放課後になってゲーセンへ寄ってみると、ダンスゲームコーナーに人の目を集めているアイドルがいた。
その動きは実に軽やかで、ゲーム相手に全力を出し切っているのがよくわかる。後ろ姿で顔は見えないものの、さぞ楽しそうな表情をしているはずだ。
近寄る。外見から察するに、同い年くらいの女の子か。
時折コンボが途絶えることもあるが、慌てずにペースを整え直す冷静さも垣間見えた。そしてスキあらば、一回転してみせてギャラリーを沸かせてくれる。
なるほど。物事に対して、しっかりと感情移入できるタイプか。
両腕を組みながらで、
そして、曲が終わる
最後のステップが、ゲーセン内で強く反響した。
女の子は両肩で息をつき、背を向けたままでスコア判定を見届けていた。
結果は――Aランク、曲名は「サニースマイル」。比較的むずかしめの曲だから、上級者といっても差し支えないスコアだ。
女の子もそれを分かっているのだろう、「うし」と握りこぶしを作っている。ギャラリーも「やるじゃん」と湧いていた。
そうして、女の子は無言で振り向く。最初こそクールそうな印象を抱いていたが――嬉しかったのだろう、女の子はにこりと笑っていた。花のヘアピンもどこか眩しい。
男のギャラリーは、「おおー!」と歓喜する。女子高生らしいプレイヤーも、「やるねー」と気楽に微笑み返す。女の子はギャラリーにハイタッチし、ご機嫌そうに「次の人、どうぞ」とつぶやくのだ。
――よし。
そう言われたからには、とことんやってやろうじゃないか。
震は、わざとらしく腕まくりする。
「――お、キングじゃねーか。来てたんだな」
「おうよ」
常連の一声に、周囲がざわめきだす。対して震は、あくまで気楽そうに笑って、心の内は実にいい気になっていた。
キングと呼ばれている通り、地元では一番の音ゲーランカーとして名が知られている。
「SINよー、今のプレイ見てたか?」
「おうよ、すっげえ良かった。……初めて見る顔だけれど、他んところから来たんかな」
「どうだべ。まあ、可愛いから俺は大歓迎」
ダンスゲーマーが増えるのは、実に喜ばしいことだ。仲間が増えれば増えるほど、ダンスゲーム人生が彩る。
さて。
左右を見渡し、誰もが「いいぜ」と筐体へ促す。震は「サンキュ」と返し、
「じゃ、今日も踊るかね」
いつもの調子で言い、いつもの足取りで台へ歩んでいく。
その時、例の女の子とすれ違った。一瞬だけ、目も合う。
そのまま台に立ち、ワンコインを投入する。続けざまにゲームカードを認識させては、見慣れすぎたタイトル画面が筐体に映し出された。
やっぱり、この瞬間がたまらない。あとはそのまま、曲セレクト画面まで進行させ、
――そうだな。
サニースマイルは、本当に良い曲だ。
ここ一ヶ月は、プレイしていない気がする。
最近はボス曲ばかり踊っていたから、たまの気分転換も良いかもしれない。
だから震は、サニースマイルを踊ることにした。ほんの軽い気持ちで。
□
Sランクだった、おまけにBEST SCOREをも獲得してみせた。
だから震は、人差し指を本能的に掲げてしまった。上機嫌になると、ついこのポーズを決めてしまうのだ。
常連仲間である
――よし。
賞賛の雨あられを受け、すっかり上機嫌になれた。今日は、良い一日となるだろう。
そんなふうに思いながら、くるりと振り向いてみて、
女の子が、歯を食いしばっていた。両拳まで作ってみせて。
思わずビビってしまって、とっさの言葉すら出てこない。気のせいか何かだと思い込みたかったが、女の子の視線は明らかに震へと差し向けられていた。
「な、何か?」
怖気づきながら、何とか声を絞り出してみせる。
対して女の子は、怒りじみた表情を滲ませながら、
「……やるじゃない」
「へ? ど、どうも」
そして女の子は、ポケットから財布を引き抜いて、
「決めた」
「え」
「本当は気分転換のつもりだったけれど……やるわ、ダンスゲーム」
その決意表明に、ギャラリーから怯んだ声が漏れ出す。
そして震は、その言葉を聞いて、間抜けにも「え」が漏れた。
「……な、なあ」
「なに」
「あ、あんた、音ゲー歴は?」
「今日がはじめて」
――マジか。
それなのにこの女の子は、いきなり中堅どころの曲を踊り明かしていたというのか。
恐ろしい、とは思った。けれども、歓喜めいた高揚が湧いてきたのも間違いなかった。
「……本当に、やるんだな? 極めるのに、時間はかかるぞ?」
「やる」
