[2-37] ブラックモヤモヤ植林ガール
一日の行軍を終えて一息つく人々の間を、血の風が吹き抜けていった。
「な、何をする!? やめろ!」
「助けぐわっ!?」
コクソンはとにかく目に付いた者から順番に斬っていった。
辺りはにわかに騒がしくなり始めていた。
まだ何が起こっているか分からず様子を見に来た者は、並んだ惨殺死体とコクソンの姿を見て逃げようとし、逃げ切れずに殺害されていく。
この辺りは騎士ばかり寝泊まりしている区画だが、それでもコクソンにまともに対処できない。それもそのはずで、彼らのほとんどは鎧すら身につけていないのだ。
一般的に言って、フル装備で行軍する軍隊は少ない。
魔物を警戒して軽装程度の装備を身につけておく場合はあるものの、武具は基本的に馬や荷車に積んで運び、戦場で身につけるものだ。
翻って冒険者は危険地帯を少人数で踏破するのが常である。
装備には、着けたままでも活動に支障を来さない工夫がされていたり、そもそも比較的軽装であったりして、移動中も身につけたままなのが普通だった。
と、コクソンは斜め後方から押し寄せる波のような気配に総毛立つ。
――魔法……!
ローブを着た騎士が十歩の距離を置いてコクソンに杖を向けていた。
「≪
粉雪を纏ったような風が中空に渦を巻き、ツララのような矢を無数に生み出す。
コクソンは一瞬のためらいもなくそちらへ突っ込んだ。籠手を組み合わせて頭上に掲げ、頭を守る。
命を凍てつかせる氷の雨がコクソン目がけて降り注いだ。
籠手に弾かれ、鎧に弾かれ、太ももを引っ掻いてツララが降る。コクソンの駆け抜ける後ろに、突き刺さったツララの道ができた。
魔術師の顔が恐怖に歪む。
「ひっ! ア……≪
苦し紛れに無詠唱で放った、追加の氷の矢。至近距離からの狙い澄ました一撃。
だがコクソンは横薙ぎに剣を一閃。ガラスの割れるような音を立て、ツララの矢は砕け散る。
そして、次の一撃は。
「ぐはっ……」
魔術師の身体を杖ごと叩き折った。
「うわああ、何だあ!?」
ちょうどその時、別の場所からも悲鳴が上がった。
川の方に煌々と明かりが灯っていた。
――始まったか。
コクソンは殺戮を切り上げ、様子を見に川の方へと向かう。
川の方はぼうっと明るくなっていた。
川には物資運搬用の船がいくつも浮かべてあり、今は川岸に係留されていた。
その船が燃えていた。
盛大に燃えていた。火の粉を舞い上げ夜空を照らす。
川の上を遊ぶように飛び回るのは、ゆったりしたローブのような服を着てカボチャの仮面を被り、カンテラを掲げた少女の霊たちだ。
ジャック・オ・ランタン。低級の霊体系アンデッドである。
「くそ、やめろっ!」
川原の石を拾った兵士がジャック・オ・ランタン目がけて投げつけるが、もちろん石は霊体をすり抜けて、川面に虚しく波紋を立てただけだ。
『そんなの効かないよ、ばーか!』
少女たちがカンテラに吐息を吹き込むと、吐息はドラゴンのブレスのように炎となり兵士を火だるまにした。
「熱っちゃああああ!!」
たまらず兵士は川に飛び込む。
ジャック・オ・ランタンたちは岸辺を薙ぎ払うように火を噴きながらも、次々と船を燃やしていった。
「まずい! 消せ! 消せ!!」
誰かが叫んだ。
そして、どうしようもなかった。
炎は、連ねて停泊した船を飛び渡るように燃え広がっていく。まるで炎の大蛇が身を横たえているかのような眺めだった。
それもそのはずで、姫様の命令を受けた輜重兵が後方からやってきては船に飛び乗って、補給物資として持ってきた油の壺を次々叩き割っているのだ。
彼らは自らの責務を全うして炎の中に消えて行く。コクソンは彼らの崇高な死に様を見て、自分もかくあれと奮い立った。
「くそっ……【
駆けつけた魔術騎士が魔法を使う。
すると、水の流れが川面から鎌首をもたげた。重力に逆らって水流が天に昇り、空中に巨大な水の玉を形成していく。
