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大学非常勤講師(哲学)。著書に『海を渡る「慰安婦」問題』(共著、岩波書店)、『憎悪の広告』(共著、合同出版)、『右派はなぜ家族に介入したがるのか』(共著、大月書店)、『まぼろしの「日本的家族」』(共著、青弓社)。
これ、「結論先にありき」のためにする議論の典型なので、サンプルとして残すためにちょっと書いておこう。 http://www.anlyznews.com/2019/11/blog-post_12.html … 最初の「日赤の理念は帰結を問題にしている」云々のところだけコメントしておけば足りるだろう。
まず「帰結を問題にしている」ことと「帰結だけを問題にしている」こととはまったく異なる。 「提供申し出者の徹底的なスクリーニングにより安全性を確保します」と「提供者の自発性を尊重することにより安全性を確保します」とでは、倫理的な観点からみればまるで違った「理念」と言わねばならない。
日赤が「手段を問わず安全性の確保に努めます」とうたっているというなら話は別だが、事実はそうではないわけで、「結果」を出すための「手段」の選択も立派に「理念」の一部である。 で、こんなことは動機的に中立な話題についてであれば、誰にだって理解できることである。
しかしこの場合、結論は「あのポスターは正当化されねばならない」とあらかじめ決まっている。そうするとさえぼう氏の議論は否定されねばならない……と逆算していってなんとかひねり出したのが「帰結を問題にしている」だったわけだ。