽きた。
リアルのダンスを鍛えているからといって、ゲーム的なダンスに全て通じるとは限らない。経験者だからこそ、そのあたりはよく分かっているつもりだ。
ゲーセンに来られる回数が減れば、その分だけ得られる経験点は減る。恐らく劣化はしないだろうが、上達するのに時間はかかってしまうだろう。
そう、思っていた。
「やったぁ――――!!!!」
そう、思い込んでいた時期があった。
画面に映るは、「曇り空の下で」「Sランク」「BEST SCORE」。
感情を叫び、人差し指を天高く掲げ、こちらに振り向いているAIの姿は――清々しかった、咲き誇っていた。そうとしか言いようがなかった。
ゲーセン内の音楽だけが反響して、数秒が経つ。
「AIさんが、」
最初に口を開けたのは、Lotusだった。
そして、音ゲーコーナーで歓声がブチ上がる。
男女問わず、誰も彼もが歓喜と賞賛を口にしていく。指を掲げたままのAIが、ただひたすらに笑顔で応え続ける。キングである震も、握りこぶしを作ってまで喜び惚けていた。
そうしてAIは、仲間たちにハイタッチを交わし合っていく。やったな、すげえな、キングに追いつくな、成長したねえお母さんは嬉しいよ。
そして、AIと震が対面する。何と言えばいいのか、ろくに言葉も見つからない。それでもAIは、本当にほんとうに嬉しそうな顔で、手のひらを向けてきて、ハイタッチをした。
「ああ、やった、やったわ……」
「ああ、本当にやってくれたな。こりゃあ俺も頑張らないと」
「ラスボスがレベルアップなんて、実に厄介ね」
けれどAIは、歯を見せて笑いながら、
「ま、やりがいはあるけど」
「そうかい」
歓喜は起これど、ゲーセンは今日も稼働し続ける。順番待ちをしていた男プレイヤーが、ゲームを開始する。
「なあ」
「うん?」
「お前、凄いよな。毎日入り浸っているわけじゃないのに、ここまで上達できるなんて」
「一応、ダンスしてますから」
そう言うAIの顔は、とにかく明るい。踊り明かしたお陰か、汗が流れていた。
そんなAIを見つめてみて、不快ではない気恥ずかしさが生じてくる。
まただ。
ご機嫌なAIの顔を目にすると、いつもこうなる。
「……なあ」
「うん?」
「ここんところ、忙しいのか?」
「うん。ちょっと、いいことがあってね」
「そうか。ま、俺はいつでも待ってるよ」
「サンキュ」
感謝の言葉。それを耳にして、思わず、
「なあ、AI」
「うん?」
「俺さ、お前に感謝してるんだぜ」
「え?」
間髪入れず、
「このあたりでは、俺は負け無しのランカーとして名を馳せてはいる。だからこそ、こう、上達しなきゃっていう危機感が薄くなっちまってたんだよ」
「ああ、そうなんだ」
「そ。ところがある日、キングを討伐しようとする天才プレイヤーが現れてくれた」
「へえ」
AIが、にこりと笑う。
「せっかく手に入れた玉座を、AIに奪われてしまうかもしれない。そう思った俺は、気づけば必死こいてプレイしてた。……まるで、初心に還った感じだった」
「そうなんだ。……それは、よかったわね」
「ああ、本当にな」
目の前で、コンボが積み重ねられていく。口笛が舞う。
「お陰で、ボス曲でハイスコアを叩き出せた。それもこれも、AIのお陰だ」
「ちょっと、大げさ」
「いいや、おまえのお陰だ」
「……ふうん」
思わず、意固地になってしまう。
どうしてもお礼を返したかったのは、ゲーマーの血を騒がせてくれたから。それはあると思う。或いは、ライバルへ敬意を払いたかったから。それもあると思う。
「ねえ、SIN」
「ん?」
「……もし、その、私が色々変わってしまっても、これからもわたしと戦ってくれる? 同じダンスゲーマーとして」
AIが、不安そうな顔をする。瞳まで揺れ動く。
そんなAIを見た震は、ゲーマーとして、ライバルとして、当然のように、
「――当たり前だろ。俺は、AIのラスボスなんだから」
「……そっか」
そしてAIは、にこりと笑ってくれた。
――どうしてもお礼を返したかったのは、男として、AIのことが気になって仕方がなかったから。
―――
2月――
『今月のベストアルバムは……アイアンフリルのFANTASTIC LOVERSです! このアダルティな曲調に惹かれ、CDを手にする人が続出しているとか!』
朝食の手なんて、すっかり止まっていた。
だってテレビに、見覚えのありすぎる顔が映し出されていたからだ。
『アイアンフリルは、いまをときめくアイドルグループとして絶賛活躍中です。どうやってトップまで登りつめられたのか、リーダーである水野愛さんに聞いてみました!』
最初は、そっくりさんか何かだと思っていた。