女の子は、決意を譲らなかった。
「あんなプレーを見せつけられたら、やるしかないでしょ」
そして女の子は、勝ち気な笑みを露にしながらで戦場へと歩んで、
「あ……ごめんなさい。順番は守らないと」
けれどギャラリーは、どうぞどうぞと手で促す。女の子は、戸惑うように左右を見渡すが、
「ようこそ、音ゲーの世界へ。せっかく盛り上がっているんだから、是非ともプレイしてくれ」
「そうそう! あ、ゲームカードは作ったほうがいいかも」
女の子は、きょとんとした表情になって、
「あ――ありがとうございます! ……カードの方は、後日に作りますね!」
そして、どこまでも明るい笑顔に変わった。
男どもは、「おお」と感嘆の声を漏らす。女性陣は、「かわい~!」と盛り上がる。正直、自分もそう思う。
――そして、ハナから勝ちに行くつもりなのだろう。その足取りは、実に実に自信に満ち溢れていた。
「……そうねえ」
台に立った女の子は、そのままワンコインを投入して、一気に曲セレクト画面にまで移動する。
そしてそのまま、サニースマイルを選択しようとし、
「待った」
「え、何」
女の子が、ぎろりと振り向いてくる。実に不満そうな顔で。
正直ビビリそうになったが、キングとして何とか持ちこたえつつ、
「同じ曲を立て続けにプレイするのは、正直ダレる。スコアアタックの時は特にそう」
「……そうなの?」
「曲調が変わらないダンスなんて、すぐ飽きるだろ?」
「む」
女の子が、唇を尖らせる。けれども、反論はなかった。
「……そうね、一理あるわ」
女の子の視点が、ふたたび筐体へ向けられる。そしてそのまま、不慣れな手つきで曲を選んでいき、
「あ、これいいじゃない。この曲にしよ」
「あ、それはっ」
もう遅い。女の子は、「Rain」という曲をチョイスしてしまった。
女の子は、「よーし」と腕まくりする。誰も彼もが、「おいおい大丈夫かな」と左右に目配りし始める。ここでキャンセル出来たら良いのだが、残念ながらここはゲーセン、そんな仕様は滅多に設けられていないのだった。
――その数秒後、デッドゾーンに入ってあっさり脱落した。
「……なにこれ……」
「……ボス曲……」
喧騒な店内とは裏腹に、音ゲーコーナーは実に気まずそうな空気が蔓延しきっていた。
賑やかだったはずのギャラリーも、今となっては沈黙を保ったまま。視線なんて、隣の常連客と目が合ったりして実に忙しない。
D判定――その画面を見つめたままで、女の子の背はぴくりとも動かない。相当悔しがっているのがよく分かる。
判定を下されて数秒後、「後ろのお客に譲ってください」の文字が映し出される。それでも少女は突っ立ったまま、ギャラリーも真顔で見守ることしかできていない。
更に数秒後が経過して、チュートリアル画面が流れ出した頃。女の子はくるりと振り向き、ギャラリーは沈黙で反応し、そのまま台から降りては「どうぞ」と手でプレーを促す。
できるはずがなかった。みんな、女の子の無表情に恐れをなしていた。
やべえどうしよう、俺のせいなのかな。そう思考していると、女の子がずかずか歩んできて、
「わかった」
「え」
「あなたの言うことに従う。そうした方が、上達も早いだろうし」
「あ、どうも……」
それならよかった。震は、ほっと胸をなでおろし、
「そしていつか、あなたに勝ってみせるわ!」
2007年、冬。
十五歳になって、なんだかすごい人と出会ってしまった。
―――
放課後になって、震は今日も音ゲーコーナーにてその身を踊らせていた。
高難易度の曲をセレクトして、その身で高いスコアを叩き出して、見慣れたギャラリー達が口笛でクリアを祝福する。表面上はあくまで普通に、キングらしく「こんなもんだな」とつぶやき、心の中では「これもダンスだよな」と歓喜に震えながら。
これまでは、そんなふうに毎日を過ごしていた。
「あ、来た」
Anemoneが、そそくさと道を開ける。他の常連客も「新入り」に気づいたのか、どうぞどうぞと手で促し始めた。
――そして、新入りと目が合う。偶然ではなく、明らかに意識されながら。
「や、やあ」
「どうも。今日は練習を重ねに来たわ」
「うん、それがいい」
女の子は、素直に頷いて、
「見てなさい。必ずや、ゲームでも良いダンスをこなしてみせるんだから」
ゲームでも。
その言い回しが、震の思考に引っかかった。
「ダンス、やってるの?」
「ええ、一応は」
「……そうなんだ。だからあんなに、良いプレーが出来てたんだな」