そしてそれが充分な大きさになった時、
水の元素魔法によって生み出された水流は、火を消すことはできるが本当の水ではない。ほとんどの元素魔法はあくまで現象の模倣であり、魔法の効果が切れればそれと共に消え去る幻のようなもの。今ジャック・オ・ランタンたちが火を噴く魔法で油に引火させて本物の炎を作り出しているように、魔法の効果が切れた後も残るような工夫が必要だった。
この騎士は川の水を吸い上げて魔法に混ぜることで威力をブーストしつつ、船を濡らして炎から保護しようと企んでいるようだ。
流れ落ちる水を受けた船は鎮火、さらに簡単には燃えなくなる。
これだけ盛大に炎が燃えていれば誰だって気付く。次々やってきた兵たちは、大切な物資の惨状を見て消火活動を始める。手桶どころか兜まで使って川から水を汲み、また水を含ませた布を掛けたりしはじめる。
神官も来たようで神聖魔法の光が飛び、追い散らされたジャック・オ・ランタンたちはひらひら飛び離れていく。
折角つけた火が徐々に消されていった。
魔法によって水が降り、人海戦術で水が掛けられ、一時真昼のように明るかった辺りはまた夜の帳に呑まれていく。
積まれた物資はだいぶ燃えたが、積まれた下の方はまだ無事だろう。船も表面が炭化しているけれど航行可能な状態に見えた。
だがコクソンは手を出さず、炎から離れた闇の中でじっと見ていた。
消火活動を止める必要はない。コクソンはこれが陽動だと知っていた。
破壊するのは、陽動としての役目が終わってからでもいいのだ。
「【
それは突如だった。
ギシリ、ギシリと氷の軋む音が馬より速く迫ってくる。
川が凍り始めていた。下流から流れを遡り、氷が侵食していく。凍った川からはアダマントタートルの甲羅みたいに、太いトゲが乱杭状に突き立っていた。
疾走する氷は、連なる輸送船団を見る間に飲み込んだ。
木っ端を飛び散らせながら、巨大な氷のトゲは船を串刺しにした。
ついでに、消火のために川に足を踏み入れていた者たちも。
「うわああああ!」
「ひいっ!?」
悲鳴を上げたのは、トゲが生えてきた時に打ち上げられてしまった者だ。
ふわりと宙を舞った彼らは、氷のトゲの上か硬い石だらけの河原か、いずれにしても好ましからざる場所へ叩き付けられて動かなくなる。
水の元素魔法は水場を伝播させることで強烈な威力を発揮する。【
今や、川は全てが凍てつく剣山と化していた。
刺し貫かれた船は、突き上げられて崩壊しかけたまま空中で氷づけになり、まるで水難事故を描いた悪趣味な絵画のように静止する。
それでいて、まだ消えきっていない火が燃え続ける地獄のような眺め。
氷と炎による破壊。誰もが目を見張るような惨状だった。
永遠にも思えるほどの数秒間、残酷で美しく圧倒的な魔法に皆が言葉を失い、見入った。
そして魔法は解かれた。
魔法で生み出された氷は消え、巻き込まれて凍らされた川の水だけが残る。もちろん、そんなスカスカの氷で船の残骸を持ち上げ続けることなど不可能。
氷の槍衾がいっぺんに崩壊し、船の残骸は流氷状態の川面へ叩き付けられた。
大量の木片と物資の残骸を飲み込んだ川は大きな波しぶきを上げて、河原までも水浸しにする。
まだ形がある船も既に穴だらけで、ぶくぶくと泡を吐きながら傾いていった。
「かかれぇえええええええっ!!」
「「「「うおおおおおおおおおおおおおお!!」」」」
氷の魔法が解けるのと同時、陣列後方から鬨の声が上がった。
目を血走らせ、叫びながら突撃してくる軍勢。
それは輜重隊の騎士や、金槌みたいな適当な鈍器を持った人足やら、泡を吹くほど興奮した馬であった。
彼らは、何が起きたのか分からないという様子の人々に向かって猛進する。そして。
「なんだ、やめ……ぎゃああ!」
「お前たちどうし、ぐはっ……」