『そう、ですね』
けれどもその声は、至近距離で何度も聞いたもので。あの花びらヘアピンは、あまりにも特徴的で、
『失敗とか後悔とかを、全然ダメなことだと思ってないからですかね』
その笑顔は、まちがいなくAIのものだった。
『それって絶対、次に繋がることですし』
その姿勢は、AIの生き様を示していた。
『そういうのぜんぶ踏み越えた先に、誰にも負けない私がいると思ってるので!』
間違いなく、まちがいなく、AIが、テレビの向こう側にいた。
そして、FANTASTIC LOVERSのPVが流れ出す。
アイアンフリルは、AIは、何も迷っていない真顔を自分達に映し出していて、曲が始まるとともに手を捻り、体を艶めかしく動かし、見覚えのあるキレでヒットソングと一つになっていく。
自分はただ、口を開けたままだった。
曲が流れていくたびに、心奪われた。
自分でもこうなのだ。この時間にテレビを見ている男なんて、帰りにCDを買いに行くだろう。女性だって、同性として何らかの刺激を受けるに違いない。
それだけの力が、美が、AIには確かに存在していた。
――味のしない朝食を食べ終える。部屋から学生鞄を引っ張り出して、死んだような足取りで家から出る。
空は、嘘みたいに青い。通学路を歩み、同級生グループの談笑を耳にしながらで、震はAIの言葉を延々と思い出し続ける。
――失敗とか後悔とかを、全然ダメなことだと思ってないからですかね
その一言で、AIという女の子のことを把握できたと思う。
AIはどこまでも、前向きな努力家だった。失敗すらも食い物にしてしまえるような、そんな強かさすらも秘めている。
そんな愛だからこそ、アイドルとして輝けたのだろう。そんなAIだからこそ、ダンスゲームにどこまでも熱くなれるのだろう。
自分とは、まったくもって逆だ。
■
ダンスを好きになったのは、特番のダンス番組をたまたま目にした時からだ。その衝撃といったら、夕飯の手を止めてしまうほど。
ダンスへ一目惚れした震は、つぎの日からダンスの練習をこなしてみせた。そうしてダンス教室に通うようになって、少しずつ腕も自信も付いて、いつしかプロのダンサーになることを夢見ていた。
だから、ダンスコンテストにも積極的に参加したのだ。一度や二度だけじゃなく、数回。
――結果は、鳴かず飛ばずの連続だった。
一度目は予選落ち、二度目も同じく、三度目も振るわなかった、それ以上は思い出したくもない。
悔しかった。
この結果に納得出来てしまうからこそ、本気で悔しかった。
予選を突破した同い年のダンサーは、みんな震よりも激しくて、そして間違いなく輝いていた。同じダンサーだからこそ、それが分かってしまう。
こんな自分に、才能なんてなかったのだと実感した。
だから震は、ダンスから逃げた。
ダンスをやらなくなって、ずいぶんと空白の時間が増えた。ただ食って、ただ宿題をこなして、ただテレビを見て――ダンス番組だけは、避けていたが。
そうしてある日のこと、気分転換とばかりにゲーセンへ寄ってみたのだ。久々だなあと思いながら、ゲーセン内をほっつき歩いてみると、
『おーやんじゃん! 上達したなーお前』
賑やかな声につられてみると、そこは音ゲーコーナー、それもダンスゲームにギャラリーが湧いていた。
それを目にした途端、自然と足が動いていた。この期に及んで、未練めいたものが刺激されてしまったのだ。
歩きながらで、プレイしようかどうかと迷った。そうしてギャラリーの一人が震を発見して、
『君、これに興味があるのかい?』
思わず、頷いてしまった。そこからはもう、後戻りなんて出来なかったと思う。
ギャラリー達は快く道を開けてくれて、そうして台に立つ。最初の数秒ほどは沈黙したままで、ままよとワンコインを投入して、チュートリアルを拝見した後に「これがいいかな」と適当に曲をセレクト。
――割とむずかしめの曲を選んでいたことを知ったのは、数日後の事だった。
初プレーの結果は、A判定。ギャラリーからは、「才能あるねえ!」の一言。「やってみないかい」の勧誘。
だめだった。
自分はころりと、ダンスゲームの虜になってしまった。
そして気づけば、キングとしてふんぞり返っていた。
■
AIとは、まったくの正反対だ。AIはダンスを続けるためにダンスゲームへ手を出して、自分はダンスから逃避するためにダンスゲームへ足を突っ込んだ。
よく出来ているなと、なんとなく思う。
――それって絶対、次に繋がることですし
AIは、そう信じているからこそ前に歩めている。
自分は、それが信じられなくて逃げてしまった。
――そういうのぜんぶ踏み越えた先に、誰にも負けない私がいると思ってるので!