「どうも。でも、良いだけじゃダメ、勝たなきゃ」
「えー……」
だからといって、否定なんて出来やしなかった。だって震は、キングだから。
「ゲームでもダンスでも、勝負は勝負よ。私は、やるからにはトップをとりたいの」
「……まあ、その考え方はゲーマー向けだけどさあ」
「でしょ? ……えと、皆さんはプレイしないんですか?」
そんなことが出来る勇者なんて、この場にいるはずがなかった。
誰も彼もが、無表情でプレイを譲る気でいる。我先にとプレイしたがる、音ゲーマー全員がだ。
――空気を察して、女の子がにこりと微笑む。
「ありがとうございます。それじゃあ、いってきます」
サムズアップとともに、女の子は
そして、ワンコインを投入する。次にゲームカードを取り出して、「あれ、どこに当てるんだっけ」と女の子が首をかしげてしまった。
「ああ、それはほら、ここにカードのアイコンがあるだろ? そこへ軽く当てるだけでOK」
「ああ、ありがとう。……へえ、今のゲーセンは、こんなふうに記録できるのね……」
まちがいない、この女の子は明らかに「初心者」だ。
それなのにこの子は、中堅どころの曲相手にAランクをもぎ取ってみせた。
それを成し得たのも、「リアルの」ダンスをこなしているからこそ、だろう。
ダンスに生きていれば、身体能力や反射神経はおのずと磨き上げられる。そして、一番になりたいというメンタルも鍛えられていく。言動と負けん気から察するに、プロのダンサーになるつもりでいるのだろう。
納得する。これはもしかしたら、玉座すらぶんどられてしまうかもしれない。
そして、名前入力画面が筐体に映り込む。女の子は「そうねえ」と首を傾かせ、数秒後に「あ、そだ」と文字を打ち込んでいって、
「AI」。それが、ゲーセンにおける女の子の名前になった。
「よーし、踊るわよー!」
AIが、両拳を作る。心なしか、花のヘアピンが増えているような気がした。
そして間もなく、ゲームセレクト画面が表示される。AIは「そうねえそうねえ」と曲を選んでいき、
「ねえ」
振り向かれた。
心臓が飛ぶかと思った。
「お、俺?」
「そう、あなた。……サニースマイルっていう曲はできるんだけれど、その次に難しい曲って何?」
「え? えーっと」
すぐにでも答えられるはずなのに、気圧されてつい口ごもってしまう。
頭を傾け、うんうんと唸るだけ唸って、ギャラリーに見守られながら、
「……『曇り空の下で』、かな」
「ん、ありがとう」
AIはくるりと、画面へ目を向ける。そうしてお目当ての曲を発見して、「よーし」と声を上げて、
「ねえ」
「はいっ?」
また振り向かれて、上ずった声が飛び出た。
「そういえばあなた、名前は?」
「え、名前?」
「そう。……目標となる人の名前は、覚えておかないと」
「え、ええ……俺、そういうやつなの?」
「そういうやつなの。さ、教えて」
思わず、口を閉ざしてしまう。
AIの言う名前とは、ダンスゲームにおけるプレイヤーネームのことを指しているのだろう。何も、本名を教えろと言っているわけではない。
そもそもプレイヤーネームの教え合いは、古来よりゲーセンにて存在する交流の一つだ。音ゲーにしろ格ゲーにしろ、そうやってゲーセン仲間を作り出してきた。
だから、AIは「当然」のことを聞き出そうとしているに過ぎない。
けれど、ここでネームを言ってしまったら、何だか「引き返せない」領域へ足を踏み入れてしまう気がする。
何せ相手は、あのAIなのだ。負けん気が強くて、ダンサーを目指していて、ゆくゆくはキングすら討伐しようとする、あのAIが相手なのだ。
ネームを漏らしてしまったら、何だかこう人生すら変わってしまうような。そんな迫力じみたものが、AIからはひしひしと伝わってくる。
――曲セレクトのBGMが流れて、数秒が経った。
ギャラリーに目をやる。いや俺に言われても、別にいいでしょ教えても、怒らせちゃアカンって、無言のメッセージを受信する。
AIの瞳を見る。
はやく教えなさい、そう射抜かれた。
「SIN、です」
「SIN、ね。わたしはAI、これからもよろしくね」
そうして、AIからにこりと微笑まれた。
――それだけだ。
それだけのことに対して、声にならない声がもれた。
「さあ、やるわよ!」
何かを考える前に、己が手が心臓を抑えていた。
――なんだか、痛かった気がする。
――……D
――……そんなもんだよ
――……うん