麺棒がパン生地を轢き潰すように、殺戮を開始した。
騎士はもちろんのこと、暴れ回る軍馬だって恐ろしい。足で蹴られれば即死もあり得る。半端な魔物よりもよっぽど恐ろしい敵だった。
どこかでメチャクチャにラッパが吹き鳴らされた。奇襲があったという警告だ。
だが、気がついたところでもう遅い。
皆が火事に気を取られている間にコクソンが将軍を殺害し、姫様が隊列後方を手中に収められたのだから。
比較的安全な後方に居たのは、主に輜重隊だ。
護衛には熟練冒険者に匹敵するほどの腕前の騎士も居ただろうが、そういうのは残りの“蒼銀の絆”メンバーが抑えている。そこに姫様が加われば護衛の騎士など蹴散らせよう。あとは本来戦闘員でない人足や、随行する酒保商人の用心棒くらいだから数が多いだけだ。
そして今、彼らは姫様の兵となっていた。燃える輸送船に気を取られている間に姫様は彼らを掌握し、さらに戦闘準備を整えさせた。
命さえ惜しまず吶喊する群衆の上に、夜に溶け込む黒い影が浮かんでいた。
「そんな、馬鹿な……どうして…………」
鎧を着る間もなく斧だけ持って出てきたらしいドワーフの兵が、天を見上げ愕然としていた。
地中生活に適応したドワーフは僅かな明かりでも景色を見ることができる。
ドワーフの目には見えているのだ。翼を広げ夜天を舞う、姫様の麗しきお姿が。
銀髪銀目の少女。血で描かれた薔薇。
これだけでもう間違える者は居ない。
この行軍に参加している者全ての頭に、他の何よりも強く刷り込まれた名……
「どうしてこんな場所に“怨獄の薔薇姫”が居るんだっ!?」
魔物のボスというのは、拠点を構えてそこから動かないのが相場だ。
特に戦いに際しては、人里離れたダンジョンに引きこもって手下に守りを固めさせるもの。
圧倒的多数で王都を包囲して敵戦力を端から削っていけば容易く勝てる……はずだった。
だが。
王都テイラルアーレに居るべきボスが、よりにもよってここに。
補給部隊を襲うため、自ら姿を現したのである。
姫様を見て驚き
しかし彼は、次の瞬間には踵を返し、背後の味方に斬りかかっていた。
「な、何をする!? おい、味方だ味方……うがっ!」
鎖帷子すら着ていない騎士の胸に、両手持ちの大斧が深々と打ち込まれた。
周囲に居た者らもドワーフ兵に続き、さっきまで味方だったはずの者らに襲いかかる。
この心変わりがヴァンパイアの能力『魅了の邪眼』によるものだと気付いた者はどれだけ居ただろうか。
種族を問わず異性を魅了し忠実な下僕にする魔眼。
姿がよく見えなかったとしても、発動の瞬間に朱く輝く目を見てしまえば効果を発揮するのだ。
吸血鬼は何故かほとんど男性であるとされる。その理由は定かでないが、実際に報告される出現例は男性ばかりだ。
だが、稀に女性の吸血鬼が出現すると男性吸血鬼とは桁違いの脅威と見なされる。何故なら、戦いに関わる者は圧倒的に男性の方が多く、それが全て『魅了の邪眼』の対象になるからだ。
ちなみに、軍馬や軍用騎獣も基本的にオスが使われている。
もはや戦いと言うよりも蹂躙だった。
襲われる側の戦闘態勢ができていなかったというのもあるだろうが、それ以上に、命を守るために戦う者と死ぬために戦う者では働きが違いすぎる。金槌を持っただけの人足が訓練を積んだはずの騎士を殺すほどだ。
『なるべく多く殺してから死ぬ』。それが姫様のご命令だった。
だが、戦況は徐々に拮抗し始める。
姫様の兵が数人まとめて吹き飛び、後続の上に降り注いだ。
「こいつら助ける方法無いのかよ!?」
「多すぎる! なるべく死なないよう加減してぶっ飛ばすしかねえ!」
大柄な
イーゴリが道を切り拓き、それに続いて冒険者たちが姿を現す。
『魅了の邪眼』が効いた様子は無い。それどころか周囲の兵も寝返る者が居なくなった。何らかの範囲型防御魔法を使っているのだろう。
――来たか、“砂丘の留め金”!