俺は、君のことが羨ましいよ。
―――
「いやー驚いたよなーマジで。まさか愛さんがなー」
放課後、
ゲーセン内の椅子に腰掛けながら、Lotusが「なー」という顔で話題を持ちかけてくる。対して震は、「だなあ」とぼんやり返答した。
「いやホント、いきなり過ぎたよな。……今までは、誰一人として愛さんの正体に気づけなかったわけだけれども、何でだべ」
「知名度の問題だろ」
あっさりと答えてみせる。Lotusは「ああ」と頷いてみせ、
「そっか、それかあ。となると、何かこうスゲえよなあ、いきなりメジャーになるだなんて」
「いきなり、じゃないだろうよ」
「そうなん?」
「地道な努力を積み重ねてきたんだろう。曲も、ダンスも少しずつ磨き上げていって、そうして今のアイアンフリルが完成したんじゃね」
震は、どこか遠い目をして笑う。
「俺ら音ゲーマーだって、下積みしまくってランクを上げていくだろ。それとおんなじじゃないか」
「あー、そっかー。だよなあ、愛さん頑張りまくるタイプだもんなー」
「な。それにお前、音ゲー以外のアーティストとかに興味あるか?」
「ねーなあ」
ダンス中のプレイヤーを、じっくりと見つめる。
目の前でダンスを繰り広げているのは、Cosmosという男性プレイヤーだ。年齢は同い年くらい。
ここ最近になってボス曲へ挑むようになったのだが、それだって「いきなり」というわけではない。Cosmosだって壁にぶつかって、沢山のアドバイスを耳にしていって、長い時間を用いて上級プレイヤーへと成り上がった経歴がある。
震は、それをずっと見届けてきた。
努力は、決して人を裏切らない。
「あーあ、これから忙しくなるだろうなあ。もう来ねえのかなー、可愛かったのになー」
「さーなー」
「下剋上が見たかったのになー」
「俺の前でそれ言う?」
「えー、だめー?」
苦笑しながら、首を左右に振るう。
Lotusの言う通り、AIはこれから忙しくなるだろう。テレビ出演にレッスン、ライブに交流会と、色々と引っ張りだこになるに違いない。
AIはゲーマーを卒業して、テレビの向こう側でこの先も輝き続けるのだろう。ゲーム仲間として、純粋にアイドル活動を応援するつもりだ。
稲妻のように現れた君のことは、決して忘れはしない。
頑張れ、AI。お前は、俺のようには、
「――あ!」
常連の一声が、喧騒を貫いた。
誰もがこぞって、「何」と顔をしかめる。常連が入口側へ指を差して、誰も彼もがそれにつられて、
「あ」
間抜けな声が、出た。
だって、信じられなかったから。時の人が、
「あ、えと」
変装のつもりなのだろう。その人はパーカーのフードを脱いで、物々しいサングラスを取り外した。
「こ、こんにちはー」
その人は、気まずそうに笑う。ギャラリーも、どうしていいのか分からずに視線を右往左往し始める。
無理もない。いま目の前にいる人は、銀幕のスターであり、今をときめくアイドルであって、おいそれと接触してはいけない人物なのだ。
――普通は、そう考える。
「あ、えと……やっぱり、ご迷惑、でしたか?」
でも、
その人はれっきとしたゲーマー仲間で、王を討ち果たそうとする挑戦者でもあって、
「おお、AI。今日も練習するのか?」
「あ」
自分がもっとも会いたかった、ダンスゲーム好きの女の子だった。
「いやー、待ってたぜ? やっぱゲームには、ライバルがいないと張り合いが、なあ?」
中指と人差し指でゲームカードを挟み込みながら、それをAIへ見せつけてみせる。
AIは、しばらくはぽかんと口を開けたまま。ギャラリーも、固唾をのんで行く先を見守り続けている。ゲーセン内で反響する音楽が、どこか遠いように聞こえた。
「――そう、そうね」
花のヘアピンが、増えたと思う。
そしてAIは、「いつもの」鋭い笑みを浮かばせながら、ゲームカードを財布から引っこ抜いて、
「今日こそ、RainでSをぶんどってみせるわ。首洗って待ってなさい、SIN!」
カードとカードが、銃のように差し合う。互いに、敵意むき出しの笑みを晒しながら。
この瞬間、水野愛はAIへと成り代われた。
いつものやり取りを交わした後に、AIが左右へ目配りして、
「えと。台、開いてますか?」
AIは、マナーに関してはとても礼儀正しい。その姿勢は、ギャラリーからも高く評価されている。
――先ほどまでだべっていた常連達が、AIに笑いかけて、
「みんな、AIちゃんにプレイ権を譲ってもいいかー?」
「――おお、いいぜいいぜ」
「もちもち。……いやあ、さっきはごめんね。驚いてしまって」
Anemoneが、「ごめんね」と手を合わせる。
そんなAnemoneに対し、AIは「いえ」と微笑んで、
「わかりますよ。気を遣ってしまいますよね、どうしても」
「まあ、正直、ね。……でも、」
女の常連客が、歯を見せてにっこり笑う。
「決めた。ココにいる限りは、あなたのことはAIとして触れ合うわ」
だろ? そんな顔をしながら、女の常連客がギャラリーに同意を求める。
もちろん、みんな頷いてみせた。
「あ――ありがとうございます!」
AIは、深々と頭を下げた。
震は、思わず前に出てしまい、
「まあまあ、そんな畏まらんでいい。いつも通りに、俺に挑戦をけしかけてくれよ、な?」
「……そうね、そうするわ」
AIの顔が、ゆっくり、ゆっくりと持ち上がっていって、
「絶対に、あなたに勝ってみせるんだから!」
その顔は、どこまでも明るかった。
□
6月の春頃、音ゲーコーナーは嘘みたいに静まり返っていた。
AIがRainをプレイして、一体何度目になっただろう。少なくとも、十回はゆうに越えていたはずだ。最初はDに、何とかCまで食らいついて、いつしかBをモノにしてみせて、Aまで勝ち取ってみせて、そして、
画面に凛然と輝く、「Sランク」「BEST SCORE」の文字。
それだけでも、十分すぎたのだが、
「や、やりがった。キングのスコアを、越えやがった……」
Lotusが、ぽつりと呟く。
つまりは、そういうことだった。
「――ったぁ―――――ッ!!!」
生の笑顔を共にしながら、AIが天高く指を突き立たせてみせる。感情が止まらないのか、ジャンプまでしてみせた。
――間、
――瞬間、
どいつもこいつもが、無遠慮に叫びまくった。
王の城壁が破られたことによって、ゲーマー達が大いに驚嘆する。AIが王を討ち果たしたことで、仲間達がやかましく祝福する。問答無用の笑顔に惹かれて、一緒になって喜びを感応する。皆が皆、AIめがけハイタッチをする。AIが、何度も何度も「ありがとう!」を叫んだ。
――やった、やったんだな。
心の底から、そう思う。
AIはようやく、実力を以て目標を達成できた。この瞬間から、AIはクイーンとして君臨せしめた。
正直、少しだけ悔しいとは思う。
けれど、やっぱり嬉しかった。相手がAIなら、これもいいかなと思えてしまえるのだ。
寂しく、けれども笑いながらで息をつく。
これで自分は、お役御免だ。
これからはAIのことを、後ろから応援し続けようと思う。そしていつかは、女王のスコアを越えようと誓う。俺の戦いは、これから始まるのだ。
「ただいま、SIN」
「ああ。よくやったな、AI」
「ええ、やったわ。やってやったわ」
本当に嬉しかったのだろう。AIの笑顔は、今もなお咲き誇ったままだ。
それを目にして、心臓が痛くなる。触れ合える距離のせいで、意識が強張ってしまう。これって恋なのかなあと、身の程知らずの憶測が生じた。
「……ま、あれだ。本当におめでとう」
「ええ。これも、みんなのお陰よ」