“砂丘の留め金”も“蒼銀の絆”と同じく、姫様の討伐を目的としてこの行軍に参加した、押しも押されもせぬ強豪パーティーだ。
雑兵未満の連中がいくら集まっても、“砂丘の留め金”にとってはひとりも1000人も同じだろう。
――なら、これは俺の仕事だっ!
コクソンは剣を溜めるように構えると、翔んだ。
足が爆発したように錯覚する。実際、そのエネルギーは爆発にも等しかった。
練技『閃脚』。
脚部の防具や、防具と一体化したブーツなどから魔力エネルギーを噴射し移動する。それがコクソンの体得した練技だった。
足に振り回されるように緩やかに回転しつつ夜天に舞ったコクソン。
イーゴリの姿が近付いたと思ったところでさらに急制動を掛け、一気に距離を詰め空中後ろ回し蹴りを叩き込む。それを剣で受け止めたイーゴリ目がけ、縦に一回転して着地しつつ剣で斬り付けた。
イーゴリはコクソンの剣を籠手で受け止め、鼓膜をぶち破るような大声で怒鳴る。
「馬鹿野郎コクソンてめぇ! 正気に戻れ!」
コクソンを押しとどめるイーゴリの背後では、
――この語句は……回復系?
「≪
「な、にぃ……?」
コクソンは血を吐いていた。
目の前のイーゴリも驚愕していた。
身体が熱い。
鎧の隙間を縫うように、何本もの剣が、槍が、背後からコクソンの身体を貫いていた。
おかしい。何かが。
――あれ? 俺は……どうして“怨獄の薔薇姫”のために命懸けで戦ったんだ?
ついさっきまでコクソンは何も疑問に思っていなかった。
“怨獄の薔薇姫”に全てを捧げて尽くすのは当然のことだと思っていたし、そんな自分に満足していた。
『魅了の邪眼』だ。用心として持っていたはずの護符を瞬く間に叩き割られたコクソンは、あの邪眼を受けて魅了されていた。
そして、正気を取り戻す前に殺された。
……この戦いは“怨獄の薔薇姫”にとって、あくまで補給を阻止して援軍部隊を磨り潰すのが目的。コクソンは将軍を暗殺するという役目を果たしたのだから、後は生きていても死んでいても構わないのだ。
「≪
死にゆくコクソンの身体に邪な魔力が侵入する。
消えかけた感覚と意識が戻ってきた。
それはもはや人のものではなく、姫様に真に忠実な下僕として……
* * *
戦いは、いつの間にか終わっていた。
狂乱して同士討ちを始めた者たちが倒された頃には、首魁たる“怨獄の薔薇姫”も、彼女に従うアンデッドたちも姿をくらましていた。
残ったのは、川面に浮いてチロチロと燃え続ける輸送船の残骸。打ち倒された天幕。負傷者のうめき声。
そして、人馬を問わぬ多くの死骸……死者の半数ほどは、操られて味方に襲いかかった者たちだった。
騎士や冒険者には無事な者が多かった。一定以上の実力を持つ者はほぼ生き残っている。顕著な被害は“蒼銀の絆”の四人くらいだ。
だが輸送物資はほぼ完全に破壊され、それを運ぶ人足や馬も殺されていた。空行騎兵のヒポグリフも奪われていた。
生き延びた者たちも、闇の中でただ呆然と立ち尽くしていた。
幸か不幸か、頭数は減った。残りの食糧だけでも帰るには事足りる。
もっとも、輸送手段はことごとく潰されている。帰り道の食糧を持つため鎧を捨てる騎士の姿さえあった。
家路につくのがやっと。ましてシエル=テイラへ乗り込んで戦うことなど不可能だ。戦闘員の命が無事だとしても、それが軍隊として無事であることとは
追撃に怯えながらもノアキュリオに帰り着いた軍勢は、出発時の十分の一以下に数を減らしていた。