「そうか、それはよかった」
「うん」
そうして、AIは震の隣に移動する。
二人の目線は、ゲームをプレイする常連客へ向けられた。
「……ねえ」
「ん?」
「その、さっきはありがとう。あなたが受け入れてくれたおかげで、いつものモチベーションでゲームに挑戦できた」
「ああ。あれはその、ゲーマーとして当然のことを口にしただけ」
「……そうだとしても、本当に嬉しかった」
お礼を告げられるたびに、心が締め付けられる。踊り明かす以上に、体が火照っていく。
「ね」
「うん?」
「私ね、これからもダンスゲームを続けるわ」
「マジで」
「ええ、マジ。だって、こんなにも楽しいから」
コンボが叩き出されて、ギャラリーから口笛が舞う。
――そうだよなと、震は共感する。そうでなければ、ここまで夢中になんてなれなかった。
「……そうだな、俺もそう思う」
「ええ。色々な曲調で踊れて、こうして仲間たちと喜びを分かち合えるだなんて、最高じゃない」
「ああ、そうだ。その通りだ」
コンボが途切れる。けれどプレイヤーは、ダンスを絶やさない。
「……それにね、その」
「え、何」
「……あれよ、あれ。あなたというライバルと出会えたお陰で、いい刺激にもなったし」
どこか素直じゃない声色に、心がくすぐったくなる。
変な声を出さないように、握りこぶしをぎゅっと作った。
「俺も、その、AIのお陰で色々と精進できた。お互い様さ」
「そ、そお? そう」
「ああ。なんというか、その、俺もすごく楽しかった。ありがとう」
「う、うん。こちらこそ」
間もなく、ゲームが終わろうとしている。次は自分の番ということで、一歩前に出て、
「さーて、やりますか」
「ええ、いってらっしゃい。キングのダンスを、拝見させていただくわ」
AIに振り向き、「おいおい」とひと置き。
「何言ってんだ、AIは俺のスコアを越えただろ? 今の俺はキングじゃなくて、単なる平民。クイーンはお前」
そこでAIが、「は?」と首をかしげる。
「……何言ってるの、あなた」
「え?」
物々しい雰囲気を察したのだろう。ギャラリーが、AIに注目し始める。
「私はまだ、あなたに完勝していないわ」
「え?」
「あなた、THUNDERでSラン取れるのよね?」
「……まあ」
「ほれ見なさい。いい? 私はね? あなたの攻略したボス曲を全てクリアするつもりでいるの」
はっきりと、指を突きつけられる。
「Rainクリアなんて、ほんの始まりに過ぎないわ。お次はTHUNDERでベストを勝ち取るつもりでいるから、それまで首洗って待ってなさい」
そんな宣告を食らってしまって。震は、変な笑いがこぼれ落ちてしまった。
「……質問」
「どうぞ」
「もし、Rainのスコアを塗り替えちまったら?」
「決まってるじゃない。もう一度、私の手でスコアを上乗せしてみせるわ」
瞬間、含み笑いが腹から出てしまった。
だってAIは、これからも自分と遊んでくれるのだ。それが嬉しくてたまらなくて、もはや我慢なんて出来ようもなかった。
「AIさんよ」
「なに?」
「最高」
「でしょ?」
そしてAIもまた、楽しげに笑ってくれるのだ。
「じゃ、キングっぷりを見せつけてやるよ」
「ええ。しっかりね、王様」
そうして震は、振り向くこと無く台に立って、そのままワンコインを投入する。コインの転げ落ちる音とともに、見慣れたゲーム画面が表示された。
曲はもちろん、THUNDERだ。
「頑張れよー、キングー」
「このままじゃお前、AIさんに負けちまうぞー」
「っせー、そう簡単にキングの座を明け渡すかっての」
「そうそうその意気よ。頑張りなさい、SIN!」
様々なヤジが飛び交う中で、AIの声がいちばんよく聞こえた。
自覚する。
俺は、この人のことが好きだ。